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8月の記憶

2014-08-29 23:06:28 | 哲学

このバラはとても強いです。寒くても、暑くても咲きます。18年前に牧野に引っ越してきた時から、旧宅の庭に植えてあり、北向き、暑さ、寒さ、乾燥、雪、どんなに環境の悪い年にもただずっと花を咲かせてくれました。
ただ、品種の名前がわかりません。バラは品種数が多く、写真を見て調べるだけでは素人ではさっぱり。
名無しの白薔薇さん、私たち家族とともに咲いてくれてありがとう。いままであなたにどんなに元気づけられたか。本当に感謝してます。


8月になると戦争のことがいろいろなところで取り上げられます。

以前にもブログで書きましたが、もう一度投稿します。

2010年父の実家に外務省から封書が届きました。
中には7人兄弟の末っ子の父のすぐ上の兄 隆の消息。

徳島、山川町の父の実家では、唯一、隆を知る実家を継いだ父の甥が亡くなっていて、この封書の扱いに困り、残った二人兄弟のうち、姉は入院中、父のところに転送してきました。

中には、ロシア政府から、提供された4万1千名の「ソ連邦シベリア抑留中死亡者名簿」と、新たに昨年12月に公開された、「ロシア国立軍事古文書館」に収納されている70万枚の「旧ソ連邦日本人抑留者に係わるカード」を照合して、「山口隆志」が、父の兄であることがわかったと知らせる文書でした。
ロシア語で書かれた文書の写真に添付された日本語訳には、

H700-5470 
氏名 ヤマグチ タカシ
生年月日 大正13年
死亡年月日 昭和21年 5月29日
埋葬地 第47収容所

他には、カルテ。死因は肺結核。
「1946年5月29日収容所第3支部にて死亡。区画番号No.5 墓番号 No.7に埋葬された。目印として、5/7と記された小さな碑銘板のついた杭がある。」

と、書かれていました。

厚生労働省のHPで第47収容所って、どこにあるのか調べてみると、

0024 第1449特別野戦病院・ポニ地区その1 62 210807 ヤマグチ タカシ ハバロフスク地方

ポニ地区の地図が掲載されていたので、見ると、ハバロフスクの一地区で、47ではなく、第46収容所があったことがわかりました。この名簿と、今度送られてきた照合書類の記載が同一人物であれば、ハバロフスクで亡くなったのかも?
しかし、この名簿の死亡時期、21年8月7日は、この照合書類とは合わないですが、おそらくこれであろうと思います。
死亡年齢は22歳。

隆の両親はとうに亡く、隆を知るのは父だけですが、その父も認知症で「隆、だれやったかな?」という具合。

実家は一度焼失したので、私たちは写真一枚見たことが無い。
語られるはずだった親族の隆の記憶、記録エピソードを語る人が存在しない。65年後に届けられたこの紙だけがある恐ろしさ。
記憶がないことへの罪悪感。
あれから4年たった今、年々強まる放置されたままの遺骨に対する罪悪感。

人として赦されないことが彼の身の上に起きた。
有り得ない、ひどい国家間暴力。
収容、厳寒の中の、過酷な労働、飢えによる暴力。
遺体に対する暴力
それからあまりにも、多くの人の上に起きたので、当時としては当たり前であるという考え方による暴力、
そのことを知った今、シベリアに放置したままであるという暴力
悼む人がいない暴力

愛の反対は暴力、蹴る叩くだけが暴力ではありません。国家間暴力、仲間はずれ、無視、も暴力の一種です。
忘却することは、忌み嫌う戦争という暴力に傍観者として加担すること。

彼もこのことでは被害者であったけれど、その時までは国家間暴力の加害者でもあったこと。また、彼を送り出した家族もまたそのことに加担していたということ。

親族のような気持ちで彼を悼むことはできないけれど、彼を忘れない。例え、名前だけであったとしても、そのことだけが愛と平和に繋がると考えます。









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