今月下旬の引退を控えた京急2000形ですが、運用終了に先駆け本日は団体貸切列車が運転され、その様子がマスコミでも報道されるなど、フィナーレに向けて盛り上がりを見せています。
初代600形に代わる快速特急用車両として、1982年に登場し有料特急にも劣らない高品質な車内設備で京浜急行のイメージリーダー的存在だった2000形ですが、1998年に2100形の登場で通勤用3扉車に改造され現在の姿になり、エアポート急行設定以前は朝夕ラッシュ時間帯のみの運用で、日中の列車への充当はありませんでした。
都営浅草線に直通が出来ず、自社線内のみでしか運用出来ない為運用列車も限られていましたが、2010年の新逗子~羽田空港間へのエアポート急行新設に伴い、京急線内のみで完結する優等列車ということから2000形が中心に充当されるようになったことで、再び昼間にも活躍する姿を見れるようになりました。
大改造で集団見合い型固定クロスシートから、3扉ロングシートになりましたが不自然な窓配置や横引きカーテン、車端部に残存するボックスシートなどにかつての優等列車用車両の面影を残していました。3扉ロングシート化改造は1998年から開始され、改造に当たっては側面のドア増設部分を切り取り、新たに製造した戸袋と開口部のユニットを嵌めて溶接する大掛かりな内容でした。片持ち式シートや大型仕切りの設置で、その後の新型車と比較しても遜色無い空間になっています。
改造を受けても、見晴らし抜群な先頭の座席は健在で、こちらは新造当初から設置されている為小型の袖仕切りと蹴込みを備える通常のロングシートでした。
2100形の計画が持ち上がった当初、2000形は走行機器の老朽化が懸念された為に大規模な改造・修繕は行わず直接廃車にする案もあったようですが、結局は通勤車に改造され旧1000形初期車や700形の置き換えに充当されることになり、改造から20年もの長期に渡り活躍する事となりました。晩年には国際化で急速に発展を見せ、名実共に日本の玄関口となった羽田空港へのアクセス列車という大役を担い、これ以上無い幸せな生涯だったと言えるのではないでしょうか。欲をいえば、トップナンバーのデハ2011号車だけでも保管を期待したいところですが、果たしてどうなりますか・・・。