町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

城下駅に展示された東急5200系(上田電鉄5200系)

2020年10月01日 | 東京急行電鉄

北陸新幹線と接続する長野県の上田と別所温泉を結ぶ上田電鉄は、20191013日に発生した台風19号で千曲川橋梁が崩落し、上田〜下之郷間が不通となっていました。同年1116日には城下までの運転を再開し、22日には2021年春の運転再開を目指す旨発表しました。今年1月には上田市より橋梁を市有化し、復旧工事を支援する計画も発表されています。集客の一環として、下之郷に保管している5251号車を城下駅ホームで展示するという企画が7月23日から9月27日まで2か月に渡り実施されました。

1986年に上田交通(当時)入りし、後継の7200系が導入される1993年まで活躍しました。電動車のデハ5201は東急に里帰りし長津田検車区で保管された後、生まれ故郷の東急車輛製造(現在の総合車両製作所)に移設され機械遺産認定を受けたのは周知の通りですが、電装解除を行い制御車化されたクハ5251も解体されず保管され、アルピコ交通からパンタグラフを譲り受けて装着し東急時代に近い姿にされています。倉庫として使われている為か、床下機器は全て撤去済みなのが惜しまれます。

5200系は日本初のステンレス車として1958年に登場し製造から62年、引退してからも27年の歳月が経過していますが、全く劣化している様子が無く輝きを放っている姿は如何にステンレスが堅牢かを物語ります。

1001編成と並んだ場面。ライト類が点灯しているせいで、あたかも交換待ちの為に停車しているかのように見えます。東急1000系の初登場は1988年なので、実際には5200系と東急時代も並ぶことはありませんでした。

おまけに別所温泉駅近くで保存されているモハ5252号車。上田温泉電軌時代の1928年に登場し、1986年の架線電圧1500V化まで活躍しました。楕円形の戸袋窓から分かるように丸窓電車として親しまれた車両で、昭和末期までこの形態を残すのは貴重な存在として知られた存在でした。登場時はデナ200形を名乗り、1950年にモハ5250に改称しています。その為モハ5251という車番が設定されたことから上写真のクハ5251は2代目ということになります。

千曲川橋梁崩落という未曾有の大災害に見舞われた上田電鉄ですが、復旧に向けての工事も進行しつつあり、今から来年の春が待ち遠しく感じられます。次は全線復旧後に下之郷で5251号車の姿を見たいですね。

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