遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    

1977年7月マイケルはダイアナ・ロス主演のミュージカル映画「ウィズ」にカカシ役で出演し、このとき映画音楽を担当していたクインシー・ジョーンズと運命的出会い。天才クインシー・ジョーンズとタッグを組み、黄金の10年間の幕が切って落とされる。

1978年この年マイケルはポール・マッカートニーと二度出会う。二人は将来のコラボレーションについて語り合い、後に3曲のデュエット(「The Girl Is Mine」「Say Say Say」、そしてポールのアルバム「パイプス・オブ・ピース」に収録された「ザ・マン」)を生むことになる。


1979年8月クインシーをプロデューサーに迎え「オフ・ザ・ウォール」をリリース。7月先行シングルとして発表された 「Don't Stop 'Til You Get Enough」 は、初めてマイケル自身が作詞作曲を手がけたナンバーである。

10月には「Rock With You」を発表。この曲では一人多重録音の技術が用いられビルボードでは4週連続1位、さらに、「Off The Wall」「She's Out Of My Life」と同一アルバムから4作連続で全米チャートトップ10に入るという、当時ソロアーティストとしては誰もなしえなかった快挙を成し遂げた。

12月 オフ・ザ・ウオール ゴールド・プラチナム両アルバムに認定され、全米で1200万枚を売り上げる。

1980年2月21日 グラミー賞で最優秀男性R&B歌手賞を受賞したが自分の歌がR&B部門に限定され、前代未聞の成功を収めたオフ・ザ・ウオールが最優秀アルバム賞から見過ごされたことに失望し、授賞式をボイコットした。そして次のアルバムでの雪辱を誓うのである。

1981年 マイケル 日本のスズキのCMに登場。

CMその1は→コチラ

CMその2は→コチラ


1982年8月、クインシーと2人でロサンゼルスのウエストレイク・スタジオにこもりアルバム「スリラー」にとりかかる。全米チャートで37週にわたり1位を記録。「Billie Jean」「Beat It」「Thriller」とミュージック・ビデオの概念を変える作品を次々に発表し、「スリラー」はアルバムの売り上げの世界記録を更新した。

1983年1月発表の「Billie Jean」はマイケル作詞・作曲の曲で黒人の映像は放映すべきではない」というMTVの暗黙のルールを壊した作品のひとつとして知られている(もうひとつはプリンスの「Little Red Corvette」である)。

1983年5月には、モータウン25周年コンサート(Motown 25: Yesterday, Today, Forever)においてこの曲の間奏でムーンウォークを初めて披露した。

伝説のモータウン25でのパフォーマンスは→コチラ

1983年2月には「黒人音楽の壁を越え、ジャンルの壁を壊す」というコンセプトのもとで、力強いロックナンバー「Beat It」を発売。このビデオではリードシンガーの背後で群集がダンスするという、プロモーションビデオの画期的な変革を行った。
12月には後の多くの調査でミュージックビデオの最高傑作と目される「Thriller」がMTVで初公開された。1999年のMTVによる「今まで作られたビデオの中で最も偉大なベスト100」でも1位に輝いている。

スリラーPVノーカット版その1は→コチラ
その2は→コチラ.....長いのでお時間があるときに....

1984年2月28日ついにスリラーが念願のグラミー賞 - 年間最優秀アルバム賞受賞。最優秀男性ポップボーカルパフォーマンスも受賞。「ビート・イット」年間最優秀シングル、最優秀男性ロックボーカルパフォーマンス「ビリー・ジーン」最優秀男性R&Bボーカルパフォーマンス、最優秀最新R&B楽曲賞受賞。

輝きに満ちたグラミー賞授賞式でのマイケルは→コチラ

しかし「スリラー」の記録的ヒットの後、家族を巻き込んだ金銭的トラブル、音楽的方向性の分裂と妥協の繰り返しなど、ザ・ジャクソンズの活動は困難に直面。マイケルは結局グループを脱退する。ザ・ジャクソンズはその後うまくいかず事実上解散状態になった。

1985年 稼いだお金で同年8月、ビートルズの版権251曲を管理する音楽出版社ATVを約4750万ドルで購入。マイケルの所持する大量のビートルズの版権をポールが売ってしてくれないかと交渉を持ちかけたところマイケルが断ったため、その後はさほど仲が良くない。

このようにスリラーの記録的なヒットがもたらしたもの 目のくらむような収益はマイケルに栄光のみをもたらしたのではない。逆に多くの災厄をもたらしたのである。お金目当てに大量の訴訟が起こされた。

身体的にもペプシのCMを撮影中、頭頂部に大きなやけどを負ったマイケルは(ラリーキング・ライブに出演した関係者によれば)この事故以降鎮痛剤を睡眠薬代わりに常用し始めることとなる。1985年には「We Are The World」をライオネル・リッチーと共作によりロナルド・レーガン大統領から受賞した際、右手に白の手袋をしたまま握手をしたため、一部から不評を買ったが、マイケルはこの頃から彼は持病として皮膚病を患っていたため、手袋を外せなくなっていた。

ペプシのCMは→コチラ


中でも最悪なのはCBSソニーとの確執である。

   マイケル・ジャクソンと当時のCBSソニー社長 モトーラとの確執は有名だが CBSソニーの思惑はどこにあったのか。ビートルズの版権が狙いと言われている。CBSソニーはマイケルを兵糧攻めにしようとした...と言われる。すなわちアルバムが出されなくなった。出しても満足なプロモーションをしてもらえなかった。

