
東京モーターショーを取材した帰路、海浜幕張駅の周囲をぐるりと歩いてみた。
1日中歩き回ったおかげで、喉がカラカラだった。
少し喉を湿らせて帰るか。そう思い、わたしは心許せる酒場があるかどうか少し探してみようと思ったのである。
期待などさらさらしていなかったが、やはり味のある居酒屋などなく、無味無臭のチェーン系居酒屋しか見当たらない。
このあたりは、開発されてから、ほとんど変わっていない。
少しは、いい酒場でも出来たことだろう、と期待をしたのだが…。
仕方なくわたしは、海浜幕張駅まで戻り、駅と一体になっている居酒屋「紀尾井」の暖簾をくぐったのである。
カウンターには先客がいて、焼き魚をひとりでつつくおじさんがいた。
わたしは、少し離れたところに腰掛けた。
「生ビールください」。
鴇色の作務衣を来た女性の店員に告げた。
しかし、東京モーターショーの帰りに、この海浜幕張駅の焼き鳥屋でひとり一杯やる。
15年前のわたしには考えられないことだった。
15年前の今頃、21歳のわたしは東京モーターショーに初めて出掛けた。わざわざ、ある一台のクルマを見に。
そのクルマとはスズキが参考出品していたカプチーノ。雑誌で一目見たとき、わたしはそのオープンカーに魅了された。わたしは、その一台を見るために幕張メッセまで出かけたのである。
そして、翌年、一般発売したそのクルマをわたしは手に入れたのだった。
その前年、千葉市民でもなんでもないのにわたしは幕張メッセで成人式をした。未成年という呪縛から解き放たれたのが、この幕張だったのだ。
あの当時、クルマを持つ、ということが大人になったひとつの証しだったような気がする。
クルマを駆って、週末になると、わたしは決まって女の家に向かった。
浦安から湾岸線を東へ。やがて、幕張のビル群が見えてくると、赤いカプチーノは出口に向けて車線変更する。
湾岸習志野が女のウチまでの近道だった。
わたしは漠然とそんな昔のことを思い出しながら、運ばれてきたスーパードライ(500円)を喉に流し込んだ。
それから数年間は楽しい時代だった。
金はなかったが、全力疾走した日々だった。
事態がにわかに動き出したのは、高校時代の同級生、C弘の結婚だった。
C弘の結婚式は、この幕張新都心の一角にあるホテルフランクスで行われた。
温かみのある、いい結婚式だった。
その日を境にわたしと女の関係に微妙な変化が起きた。
親友が初めて結婚したという事実に、わたしと女も心が揺れたのである。
わたしたちは一体どうするのか、と。いやいや、わたしたちはどうなるのか、と。
その後は、何か分からない男と女の濁流に飲みこまれ、ほどなくしてわたしたちは別れた。
最後に会って食事をした場所は海浜幕張の駅前にあるプレナというショッピングセンターの中にあるパスタ屋さんだった。
そして、わたしは愛車のカプチーノを手放した。
幕張に来ることも次第に減っていったのである。
今、幕張の街並みを歩いていて、特に何の感慨も浮かんでこない。
ただ、単に歳をとったということもあるだろうが、センチメンタルな気分にはならない。特に特別な感情は沸いてこないのだ。
わたしは、酎ハイ(330円)を飲み、焼き鳥のももにんにくとレバー(各160円)をたいらげようとしている。店内にはふやけたJポップが流れ、一団のお客が入ってきた。
わたしと歳の頃は同じくらいだろうか。4人組の女性は会社帰りに立ち寄ったという雰囲気だ。
別れた女に会いたいとは思わない。
でも、今どうしているのかな、と考えるときもある。
そうそう、アジア放浪から帰国して、C弘と酒を飲んだ際、彼は女の消息を口にした。
「結婚して2児の母だよ」。
C弘とあの日飲んだ場所は、海浜幕張ではなかったが、そういや幕張本郷だったな。
そう思いながら、あの時食べたものと同じ肴を頼んだ。
あの日の店より格段にうまい「揚げだし豆腐」(500円)だった。
1日中歩き回ったおかげで、喉がカラカラだった。
少し喉を湿らせて帰るか。そう思い、わたしは心許せる酒場があるかどうか少し探してみようと思ったのである。
