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甘いお菓子とハプスブルクの外交官

2023-03-31 20:57:00 | バロック
矢場とんの豚まん。
3月は夫の出張が復活。
お土産も復活!

銀座ねんりんやのバウムクーヘン。
渡辺製菓仙台のまころん。


三方六のバウムクーヘン

岩手大船渡のかもめの卵。

今月もお仕事ご苦労様でした。
そして、ごちそう様でした!

ウィーンのお土産と言えば、甘いお菓子。
エステルハーツィ トルテ。

コニャックやバニラで味付けしたバタークリームをアーモンドのメレンゲ(マカロン生地)で挟んで作ります。トルテはフォンダン(砂糖と水を混ぜ合わせたもの。ゼラチンやグリセリンが使用されることもある)のグレーズで覆われ、特徴的なチョコレートのしまもようで装飾がされています。

エステルハージ シュニッテはエステルハージトルテの変種だそうです。

パウル アントン エステルハージ(1786ー1866年)神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウイーン生まれ、バイエルン王国レーゲンスブルク没


ハンガリーの外交官に因んでその名がついたと言われています。

エステルハージ家と言えば、ハイドンパトロンとして名を残しています。

彼の父ミクローシュ エステルハージ(1765ー1833年)はクラリネットを嗜み、ナポレオン戦争の時にハプスブルク家皇帝フランツ2世の救出に尽力しました。義勇軍を編成し、皇帝を守る手助けもしていました。

彼はハイドンに6つのミサ曲を注文しています。
ベートーベンのミサ曲も注文していて、初演の時、ミクローシュはこれを酷評したためにベートーベンは激怒して彼の邸宅から去りました。

ミクローシユの息子のパウル アントンは外交官とメッテルニヒ政権下での彼の部下も務めました。

1809年にハイドンは亡くなります。

この年、時の当主ニクラウス2世はナポレオン1世からハンガリー王位を提供されましたが、拒否しハプスブルク家を指示しました。

その後、エステルハージ家は財政難に陥り、1871年には美術品もハンガリーの国有財産となります。

パウル アントンも晩年は貧しかったと言われています。

ハイドンの交響曲第94番「驚愕」







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2 コメント

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ウィーンのケーキ (takan32)
2023-03-31 20:41:22
久米さんへ、私はウィーンに行った時は、美術史美術館に入って、絵画を鑑賞した休憩時間にザッハートルテを食べました。(私の好みの味ではありませんでしたが--。)
ハイドンの驚愕はコンサートで聞いたことがあります。
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Unknown (m-fluteangel16)
2023-04-01 22:30:31
@takan32 さん、ウィーンでザッハートルテ!私もウィーンで食べました。定番ですよね。
チョコレート多めでしたね。お好みではなかったのですね。
ハイドンの驚愕も定番ですね!
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