   かくして不世出のスター、マイケルは翼をもがれてしまうのである。溢れる才能を表現するものが表現できる自由を与えられず、契約に縛られて移籍もできないとは.....CBSソニーのプロデゥーサー、コリーのインタビューはそれをあきらかにしてくれる。長いがほぼ全文期間限定で載せます。



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エンサイクロペディアが見つからないので→コチラ

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転載です。限定UP

Interview Corry Rooney with Michael Jackson 
Update:19 November, 2009

CA=Chris Apostle ソニーでトミー・モトーラの右腕だった人物
CR=Cory Rooney プロデューサー/作曲家
CY=Chris Yandek インタビュアー
トミー・モトーラ 元CBSソニー社長 マイケル・ジャクソンに悪魔と呼ばれた。

CY: コリー。君はマイケルと仕事をする機会があって、彼と曲を書いてプロデュースしたけど、彼との関係はどんな感じだった?
CR: それがおかしいんだ。ある日誰かがこの話を持ってきてくれて、僕は言った。
「僕の人生ずっとこのチャンスを待ち続けていたんだ。マイケルと一緒に仕事をして、 僕の才能をマイケルに認められるチャンスがやっとやってきた。」
とうとうスタジオに入る時になったら、僕らは約1ヶ月間ただ話をしただけだった。
マイケルが色々なことについて教えてくれた。僕らは辛うじて何とか音楽を終わらせたけど、僕が想像していたのとは全く違う経験になった。
CY: 仕事をしないで他の話ばかりするなんて、何というかただの気晴らしみたいだね?
CR: うん。そして僕と彼とのこういう関係から、僕はあっという間にエグゼクティブになったんだ。
その時は作曲家かプロデューサーでいるより、(ソニーの)内通者になる方が、彼のための力になるように感じた。
当時ちょっと奇妙な状態だったからだ。その時マイケルはソニーにいて、彼を支持したり彼の陣営に立つ人がいないと感じていた。
CY: 本当?
CR: 驚いたよ!僕はあっという間に会社でナンバーワンの彼の協力者になったんだ。
CY: それで彼の協力者になって彼について何がわかったの?彼がどんな人とか?
いつも彼の周りには彼から何かを吸い取ってやろうとか、あれをしろ、これをしろと言う人がいるようだったし、ある時期は、彼は自分の人生をコントロールできなかったみたいだったけれど、合ってる?
CR: うん。つまりそれは、その通りだ。当たりだよ。
僕が一番初めにわかった事は、彼はいつも人を喜ばせるのに一生懸命だということだ。
彼は人を喜ばせるのに一生懸命になりすぎて、色々なことをいくらか考えすぎていた。
例えば、彼がアルバムを作り終えて、僕がそれを全部聞いて「マイケル、最高だよ!」と言ったら、(マイケルが)「うん、でもまだまだだ。」と言う。なぜなら、マイケルの耳には、何百万人もの人が色々なことについて色々な指示を出すのが聞こえたからだ。
彼は人々のありとあらゆる指示に簡単に従ったし、僕は彼がいとも簡単に指示に従うのに驚いた。
.......中略.......

本当だよ。マイケルはいつも音楽に取り組んでいた。いつも・・・いつも音楽に取り組んでいた。
さっきも言ったけど、彼は自分自身に満足していなかった。
CY: トミー・モトーラに関して彼が何年も前に言ったコメント。
さかのぼって2002年に発表したアルバムに彼は満足していないというコメント。
あのアルバムには3千万ドルかかっていた。でもトミー・モトーラを色々と普通でないみたいに言っていたあの彼の率直なコメントに驚いた?
CR: 僕は驚かなかった。さっきも言ったように、彼はレコード会社に彼側の陣営に立つ人がいるとは感じていなかった。
大筋で、僕はあのレコード会社の人々は彼に対して示すべき愛と尊敬を示していたとは思わない。事実、あのレコードに3千万ドルを使ったかもしれない。でも同時に、あのレコードのビジネス面の問題に関しては、マイケルが成功できないように仕組まれていた。わかるかい?
CY: うん。
CR: 彼らは仕組んだんだ。あのレコードに関する彼の報償をとても高く設定したりとかそういうことだ。
言ってみたら、負け…負けの状況だ。
それで彼らは餌をちらつかせて、さあ、君が全部やってくれと。レコードを売ってくれ。ツアーをしてくれ。
彼らはマイケルが、「ああ、報償を受け取れるように全部やらなきゃ」と言いながら、走って餌を追いかけると思っていたんだ。
CY: クリス、君の考えは?
CA: マイケルみたいに強力なアーティストで、自分の本拠地、レコードレーベルに対して満足できず、 自分の意見を言ってみようと決めた人はマイケルが初めてじゃない。
アーティスト達がレーベルに満足できない時は、あれこれ言うものなんだ。
彼みたいな立場のある人は、日本とかモトーラとかのトップレベルとだけ交渉して、意見が合わずに出てくることがある。フラストレーションのレベルが制御しきれなかった位だったことは確かだと思う。
彼をそこまで追い詰めた事件が沢山ある。
僕が心底気分を害しているのは、ただの噂なんだけど、でも僕が本当に信じていることで、あのスキャンダルの件の最中、彼が脅迫されていたということだ。僕はいつか真実が出てくると思う。
マイケルは何百万ドルものお金を慈善団体に使った。彼がやったことは表には出てこない。
彼の態度は自然だったけれど、彼は確実にプレッシャーをかけられていたと思う。
彼の作品の質を見れば、クリス、僕の大好きなマイケル・ジャクソンのレコード、Off The Wallを思い起こしたらね。Dangerousだろうと何でもいいけれど、どのレコードを聞いてもパーフェクトだ。
ブルーブック水準のレコードだ(?)。ヒット作ばかりだ。

.........中略........

