町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

初代スカイライナーAE形の遺志を継ぎ活躍する京成3400形

2021年05月28日 | 京成電鉄

日本では初となる空港連絡特急として登場した初代スカイライナーAE形は、1990年に2代目特急車となるAE100形登場後も登場以来の6両から8両編成への組み換え工事を実施し共に活躍を続けました。しかし老朽化とサービス向上の為、1991年からもAE100形を増備し置き換える事が決定されます。しかし、車体は傷みが見られたものの、走行機器の状態は良好で十分に再利用が可能であった為、これらを活用して普通鋼製の車体を新造し3400形として1993年〜1995年に種車と同じく8両編成5本の40両が再デビューを果たしました。

外観は当時最新形式であったステンレス車の3700形をそのまま普通鋼製にしたようなデザインで、ライトグレー塗装をベースにヒューマンレッドとフューチャーブルーの帯を巻き、他形式とイメージを揃えました。何れの編成も書類上は新造ではなく初代AE形を改番の上で改造を実施した扱いになっています。

エアポート快特で京急本線に乗り入れる3400形。都営浅草線直通対応車として改造された本形式は先頭車を電動車にしている為、京急本線にも直通を可能にしており定期運用では空港線羽田空港まで乗り入れを行っています。過去には京急久里浜線三崎口まで入線した実績もありました。

基本的には37001次車に準拠している車内設備。しかし、改造種車は界磁チョッパ制御である事から床には主電動機点検蓋がある他、京成では車椅子スペースを初めて設けました。座席のスタンションポールは後年に設置されたものです。

ドア上には3700形と同様のLED表示器を設置しています。3700形は今後も長期使用が見込まれる為、LCD化改造が施工されましたが廃車が始まっている3400形はLEDのままとされています。

成田空港といえば、開港に至るまで地元住民からの反対運動や過激派の三里塚闘争で大幅に遅れ、開港後もその影響が続いた事は余りにも有名ですが初代AE形もそれらの社会情勢に翻弄され、登場から長らく試運転もままならず留置状態が続き空港特急として活躍したのは僅か13年程度で、特にAE29編成は一度も運用に入れず過激派の放火に遭いそのまま廃車(新造中だった第7編成を急遽2代目AE29編成に改番して穴埋め)になってしまうなど実に不遇な生涯でしたが3400形に生まれ変わってからは本来の使命であった成田空港アクセスの他、新たなハブ空港としての地位を確立している羽田空港への乗り入れも果たし、大車輪の活躍を見せるようになりました。現在は老朽化の為に3408編成が廃車になり置き換えは続行されると思いますが、今のうちに往年のスカイライナーを彷彿とさせる走りを存分に楽しんでおきたいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする