わたしの文章修行

2007年10月05日 | 小説
Tさんからメールが入った。

『最終便でとうとう原稿送ったわよ。今回はいろいろあって、出そうかどうか迷ったけれど
貴女に毎年コンスタントに出すべきと言われて、あれから頑張っちゃっいました。
今、再び読み返してみても、何て独りよがりな文章…と我ながら感心しています。
現在の、私自身の心境があらわれているのでしょう。今度は貴女にバトンタッチ!』

ヒェ~~です。
筆なんぞ、まるで進んでいません。
あと倍以上は、書かなければならないし。

Tさんと私は、かれこれ10年のおつきあい。
某カルチャーの、小説講座で知り合ったのだ。
当時の最初からのメンバーで最後まで残ったのが、結局Tさんと私だった。
そのカルチャーが無くなった後も、2人の中でもっと書きたいという想いが、いつしか再燃していた。
当時の講師だった文芸評論家のD先生に、無理な願いと知りつつ依頼すると
たった2人なのに引き受けてくださり、書いたものの講評を月1回いただき、今年で2年目に入っていた。
おまけに、月謝はいいよ…などと言われても、そういうわけにもいかず、ほんの気持ちのみで許していただいた。
「私たちは美人だしぃ」などと、Tさんと馬鹿を言いつつ
書き続けたい、続けなければという想いが、いつしか湧いていたのだった。

Tさんは、自分自身の生活を土台にした短編を書いている。
「私にとって書くことは、もって行き場の無い心を吐き出すこと」と、彼女は言う。
富山の北日本新聞主催、地方の文学賞では権威のある北日本文学賞で3次まで残った実績。
毎年、そこに応募するのがTさんののライフワークに。

私は女性心理をテーマに書いている。
それもある一線を越えてしまった、グロテスクな女をエンタメ系で。
だから、ストーリーを面白く、かつ興味深く書かなければいけないのに、どこかで表現の美しさや美文調を追って文学をしてしまう。
文学をしてはいけないのです。
毎回注意されるのは、いつも同じ。
そして、グロテスクな女を描いても、どこかグロテスクさがユルく他人事で、最後にイイ人を感じさせてしまうのが、私の悪いところだとも。
私自身がいい人だから(笑)なのね~~。

人間の不幸や苦しみ、悲惨さを含んだ破滅や破壊行為が、露骨であればあるほど私たちを発情させるのは分かっているのだけれど。
ああ~。難しい。
これも応募する予定ではいるけれど。
それに家族が読んだら、腰が抜ける内容かも。
読ませないし、誰も読みたがらない(笑)
おまけに一人称で書くので、妄想を抱きつつ、書くモードに入るとたまに自分との境界がぼやけてしまいそうな瞬間がある。   危ない、危ない!
一線を超えた嫌なグロテスクな女は、案外わたしかも。



そして、私が何かを新しく始める時は、大抵自分の上に何事かが起きた時だった。
仕事を辞めた時や、家族や人間関係の変化など、それらは決して楽しい時ではなかった。

だから、書くことも、子供の頃は嫌いだったピアノを、再び弾く事さえも
今にしてみれば、その頃息苦しくなっていた自分の心を、別の窓から解き放つ手段だったのかもしれない。   ふぅ~~。

                     

   いつも講評をしていただく、ほとんどお客さまのいない喫茶店からの眺め 
   遠くに首都高の終わりが見えます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正岡子規 記念球場 

2007年05月02日 | 小説
         

重く垂れ下がった藤の花が、至るところで目に入る季節になった。
藤の花を見ると、国語の時間に出合った正岡子規の「病状六尺」をつい思ってしまう。
そして病に苦しみながら、研ぎ澄まされて放たれた子規の言葉の数々。

「瓶にさす藤の花ぶさみじかけれぱ たたみの上にとどかざりけり」

病床で臥している子規は脊椎カリエスで立つことさえ不可能だから、畳のうえにとどかない藤の花とは、子規自身の足をも指し、この短歌は、作者の嘆きが色濃く反映されているという

