今日の「休日のバッハ」は、マニフィカトBWV243より、第3曲のソプラノのアリアです。
オーボエ・ダモーレに導かれて、「この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」と歌う叙情豊かなソプラノが印象的です。
亡き妻は非常に感受性が鋭い女性でした。人の心の内を見抜く能力にも相当に長けておりました。それが、どれだけ我が身を振り返らせたことか。
ある日の薄暮、ジムから帰ってきて車を降りて、玄関先で妻とやりとりをしている男性の姿を見たとき、確かに(物売りか何かだろうかと)どこか胡散臭い心の眼をその男性に向けている自分がありました。10メートルほど先の筆者のその雰囲気を感受した彼女に、後でこっぴどく叱られました。その男性は、いつも金曜日の午後7時に洗濯物を届けてくれるクリーニング店のご主人だったのです。
人は外見や身分などで差別してはならない、という当たり前のことがいつしか出来ていなかった自分を恥じました。この曲の「卑しい女」というのは、ご想像の通りの女性です。そういう女性でもイエス・キリストは分け隔てなく接したのです。そのことを今日の音楽にしたのがバッハです。このソプラノの美しい歌声は、その卑しい女から、イエス・キリストに向けて、そして当時の人々に向けて差し出されたものです。人々に奢りや濁りのない清らかな心を持つように、この聖書の物語の音楽を通じてバッハは訴えたかったのです。
オーボエ・ダモーレはOlivier DOISE、ソプラノはGaele LE ROIです。
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。
オーボエ・ダモーレに導かれて、「この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」と歌う叙情豊かなソプラノが印象的です。
亡き妻は非常に感受性が鋭い女性でした。人の心の内を見抜く能力にも相当に長けておりました。それが、どれだけ我が身を振り返らせたことか。
ある日の薄暮、ジムから帰ってきて車を降りて、玄関先で妻とやりとりをしている男性の姿を見たとき、確かに(物売りか何かだろうかと)どこか胡散臭い心の眼をその男性に向けている自分がありました。10メートルほど先の筆者のその雰囲気を感受した彼女に、後でこっぴどく叱られました。その男性は、いつも金曜日の午後7時に洗濯物を届けてくれるクリーニング店のご主人だったのです。
人は外見や身分などで差別してはならない、という当たり前のことがいつしか出来ていなかった自分を恥じました。この曲の「卑しい女」というのは、ご想像の通りの女性です。そういう女性でもイエス・キリストは分け隔てなく接したのです。そのことを今日の音楽にしたのがバッハです。このソプラノの美しい歌声は、その卑しい女から、イエス・キリストに向けて、そして当時の人々に向けて差し出されたものです。人々に奢りや濁りのない清らかな心を持つように、この聖書の物語の音楽を通じてバッハは訴えたかったのです。
オーボエ・ダモーレはOlivier DOISE、ソプラノはGaele LE ROIです。
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