僕が彼について強く言いたいことは、彼が音楽的に世界に貢献した事に見合うような扱いを彼は受けていなかったということだ。
彼は多分、間違いなく、僕らが一生のうちにめぐり合うミュージシャンの中で最も偉大な人物だ。 こんなのはこの先もう見ることはできないだろう。これは話題にしなくてはいけないし、言わなくてはいけないことだ。
CY: 音楽業界はこれからどう影響を受けるでしょう?
CR: 僕らアーティスト、プロデューサー、俳優、女優、僕らみんな、エンターテイメント全体にとって、マイケル・ジャクソンとはどういう意味があったのか、彼らは十分に深く考えていないと思う。
みんなとんちんかんなことをやるのに大忙しで、十分に深く考えなかったと思う。
マイケルの公判中、誰も・・・誰もちょっと立ち止まって彼をサポートしに行かなかった。
CA: ああ。
CR: 彼は児童性的虐待の訴因10件に対して無罪だった。
誰も「マイケルごめん。」と言わなかった。誰も「マイケル、君が無実だと僕らはわかっていたよ。」と言わなかった。
誰もその時はBETトリビュートをやらなかった。誰も彼の音楽をかけなかったし、マラソンもしなかった。
誰も集まってコンサートをやらなかった。何でマイケルが金を集めるためにツアーをしなければいけなかったんだ?
何でアーティストみなが集まって「おい!あのさ、マイケルがWe Are The Worldツアーをやったみたいに僕らもツアーをやって、お金を集めよう。これを継続させよう。」って言わなかったんだ?誰もそんなことしなかった。
トゥーキー・ウィリアムズはギャングのクリスプスを創った人物だけど、クリスプスとブラッズを知ってる?
CY: うん。
CR: 彼の死刑恩赦を求めるために、ハリウッドの半分がこの男のために姿を見せたんだ。
いいかい、マイケル・ジャクソンが困っている時、人々が彼に近寄りたがらなかったということが僕には理解できない。
CY: でも彼らは殺人者のためには出て来たと。
CR: でも彼らは家族を惨殺した奴のためには出てきた。小さな女の子が私を殺さないでと懇願したのに、彼は彼女を処刑したんだ。
彼が刑務所で服役中に、子供の本を書いて自分の人生を建て直そうとしていたからと彼らは言う。
彼はノーベル平和賞にノミネートされた。じゃあ、マイケル・ジャクソンがデビューしてからずっと、彼が助けた何百万人もの子供達はどうなんだ?でも2人の子供が虚偽の申し立てをして、この2人の子供が彼を破滅させた。
狂ってる。エンターテイメント業界を見渡せば、僕の周りは偽善者だらけだと、ただ言いたいよ。
こういうことが彼らにどういう影響を与えたかって?僕は彼らがこれが何なのかを理解すらしていないと思う。
みんなトリビュートをやろうとしている。けれど今このトリビュートを見たらわかるけど、今なら自分がスポットライトを浴びられるからなんだ。今になって突然、みんな彼の良いことを言いたがっているんだ。
CY: みんな関係者になりたがってる。
CR: みんな関係者になりたがっている。それがむかつく。

CY: 93年以降、マーティン・バシールのドキュメンタリー、Living with Michael Jacksonに出て、子供とベッドを共にするのはOKだと言ったけど、彼はもっと慎重であるべきではなかった?
大半の人は、ああ彼は自分自身をああいう立場に陥れたようなものだと言うと思わない?
CR: マイケルが僕に直接言ったことを説明させてほしい。マイケルと僕はそのことについて話したんだ。
彼は言ったよ。「コリー、僕が子供の時、子供時代を与えられなかっただけでなく、愛も与えられなかった。
僕が手を伸ばして父を抱きしめた時、彼は僕を抱きしめ返してくれなかった。
僕が飛行機に乗って怖かった時、彼は僕を包み込んで、マイケル、心配するな、大丈夫だよと言ってくれなかった。
僕がステージに上がるのが怖かった時、父は、この野郎、さっさとステージに上がりやがれと言った。」
父親だけじゃない。彼の周りの大人みんながそうだった。だから彼は僕にこう言った。
「コリー。僕は絶対に子供に対して、愛を与えないなんてことはしない。もし僕がそのせいで吊るし上げられたり、投獄されたりしなきゃいけないとしたら、それは単に彼らがそうしなけらばならないということだと思う。」
彼が初めて裁判にかけられようという時、彼のアドバイザーは「マイケルこれは良くない。この子に金を払って前進しよう。」と言った。
2回目、彼はこう言った。「あのね、あのせいで僕は有罪だと思われたんだ。まるで僕が何かを隠していたみたいに思われた。 だから今回は金を払わない。僕は法廷で戦う。そのうちわかるよ。僕は無実だ。」

判決が言い渡される日、その時まで僕は彼の家族と話していた。
マイケルが裁判所に到着するまであと45分しかないとニュースで見たのを覚えてるからなんだ。
僕はマイケルと一緒に家にいた家族の何人かに話しかけた。僕は「全く、一体彼は何をしてるんだ?」と言った。
彼は2階で服を着ていて、下に降りてきた。彼は家族と一緒に祈って、みんなに言った。
「君たちには心配しないで欲しい。僕は大丈夫だから。」と。

そして裁判所まで車で行った。彼は多分少し神経が高ぶって足をパタパタさせたり、車の中で歌を歌ったりとかそんなようなことをしていた。彼の兄弟姉妹と一緒に車に乗っていた。
でも彼は心配していなかった。いいことを教えてやるけど、もしあれが僕だったら頭が混乱してめちゃくちゃだったと思う。
僕ならあんな風に法廷に立てたかどうかすらもわからない。
CY: クリス、何でもいいから思うところはある?
CA: 僕は昨晩バシールのを観たけど、あれは一体何だったのかよく考えてみたかったんだ。
原告人に金を払った最初の事件についてマーティンが質問した時、とても皮肉に思えた。
そして彼が「僕はあの問題がただ消え失せてほしいと思ったんだ。」と言った言い方が、信じられないくらい真剣で正直に見えた。そしてその通り彼はその問題を消え失せさせた。
ところでこの業界の歴史の中で、これをやったのはまたもや彼が初めてじゃない。
彼はこの問題が消え失せて欲しかったんだ。2回目は戦った。
でも、コリーがさっき言っていた彼の子供時代に戻ってとか何とかの話は、彼は子供の頃ニキビがあったことを言っていて、僕らはみんな人生のある段階で経験するんだけども、彼のお父さんがいつも彼のニキビと肌の状態をしつこく物笑いの種にしていた。
普通に成長する機会のなかった小さい子供だよ。多くの人たちと全然違う風に育った子供なんだ。
彼があのマイケル・ジャクソンだとはいっても、ある種の不安な気持ちを感じる理由は沢山ある。
2回目の件に関しては、僕は死ぬまで彼は千パーセント無実だったと信じる。
マイケルは、脚本家か作家か映画か何かそういったものをやりたかった男に脅迫されていた。 これは僕の言える内部情報だ。

CR: マーティン・バシールの件だけど、1週間後か数週間後だったかもしれないけど、マイケルが彼自身のバージョンのあのショーを再放送したことを人々は覚えていないと思う。
CY: 彼は賢かったから、全部をビデオカメラで撮ってたんだ。
CR: 彼は賢かったから、ビデオカメラに撮っていた。そして、奴は全部ねじ曲げて作り上げて、偽りや嘘に変えた。インタビューで彼らはマイケルに質問した。あなたはゲイですか?
それでマイケルは言った。「その質問には答えたくない。」彼がこう言ったから、直ちにそれが編集されて、
バシールがこう言った。「明らかに、彼は明白な理由を答えたくなかった。」
だから、マイケルは彼のバージョンを見せたんだ。彼は言った。「あなたはゲイですか?」
マイケルは言った。「その質問には答えたくない。」その後、彼は言ったんだ。
「でもそのカメラをオフにしてくれたら、僕はその質問に答えるよ。」そしたら奴はオーケーと言ってカメラをオフにした。
そしてマイケルは続けた。「いや、絶対に違うよ。僕はゲイじゃない。でも僕には何百万人ものゲイのファンがいる。彼らが僕をゲイだと信じているなら、僕がゲイだと信じさせておけばいいんだよ。」
彼は言った。「僕は気にしない。誰かの気持ちを害したくないんだ。わかる?」


CA: ちょっと言いたいんだけど、こういうことはこの時点で論じる問題ですらないと思う。
CR: うん。というか、狂ってるよ。



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CA: この男が世界に貢献したこと。
僕の親友がこのツアーで彼と一緒に仕事をする予定だったってことをコリーは知らないと思うけど。
彼はコリーと偉大なディーバと一緒に仕事をしたことがあるんだけど、その彼がマイケルについてこう言った。
「彼は前よりずっと元気に見えた。」長くて大変なショーだから彼は奮闘していた。これは進行中の話だったんだ。
彼は2つショーをキャンセルしたけど、いいじゃないか。この男には50回のショーが列をなして待っていたんだ。
これは始まっていたことなんだ。 ステープルズ・センターでフル・プロダクションをやっていたんだ。何百万何千万ドルのショーだよ。
始まっていたんだ。このpoor kidは前の晩に家に帰って、気分が悪いと言い、次の日には死んでしまった。
コリーの使った言葉を使わせてもらうけど、僕の人生で多分一番破壊的な出来事だ。僕の中の正義が奪い取られたみたいに感じる。
人々はもうちょっと彼が世界にどんな貢献をしたのか関心を持つべきだ。そしてワッコ・ジャッコとかいうガラクタは一切辞めるべきだ。
CR: でも、彼らはやめないよ。そっちの方が好きだから。