というのは、上野に行った時に文化会館の裏手を通ったら、野球場があった。
確か昔から、そこにあったと思うけれど、、、、
しかも、その前を通ったら『正岡子規記念球場』と看板が。
こんな名前がついていたかしらと思いながら、しばし周辺を眺めると、石碑が平成18年に建立されていた。


                              






正岡子規は日本に野球が入ってきた時の最初の熱心な選手であったそうだ。
自身の幼名である「升(のぼる)」をベースボールにひっかけて、「野球(のぼーる)」(笑)という雅号を用いたことも。

「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす」

などと野球に関係のある句や歌を詠み、文学を通じて野球の普及に貢献し、これらのことが評価され、正岡子規は2002年野球殿堂入りを果たしたという。

正岡子規=病気というイメージばかりが強いけれど、今回そんな面があったことを初めて知った。
教科書でみかける子規の横顔は老成した感があったけれど、30代で夭折。
よく見れば、まだその横顔は若々しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書熱

2007年04月08日 | 小説

また、捜し物をして日が暮れ行く。
とはいえ、最近はあきらめも早くなったが…
結局、いつかはひょんな所から出没するはず。
探している間は決して見つからない。

各界の名士が「岩波文庫私の3冊」についてそれぞれ寄せた感想をラジオで聞いた。
その中で、九鬼周造の「いきの構造」をあげている方々が、今回も多かったらしい。
それを聞いて、背伸びをしていた大学生の頃に、この「いきの構造」を買った記憶があった。
日本人のもつ独特の美学、美意識を「いき(粋)」と称して、そしてわたしは日常的に「あら!それって粋ね」などと軽く口にしていた。
けれどわたしは結局、本の中身の半分も理解できなかった記憶がある。
番組を聴いた後で、あれから何年も経ち、今の私の年齢なら理解できるのではないかしらと、家中その本を探すのだけれど、またも何故かみつからない。

家の中には、本や雑誌が溢れかえってている。
夫は読書をするという習慣を持たないので、全部私の本だ。
おまけにKの置いていった本も負けず劣らず、部屋に溢れている。
リフォームをする時は、書棚を研究しようと思っているけれど、ラフスケッチを描いただけで何だか気乗りがしなくなった。
自分の家のこととなると、本当に切羽詰らないと考える気が起きない。

仕事をしている頃に、クライエントの家を訪ねたときに、わたしが必ずチェックするのがその家の本棚だった。
書棚とよべる物を持つ家は、少なかった。
クライエントと話をする前に、読書傾向で人となりや趣味がわかり、話の糸口がつかめたものだった。
今は某大学教授になっている人は、さすが自分で本の収納の仕方とサイズを綿密に図面に表してきた人もいた。
しかし、小さな本棚はあっても、ほとんど無きに等しい家の方が多いのだ。
友人の家を初めて訪問する時も、チェックするのは本棚。

因みにこの1週間に買った本、雑誌。

「TITLE」
わたしがデザインの勉強を始めた時は北欧デザインがぼちぼち出てきた頃だった。
某企業に入って2ヶ月目で、1ヶ月休暇を強引に貰って北欧に行った。
帰ったときに席がないかと思っていたが、ちゃんと残っていた。
それ以降、北欧のデザインときくと、つい買ってしまう。

「男の隠れ家」
結構、この雑誌独自の企画が好きですが、ジェンダーの時代、男の隠れ家っていうのも、何だか女性の読者を逃しているような気もしないではない。
しかし、わたし博物館や美術館、超好きです。
この企画も、つい食指が動く。
お~っと思ったのは、ウィーンに行った時に、尋ね尋ね探して行ったウィーン犯罪博物館が出ていたこと。

