二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

「Always三丁目の夕日」記念

2005-09-01 21:59:33 | 「三丁目の夕日」「続・三丁目の夕日」
まだ公開は先ですが、せっかく「昭和」で盛り上がってる「Always三丁目の夕日」キャンペーン(?)に便乗し、これからしばらく、「おいらの中の三丁目の記憶」を思い出してみたいと思います。(ただし、昭和50年代です(笑))

。。。思い起こせば、7丁目だった(笑)小2の春まで住んでた下町は、今になって調べれば、帝釈天が近い近い!江戸川区って葛飾区のとなりだったんだなぁ。。。でも、あちらは「観光地」ですが、おいらんとこは、もろ「下町」居住区でした。今でも、小学校の校歌歌える。「筑波の山のかすむ日も~♪」

さて、一番覚えてるのは、チャルメラ吹いて自転車でやってきた豆腐屋さん。夕方になると「トォーフィー」って、少しもの悲しいチャルメラの音が聞こえてくる。それが聞こえると、母親が「はい、このボウルにお豆腐入れてもらってね。」っつって、小銭とボウルをくれるんだ。おいらが長屋から出てくると、近所のおばちゃんたちや、おいらのようなおつかいの子供達が、手にボウルやお皿を持って、立ち話をして待っている。そこへ、豆腐屋さん登場。荷台には大きな箱。その中には水が張ってあって、豆腐がゆらゆら入っている。確か、豆腐そのまんまだったんだよなぁ。。。パックになってなかった気がする。それを水ごとほいっと入れてくれて、おいらは小銭を渡して、後はこぼさないように、家まで運ぶのだった。

こんな経験した人、おいらの年代にはあまりいないみたいだ。昔話すると、同級生と全然話が合わんもの。なぜか10歳ぐらい年上の人とものすごく生育環境が似ている気がする。う~ん、タイムスリップしてたのか?おいらの夕日町は。。。

ちなみに、豆腐屋さんがやってくる道は、石の混じったコンクリ道路でした。長屋の前は当然土。よく泥遊びをして、親に怒られました。(住宅の配管を掘り出したり、工事中のセメントで泥団子作ったり、ろくなことしなかったもんな。。。)

てなことを、すんごく思い出した「Always 三丁目の夕日」予告でした^^
コメント
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