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抜粋
.....けだし、圧倒的にフィギュアは、東洋人の覇権となってしまいました。これを白人西欧人たちが黙ってみていることは絶対にありえない。東洋人が勝てない仕組みを必死につくっていくでしょう。スポーツ世界は、すべてそうなっています。東洋側、とくに日本側の指導者たちはここに、あまりに無能、無策です。選手たちを超えた次元で、おきていることですが、最大の犠牲者は選手たちになります。やわらちゃんさえ柔道で金をなかなかとれないようにさせられてしまったのです。
世界フィギュア協会が、もうおそらく現れないであろう真央の存在を世界の財産であるとみなしてそれを大事にし育てうるのか、それとも黄色人種としてしかみなさないのかによって、まったく真央がおかれる環境は変わっていく。それをつきぬける真央の純粋さがありえるとはおもいますが、過酷な環境になることは不可避ではないでしょうか。
真央の挑戦と闘いは、<超>純粋性の次元にはいるというのは、こういう規制をこえていく感動を彼女が、うみだしていくとおもえるからです。
真央をこえるべく闘い自らを形成してきたキムヨナが創造した世界がある、それはもう完成されてしまい、今回のように、ほんの1秒で崩れてしまうほかないところへきてしまった。その、圧倒的な偉大さは、オリンピックでおわってしまった。あれ以上の演技は、もう永遠にできないでしょう。金メダルのためだけの演技ですから。
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そして、真央は世界中から、レスペクトされていくでしょう。これからは、真央が前人未到の閾を創造していく段階です。3つのトリプルアクセルでそれは、もうスタートしています。氷を融かし、氷をうごかし、そこからとびだしていく、偉大な演技をみることができる、わたしたちは、かつてのニジンスキーの時代に生きたひとたちのように、とんでもない時代に同時に直面しているのではないでしょうか。
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わたしにとって、いま、偉大さとはなんであるのかと問われたなら、この浅田真央というひとりのひたむきな純粋に挑戦しつづける自己テクノロジーの表出である、と躊躇なく答えます。
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