「ロング・グッドバイ」

中学生の頃にミステリーに夢中になったことがあった。
学校の図書館で、片っ端から読んだ。
中条省平が書評の中で、、、、村上春樹はこの作品に未来の自分を見ていたのかもしれない
読み出して、その理由が理解できる。
これは、中学生の頃に読んだけれど、その当時の強烈な感想が今も残っている。
今度は村上春樹の訳だ。
買わない訳が無い。
そして、文章修行にもなりうるのだ。、
昔、小説を書きたくて都内のカルチャーセンターを巡った事があった。
その中で、ある講師が読むべき作品として、このレイモンド・チャンドラーを挙げていた。
中条が、現代の叙事詩とも言うべき名作と押している、このハードボイルドな作品。
今はどっぷりと浸かっている。

書評で評判の良かった「ジャズの歴史」
この際、ちゃんと頭の中に入れておこうと思った

そして、今年の春のファッションは~と女性ファッション誌。1冊。

こうして、我が家は本に埋もれていくのだった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好死不如悪活

2006年04月10日 | 小説
 姉から電話があった。
姉の親友が癌の告知を受けたことを知らせてきたのだ。
先日、精力的に芸能人のような忙しさで仕事をこなしていると、その親友の近況を聞いたばかりだった。
これといった自覚症状があったわけでなく、ちょっとした不調で病院へ行くと癌がみつかり、それも大分進んでいたとか…。
わたしもよく知っている方なので、心配で仕方が無い。


積み上げてある本の整理をしていると、付箋を沢山付けた短編集が目に入りぱらぱらとページを繰っていた。
本の解説が亡くなった鷺沢萌が書いていたことに、今まで気づかなかった。
(この人の作品は1冊だけ読んだ記憶があるが、わたしの好みではなかった)

この解説の書き出しはこう始まる… 
 好死不如悪活 ――好死は悪活に如かず。
 好きな言葉だ。
そして、ひとの死というのは、ひとの個性をひどく端的に象徴するものであるようにも思う。
彼あるいは彼女がどのように生きてきたか、それをもっとも判りやすい形でみせてくれるのがその人の「死に方」であるというような…
 
(好死不如悪活… 見苦しい生き方でも、死ぬよりはましだ)

この言葉が好きだという、自死した作家はこの「死に方」で彼女のどんな「生き方」をみせてくれたのだろうか。

結局、見苦しい生き方より死を選んだことなのだ。
そして、死を選ぶほうが見苦しく生きるよりはるかに容易い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書週間  〈本を読んでる君が好き〉

2005年11月02日 | 小説
 今は読書週間だとか。
神田の古本市の話をラジオでやっていた。
古書店って結構わたしは好きなのだ。
近くで古書祭りがあると必ず出かける。
自分なりの掘り出し物を探し出し、自己満足して…。
骨董好きみたいなものかも。
だから、今流行の新古書店はあまり好きではない。
神経質な母は、誰が読んだか分からないから気持ちが悪いという。
しかし、わたしにはページの間にその本を選んだ人の、その本に対する想いが伝わってくる。

 去年の春のお彼岸だった。
義父の眠る霊園を訪ねると、霊園の横の空き地で何故かフリマをやっていた。
帰りにのぞくと、「御自由にお持ちください」そう書かれたシートの上に膨大な書籍が置かれていた。
多分霊園で眠っている故人が残した蔵書だったのだろう。
家族は、邪魔には思っても捨てるには忍び難かったのかもしれない。
 霊園の事務所の人がやってきて、是非沢山持って行ってくださいと言われた。

 息子も居たので手を借り、欲深なわたしは50冊くらいをわたしの趣味で選んで車に積んだ。
70年代の書籍が多かった。
わたしの好きなブリューゲルを書いた中野孝次の「ブリューゲルの旅」も。
三島や谷崎の全集や埴谷雄高 や秋山駿の評論集、そして作家になるためのHow to物が何冊か。
それらの書籍から推測すると、どうやら持ち主は作家になりたかったらしい。
赤線が引いてあるものもあり、ジャンルもいろいろ。
「下田蔵書」という蔵書印まで押してあり、本の間から1枚の写真が出てきた。
夏祭りの集合写真だった。
写っている電信柱の町名をみると弥生町とあった。
どの人が下田さんなのだろうと写真をみつめた。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする