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市庁舎も、
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きれいです。
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好きなのはイルミネーションの出口にある中之島中央公会堂。
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今日は母と天王寺舞楽を見に行って来ました。
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美味しい窯やきピザを頂いて、サツマイモのクリームブリュレまで食べてからフェスティバルホールの大ホールへ。
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こちらもリニューアル済みできれいです。
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推古天皇(554-628年)の頃からほとんど形を変えずに伝わっています。
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蘇利古
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仏教を入れたい太子と反対勢力との戦いの舞。
青白く光る銀河の岸に、 銀色の空のすゝきが、 もうまるでいちめん、 風にさらさらさらさら、 ゆられてうごいて、 波を立ててゐるのでした。 「銀河鉄道の夜」宮沢賢治 すすきと言うと宮沢賢治 (1896-1933年)を思い出 します。 |
宮城道雄作曲の「防人の歌」は昭和13年(1938年)44歳の時に作曲されました。
宮城道雄というと、春の海ばかりが取り上げられますが、14歳で「水の変態」を作曲。この曲もすごいですが、その後、たくさんの名曲を残しています。
箏曲=古典というイメージが強いですが、宮城は西欧音楽を取り入れ、オーケストレーション、西洋楽器と筝との曲を残しています。春の海ももともとはヴァイオリンとお筝のために作曲されています。
地歌のような歌い方ではなく、西洋声楽との曲、フルートとの曲。
また雅楽のドラや、笙など地歌では入れないような楽器を試し、それだけにとどまらず、胡弓を改良したり、他にも17弦や、八十弦など新しい楽器も何種類か作っています。
「防人の歌」は、
尺八、筝独奏、第一筝、第ニ筝、17弦、打物 3声の合唱による大編成の箏曲合奏曲です。
万葉集の中の、防人の歌といわれる句を8句を取り上げ、曲をつけています。
664年、中大兄皇子によって制定された防人は、前年に白村江で敗れたために、九州を新羅から守るために置かれた制度で、主に東北の貧しい人たちを3年間の九州の守りにつかせたものです。
3年と言っても、守られるかどうかわからず、お金持ちなら馬や船で行けたそうですが、大半は歩いて任地まで行かなくてはならず、帰路は旅費が出ないため、帰れなかったり、途中でなくなったりした場合も多くあったそうです。
今日よりは返り見なくて大君の醜の御楯と出で立つ我れは(今奉部与曽布)
今日から、わたしは自分の身も家も省みず、大君の楯となって出征するのだ
今年行く 新防人が 麻衣 肩のまよひは 誰れか取り見む
今年派遣されるまだ若い新防人。彼の麻布の衣の肩のほつれは、これから誰が繕ってやるのか
葦垣の 隈とに立ちて わぎもこ(我妹子)が 袖もしほほに 泣きしぞ思はゆ(あづま歌)
葦を結った垣の 隅っこに立って ひっそりと 送ってくれたわが妻。袖も絞るばかりに 泣き濡れていたあの姿が 心を去らぬない。
唐衣裾に取り付き泣く子らを置きてぞ来のや母なしにして(他田舎人大嶋)
衣の裾(すそ)に取(と)り付いて泣く子供たちを置いてきました。母もいないのに。
松の木の並みたる見れば家人の我れを見送ると立たりしもころ(物部真嶋)
松の木がたくさん並んでいるのを見ると、家族が私を見送るというので、さながら松の木のように立ち尽くしていたことを思い出すよ。
庭中の あすは(阿須波)の神に 小柴さし 我はいははむ 帰り来までに
庭の中にあるあすは(阿須波)の神に 小柴を捧げ 祈り続けよう、わが子が 無事に帰り来るまで、祈り続ける ただひたすらに
大君の命畏み磯に触り海原渡る父母を置きて(丈部人麻呂)
大君(天皇のこと)の命令に従い、磯づたいに海原を渡ります。父母を(故郷に)残したまま。
もも隈の 道は来にしを またさらに やそ島過ぎて 別れかゆかむ(あづま歌)
何度もなんども 道を曲がって 長の道のりを ここ難波津まで 遙々ときたものを この上さらに 舟に揺られて故郷から 遠のいて行かねばならぬのか。舟に揺られて 故郷からさらに離れ
いつの世にも、中央政府から離れた東北の人や、南の端の人が国のひずみを背負って苦労を強いられる理不尽さは変わらないようです。
当時は満州事変の翌年、宮城は作曲を場を得るために、戦意高揚の曲を書いたこともあったようですが、この選句に人らしい心を忍ばせたと思うのですが、いかがでしょう?
今日は、ピアノのKさんと、5日の小学校の中にあるコミュニティルームで、演奏するので、打合せ。
歌う会で、いつもは、唱歌や懐メロをうたっているそうです。高齢の方が多いということなので、「りんご追分」「時代劇のテーマ」などを演奏します。
「りんご追分」は美空ひばりさんの持ち歌ですが、初めて歌ったのは中3。りんご園の少女という映画の中でのことです。You Tubeを見たら、かわいい少女のひばりさんが歌っていました。
追分は、馬子が歌う労働歌です。独特な節回し、馬が歩くような、付点のリズムが特徴です。
ひばりさんのようには演奏できないけれど、Kさんの弾くピアノと、音楽に身をゆだねてみると、勝手に追分の節回しができてきます。
これが、血というものでしょうか?
