団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

泳ぐのが、生きがい

2017-09-02 04:55:07 | 日記
 中日新聞の「妻と夫の定年塾」のコラム欄に西田小夜子さんが「魚になる」という文章を書かれていました。

 小学生の頃から、篤子さんは体育が苦手だった。
特にドッジボールが大嫌いだ。
相手チームは、コート内を泣き顔で逃げ回る篤子さんを狙いうちにする。

 先生は「両手でボールを受け取ればいいでしょ」と言うだけで、
キャッチする方法などは教えてくれない。
篤子さんの通信簿の体育に、担任の先生はいつも必ず「二」という点をつけた。

 他の科目に「五」が並んでいても、体育のせいでクラス一番になったことがない。
運動会の陽気な行進曲が家まで聞こえてくると、学校を休みたくなった。

 そんな篤子さんがスポーツ好きになったのは、四十歳を過ぎた時だ。
中学生の息子二人が水泳部で活躍していた。

 「かっこいいなあ、魚みたい」
応援しているうち、何だか自分も泳いで見たくなってきた。
 おそるおそる「女性水泳教室」の見学に行く。
20代も60代も交じって、みんな楽しそうだ。

 小学校の先生とはまるで違い、優しく面白い先生でほっとする。
子どもの時、スポーツが嫌いだった人は「学校の体育は嫌な思い出ばかり」
と言うが、本当にその通りだ。

 水泳を始めて20年、篤子さんは60過ぎた今も、毎週プールで泳ぐ。
ピチピチと「魚」になる。

 定年退職した夫も、篤子さんのすすめでプール通いを始めた。

 「私、飛び魚みたいでしょ」と夫に自慢すると、
「まあ、飛びナマズってとこかな」と笑われた。


  以上です。




 私も体育は嫌いでしたね。(苦笑)
勉強よりも体育がイヤでした。
ところが体育の授業って意外に多いんですよね。
体育のある日は憂鬱でした。

 私はスポーツ・ジムに通っていますが、プールは利用していません。
泳ぎも息継ぎができないので、せいぜい20メートルぐらいしか泳げません。(苦笑)

 かみさんは逆にプール中心でジムに通っています。
中学で肺炎を患ったこともあり、学生時代はスポーツをあまりしなかったようです。
学校にプールもなく泳げなかったようですが、ジムのプールに通いだしてから息継ぎもマスターし、
50メートルぐらい泳げるようになったようです。

 うちのかみさんはジムのプールに通いだして、まだ5年ぐらいですが、10年、20年と
やられている方がいらっしゃいますので、色々教えてもらっているようです。
先輩達に「きれいなフォームで泳いでいる」と褒められているようです。
私も3年前ぐらいにプールで見た時、同じように思いました。
この文章の女性のように、「魚」になった気で泳いでいるかもしれないです。(笑)
プールで泳ぐのが、生きがいになっているようです。






Gigliola Cinquetti: "La lluvia"
コメント (12)
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