CA: ライザはとてもクールだった。先日の夜、彼女を観た。
CY: うん。ラリー・キングで彼女を観たよ。
CA: 彼女はそこに座って、そんなことはもうやめましょうと言い、ラリー・キングに話していた。
彼女は、もうやめましょう、さあ、少しの間、称賛しましょうと言った。
今後はいろいろ出てくる、人々は手のひらを返し始める、いろいろ聞こえ始める、本が出始める。
ソニーはレコードをプレスしている。彼のレコードを再プレスするのに、今は4つの工場が稼動していることだろうよ。
ごめん。僕はただ単に、ここはコリーに主導権を渡すよ。僕はこのせいで打ちのめされているんだ。悲しいんだ。
僕はこのところずっと感情的になってしまってるんだ。
今週末、僕のファームハウスに行く予定だ。そこにはね、コリー、オリジナルのレコード盤がたくさん置いてあって、僕はそれを全部出してくる。この男がどんな功績を残したのか誰かが語らなくてはいけないよ。くだらない話はやめなくちゃいけない。
CY: 2005年の裁判の後は、彼は以前と別人みたいになってしまって、いろいろなことが下り坂になったと多くの人が言っている。
個人的な問題をいろいろ経験して、近年はもちろん噂されていた健康問題があったと。この状況に関して何か知っていることはある?
CR: 確かに健康問題があったことは知っている。これが第一だ。今まで話題になったことがなかったけど、
マイケル・ジャクソンにはダンサーズ・フィートと呼ばれる健康問題があったんだ。ダンサーズ・フィートとは、
ダンサーは何年にも渡って踊る時に足を包む。テープで巻くとかそういうことだ。でもそうすると当然酸素が十分行き渡らなくなって、皮膚が乾燥するんだ。
紙で切ったみたいに、皮膚が割れて裂ける。マイケルはそれにひどく苦しんでいた。
時々それがとても悪化して、足をギプスで包まなくてはいけないほどだった。だから時々ギプスをしている彼を見ただろう。
痛みはとても激しかった。そして、ああ、そのために鎮痛剤を飲んでいたかって?うん。確かにそうだと思うよ。
彼が実際に錠剤か鎮痛剤を飲んでいた所は見たことがないけれど、僕がそれについて彼に話しかけたことは間違いなくある。
こんなだから、検死の結果がどうであろうと、彼が亡くなった本当の原因が何であろうと、これはこの業界が彼にやった仕打ちがもたらしたこと、以上。この業界が彼にやった仕打ちの結果なんだ。
CY: 業界と言っていい理由は、彼は経済的な問題で追い詰められていたから?
彼は10回ショーをやりたいと言ったのに、ロンドンで50回することになってしまった。来月の予定だったけど。
経済的な問題を遂行しないといけなかったから、彼は追い詰められてると感じていたのかな?
CA: いいかい。彼はこのカムバックツアーをやろうと決めて、現金を儲けようとしたのは確かだと思う。
正直なところ彼はそれくらいもらって当然だ。コリーが言ったように、彼は大きなパワーを持つ人々に水際まで追い詰められていたし、公平に扱われていなかったと今も思う。僕らがこの業界で仕事を始める時に、コリーと僕が良く知っている人が言ったんだ。
「この業界では、アーティストがいなかったら何もできない。そのアーティストが世界で一番やっかいなものとか思っているとしてもだ。それでもアーティストは必要なんだ。」 そう、この業界のお偉方はいつかこのことを忘れてしまったようだ。
CR: 何年も前のことだ。多分8年前のことだけど、マイケルは僕に言った。
「コリー、僕はもうツアーはできない。もうツアーはやらない。いいかい?」
僕は言った。「マイク、何で?」彼は言った。「僕は殺されてしまうからだ。」これが彼の言ったことだ。
彼は言った。「僕は殺される。」なんでそんなことを言うんだい?と僕は聞いた。
彼は「そう。僕がコンサートの準備をしていてソニースタジオで気絶したのを覚えてる?」と言った。
「うん、ツアーの準備をしていると脱水状態になってしまう。僕は食べない、飲まない、寝ない。
ツアーの準備にそこまで打ち込んでしまうんだ。」
彼は言った。「わざとやってるんじゃない。ただこういうことを考えなくなってしまうんだ。わかる?
僕は取りつかれたみたいになって、そういうことは考えられなくなってしまう。前回は静脈注射をしながら僕は歩き回らされた。」彼は言った。
「だから僕は決めた。僕の医師達ももうやらないほうがいいだろうと決めたんだ。」彼はInvincibleのアルバムを最後にしたかった。
ツアーはもう終わりだった。このInvincibleのアルバムではやるつもりだった。アルバムを出し続けたがっていた。
彼は言った。「できなくなるまでアルバムはやる。でもツアーはできない。」
CY: マイケル・ジャクソンが身を滅ぼしたのは、貪欲な人々のせいだと言っていいだろうか。
例えば、ロンドンの件のチケット売り上げ8千5百万ドルを欲しがっていたような人々とか。
彼と周りの人々は欲にかられて、そういう状況に追い込まれたと言って妥当だろうか。
CR: 僕はそれを貪欲だとは思わないな。彼には選択の余地がなかったと思う。お金に関して思うに、時に僕らはみんな、やらなくてはいけないことをやるだろう。
ジョー・ルイスみたいなボクサーが引退して随分経ってから、再びやり始めたのと同じ理由だ。
ジョー・ルイスはまたリングで戦わなくてはいけなかった。理由は金がなかったからだ。僕はマイケルが金を持ってなかったとは言っていないけど。

CY: でも彼には4億ドルの借金があった。
CR: 彼は借金があったことはあった。確かに借金があった。いいかい、もし君に借金があったら、君を売り歩いてこういうことをする人たちがいるんだ。よしマイケル、もう1回ツアーをして借金を完済しよう。
ああ、あのさ、彼みたいな人間は、彼はエンターテイナーだからこう言うんだ。よし、仕事に取り掛かろう、と。

CY: 多くの人が驚くんだけど、また同時に大きな悲劇でもあるんだが、振り返ってみて、彼には良い時もあったけど、悪い時もあったと言える?
CR: 僕は、神にこの男に平安を与えて欲しいと深く祈るよ。そして彼のレガシーが今後もずっと続き、でたらめって言うのかな、それに穢されないことを。でも僕は残念ながら、今後も永遠に問題が続くだろうと思っているよ。
エルビス・プレスリーみたいな人について、いつもあれこればかげたことが言われているみたいに。

CY: どういう風に彼が亡くなったか。
CR: どういう風に彼が亡くなったか。
CY: 例の陰謀説だ。
CR: 陰謀説。どうやってブルース・リーが亡くなった?マリリン・モンローが亡くなった?僕が何を言ってるかわかる?
マイケルはこういう人たちとは比較にならない。エルビス・プレスリーが一番近い人だろう。エルビス位のキャリアじゃないと彼の偉業を重んじて超えることができない。
僕はエルビス・プレスリーを貶めるつもりはないが、彼ら2人はそれぞれ違う。ずっと前からマイケルはエルビスの全てを上回っていたと僕は思う。

そしてマイケルは、ちょっと違うものに敬意を表していた。彼がビクトリー・ツアーをやった時のことを誰も話題にしないけど。
僕が子供の頃、マイケルはビクトリー・ツアーをしてたよね?毎晩ニュースで、マイケル・ジャクソンがツアーをした都市全部に寄付をして、新しい慈善事業に寄付したと言っていた。彼はビクトリー・ツアーのお金を慈善事業に寄付していたんだ。僕はとても素晴らしいと思った。
わあ!毎晩この人は何百万ドルも慈善事業に寄付してるんだ、みたいに思った。彼は全部の都市に留まって、病院に行き、火傷や病気をした子供達とか、いろいろ訪れてたんだ。彼はこういうことをするための時間を取っていた。
CY: クリス、何か考えていることがある?
CR: 2つある。エルビスとマイケルの比較は、アメリカ文化、そして世界の文化にとって彼らは何だったのかということを考えたら明らかだ。
何が違うかと言うと、エルビスは42歳で亡くなったと思うけど、彼の稼いだお金の大部分は、彼が亡くなった後からのものだ。彼が生きていた頃よりずっと多い。良い時悪い時の話に戻るけど、アーティストはみんな良い時と悪い時がある。悪い時のほとんどは、大体は創造性の欠如のせいだ。スキルがなくなり、身体の方もこうなってしまって、とかいろいろ。
マイケルは良い時の中でもさらに一番良い時があった。それがどんなだったか思い起こしたらわかるけど、ああいうものにはもう一生出会えないだろうと思う。

重要なのは、アルバムが素晴らしかったということ。パフォーマンスが素晴らしかった。彼自身が素晴らしかった。
彼はアイコンだった。多分世界で一番有名な人間だろう。彼の悪い時は、創造性が低下したからといえば、全くそういう訳ではないと思う。悪い時は、誰かが彼に押し付けたものなんだ。彼に影響を及ぼすことのできる人が、彼を洞窟や穴に押し込んだ。 僕にとってはとても悲しいことだ。アーティストはアスリートのように年をとる。
彼らは変わる。彼らは違うツアーをする。カジノをやり始める。町のお祭りに出始めて、パッケージツアーをやったり、いろいろだ。マイケルはアーティストが落ちる所よりもっと低い所へ落ちることを余儀なくされた。スキルがないからじゃない。
マイケルについてみんなが気がつかないんだけど、僕は彼をミュージコロジストと呼びたいよ。
この男は全部の歌、レコーディング、スタジオ、サン・スタジオのこと全部、メンフィス、モータウン、ニューヨーク、LA、どこもかしこも知っていた。
彼は全部知っていた。ミュージシャン。楽器。ミキシング。誰もこのことを話題にしない。誰もこのことについて議論しないのが信じられない。
ところで、エルビスと違って、この男は43年間ずっとやり続けていたんだ。43年だよ、クリス。ああ何てことだ。

そして、マイケルみたいな奴と仕事をした。彼はスタジオに12時に入らなくてはいけないのに、遅れて来て1時15分前に現れた。
遅れたことに対してマイケルは酷かったと思っていて、セッション中ずっと謝っていた。次の日、彼は巨大なバスケットを送ってきた。
僕らは映画の話をしていて、僕がどんなに映画が好きか話していたからなんだ。だから、彼はこの巨大なバスケットを送ってくれた。
CY: いろいろな映画が入っていたんだね。
CR: びっくりしたよ。多分DVDが100枚入っていた。ポップコーンやキャンディーや、いろいろな本や映画のトリビアや、ありとあらゆる物が入っていた。
そしてカードには再び「君の時間を尊重しなくて本当にごめんなさい。」と書いてあった。
CY: そういう考え方に値打ちがあるんだ。絶対!
CR: そうだ。マイク、明日は何時に始めたい?と僕が聞くとする。彼はこう言う。「コリー、君がボスなんだ。
君が何時か言ってくれ。もし君が僕に朝の7時にここに来て欲しいなら、僕は朝の7時にここにいる。」
彼は言った。「君がボスだ。何でも言ってくれ。」
CY: こういうコメントを聞いて興味深いと僕が思ったのは、彼が何でも自分の好きなようにやりたがっていたという風に主流メディアが描いていたことだ。
CR: 全然違うよ。全然違う。僕が言ったとおりだよ。世の中の人々がちょっと立ち止まって、ちゃんと見てくれたらと思う。

