東急の電車と云えば引退後も地方私鉄に積極的に譲渡される為、南は九州の熊本から北は青森県の弘前まで全国に足跡を残し、初代3000系列からステンレスカーのパイオニア7000系まで比較的現存する個体が多く、中には譲渡先により保存されているケースすらありますが自社による保存車は会社規模に反して非常に少なく、過去に保有していた保存車や、保存前提で残存していた車両も売却ないし解体されてしまっています。
その中でも旧玉川線でスター的な存在だったデハ200形電車は、204号車が多摩川園駅(現在の多摩川駅)に据えられ遊具となっていました。その後高津駅高架下に電車とバスの博物館がオープンすることが決定すると展示物に加えられることになり、数少ない東急自身が保存する車両になっています。
久々に電車とバスの博物館が土日の営業を再開したのでデハ200を観察して来ましたが、下周りに板が設置され特徴的だった台車が見られなくなってしまいました。
車内も以前訪問した時と変わりませんが、コロナウイルス感染対策で座席に区分がされていました。丸っこい断面が特徴的な車内ですが、木造の部品が見当たらないことや東急では初採用のワイドな両開き扉、天井部の冷房にも見える送風ファン(塞がれている丸い箇所)の跡から、現在の世田谷線を走っても違和感が無さそうな印象です。世田谷線散策きっぷの子供用の券面には現在の車両である300系と離合する絵が描かれてましたね。
200形の説明板。玉川線で営業運転を行っていた頃の姿の写真があります。この当時は木造車体や扇風機さえ備えていない車両もいた中では相当に先進的だったんでしょうね。
本形式は1955年の登場ながら航空機の技術を応用した軽量車体に小径車輪による低床・ステップレス化された車内やドア開閉と連動する可動式補助ステップなど、現代のバリアフリー思想やLRTにも通じる思想が盛り込まれており大変驚異的で保存対象に選ばれるのも当然といえますが、やはり残念なのは玉川線〜世田谷線で長年主力形式だったデハ70・80・150形が1両も現存していないことに尽きます。もしも、どれか1両でも保管されていて、並んで展示されていたら・・・と考えると惜しくてなりませんね。