
ギターの米澤さんからのもう一曲。
マウロ ジュリアーニの
グラン デュオ コンチェルタント
軍隊風ロンド付き op.52
この曲は、1812年頃に作曲されています。
この後、数年の間にフルートとギターのための大セレナーデop.82
もう一曲のグラン デュオ コンチェルタントop.85と、フルートとギターのための曲を作曲しています。
30代に入ったばかりのジュリアーニ。
通常、急緩急急とコンチェルトを作るところ、1楽章がアンダンテソステヌートと緩やかてメロディックな曲から始めます。

2楽章のメヌエットも、本来なら、宮廷風の優雅な踊りのはずが、アレグロ ヴィバーチェで、少し血の気が多いような気がします。

3楽章は、ついに軍隊風ロンド。
ジュリアーニは、イタリアの作曲家ですが、彼が生まれた時は、小国乱立でその1つナポリ王国に生まれました。
フランス革命の影響で1799年にパルテノペア共和国、そして、1806年ボナパルト朝が誕生。
ナポレオンの兄が支配していました。
1812年と言えば、ナポレオンがロシア侵攻をして破れた年です。
ほどなく1815年には、イタリアでもナポレオンは失脚しナポリ王国復権、シチリア王国と統合と、大変流動的な時代に生きています。
カトリック教会が長らく強かったイタリアでは、文化的には1800年頃は保守的で
ヘンデルやモーツァルトなど革命前の作風にジュリアーニも傾倒していました。
しかし、この頃、革命の空気、近代化の波がジュリアーニの作風にも影響しだしている気がします。
ベートーベンがナポレオンによってエロイカを書いたように、ジュリアーニもナポレオンに期待していたものがあったのかもしれません。が、詳しいことはわかっていません。
この曲の作り方、軍隊風ロンドとは、どこの軍隊なのか?
自由、平等、博愛を実現すると見えたナポレオンは去り、ウィーンでギターを教えた後、シチリア王国となった故郷で王宮に呼ばれて演奏をしたり、ギタリストとして成功し、1828年ナポリで亡くなりました。