中日新聞の夕刊に「偲ぶ」という表題で最近亡くなった方を掲載していました。
その中で83歳で死去された秋山駿(あきやま しゅん)さんという文芸評論家のことが書かれていました。
私は秋山さんの著作を読んだこともないし、お名前も存じ上げなかったのですが、この方は拾った
石ころと対話する生活を送られたとのことで興味を抱きました。
記事から
文芸批評に2種類あると説いた。まず、ある作品の「ここがいい/良くない」という批評。
もう一つは古典から現代までの文学を見すえ、それ自体が新しい文学となる批評。
目指したのは後者。小林秀雄など先人の思想や文章を養分とし、文学を通じて人間の内面を見つめ続けた。
1930年、東京都出身。早稲田大在学中に同人誌で執筆を始め、拾った石ころと対話する生活を送る。
卒業後すぐには就職せず、毎日疲れるまで街を歩いて思索を深めた。
長い親交があった井出彰氏(図書新聞代表)は「敗戦の年に15歳。世の中は信用できない、できるのは自分の内面だけと考え、その内面の形象が石ころだった。石ころに問うように自分の内部に問いかけた」と語る。
人間とは何か、生とは何か。三島由紀夫らに激賞された初期の評論「内部の人間」(63年発表)をはじめ、その自問の答えを一貫して文学に求めた。
50、60年代に起きた東京・小松川女子高生殺人事件の犯人の手記や、連続殺人事件の故永山則夫・元死刑囚の小説からも強烈な「生」の声を読み取る独自の創作を展開した。そこから築いた自身の信条に基づき、子どもも家も持たない生き方を選ぶ。ついのすみかとなったのも東京・西東京市の賃貸住宅。
同じ団地に住む会社員の桶健治さん(49)は長年の愛読者。かって勤めていた出版社で知り合って信頼され、蔵書の整理など私生活の手伝いも任された。
「議論が大好きで『本気で考えろ、今までの知ったかぶりで考えるな』と言われた。それが秋山さんの真骨頂だったと思います。」
今年7月に食道がんが判明しても延命治療を拒み、自宅で悠々と生と死を見つめた。
絶筆は文芸誌「群像」の連載「『生』の日ばかり」(4月号)。
その最後の一言もまた「こんな生き方でいいのだろうか」という自問だった。(三品信)
ツイスト・アンド・シャウト (ビートルズ)
その中で83歳で死去された秋山駿(あきやま しゅん)さんという文芸評論家のことが書かれていました。
私は秋山さんの著作を読んだこともないし、お名前も存じ上げなかったのですが、この方は拾った
石ころと対話する生活を送られたとのことで興味を抱きました。
記事から
文芸批評に2種類あると説いた。まず、ある作品の「ここがいい/良くない」という批評。
もう一つは古典から現代までの文学を見すえ、それ自体が新しい文学となる批評。
目指したのは後者。小林秀雄など先人の思想や文章を養分とし、文学を通じて人間の内面を見つめ続けた。
1930年、東京都出身。早稲田大在学中に同人誌で執筆を始め、拾った石ころと対話する生活を送る。
卒業後すぐには就職せず、毎日疲れるまで街を歩いて思索を深めた。
長い親交があった井出彰氏(図書新聞代表)は「敗戦の年に15歳。世の中は信用できない、できるのは自分の内面だけと考え、その内面の形象が石ころだった。石ころに問うように自分の内部に問いかけた」と語る。
人間とは何か、生とは何か。三島由紀夫らに激賞された初期の評論「内部の人間」(63年発表)をはじめ、その自問の答えを一貫して文学に求めた。
50、60年代に起きた東京・小松川女子高生殺人事件の犯人の手記や、連続殺人事件の故永山則夫・元死刑囚の小説からも強烈な「生」の声を読み取る独自の創作を展開した。そこから築いた自身の信条に基づき、子どもも家も持たない生き方を選ぶ。ついのすみかとなったのも東京・西東京市の賃貸住宅。
同じ団地に住む会社員の桶健治さん(49)は長年の愛読者。かって勤めていた出版社で知り合って信頼され、蔵書の整理など私生活の手伝いも任された。
「議論が大好きで『本気で考えろ、今までの知ったかぶりで考えるな』と言われた。それが秋山さんの真骨頂だったと思います。」
今年7月に食道がんが判明しても延命治療を拒み、自宅で悠々と生と死を見つめた。
絶筆は文芸誌「群像」の連載「『生』の日ばかり」(4月号)。
その最後の一言もまた「こんな生き方でいいのだろうか」という自問だった。(三品信)
ツイスト・アンド・シャウト (ビートルズ)