明石潟という椿は、とにかく巨大です。写真ではわかりにくいですが、花一つが子どもの頭くらいの大きさです。これが、木にたくさん咲いている姿は、圧巻。
モーツアルトを、演奏していると、基本奏法について真剣に考えざるを得ません。
ちょっと、音程がずれたり、リズムがずれると、それは、もう気持ち悪い。
他にも似たような音楽を作る人はたくさんいるのに・・・。この気持ち悪さで、モーツアルトほど際立つ曲はない。
なぜ?
モーツアルトの曲では、意外なこと、奇をてらったこと、変わったことは、何もないのです。
五度の和音が、並んでいて、きちんと解決。
DdurならDdurのスケールが順番にきちんと並んでいます。
普通なら、つまんない。真面目なだけの凡庸な曲になりそうなのに、それが、美しく楽しい。
モーツアルトは、きっと、ドレミファソラシドと弾くだけでたのしかったんじゃないかな?
ドレミファソラシドと、次は、レミファソラシド。
そしれ、ドミレファミソファラ、ラソファミレドシ。
音楽を習いたての子どもの頃、順番に吹くだけで、何時間も吹いていたように、単純なこの調和の並びを、あっちから、眺めたり、こっちから眺めたり。
ただそれだけで、美しく満足。
だから、難しい超絶技巧の曲ではなく、モーツアルトがちゃんと吹けていれば、すべての曲が楽々と美しく吹けるということになるのだと、みんな気がついています。
どこっまでいってもモーツアルト、モーツアルト。
まだ、道半ばです。