期待などさらさらしていなかったが、やはり味のある居酒屋などなく、無味無臭のチェーン系居酒屋しか見当たらない。
このあたりは、開発されてから、ほとんど変わっていない。
少しは、いい酒場でも出来たことだろう、と期待をしたのだが…。
仕方なくわたしは、海浜幕張駅まで戻り、駅と一体になっている居酒屋「紀尾井」の暖簾をくぐったのである。
カウンターには先客がいて、焼き魚をひとりでつつくおじさんがいた。
わたしは、少し離れたところに腰掛けた。
「生ビールください」。
鴇色の作務衣を来た女性の店員に告げた。
しかし、東京モーターショーの帰りに、この海浜幕張駅の焼き鳥屋でひとり一杯やる。
15年前のわたしには考えられないことだった。
15年前の今頃、21歳のわたしは東京モーターショーに初めて出掛けた。わざわざ、ある一台のクルマを見に。
そのクルマとはスズキが参考出品していたカプチーノ。雑誌で一目見たとき、わたしはそのオープンカーに魅了された。わたしは、その一台を見るために幕張メッセまで出かけたのである。
そして、翌年、一般発売したそのクルマをわたしは手に入れたのだった。
その前年、千葉市民でもなんでもないのにわたしは幕張メッセで成人式をした。未成年という呪縛から解き放たれたのが、この幕張だったのだ。
あの当時、クルマを持つ、ということが大人になったひとつの証しだったような気がする。
クルマを駆って、週末になると、わたしは決まって女の家に向かった。
浦安から湾岸線を東へ。やがて、幕張のビル群が見えてくると、赤いカプチーノは出口に向けて車線変更する。
湾岸習志野が女のウチまでの近道だった。
わたしは漠然とそんな昔のことを思い出しながら、運ばれてきたスーパードライ(500円)を喉に流し込んだ。
それから数年間は楽しい時代だった。
金はなかったが、全力疾走した日々だった。
事態がにわかに動き出したのは、高校時代の同級生、C弘の結婚だった。
C弘の結婚式は、この幕張新都心の一角にあるホテルフランクスで行われた。
温かみのある、いい結婚式だった。
その日を境にわたしと女の関係に微妙な変化が起きた。
親友が初めて結婚したという事実に、わたしと女も心が揺れたのである。
わたしたちは一体どうするのか、と。いやいや、わたしたちはどうなるのか、と。
その後は、何か分からない男と女の濁流に飲みこまれ、ほどなくしてわたしたちは別れた。
最後に会って食事をした場所は海浜幕張の駅前にあるプレナというショッピングセンターの中にあるパスタ屋さんだった。
そして、わたしは愛車のカプチーノを手放した。
幕張に来ることも次第に減っていったのである。
今、幕張の街並みを歩いていて、特に何の感慨も浮かんでこない。
ただ、単に歳をとったということもあるだろうが、センチメンタルな気分にはならない。特に特別な感情は沸いてこないのだ。
わたしは、酎ハイ(330円)を飲み、焼き鳥のももにんにくとレバー(各160円)をたいらげようとしている。店内にはふやけたJポップが流れ、一団のお客が入ってきた。
わたしと歳の頃は同じくらいだろうか。4人組の女性は会社帰りに立ち寄ったという雰囲気だ。
別れた女に会いたいとは思わない。
でも、今どうしているのかな、と考えるときもある。
そうそう、アジア放浪から帰国して、C弘と酒を飲んだ際、彼は女の消息を口にした。
「結婚して2児の母だよ」。
C弘とあの日飲んだ場所は、海浜幕張ではなかったが、そういや幕張本郷だったな。
そう思いながら、あの時食べたものと同じ肴を頼んだ。
あの日の店より格段にうまい「揚げだし豆腐」(500円)だった。
ちょっと予想外だったよ。しかし、スズキ好きだね。
さて、なんか今回の記事、ちょっと回顧的でそしてほろ苦い感じで中々いいね。
>カプチーノなんか
なんか、はないだろう(笑)。
当時でFRは希少ものだったんだぞ。
ロングノーズでシートレイアウトが後ろ側に寄っていたため、軽自動車ながらドライブフィールはスポーツカーそのものだったよ。
運転するのが、楽しかったなぁ。
スズキ好きはたまたまだね。
師は、もう風邪はすっかりいのか?
オレは今、大掃除の真っ最中だよ。