Tさんからメールが入った。
『最終便でとうとう原稿送ったわよ。今回はいろいろあって、出そうかどうか迷ったけれど
貴女に毎年コンスタントに出すべきと言われて、あれから頑張っちゃっいました。
今、再び読み返してみても、何て独りよがりな文章…と我ながら感心しています。
現在の、私自身の心境があらわれているのでしょう。今度は貴女にバトンタッチ!』
ヒェ~~です。
筆なんぞ、まるで進んでいません。
あと倍以上は、書かなければならないし。
Tさんと私は、かれこれ10年のおつきあい。
某カルチャーの、小説講座で知り合ったのだ。
当時の最初からのメンバーで最後まで残ったのが、結局Tさんと私だった。
そのカルチャーが無くなった後も、2人の中でもっと書きたいという想いが、いつしか再燃していた。
当時の講師だった文芸評論家のD先生に、無理な願いと知りつつ依頼すると
たった2人なのに引き受けてくださり、書いたものの講評を月1回いただき、今年で2年目に入っていた。
おまけに、月謝はいいよ…などと言われても、そういうわけにもいかず、ほんの気持ちのみで許していただいた。
「私たちは美人だしぃ」などと、Tさんと馬鹿を言いつつ
書き続けたい、続けなければという想いが、いつしか湧いていたのだった。
Tさんは、自分自身の生活を土台にした短編を書いている。
「私にとって書くことは、もって行き場の無い心を吐き出すこと」と、彼女は言う。
富山の北日本新聞主催、地方の文学賞では権威のある北日本文学賞で3次まで残った実績。
毎年、そこに応募するのがTさんののライフワークに。
私は女性心理をテーマに書いている。
それもある一線を越えてしまった、グロテスクな女をエンタメ系で。
だから、ストーリーを面白く、かつ興味深く書かなければいけないのに、どこかで表現の美しさや美文調を追って文学をしてしまう。
文学をしてはいけないのです。
毎回注意されるのは、いつも同じ。
そして、グロテスクな女を描いても、どこかグロテスクさがユルく他人事で、最後にイイ人を感じさせてしまうのが、私の悪いところだとも。
私自身がいい人だから(笑)なのね~~。
人間の不幸や苦しみ、悲惨さを含んだ破滅や破壊行為が、露骨であればあるほど私たちを発情させるのは分かっているのだけれど。
ああ~。難しい。
これも応募する予定ではいるけれど。
それに家族が読んだら、腰が抜ける内容かも。
読ませないし、誰も読みたがらない(笑)
おまけに一人称で書くので、妄想を抱きつつ、書くモードに入るとたまに自分との境界がぼやけてしまいそうな瞬間がある。 危ない、危ない!
一線を超えた嫌なグロテスクな女は、案外わたしかも。
そして、私が何かを新しく始める時は、大抵自分の上に何事かが起きた時だった。
仕事を辞めた時や、家族や人間関係の変化など、それらは決して楽しい時ではなかった。
だから、書くことも、子供の頃は嫌いだったピアノを、再び弾く事さえも
今にしてみれば、その頃息苦しくなっていた自分の心を、別の窓から解き放つ手段だったのかもしれない。 ふぅ~~。
いつも講評をしていただく、ほとんどお客さまのいない喫茶店からの眺め
遠くに首都高の終わりが見えます
『最終便でとうとう原稿送ったわよ。今回はいろいろあって、出そうかどうか迷ったけれど
貴女に毎年コンスタントに出すべきと言われて、あれから頑張っちゃっいました。
今、再び読み返してみても、何て独りよがりな文章…と我ながら感心しています。
現在の、私自身の心境があらわれているのでしょう。今度は貴女にバトンタッチ!』
ヒェ~~です。
筆なんぞ、まるで進んでいません。
あと倍以上は、書かなければならないし。
Tさんと私は、かれこれ10年のおつきあい。
某カルチャーの、小説講座で知り合ったのだ。
当時の最初からのメンバーで最後まで残ったのが、結局Tさんと私だった。
そのカルチャーが無くなった後も、2人の中でもっと書きたいという想いが、いつしか再燃していた。
当時の講師だった文芸評論家のD先生に、無理な願いと知りつつ依頼すると
たった2人なのに引き受けてくださり、書いたものの講評を月1回いただき、今年で2年目に入っていた。
おまけに、月謝はいいよ…などと言われても、そういうわけにもいかず、ほんの気持ちのみで許していただいた。
「私たちは美人だしぃ」などと、Tさんと馬鹿を言いつつ
書き続けたい、続けなければという想いが、いつしか湧いていたのだった。
Tさんは、自分自身の生活を土台にした短編を書いている。
「私にとって書くことは、もって行き場の無い心を吐き出すこと」と、彼女は言う。
富山の北日本新聞主催、地方の文学賞では権威のある北日本文学賞で3次まで残った実績。
毎年、そこに応募するのがTさんののライフワークに。
私は女性心理をテーマに書いている。
それもある一線を越えてしまった、グロテスクな女をエンタメ系で。
だから、ストーリーを面白く、かつ興味深く書かなければいけないのに、どこかで表現の美しさや美文調を追って文学をしてしまう。
文学をしてはいけないのです。
毎回注意されるのは、いつも同じ。
そして、グロテスクな女を描いても、どこかグロテスクさがユルく他人事で、最後にイイ人を感じさせてしまうのが、私の悪いところだとも。
私自身がいい人だから(笑)なのね~~。
人間の不幸や苦しみ、悲惨さを含んだ破滅や破壊行為が、露骨であればあるほど私たちを発情させるのは分かっているのだけれど。
ああ~。難しい。
これも応募する予定ではいるけれど。
それに家族が読んだら、腰が抜ける内容かも。
読ませないし、誰も読みたがらない(笑)
おまけに一人称で書くので、妄想を抱きつつ、書くモードに入るとたまに自分との境界がぼやけてしまいそうな瞬間がある。 危ない、危ない!
一線を超えた嫌なグロテスクな女は、案外わたしかも。
そして、私が何かを新しく始める時は、大抵自分の上に何事かが起きた時だった。
仕事を辞めた時や、家族や人間関係の変化など、それらは決して楽しい時ではなかった。
だから、書くことも、子供の頃は嫌いだったピアノを、再び弾く事さえも
今にしてみれば、その頃息苦しくなっていた自分の心を、別の窓から解き放つ手段だったのかもしれない。 ふぅ~~。
いつも講評をしていただく、ほとんどお客さまのいない喫茶店からの眺め
遠くに首都高の終わりが見えます