日本の風土や空気、人や言語の中にある何かが、もうすでに私に追分を歌うことを教えてくれているのです。
音楽がテクニックではないというのは、こういうことからも知ることができます。こういう音楽は、練習しなくても自由にうごけるだけのテクニックがあれば、できるのです。
逆にいえば、西洋音楽にアプローチする時にも、ただ笛をもって練習するほかにやることがある。っていうことですね。
Kさんも「この曲は気持ちいいね。」と、言います。
楽しいコンサートになりそうです。
お箏と最後の合わせ。
…ですが、まだ楽譜が定まりません。
何箇所か、合わせながら、フルートのオクターブを上げたり、お箏の音を増やしたり。
須山先生の子どもの歌と、秋の子どもの歌は
お箏2面の曲を書き換えるのですから、もともと無理があります。
しかし、5音階の動きは、思ったよりもあわせやすいです。
もともと、どちらかが伴奏という意識がお琴の人にはありません。
和音のズンチャッチャッというような、繰り返しが続くと、母は「つまらん。」と言い出します。アルペジオも、一小節ごとに動くのではなく、第一箏も、第二箏も、同じようなフレーズのスパンで変化していきます。
違う二つのフレーズを合わせるという感じなので、楽器が変っても違和感が少ないのです。
とてもおもしろいと思います。
とは、いっても、この2曲は古典ではないので、伴奏的なところもありますが。
爪で引っかいたり、指の腹で弾いたりし、反響版が大きいのでギターに比べたら、ダイナミズムに幅があります。
編曲していると、ただ演奏する時よりも、楽器の特徴がより理解出来るような気がします。こういう機会は、とても貴重です。チャンスをくれたAさんに感謝。
7月になったら、急に夏の気分。朝顔も、もう咲いています。
私は海を見ると、お尻が落ち着きません。大慌てで素潜りで、魚を見に行きます。コバルトスズメ、虹色のべラ、タカハタダイなど色とりどりの魚、こんな世界が現実にあるのでしょうか和歌山でも、熱帯化していて見ることができますが、沖縄では温暖化で珊瑚や魚が減っているそうですが、とっても心配です。
その昔、南仏のニース音楽院に夏季留学しましたが、そのとき、地中海でも泳ぎました。
ニースの海岸は大きな丸い石がゴロゴロしていて、黒っぽい水はあまり美しくはなかったです。
モナコは砂浜でしたが、みな泳がずに美しいマダムたちがビキニのブラをとって、日焼けにいそしんでいました。泳いでいたのは日本人ばかり。魚は見えませんでした。
水の曲を集めて、コンサートをしようとしたことがあります。
フルートの曲では スメタナのモルダウ。 宮城道雄の春の海。 ライネッケのウンディーネ、
ドビュッシーの雲 小舟にて フォーレの岸辺にてなどなど…こうやって、並べてみると尺八とお琴のみで、「海」を表現した、宮城道雄は出色だと思います。川や泉はともかくね、海ですよ。海。オーケストラでならいろいろありますが、管一本と弦一台。しかも、洋楽器と違って圧倒的な音量はないというのに、春の陽の中で穏やかでゆったりとした海、浅瀬の岩場で逆巻く海、大洋に勇壮に動き出す海が一曲の中にストーリーをもって されていきます。
彼の水を表現しようという試みは他にもあって、「水の変態」「ロンドンの夜の雨」「泉」
「水三題」は「山の筧」「大河の夕」「大洋の朝」の三題からなっています。
これは、尺八と琴2台の編成なので、フルートでやってもなかなかいいと思うのですが、春の海と違って歌がついているので、難しいのかな、洋楽で演奏されることはすくないです。…というか私は聞いたことないです。
古いカセットに宮城道雄の演奏の録音があります。実にまろやかな演奏です。間違っていても、納得の音楽性です。音だけとっても、絹糸を当時はつかっていましたが、よく切れてしまうので、最近使われているのはナイロン弦。同じ音はもう出せません。象牙の爪と琴柱。三味線も、象牙と鼈甲の撥で、材料は輸入禁止。琴屋さんに聴くと、在庫を国内でまわしているだけだそうです。
「春の海」は歌詞をつけて、オーケストラで演奏されている版を見つけましたが、ちょっと追分か演歌みたい。かえって雄大な海の感じが消えているのは不思議です。楽器やいろいろな制約がある方が、より表現力が増すことがあるのを実感しました。
それにしても宮城道雄はチャレンジャーです。邦楽の厳しい師弟制度、家元制度の元で、よくぞこれほどと思うほど、洋楽の手法や、古典の手法、近代音楽の技法を縦横無尽に取り入れて作曲しています。
日本人は、管の好きな民族です。尺八、龍笛、篠笛、祭り笛など、さまざまな種類の笛が、全国にあり、愛されていました。擦弦の楽器がほとんど胡弓のみということと比較するとその多さは、驚くほどです。
モイーズさんもその昔、日本の学生を教えて「日本人は必ず世界で通用するフルーティストを排出するだろう。」といわれていたと聞いています。
本当にその予言は大当たりで、工藤重典さんや、佐久間由美子さん他にも大勢の方が世界で活躍されています。それは、私たちがよく知りもしない日本の風土が作り出した血の中にもぐりこんだ笛の音に対する感性、自然に対する感性ではないかと私は思っています。
日本の音楽を今、大切にしなければ、自然と同じく失われてからでは遅いそう思います。