音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

たましいが響くのが音楽

2013-04-15 20:37:39 | 音楽

日曜日、レッスンの後、夫が新幹線の切符を買うので、京都駅まで行きました。京都にいけば、出町のふたばさんで、豆大福を買わなくてはいけません。途中で、京都市役所前のガレージセールに遭遇。
ちょっとだけのぞこうと、車を停めて中に入ると、見事な八重桜が一本。松月というそうです。


ガレージセールで買うつもりのなかったタンクトップ2枚で100円。ワンピース200円。ラビットのマフラー200円を買い。ふたばさんで、豆大福と、柏餅のみそあんと、こしあんを買って、出町商店街でひろうすと、ゆば、野菜を買って帰りました。

短い時間でしたが、病院の消毒薬の匂いがやっと取れた気がしました。
それにしても、音楽があってよかった。こんなに慌ただしくても、少し吹けば気分が晴れます。

最近は、タファネルの「魔弾の射手のファンタジー」、痛快で、元気が出る曲です。
超絶技巧も、練習していると、難しすぎて、いろいろなことを考えていられないというのもミソです。
思うようにならないことが多くても、音楽だけは、自分さえ変わる気があれば、いろいろな方向に変えることができます。

練習して、自分を変えることで、できなかっとことができるようになった。というような自信は、誰に認められなくても、自分の心と体を強くします。

「人間にできて、動物にできないことは、3つあって、一つは、宗教、もう一つは、自殺、最後の一つは音楽。

宗教は「生きる意味」を教え、自殺は「生きる意味」を失わせ、音楽は「生きる意味」を感じさせる。」

「たましいが悟るのが、宗教、たましいがいたむのが自殺、たましいに響くのが音楽。」
「ホスピスのこころを語る」一麦書房 栗林文雄







父再入院

2013-04-12 23:51:33 | Weblog

今朝8時すぎ、母から電話。
また、父の尿がでなくなった。5日に導尿してから、一週間で救急で4回。
診察で、3回の病院通い。
その間に、母の検査入院に二日間つきそい。

尿がでなくなったら、おしまいなので、でなくなったらすぐに病院に行って処理をしなくてはなりませんが、実家にはもう車はなく、母が救急車も、タクシーも使わないで、私を呼ぶので、毎回行きますが、うちから車で30分弱、そこから病院まで車で20分。

今朝は5時前から苦しんでいて、8時半に連絡をもらってそこから、行くともう父はギリギリの状態。病院を確かめて、診察できるとわかって、尿を抜いてもらったのが、10時すぎ。

内科の先生しかいないので、午後の泌尿器科の診察もしなくてはならず、その間に両親を一旦実家に返し、私は牧野に帰ってレッスンをして、もう一度通院。

こんな生活をずっと続けるのはさすがに難しい。
結局、介護保険の相談員の人に言われたように、先生に相談して落ち着くまで入院させてもらうことにしました。

3時に診察を受け、入院が決まって、部屋に入ったのが6時すぎ、それから、実家に帰って入院グッズを取ってきて、実家に母を送り、家に帰ってきたのが、8時半。
もうクタクタ。
看護師さんに、「トイレに頻繁に入ったら、詰まったかもしれないです。」と言ったら、「家庭と違うので、それやったら、夜付き添いをお願いします。」

「またトイレです。」と言われるので「詰まってないかな?」「ベンが出ると言われれたので、」「ベンは出ずに、おしっこの時もいくんです。尿管にしてねと、声かけすると、行かないのですが。」というと、「ご家庭と違うので、そこまでできないです。それだったら、付き添ってください。」・・・トイレに入ってしまってそこで、倒れられるより、声かけたほうが楽と思うけれど、

二言目には、付き添えと。母は心臓検査の際、血管が傷ついて、腕がはれ、経過観察中。
どうしてもと言われれば、私が行くしかないけれど、それくらいなら、家で見て、何かのときには、タクシーか、救急車で病院に行ったほうがまし。それをしてくれないから、大変なのに。
なんだろう?このプレッシャー。
認知症だけでは入院できない。前立腺肥大だけでも入院できない。
これの症状が二つ重なっているから大変になっているのに、それは、それぞれでは入院の対象にならない。しかし、その結果の症状があると、看護が必要とみなされて、介護サービスも利用できない。

病院の好意で特別に入院させてもらうしかない。ということらしい。
だから、入院はさせてあげるけれど、看護はしない。ってことなのか?
なんか大変。今日は一日フルートを持てなかった。
家でいてできる仕事で、時間は合ってないようなものだから、できるといえばできるけれど、それをしてしまうと、積み上げてきたものも失ってしまう。

普通の9時~5時までの仕事なら、はじめから仕事をやめないと介護できない。主婦がいないと、成り立たない高齢者介護なら、介護保険があっても、意味がないよなぁ。
しかし、今は社会のことより、何より私が疲れた。


介護申請

2013-04-11 22:18:32 | Weblog

山茶花、色も香も。ツバキ亜科ツバキ属には、ツバキ、サザンカ、チャノキ、ヤブツバキがあって、サザンカ以外は、『花弁の基部は合生し、多数ある雄しべとも合生する。』のが特徴って、なんのこっちゃ!
雄しべがたくさんあって、くっついていて花びらともくっついているってことらしい。それが、ツバキ、チャノキ、ヤブツバキで、サザンカはくっついていないってことらしい。
ツバキ属は、30属500種類あるそうです。

母が退院する時に、先生に父のことを相談したら、T病院の受け付け横に地域包括センターというのがあって、介護保険の申請のお手伝いとか、してくれるらしい。

実は、先に私は物忘れ外来に電話して、いろいろ聞いて知っていたのですが、母は「わかった、わかった。」と言いながら、一向に動こうとしなかったのでした。

先生に、話しているのを聞いても、状態を話した後「でも、そうひどくはないんですけどね。」とか。

包括センターの相談員の人にも、「さしあたって、困っていることはないですか?」と改めて聞かれると「うーん、別にそう困ってはいないんですけどね。」とか、言い出し、支援を受けたいのか、受けたくないのかよくわからないことを言い出します。

その日の内に、相談員の人が、市役所に言っておいてくださるということで、お昼を食べて市役所に回ることにしました。
「介護保険証がない。」というので、実家に取りに帰り、市役所に行って窓口に座って、介護保険証をだしたら、「あら、私のだわ。間違えた。」と母。

市役所で話しているのを聞いていると、「突拍子のないことをいいだしたりしますか?」「いえ、そんなこともないですよ。」・・・て、「一年以上も前に、免許を返して、車もないのに、私を送っていこう。といったりしますよ。」と私が言ったら「そんなことあったん。しらんかったわ。」そんなことない。母自身が、父から車で病院に送って行こうと言われたといっていたのに。

ああ、そうか。と気づいて、「父に介護が必要になってきたということに、私たちもまだ心がついてきてないんです。」と、私が相談員の人に言うと、母は「そうそう。ちょっと、まだ、そうなんかなぁって気がして。気持ちがついていかないんです。」

ああ、そうだったんだ。
「気持ちがついていかなないんですね。わかりますよ。」相談員の人が穏やかに受け止めてくれたので、少し話して、「とりあえず、紙パンツの代金をもらえるから、申請だけしよう。」と、申請書を出してきました。

毎日、時は経って、少しづつみんな年老いて行きます。でも、当たり前のように、今あるものが、ずっと将来も変わらずあるように、思ってしまうのです。
少しずつ変わっているのに、ある日決断をしなくてはならないことができ、突然の変化のように感じるのです。

覚悟はあると、漠然と思っていても、いざ直面してみると、選択を迫られ、動揺する。
力のあるものが、しっかりしなくちゃ。


椿と母の検査

2013-04-10 21:43:06 | Weblog

椿のエキストラバガンサ。椿というと、和。赤。という私の思い込みは強いです。
オペラの「椿姫」で、ヴィレッタがアルマンに送ったのは白い椿。

原題の「ラ・トラヴィアータ」は、道を踏み外した女という意味で、高級娼婦のことです。
月の内、生理の日は赤い椿をつけ、ほかの日は白い椿を付けて、客をとっていたそうです。

蔑まされ、社会の底辺にいながら、誇りたかく生きる女を描いたデュマの戯曲に感動したベルディによって作られ、1853年発表されました。

それが、日本では節を曲げず潔く首を差し出す武士のプライドを表す。象徴的な花。

命懸けのプライドというところでは、通じるところがあるのかもしれない。

今日は、母が心臓の検査。
一昨年から3度目。
朝から、母を病院に送り、つきそいました。
今回は、父の状態が良くないので、両親と同居する長男に、仕事を休んでもらい、父の世話をしてもらいました。

しかし、ずっと夜勤の彼は昼間の世話はつらそう。
それでも、夕方帰ると、朝ご飯と、夕ご飯に雑炊を作って食べさせ、お昼はコンビニおにぎりと、なんとか、無事に過ごしていました。

前二回はステントを入れて血管の補強をしなくてはならなかったのですが、今回はカテーテルを通してみただけで、入れる必要はなく、「今回は大丈夫。」と先生の言葉にほっとしました。

明日には退院できるそうです。よかった。


子育てサロン4月

2013-04-09 22:58:44 | 子ども

子育てサロン4月。
4月になると、初めてサロンに来る親子が多くなります。3月まで来ていた子どもたちの何人かは卒業し、入れ替わりです。
新年度のサロンの始まりです。
荷物が多かったので、同じ敷地の小学校に車を置かせてもらいました。小学校の教頭先生は、昨年にに引き続き留任です。「どうぞ、どうぞ。」とにこやかに車を誘導してくださいました。

荷物をもってサロンの会場に入ると、いつも片付けるのが大変な会議用の長机や、椅子がほとんど片付いていました。
片付けてくださったのは、コミュニティの役員の男性お二人。
マットを敷いたり、場をつくたっりして、サロンが始まる頃には、いつも帰ってしまって子どもたちの前に出ることはありません。
ほかにも、フルタイムで仕事をしているからと、チラシや、ポスター作りだけをしてくれているスタッフ、夜の役員会を引き受けてくれているスタッフ。
子育てサロンは、いつも現場に出ているスタッフのほかにも、色々な人に支えられています。

今回のメインはこいのぼり作り。
土曜日に作ったキットを渡して、色紙を数枚、クレヨン、マジック、のり。
同じ素材で、こんなに色々な鯉のぼりができました。



端午の節句までは飾ってくれるかな?

他には、ピアノを弾いて、音楽が止まったら、赤、緑、黄色、青のカードをランダムに出して、出た色のマットの上に乗ってもらいます。
はじめはゆっくり、恐る恐るやっていたお母さん、子どもたちが、だんだん早くなる音楽に、足取りも軽くなって、大笑い。

私のまずいピアノでも、足取りが合うのが、感動です。
リハーサル無しでも、「これは、なにかな?」Tさんのカード出しとも、だんだん呼吸があってくるのも、音楽の効果かな。
子どもたちは、すぐ共鳴してくれるので、場はすぐに活性化します。
音楽はツマで、共鳴、共感するための道具なんだなぁ。ということを、毎回実感させられます。
こういう楽しさが伝われば良い。

今回も来てくれてありがとう。楽しかったね。


こいのぼり作成と、父

2013-04-08 21:47:38 | 子ども

土曜日、子育てサロンで子ども達とお母さんたちに作ってもらう鯉のぼりのキットを作成しました。
牛乳パックを上から対角線に縦半分に切って、半分を額にして、切れ込みを入れ、残りの部分を鯉のぼりの形にして、好きなようにウロコを貼ってもらい、切り込みに差込み、カブトをかぶった子どもの顔を飾ります。


