うちのピエール・ド・ロンサールが咲いてきました。
貴族の家で末っ子として生まれました。彼の一族はドナウ川の北のルーマニア一帯の出身でした。
1544-1560年16歳没
バラのアーチ全体はまだもう少しなのですが。
ピエール・ド・ロンサール(1524-1585年)フランス王国ロワール=エ=シェール県ラ・ポワソニエール生まれ、
貴族の家で末っ子として生まれました。彼の一族はドナウ川の北のルーマニア一帯の出身でした。
12歳の時、パリのコレージュ・ド・ナヴァルへ送られました。
そこで王太子フランソワ
1518- 1536年18歳没
の小姓に列せられ、次いでその弟オルレアン公シャルル
の小姓に列せられ、次いでその弟オルレアン公シャルル
1522-1545年23歳没
に仕えました。
に仕えました。
マドレーヌ王女
1537年結婚しますが、結核でその年に16歳で亡くなりました。
がスコットランド王ジェームズ5世と結婚した時には、彼女に付き従い、その後3年間をスコットランドで過ごしました。
がスコットランド王ジェームズ5世と結婚した時には、彼女に付き従い、その後3年間をスコットランドで過ごしました。
1540年にフランスに帰還すると、再びオルレアン公シャルルに仕えました。
この職で彼はフランドルに派遣され、それから改めてスコットランドに派遣されました。
その後、ジャン=アントワーヌ・ド・バイフ
1532-1589年プレイヤード派の詩人
の父ラザルの秘書となります。ジャン=アントワーヌは、ロンサールの友人でもあり、後には同じプレイヤード派(ギリシャ時代の文芸を規範とする詩人の一派)に加わることになります。
ロンサールの前途洋々たる外交的な職歴は、不治の難聴に見舞われたことにより、突然の中断を余儀なくされます。
そこで彼は、学問に生涯を捧げることを決意しました。
ロンサールの学び直しは7年に及びました。
そしてとうとう処女作『オード』四部集(1550年)を公刊しました。
1552年には、『恋愛詩集』と同時に『オード』第五部が出版されました。
これらの作品集は、フランス文学界に論争を巻き起こしました。
マロ派(クレマン・マロの影響を受けた一派)の首魁メラン・ド・サン=ジュレ
は、国王の前でロンサールの詩を詠み上げる時に、こき下ろす目的で滑稽に詠みました。
しかしある時、王妹マルグリット(後のサヴォイア公妃)
1523-1574年51歳没 フランソワ一世の子どもで唯一長生きしました。
が、メランの手から詩集を取り上げ、詩本来の素晴らしさを活かして詠み上げました。
が、メランの手から詩集を取り上げ、詩本来の素晴らしさを活かして詠み上げました。
詠み終わると、その詩に魅せられた大広間からは、割れんばかりの拍手喝采が沸き起こりました。
その栄光は急激でした。大衆におもねる必要も全くありませんでした。
1555年から1556年には、サヴォイア公妃マルグリットに捧げた『賛歌』を出版しました。
彼は1556年に『恋愛詩集』を完成させました。伝説では1560年にフランソワ2世
1544-1560年16歳没
と結婚したメアリー・スチュアート
1542-1567年スコットランド女王。1559年フランソワ2世と結婚。ダーンリー卿ヘンリー・ステュアートは2度目の夫で、後のイングランド国王ジェームズ1世の母。
の要請で全集を編纂し、1565年には、『フランス詩法の抜粋』と同時に『哀歌、仮面舞踏会、牧歌』を出版しました。
の要請で全集を編纂し、1565年には、『フランス詩法の抜粋』と同時に『哀歌、仮面舞踏会、牧歌』を出版しました。
1560年前後にはフランス王は目まぐるしく替わりましたが、ロンサールの立場が悪くなることはありませんでした。フランソワ2世の後に即位したシャルル9世
1550-1574年24歳没
もロンサールに魅せられました。
もロンサールに魅せられました。
シャルル9世の死後も、ロンサールの宮廷での厚遇に変化はなかったようです。
ロンサールは多くの友に先立たれ、自身の病気は悪化していましたが、エリザベス1世を含む外国の君主たちは、彼に贈り物をすることがありました。
病状にもかかわらず、ロンサールの創作はなおも優れた水準を保ち、晩年の作品のいずれをとっても傑作でした。
1585年12月27日、ロンサールはトゥールのサン=コーム教会に葬られました。
1545年「恋人よバラを見に行こう」は、カッサンドル サルヴィアティという女性に寄せた詩です。
彼女はイタリアの銀行家の娘で15歳、ロンサールが21歳の時の出会いでした。恋は成就しませんでした。
オードは歌われることを前提にした詩で、リュートでジェハン シヤルダヴォイン(1538-1580年フランス王国アンジュー生まれ、没地不明)が曲をつけています。
「カッサンドルへのオード」より
恋人よ、見に行こう
けさ、あけぼのの陽をうけて
紅の衣をといた、ばらの花
今宵いま、赤い衣のその襞も
あなたに似た色つやも
色おとろえていないかと。
ああ、ごらん恋人よ、
何とはかない、バラの花
大地にむくろをさらすとは!
おおつれない自然
この花のいのちさえ、
あしたから、ゆうべとは。
だから恋人よ、
ぼくのことばを信じるならば、
水々し、花の盛りのその齢に
摘め、摘め、あなたの若さを、
この花ににて、じきにくる老年に
あなたの美しさも褪せるのだから。
出典:平凡社 世界名詩集大成
オード集 ロンサール(窪田般弥・高田勇訳)より
5月になれば、バラの季節ですね。見た目も色鮮やかですが、匂いもいいですね。
何だか大変そうですが
パラを見ると素敵で貴族の人が作ったバラもあるのだなぁ==って思いました。
色んな知識があるのですね。
バラの季節ですね~🌹
いろいろ咲いていて楽しいです💖
仕える人も苦労したと思います。
ありがとうございます。浅学なので詳しくはお調べ下さいね。
ピエール・ド・ロンサールは近くのバラ園で見たことがあります。
バラの名前が有名な人がついたのはたくさんありますね。イングリッド バークマン
プリンセス ミチコなど。イングリッド バークマンは薔薇の殿堂入りした品種です。
ピエール・ド・ロンサール、最近はあちらこちらで咲いていますね。
そうですね。バラはたくさん有名人の名前のものがありますね。
名札が無いとあっと言う間に名前がわからなくなって、ググっても迷うようなものがたくさん出てきてわかりません。
実家にはマリア・カラスが咲いていますよ!