日曜日夕方から、暖かい風が吹く中、新大阪でI先生のマスタークラスでした。
急ぎ足で向かっている途中、突然曇り空から、陽が差して背の高いビルだけが光っていました。
偶然ですが、そこがレッスン場となるビルでした。
自分だけのただ一つの身体と感覚、感性を使って、自分で自分を導くしかない手探りの音楽の道を、明るく輝く灯火を高く掲げ続けて行く道を照らし続けてくださるI先生。
自分の身体をどちらに向けるかは、私次第。
どこにでも行けるということは、樹海の中で迷うように、自分の身体と目や脳の癖で、歩き続けることもあるということ。
左右の足の長さは、人間は均等では無いそうです。
人は何もないところで一人で迷うと、真っ直ぐ歩いているつもりで、短い足の方を内側にして円を描いて同じところを回り続けるそうです。
考えも同じ。一人でいると何を読んでも、何を見ても自分の思考と感覚の癖で解釈するので、自分の中でぐるぐる回るだけで、なかなかキャパは広がらない。
子どもが短い間に成長するのは、他の人の言うこと、見ることを自分の中に真っ直ぐ取り入れ、すぐに使ってみるからです。使う前に批判したり、判断したりしないからです。
科学者のような態度、思考が、自分の世界を切り開きます。
私の癖を私が自分で見抜くより、ずっと早く、たくさんI先生が見つけてくれます。
当たり前ですが。
マスタークラスの間、いくつ見つけることができるか?が、先生と私の鍛錬。
魂の交流する時間。
こういう深い交流は、滅多にありません。