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シュトゥルム・ウント・ドラング疾風怒濤の時代

2025-02-25 09:05:00 | 古典
三連休最後の日は、西宮今津公民館で西宮ギター練習会でした。

阪神電車に乗って今津駅へお昼ご飯をライフで買って、12:30開場に合わせて行きました。

着いたらギターの渡邉信行さんが、もう準備OK。
ギターを弾きながら待っていてくれていました。

レニャーニのグランドデュオの第1楽章と第3楽章を演奏しますが、これとっても楽しい曲ですが、ギターが超絶技巧。
必死で練習してくれていました。
もちろん、フルートを出して私もすぐ合流。

結局、時間ギリギリまで合わせに使いました。
練習会も無事終わり、阪神電車で大阪まで出て、大阪シティバス

で土佐堀一丁目で降りてすぐの渡辺橋のサロン ド プリンシパルでフルートアンサンブル「エスカル」の練習でした。

練習もようやく終わり夜9:30京阪特急の中でブログ書いています。
怒涛の三連休…金曜だから4連チャン。
無事終わってよかったです。

シュトゥルム・ウント・ドラング(独: Sturm und Drang)疾風怒濤は、18世紀後半にドイツで見られた革新的な文学運動のことを指します。

晴れ渡る:シチリア島の海岸、アンドレアス・アッヘンバッハ、1847年
この名称は、ドイツの劇作家であるフリードリヒ・マクシミリアン・クリンガー(1752-1831年)

が1776年に書いた戯曲Sturm und Drang

に由来しています。

時期は、1767年から1785年までとする説、1769年から1786年、もしくは1765年から1795年とする説もあります。

典型的なシュトゥルム・ウント・ドラング劇、詩、小説の主人公は、高潔な手段の追求や真の動機ではなく、復讐と貪欲によって行動(多くの場合暴力的な行動)に駆り立てられていきます。

古典主義や啓蒙主義に異議を唱え、「理性に対する感情の優越」を主張し、後のロマン主義へとつながっていきました。

音楽作品への影響は限られており、音楽をこの傾向に従うものとして分類しようとする多くの試みは根拠が薄いそうです。

ドイツ/オーストリア音楽の中心地であるウィーンは、国際的な文化を持つ国際都市であったため、この時期のハイドンやモーツァルトによるメロディー的に革新的で表現力豊かな短調の作品は、ヨーロッパ全土で起こっていた音楽的発展の広い文脈の中で捉えられます。

シュトゥルム・ウント・ドラング運動との最も明確な音楽的つながりは、オペラや、ハイドンの告別交響曲などの標題音楽の初期の先駆者に見ることができます。

ベートーヴェン、ウェーバー、そしてシューベルトにも、シュトゥルム・ウント・ドラングの要素があります。

音楽のシュトゥルム・ウント・ドラング時代は、1760年代後半から1770年代前半にかけてのオーストリアの作曲家ヨーゼフ・ハイドンの作品によく見られます。
シュトゥルム・ウント・ドラングに関連する古典派音楽( 1750~1800 年)は、主に短調で書かれ、難しい感情や憂鬱な感情を伝えています。

主要テーマは角張ったものになりがちで、大きな飛躍と予測不可能な旋律の輪郭を伴います。

テンポとダイナミクスは、感情の激しい変化を反映するために、急激かつ予測不可能に変化します。

脈打つようなリズムとシンコペーションは一般的で、ソプラノやアルトの音域での疾走するラインも同様です。
弦楽器用の楽曲には、トレモロや突然の劇的な強弱の変化やアクセントが特徴的です。

ハイドンは、シュトゥルム・ウント・ドラングの反合理的な理想を意識的に肯定していたわけではないかもしれませんが、この時期の彼の器楽作品には、当時の音楽劇の流行が影響していたことは確かです。

他にはモーツァルトの交響曲第25番(「小」ト短調交響曲、1773年)は、この作曲家による2曲しかない短調交響曲のうちの1曲です。

この交響曲は、非定型の調性に加えて、リズミカルなシンコペーションと、シュトゥルム・ウント・ドラングに関連するぎこちないテーマが特徴です。

さらに興味深いのは、この曲における管楽器の解放であり、バイオリンがオーボエとフルートの色鮮やかな音がヴァイオリンを圧倒します。

しかし、これはおそらく、ウィーンでモーツァルトの知人でもあったチェコの作曲家ヨハン・バプティスト・ヴァンハル(モーツァルトの同時代人で知人)による多数の短調作品の影響であり、ドイツの文学運動への自覚的な追随によるものではなく、交響曲第25番のハーモニーとメロディーの実験の原因です。

ヨーゼフ ハイトン(1732-1809年)神聖ローマ帝国下オーストリア大公国ローナウ生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

交響曲第26番 ニ短調 Hob. I:26 は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1768年頃に作曲した交響曲。
『ラメンタチオーネ』(伊: Lamentatione哀歌)の愛称で知られています。

この作品の自筆原稿は残っておらず、正確な作曲年代は不明です。
ハイドンのいわゆる「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)期」にあたり、この時期には短調の交響曲がいくつか作曲されましたが、これもその一つです。

ハイドンの初期の交響曲には3楽章形式のものが少なくありませんが、1765年以降ではこの曲と第30番『ハレルヤ』の2曲だけです。
この2つの交響曲はどちらも典礼音楽を引用した宗教的交響曲で、通常のようにエステルハージ邸で演奏されたわけではなく、教会で演奏するために作曲されたと考えられています。

現存最古の筆写譜にはすでに「受難と哀歌」(assio et Lamentatio)と記されています。第1楽章には当時のオーストリアの受難劇でよく使われていた音楽を引用しています。
第2楽章にはエレミヤの哀歌の音楽が引用されています。

ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂天井画のエレミア 預言者て「エルサレム滅亡を預言し嘆いています。
シンコペーションのリズムによる感情の表出という手段は、モーツァルトの交響曲第25番と共通しています。

第2主題として第1オーボエと第2ヴァイオリンにグレゴリオ聖歌の受難コラールが現れます。

ニ長調になるのは第2主題が引用であるために短調にしたくなかったようですが、当時の短調の交響曲の第1楽章では再現部が短調になるのが通常であり、長調で終わるのは当時のハイドンの交響曲では他に例がありません(後の交響曲第80番以降は長調で終わります)。

いきなり立ち止まったり、突然な曲想の変化や転調などドラマチックな構成故に、展開部以降の形式的な反復記号を欠いています。




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