サロンにくる子どもたちは小さいので、ウロコにする折り紙をちぎって、お母さんに手伝ってもらいながら、貼る作業をしてもらおうと思っています。

月曜日風邪が治って退院した父が、尿がでなくなり、金曜日の朝に病院に連れて行き、先生に見てもらったら、導尿しなくてはいけなくなりました。
管がなぜついていて、抜いてはいけないと何度説明しても、5分したら、忘れる父は、一人にしておけず、母が留守の間、家で見ていましたが、夕飯の支度をしている5分ほどの間に抜いてしまい。
また、病院へ。
救急外来で専門外の先生が見てくださったので、看護師さんが心配して、「もし、よかったら、あす土曜日午前診のある泌尿器科で見てもらってください。」と言われたので、実家に泊まり、土曜の朝、牧野のS病院へ、

CTと、血液検査をして、3時間待って診察。昨晩のいきさつを話していると、途中で、「何言っているのかわからない。」「何しに来たの?」「月曜日にそっちの先生が見てくれるんでしょう。なんにも出来ることないから。」「セカンドオピニオンなんてあんなばかな制度ね。」
CTの画面をみたまんま。患部どころか、顔も見ようとしない。
「認知症の検査もしていないし、検診にも連れて行ってない。」と母を責めだし、たまらなくなって、私が、「それでは、血液検査とCTでは、とりあえず、月曜日まで大丈夫ということですね。」
と言ったら「そうですね。炎症があるから抗生物質だしますか?」

後で、会計でみたら、3500円位、「ビオフェルミンも書いてあるわ。あれはもう出てるのに。」と母がいいます。なんの薬を飲んでいるかも聞かれなかったし、ビオフェルミンを出すともいわれてない。抗生物質は出ていないからいいかと思ったけど、あの診察でと思うと、ガックリ。

「大丈夫、専門外の先生も、ちゃんと処置してくださってますよ。」の一言だけで、安心したのに。

ドクターハラスメント。ってこういうことかと、思いました。

初めに処置してくださったT病院では、「セカンドオピニオン宣言」というのが、エレベーター横に貼ってあって、「私たちはセカンドオピニオンを求めることを、おすすめします」と書いてあります。

両親を、送るのは夫にしてもらい、そのまま、自宅でこいのぼり作り。
サロンのみんなに、話しをきいてもらって、少し、気持ちが楽になりました。

しかし、日曜日1時すぎ、寝る前になって携帯を見ると、母からメール。「夕方、お父さんが、尿が出なくなって救急車を呼びました。病院で尿を抜いてもらって楽になりました、なんとかもってくれるといいのですが。」
時間を見ると19時半。
寝てたらいけないと思いメールで返信しまいしたが、返事なし。

早朝、目が覚めて、6時ころに仕事から帰っている長男に電話。「大丈夫やったみたい。」と短すぎる説明。
今日は妹が病院に連れて行ってくれるので、大丈夫何かあったら、電話してくる。と、言い聞かせて一日を過ごしました。
結局電話がなく、夜になって聞いたら、「大丈夫。」ただ抜いいただけでなく、何度も引っ張っていたようで炎症とハレがひどく、収まるまで、様子を見るしかないみたい。
引っ張るのをやめさせることなんかできないよなぁ。いくら言っても忘れるんだし。
どうしようか?


検証マスタークラス

2013-04-04 21:26:56 | レクチャー、マスタークラス

オオイヌフグリは、まだ健在です。子どもの頃、よく遊びました。春だなぁ。

フェランディスの余韻に浸っています。
昨日聞いたタキタキシビリから、タファネル、ムチンスクを演奏してみます。

耳の記憶、体、言葉、雰囲気、空気。

fのプールは、聞いただけではよくわからなかったけれど、イメージして吹いてみると、気分だけでなく、体が変わります。力を入れるのではなく、力を感じる。って感じかな。

空気が先にあって、空気に音楽を乗せる。言われたとおりにできているかどうかは、わかりませんが、とにかくそう思ってやってみる。

息の長いスタッカート。スタッカートの音を、長い音符にして、普通のメロディを吹いてみるようにやってみます。
ミニョンの、同音のスタッカート。その後に続く、ハギレのいい旋律、前より一つ一つの音が響く気がします。