CA: 話題を戻して今の状況だけど、マイケル・ジャクソンのトリビュートのことを考えると怖いよ。
彼の家族が何をしようとしているのか考えると怖い。レーベルがどんなレコードを企画しようとするのか考えると怖い。
CR: 僕は1つ楽しみにしていることがあるんだ。マイケルはビクトリー・ツアーの映像を暖めていた。
マイケルはビクトリー・ツアーの映像を全部持っていたんだ。僕はよく彼にどうかお願いだと頼んだものだった。 実際に僕は編集されていないDVDを持っている。これはストレートな映像だ。
CA: 多分コリーがいつか君に見せてくれるさ。
CY: それか、それを貸してくれるよね。僕は後でちゃんと返すと約束するよ。
CR: 驚くよ。奴はリップシンクしてないんだ。彼の声はすごく素晴らしかった。とんでもないよ。彼は全部踊ってるんだ。 あれもこれも彼は全部やってるんだ。彼はただ自分のコンディションを整えて、できるようにしたんだ。

CA: そういうアーティストは今まで1人しか観たことがない。2時間以上ステージをやるなんて、全く違う生き物だ。
マイケルはいつも2時間半やっていた。少なくとも僕の観たブラジルのは2時間半に近かった。
ただ1人、それに近いものを独力でうまくやってのけたのは、ブルース・スプリングスティーンだ。彼は中断せずにやっていた。

彼はステージから降りない。マイケルがステージを降りる時は、1分間の衣装替えの時で、本当に正味1分だった。10分じゃなかった。
12人のビューティーポリスがいたんだ。彼は再開していた(?)。ところで、誰かダンサーズ・フィートについてわざわざ語った人はいるか?
こいつがどうやって踊ったのか、わざわざじっくり見た人はいるか?誰がマイケル・ジャクソンに心酔していた?
フレッド・アステアだ。冗談じゃないよ。
 
これまで20年間、Apostleはプロデューサー/ソングライターのコリー・ルーニー(CY)と友人である。
1998年、モトーラはルーニーをEpic's Vice President of A&Rに指名した。
VH1はルーニーを音楽業界最大の隠し玉と呼んだ。
彼はジェニファーロペス、メアリーJブライジ、デスティニーズチャイルドその他もろもろのために作曲とプロデュースをした。
エピックにいたころ、コリーはMJと友人になった。

CR: ストーリーがたくさんある。いろいろなことがある。マイケルはじっくり座って語るのが好きだった。
彼はいろいろなことについて、ただ話して、話して、話しとおすことが好きだった。
都会なんかに来る時、彼は本屋に行きたがったのを覚えている。本屋は店を閉めてくれて、彼は本を買いに行ったものだ。
彼はよく読書した。彼は僕にアフリカについて、そしてアフリカがどんなに美しいかを教えてくれた。
彼は言った。「あのね、人々はアフリカがどんなにきれいか皆に知ってもらいたくないんだ。なぜならあそこで富を全部略奪しているからだ。」
でも彼は言った。「僕が今まで行った中で一番美しい場所だ。」彼は写真を持ってきてくれたけど、とても驚いたよ。
クリス、デビッド・ブレイン(マジシャン)が自分で自分を生き埋めにしたのを覚えてる?
CA: うん、もちろん。彼はソニーのフロアによく来ていた。君は覚えてないけど、君の友達の50 Centが僕らにコーヒーを運んでいた頃、彼は良く来てたんだよ。
CY: すごく行き当たりばったりの話だけど、続けて。
CR: デビッド・ブレインがNYのトランプ・ビルディングの横で、自分を生き埋めにした。
CY: トランプナショナルタワーだね。
CR: うん。あれをやっていることを僕がマイケルに話したら、彼は「嘘だろ?」とか言った。僕は本当だよと言った。
彼はデビッド・ブレインって誰なのかということすら知らなかった。僕はビデオ映像やその他いろいろを取り寄せ始めた。
なぜならその頃YouTubeがなかったからだ。僕はデビッド・ブレインがどんな人なのか彼に説明するため、映像を取り寄せ始めた。
彼はすっかり魅了されていた。その夜、僕らはバンに乗ってデビッド・ブレインを夜遅く見に行った。僕らはあそこに行ったんだ。
僕らはバンから飛び降りた。彼は何ていうか部分的に変装していて、誰も本当に彼だと思わなかったようだった。
彼はバンから飛び降りてそこまで歩いて行って、そこに座った。彼は心を奪われていた。おかしかったよ。そして僕らは笑ってたんだ。
彼がこう言ったからだ。「あのさ、みんなはしょっちゅう僕のことをそっくりさんだと思って、僕だとは思わないんだ。 だから時々僕はただ車から飛び降りることができるんだ。」

