昨日のコンサートの余韻がまだ残っています。
みんながんばっていました。それぞれに課題も見つけたはず。
私も自分の課題をいろいろ見つけました。
取り組むことがあるのは、幸運です。
人生は壮大なひまつぶし。
フルートを吹いても、吹かなくても、時は過ぎて、年をとって、老いていずれは死んでいきます。
あっちから眺めたり、こっちから触ったり、目に見えない、ほんの少しの動きで、大きな違いがあることを私は知っています。
大きな山を登ったり、華々しい業績を残す人もいるけれど、この一歩にも満たない小さな運動の中に、誰かの願いや、思い、苦しみ、愛、生活があり、呼吸があり、私の中に時空を超えて、その人に響きあうものがあり、そして、目の前にいる誰かの心に響きあう。
私はどこにも行かないし、何かを成し遂げたりもしないけれど、ほんの一瞬、誰かと共感する。
全く、一致するわけなど無く、同じ体験をしているなんて奇跡の話しではなくて、気持ちがわかる。わかるような気がする。
体験も、人格も、時代も、年齢も違う誰かの残した心の軌跡が。
そして、誰かにその気持ちを受け取ってもらえることがある。
こんなおもしろいこと死ぬまで、やめられない。一生わくわくしていられる。
私は 東北の小さな街で笛を吹いている笛吹きです
結構な歳なんですが、仕事の合間に フルート教室に通い 市内の小さなアマオケで笛を吹いています
笛を吹くことが好きで、誰かとアンサンブルすることが、何よりも大好きなんです(まったく、自分の力量とは関係ないですね)
>こんなおもしろいこと死ぬまで、やめられない。一生わくわくしていられる。
そうなんです、そうとしか思えませんね
もういい加減 若い人達に席を譲らねば と
考えるのですが 妄執というか 未練というか
まだ 吹いていたいのです
でも オケでは、これで「最後」という気持で いつも吹いています (変ですね)
パスカルさんのブログは、参考になるし 元気づけられます もう少し頑張ろうと思います
ありがとうございました。
すばらしいですね。
誰かが幸せに楽しそうにしているのを見ると、私たちは自分まで楽しく幸せな気持ちになるのに、なぜか、自分は幸せでいてはいけないような気になるのはなぜでしょう?
pacocaさんが、音楽を楽しんでいる姿、きっと誰かを勇気付け、幸せな気持ちにしていると思います。
私も、コメントを読ませて頂くだけで、勇気でけられました。ありがとうございました。