今日は仕事で立川市の方へ行く機会があり、午前中で仕事を片付けて自宅へ戻るべくJR立川駅へ向かっていました。このまま帰宅のつもりでしたが北口の改札へ向かう途中に高幡不動駅からやって来た京王バスの姿を見掛けて、府中市交通遊園に置かれている京王バスの事が頭をよぎり寄り道して約10年ぶりに足を運びました。
府中市が運営するこの交通遊園は郷土の森の一角に所在しており、実際に稼動するな信号機や横断歩道などを設置し遊びながら交通ルールを学んでもらおうというコンセプトのもと開設されました。似たような公園は都内を始め全国にあるので、一度は行ったことがあるという方もきっと多いのではないでしょうか。今回の訪問の目的は、ここに2011年から遊具として設置されている京王バスの車両です。
京王線・JR南武線の分倍河原駅からバスに揺られること12分、終点停留所の郷土の森総合体育館の目の前が交通遊園なのですが行きのバスの車窓からも目に付くのがこの京王バスの車両。正確には京王バス東の中野営業所に在籍していた日産ディーゼル車・KC-JP250NTNで、所謂中型ロング車です。この車両が来るまでは公園の入り口付近に、いすゞ自動車のキュービック(P-LV314N、1987年式)の3扉車が置かれていましたが公園のリニューアルで撤去されることになり、経年の新しい低床車ながら代わって2011年にやって来ました。ワイパーやナンバープレートが外されていることを除けばPASMO取り扱いステッカーが残されていることもあり現役時代そのものですね。場所柄か、方向幕は府中営業所のものに交換されています。
後方から。車椅子スロープや各種標語のステッカーまでそのままになっていました。正面は武蔵小金井駅行きでしたが、こちらは健康センター行きの表示にを出しています。前にジャングルジムが見えなければどこかの停留所に停車しているように思えてしまいます。地方からの引き合いがありそうなバリアフリー対応車を売却せずに寄贈してしまう辺りずいぶん太っ腹ですが、この車にしてみれば「なんで俺はこんなとこに連れて来られたんだ・・・?」とか思っていたりして(笑)
車内の様子。扉を固定する錠前付きのチェーンがこの車両が遊具であることを印象付けますが、これが無ければ今にもエンジンを掛けて走り出しそうです。ここに設置されてから時間が経っているものの、座席のへたり、汚れや部品の目立つ欠損などもなく非常に良好でした。料金機や停留所名表示器はさすがに撤去されていますね。メンテナンスもしっかり行われているようで、座席に座ると発車待ちをしているような感覚になり10分ばかり和んでしまいました。
運転席。ご覧の通り、一部スイッチ類が取り外された以外は良い状態を保っており、車号のプレートも残されています。ただ、遊具ということもあり小さな破損が見られるのは少々残念でした。
所謂中型路線バスはタイヤが小さく低床化が若干の改造で可能だったことから大型路線車よりも早く、1989年に誕生し日産ディーゼルから販売されました。1992年には中型ロングの原型になる車両が西日本鉄道で導入され、まだこの時点では試作的要素があったものの、その後更なる改良で1994年には更に床を低くした量産モデルというべき車両が販売開始になり大型の低床車やリフト車は非常に高価で導入が難しかった1990年代当時、安価な低床車として路線バスのバリアフリー化に大きな貢献を果たしています。当時低床化に熱心だった京王バスでも大量導入され、一時期の京王バスグループの象徴的存在でした。現在は全ての自動車メーカーで中型ロング車の生産は終了し、写真の車両を製造した西日本車体工業もバスの車体製造から撤退、さらに日産ディーゼルはUDトラックスに社名を変更し全ては過去のものになってしまいました。近い将来、中型ロングが都心から姿を消した時に過去の遺物としてあらゆる意味で貴重になるであろうこの車両、末永くこの地で保存されることを願いたいものです。
さて府中市交通遊園の保存車で有名なのがコレ、都電6000形6191号車です。一時期京王5000系や6000系を思わせるような色になり、その後荒廃が進んで行く末が心配されましたが有志の手で整備され美しい姿を取り戻しました。行先方向幕も取り付けられ、浅草雷門の表示を出しています。車内はまだ整備中でしたが、完了して再び公開される日が楽しみです。
反対側は銀座行きでした。この車両の修繕活動の顛末が掲示板に掲げられていましたが、6191号車の所有者だった東京都交通局を始め京王電鉄の子会社で鉄道車両の整備・改造を行う京王重機の他、名古屋鉄道も名を連ねていました。折角保存されても、手入れが行き届かず朽ち果てて撤去の道を辿る車両も多い中、本当に幸せな個体と言えるでしょう。