団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

ラジオを聴いて、昔の光景が目に浮かびました。

2016-01-17 04:51:42 | 日記
 一昨日の朝 車に乗ってスーパーへ向かいながら地元のラジオを聴いていました。
司会の66歳のおばちゃんアナウンサーさんが、相手を務める男性アナウンサーに洗濯物の干し方に
ついて話をされていました。

 「私の子供の頃は今のようにハンガーを使わず、物干し竿に直接洗濯物を通して干していた。
ズボンなんかも物干し竿に直接通して干していた、今から思うと不思議な風景だね」と、言われました。

私も昔の光景を思い出しました。
たしかにハンガーなどなかった。
直接下着やズボンを物干し竿に通したものだ。
それも1つの物干し竿では足らなくて、二段になって干したものだと回想しました。
昔は洗濯機もないので今ほどたくさんの洗濯物はなかったような気がしますが、
子供なのでそのあたりはわかりません。

 このおばちゃんアナウンサーさんが、「その頃はフンドシが干してあったね」と男のアナウンサーに
話しかけられました。

私は「嘘だ!」と声を発しました。
私の家には風呂がなく、近くの銭湯へ行っていましたが
大人の男性のフンドシ姿を見たことはなかったです。
農家のおじいさんがフンドシを着用されているという話は聞いたことがありますが。(笑)
まだブリーフというものはなかったですが、皆さん猿股や白いパンツを履いていたように思います。
私より2歳も年下なのに、「いい加減なことを言うな!」と腹が立ちました。

よくテレビで昔の歌謡番組の年代別ベストテンを放送しますが、
発売された年が違うのに、同じ年に混ざってベストテンに入っていることが多々あります。
昔のことだから気付かないだろうと思っていて放送するでしょうが、
「昔のことでもその時代を生きていた連中は知っているんだぞ」と、言いたいです。

昔は歌のベストテンなんて番組もなく、各レコード会社の発売枚数を調べる機関もなかったので、
ベストテンを出すのが無理かもしれないです。
ただし、昔は誰もが知っている大ヒット曲というものがありました。

私の記憶で言えば、
「憧れのハワイ航路」、「リンゴ追分」、「愛ちゃんはお嫁に」、
「お富さん」、「有楽町で逢いましょう」などなど、
大人も子供も歌えましたね!(笑)






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コメント (22)
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