歌うバッハも、バッハをこんなに自由に吹いてもいいんだ。同じようには吹けませんが、前よりずっと楽しいです。

片足をカクンと出してみると、左足にすごい力を入れて立っていたことがわかりました。
片足を、上げて吹いただけで、息が深くなっています。
それから、右足でやったり、左足でやったり、だんだん、両足にそれほど力を入れなくても吹けるようになってきます。
このまま、しばらく続けてみようと思います。



ジャン・フェランディスマスタークラス&ミニコンサート

2013-04-03 22:42:04 | レクチャー、マスタークラス

マルチアナ・ルブラ 椿は冬だけのものではありません。古今東西の人に愛され、たくさんの品種が元気に咲いています。

今日は、ジャン・フェランディス マスタークラス。
曲はタキタキシビリの「ソナタ」。タファネルの「ミニョンのファンタジー」、ムチンスクの「3つのブレリュード」

フルートを吹く前に身体を自然に自由にすること。
自由というのは、全く力を抜くことではありません。
まず、椅子に座って、手を叩いたらできるだけ早く立つ。ということを練習しました。
腰の後ろ辺り全体を楽にして座っていると、早く立つことができ、立った後、戻る感じがします。
その姿勢で吹く。
背中を自由にするための練習です。

また、骨盤の両サイド辺に手を当てて、ここを自由にすること。開くこと。ここで吹く。
そのために、まっすぐ立っていて、カクンと、片足の力を抜くと、膝が前に出て、踵が上がります。
こうすると、息が足から上がってくるそうです。
通常、人は両足が同じ長さの人はいず、片足が短いそうです。こうすることで、股関節が開き、空気が腹のしたの方まで入るということです。

普通フルートのフォームを取ると、右足を引きますが、彼は、まっすぐ自然の形で立ち、この片足を上げたフォームで吹いてもらっていました。
しかし、ずっとその形で吹くわけではなく、要は、股関節を開き、背中を自由にして吹くことを知るための練習です。肝心なのは、自由に動けること。

デストライアングルといって、首の後ろ、両手が、フルートを吹こうとすると、固まって動かなくなりやすい。それを解消するために、両手をフルートをもって、頭の上に上げてから、口の前に持ってきたり、首を左右に振りながら吹いてみたり。いろんなことをして見せてくれました。

こんな言い方もしていました。口は小さく、身体の空気がフルートと出会う。
歯と歯のあいだにも空気が通る。
魚のように口をパクパクさせる。力が入っていない。

fは、空気を軽くして吹き、力を抜き、開放し、pは身体の支えが必要。

fとpを吹けるフルーティストはいるけれど、ffとppが吹けるフルーティストは少ない。
どうすればいいのか?

手を叩いて、pp p mp mf f ffとやってみました。
手が痛いです。そのようではなく、ここがプールだとします。mfのプールは、両手を身体の前で構えて、つかみかかるような感じにしてから、手を叩きます。
それから、fのプール。両手を、肩の上にあげてやはりつかみかかるような感じでやってみてから、パン。そして最後、ffのプール。両手を頭の上に高々と上げ、モンスターがつかみかかるようにしてから、パン。ちゃんとffに叩けます。

スタッカートは、できるだけ長い息を吐いているつもりで。

息をたくさん吐いて。低音を吹く時も、下に向かって吹かず、真ん中に向かって吹く。

マスタークラスの後ミニコンサート。
無伴奏 エマニュエル・バッハのAmoll
福島和夫の冥
アンデルセン エチュード op15 3
ドビュッシー シリンクス

バッハは歌い。冥は尺八のよう、アンデルセンは早いパッセージを吹きながら、シャンソンのようにテーマが聞こえ、シリンクスは、パーンのよう。
アンコールは、バッハのアルマンド 初めシャンソンかと思いました。