CY: 君は彼と個人的な会話を沢山したみたいだけど、整形手術について話したことはある?
CR: ああ。
CY: で、彼は何て言ったの?
CR: 彼は言った。「僕とシルベスター・スタローンとかハリウッドの人々の違いは何?」彼は言った。
「だから何?」彼は言った。「僕の皮膚疾患だよ。僕は白くなりたくないんだ。」彼は言った。「僕は白くなろうとしているんじゃない。」
彼は言った。「でも皮膚疾患はどうすることもできなかった。」彼は言った。「肌の色を均一にするため、手術をしてみたりいろいろやったけど、結局僕の望む結果にはならなかった。でも僕が色の白い黒人になったのはそれが原因じゃない。」
僕の鼻に関しては、彼は言った。「僕はシルベスター・スタローンが彼の鼻が嫌いだったように、僕も自分の鼻が嫌いだった。」
CA: マイケルが、父親に言われたと言っていたことを考えてみて。
CR: うん。彼は言った。「僕は自分のあごが嫌いだった。自分の鼻が嫌いだった。」彼は言った。「だからどうだって言うんだ?」
「なぜ僕だけなんだ?」彼は言った。「なぜ僕だけなんだ?」彼は「僕はハリウッドで鼻や唇の整形手術や、
ボトックスとかあれこれやった人を20人は言える。」と言った。

CY: 他にみんなに話したいことはある?
CA: みんなと分かち合いたい唯一のことといえば、僕の叔父はビル・コスビーと親友だったんだ。
60年代の後半、僕が最初に持っていたレコードの1枚は、彼が僕にくれたものだ。僕が一番初めに持っていたレコードはモンキーズだと思う。
彼はマイケル・ジャクソン、ビル・コスビーが一緒にやったレコードを渡してくれたんだ。それは綺麗なブックレットの入ったイエロー・サブマリンみたいなレコードだった。
僕の一番大切な財産のうちの1つだ。今度の土曜日にそれを見るのが待ちきれないよ。

マイケル・ジャクソンの他のことに関して、これから先の2週間で地すべり的な勝利が起こってほしいと望んでいる。
彼のやった良いことが話題になり始めてほしいと思う。なぜなら、良い所と悪い所を比べるなら彼は世界で一番有名な人だ。
ここ6日間、毎日朝から晩までずっとテレビで話題になっている。これは僕の望みだ。神が彼を祝福しますように、そして彼が安らかに眠れますように。
そして、僕らはみんな人生の終わりにはいつか彼に会うんだ。そしたらきっと彼は猛烈に歌って踊っているに違いない。
僕自身に関しては、実のところ日曜日に教会に行って、はっきりさせたいことがあったので牧師さんと話した。
僕は、こんな風に自分の考えを表現することによって、誰かから攻撃されたり、問題になったりしないということを確認したかった。
僕はキリストと誰かを比較するために言うんじゃない。なぜなら、キリストとは比較にならないからだ。
ちょっとの間、神の世界の中に存在する、僕らの住むエンターテイメントの世界と呼ばれるものを見たらわかる。
CY: うん。同感だ。
CR: マイケルは、僕にとって、僕は僕にとってとしか言えないんだけど、数え切れないくらい沢山の人々が同じことを感じていると思う。
マイケル・ジャクソンは僕らにとってキリストみたいな人物だった。この男がここ15年以上に渡って中傷され、吊るし上げられ、名誉を傷つけられ、悪口を言われ、みんなが彼のマイナス面ばかりを話すのが好きだったっていうことを考えるとそう思う。
エレファント・マンの骨を買いたかったとか。それがどうした?あのさ、僕でも買うと思うよ。
CA: 僕もだね。
CR: クールだと思うよ。僕でも買うと思う。でもそれがマイケルだったから、いつもプラスでなくマイナス効果になってしまった。
僕は失意のどん底にいるよ。僕のインスピレーション、僕がかつて子供の頃から持っていたインスピレーションの光が、今では全く霞んでしまった。
僕は、キリストが張り付けにされて十字架から吊るされたのを見なくてはいけなかった弟子とかじゃないからわからないけど、彼ら弟子たちの心は、この僕の心と同じくらい失意に満ちていたはずだと思う。
ところでこの業界についてだけど、僕に言えることは、僕らが独立して活動できて、偽善者を相手にしなくて良い時代があって僕は幸せだということだ。でも業界には偽善者がたくさんいる。
まさに悲劇だ。僕はマイケルに起こったとんでもないことが、一体どんな感じだったんだろうといつもあれこれ思った。
僕はそんなことを本当に感じてみたいとは思ってなかったと思う。僕はまあ、何てことだ、何が起こるんだろう?みたいな感じであれこれ思っていた。
さあ、そして今。今のまでのところ起こった出来事はみんな、ほとんど僕が予測していたことだ。
CA: コリーと僕は毎日何度も話すんだ。ここ20年間ずっと基本的にそうだ。
CY: そうだろうね。
CA: このことが起こった時、僕がコリーにEメールを送っていて、ある時、彼の奥さんに電話したけど、それっきりだった。
コリーから3日間連絡がなかった。Eメール、電話、返事がない。彼は悲嘆にくれているとわかっていて、僕も悲しみに打ちひしがれていた。
CR: 僕は3日間泣いていたからだよ。
CA: 月曜の朝、彼は電話をしてきて、これはとても適切な君の言葉の引用だから言うけど、こう言ったんだ。
「OK. 月曜日だ。仕事に戻ろう。なぜならマイケルなら仕事に戻るだろうから。」
CR: それは事実だよ。
CA: 僕にとってとても痛切だった。
CR: マイケルなら仕事に戻るだろう。さっきも言ったように、彼は衝突を受け入れ、傷を受け入れた。
彼は僕の会ったことのある最も強い人間のうちの1人だ。彼は逞しく強い男だ。
マイケル・ジャクソンには臆病な所が全くなかったんだ。


 

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