E231系の転入により置き換えが進行していた武蔵野線の205系5000番台が10月19日の01E運用を以て定期運用を終了しました。これにより、長らく通勤輸送の主力だった205系は東京都心部から撤退になりました。
最後まで残ったのはM20編成ですが、走行中の写真が無かったので類似の編成を組むM5編成で代用です・・・(汗)両端のクハ205・204-31は元山手車31編成、モハ205・204-5033は山手車59編成、サハ205-206・207は川越車15編成、モハ205・204-5040は山手車60編成と元の編成が異なっているのが特徴で、2005〜2006年に検査周期の都合からM17編成と2・3号車を、M20編成からは6・7号車を交換した為にこのような組成になりました。2020年1月25日に運用離脱し現在はインドネシアのジャカルタで編成組み換え工事を受け活躍しています。
南船橋駅で折り返しを待つM20編成。武蔵野線の205系で最終編成になりました。M20編成の両端先頭車はクハ204・205-5で1985年に側面窓をラッチ式二段窓から下降式窓に設計変更した量産車の第一陣です。1990年代以降、急速に車両の置き換えサイクルが早くなったJR東日本管内の車両で登場から引退まで都心乗り入れを35年に渡り続けたのは実に強運な車両と言えます。
元山手車と川越車の大きな差異であるドア窓の違いが分かる場面。分割民営化からしばらくの間は新型車を開発する余裕が無かった為、国鉄時代に設計された車両に若干のアレンジを加えて増備する動きが見られました。ドア窓を拡大した205系0番台はJR東日本特有の車両で、ステンレス車体と相まって同世代の私鉄の通勤電車のような印象になりました。
車内は前回に掲載した編成と同じです。小窓が特徴の元山手車は残すところ南武支線と鶴見線、仙石線に残るのみとなりました。仙石線については2024年以降のE233系への置き換えが発表され、既に先が見えています。
埼京線・横浜線・南武線の205系置き換え時には直接廃車にされた編成も多数存在しましたが、今回の5000番台はJR東日本の海外支援の一環で1両も廃車を出すことなくインドネシアのジャカルタへ渡ることになりました。彼の地でも今やVVVFインバータ制御車が主力になり、5000番台も広範囲で運用されていますが、インドネシア政府からの規制がある中で空前絶後の大量譲渡をよく完遂したと思います。先に渡った0番台車と共に末長い活躍を願いたいですね。