団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

 いつも振られたばかりの私が、かみさんと結婚できたのは「縁があった」と思っていますが

2024-07-29 02:50:45 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「縁むすび」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。

 ”合縁奇縁”(あいえんきえん)という言葉がある。

 ”縁は異なもの味なもの”と同じで、「縁」の不思議さを表している。

 「縁」はもともと仏教用語だが、今は日本人の血肉と化した考え方となっている。

 偶然の出会いが必然となるのは、人知を超えた天の廃材ともいうべき「縁」のなせるわざなのだ。

 この時代に生まれたのも縁、父母も縁、同朋も縁、友人も縁・・・と書いていて気づいた。

 これらは「運」と置き換えられそうだ。

 しかし、「運」と「縁」は大きく違う。

 たとえば「父母も運」は「親ガチャ」と同じことになり、あまり良い意味合いではなくなる。

 その点「縁」は深い。

 「縁あって2人は結ばれた」となると、2人の意思というより、目には見えない宇宙的な神秘を感じさせる。

 「縁」は「円」と同じとおじさんは考えている。

 円は丸で、大きくもなるし小さくもなる。

 自分の円と他人の円との重なりが「縁」ではないか。

 たくさんの円の重なりがさらに新たな縁を生み出す。

 そんな円がより大きく、地球を覆うほどになれば人類は皆「縁者」となる。

 ただ「縁」が「怨=悪縁」に変わることがある。

 妙なことを書くなと「因縁」もつけられたくはない。

 以上です。

>「縁あって2人は結ばれた」となると、2人の意思というより、目には見えない宇宙的な神秘を感じさせる。

 いつも振られたばかりの私が、かみさんと結婚できたのは「縁があった」と思っていますが、喧嘩がしょっちゅうとなると「悪縁」かも知れないと思ったりします。





女性の怖さを、この歌で知りました。
石川ひとみ まちぶせ
コメント (8)
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