
咲いてる!!

かわいい!


いろいろな種類の梅が。

咲いてて

素敵でした。

ミニチュアのオルガンを演奏する
父親はジョット派の著名な画家ヤコポ・デル・カセンティーノ(1297-1358年)
でした。
子どもの頃、天然痘にかかって失明したことで、ランディーニは早くから音楽に打ち込むようになり、リュートなど多数の楽器演奏、歌、詩作、作曲を習得しました。
を結合させた「syrena syrenarum」という楽器(バンドゥーラ (Bandura)
の先駆と考えられている)などを発明したという記述が残っています。
1360年代の数年間ヴェネツィアに滞在していたキプロス王から月桂冠を授けられたという記述があります。
ランディーニは1370年以前に何度か北イタリアで過ごしていたとされています。
音楽のいくつかがその証拠で、たとえば、モテットは1368年から1382年までヴェネツィアのドージェ(国家元首)を勤めたアンドレア・コンタリーニ(1300-1382年)
に献呈されています。
さらに、ランディーニの作品のことが北イタリアの文献によく出てきます。
1361年、ランディーニはフィレンツェのサンタ・トリニタ修道院のオルガニストに雇われました。
1365年以降はサン・ロレンツォ聖堂(Basilica of San Lorenzo)で働きました。
ランディーニは当時の政治的・宗教的論争に深く関わりましたが、フィレンツェ当局の恩恵は受け続けていたようです。
ランディーニはトレチェント音楽(1300年代のイタリア音楽)の作曲家の多くと面識があり、その中でもロレンツォ・ダ・フィレンツェ(?-一1373年)はサンタ・トリニタ修道院で一緒でした。
また、アンドレア・ダ・フィレンツェ(Andrea da Firenze)とは1370年代に知り合いました。
1375年頃かあるいはそのすぐ後、アンドレアはフィレンツェの僕会(下僕会。Servite Order)のオルガン製作の相談役にランディーニを雇いました。
楽器を調律する3日間に二人が飲んだワインの領収書が残っています。
ランディーニは1379年にサンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂(Santissima Annunziata, Florence)
で新しいオルガン製作を助け、1387年にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
のオルガン建造計画に励みました。

らしきものを持ったランディーニの姿が描かれています。