どの曲をやっても、歌う、フルートではなく、あなたの体が歌うのです。と言われいていました。

終演後、私の顔を見て、握手してくれました。
「どこかでお会いしましたか?」
「いえ、ずっと毎回来ているので。」
「あー。ファンでしたか。」と肩を抱いてくれました。
顔覚えてくれたのでした。うれしかった。今夜は眠れない。思いがけずミーハーな私でした。



 


ピアノ合わせ

2013-04-02 21:53:13 | 音楽

ミヤマツツジが咲き出しました。やっぱり4月になると違います。

今朝は、ピアノのKさんとアンサンブル練習。
Kさんと合わすと、紅茶と、お菓子を飲み終わったら、すぐ初め、後は、休憩もしゃべりもなく、ガンガン弾き続け、3時間ほど、やったら「ありがとう。楽しかったわ。」と時間ギリギリまでやってお開きです。

バレエをやったり、声楽をして、体を鍛えている人なので、とってもパワフル。

私も一緒にすると、エネルギー3割増位にしないと追いつきません。

しかも、今日の曲はドゥメルスマンのオベロンファンタジーから始まります。
ヴィルトゥオーゾの超絶技巧で、15分位、吹き詰め。
しかし、2回目なので、今度は細かいタイミングを詰めて、もうちょっとまともに演奏できるまで、やって、録音しました。
オペラのファンタジーはテーマがいくつかあって、テーマごとにテンポやリズムや調性が変わるのがあたりまえ。だからこそ、聞いていても楽しいのですが、変わるたびにピアノとタイミングを合わせるのが課題です。
バッチリ、二人であうと気持ちいいのですが。

オペラの空気をよく理解しているKさんは、ダイナミックでおもしろい演奏をします。
私は、その波に乗っていけばいいのです。
しかし、途中で、早いパッセージのF♯があたりません。後で、菅を見てみると、タンポの調整がうまくない。また、調整に出さないといけません。

これで、終わりかと思いきや、タファネルの魔弾の射手のファンタジー、モーツアルとのフルートとハープのためのコンチェルト、フランクのソナタと、大曲をこれでもか、と弾きまくり、帰りにライネッケのウンディーネのソナタを持って帰ってくれました。

病み上がりで、ぼーっとしていた体が、いっぺんに目覚めました。

父も帰ってきたし、4日間吹けなかった分、吹く気まんまん。明日はSさんと。力が復活してきました。


春のジョイントコンサート

2013-04-01 22:16:10 | コンサート

桜の花が満開です。入学式までもつかな?
日曜日、いずみホールで、生徒さんが所属するコーラスグループのコンサートがありました。
歌はいいなぁ。

先週から絶不調。木曜日に父が入院し、その風邪をもらって、夜から熱。薬を飲んでおさえながら、金曜日にはセミナーにでかけましたが、夜から下痢。3日間飲まず、食わず、食べても流れる。
その中を、押していった甲斐がありました。

指揮をしている高嶋昌二さんの、指導しているコーラスグループ3団体の合同コンサートでした。
出演はコーロねこやなぎ、今城エコー、ひらかた男声合唱団。

歌はいいですね。
言葉があるので、直接に訴えかけてきます。

「手をください、目をください 足を…という人もあるけれど、私は見えないことなんか気にしない 目をくださいとは思わない ・・・」持田美晴さんという目の見えない女の子が作った歌詞に曲をつけた「空飛ぶうさぎ」。

「目が見えなくても 人の話を聞いたり 触ったり嗅いだり ほんとうにみるよりも もっともっといろんなことを 思い浮かべることができるんだもん」

「いつかうさぎが空をとぶことができると思い 人に笑われたこともあるけれど すごいねって言ったひともいた」

高田敏子さんの「夕焼け」
「夕焼けは ばら色 世界が平和なら どこの国から見ても どの町から見ても 夕焼けはばら色
夕焼けが 火の色に 血の色に みえることなど ありませんように」

大地を歌った曲もありました。「福島の土地のことを思う」と高島さんはおっしゃっていました。
「私たちは覚えています。被災地のことをわすれません。」ということを示し続けることが大切なのだとおっしゃっていました。

意義のあるコンサートになりました。