団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

日本政府をそこまで信用していいの!!

2006-12-07 06:32:00 | 日記
 陸上の為末 大選手がYahooのブログで日本という国ほど国民から信用を得ている国はないと記載されています。
私も小さいころ祖母から戦後まもなく新札交換という政策で自分の持っていたお金の価値がほとんどなくなってしまった事を聞いたことがある。これからの日本でも十分起こりうる事である。私も頭ではわかっているのだが実際は日本円しかもっていない。それは国際的な感覚が欠如しているせいかもしれない。本来 日本円で全てを持つというのは危険だと思うのだが、私のようにたいしてお金を持たないものがそこまでリスク分散する必要があるのかな?という感覚がどうしてもある。私は戦後生まれですが、この点は他の世界の国々の人と比べてリスク管理がなってないと思います。
下記に為末さんのブログの一部を無断転用させていただいています。

世界各国の選手とお金の話をすると、自国の通貨で保有している選手は意外と少ないことに驚かされます。土地で持っていたり、他国の通貨で持っていたり、どこかの国で運用していたり。愛国心はあっても、自分の財産に関しては、みんなそれほど国家を信用していないのです。

 そういう意味からして、日本という国は世界一といってもいいぐらい国民から信用を得ている国家だと思います。日本円で、しかも現金で日本の郵便貯金や銀行に預けているだけの方がほとんどです。土地でもなくて、証券でもなくて、他国の通貨でもなくて日本円。もしも他の国家の通貨に対して、日本円の価値が半分になれば、資産も半分になってしまうわけですから。

 大方の国民が選挙にも国政にも外交にも興味はないけれど、持っている資産は日本円。何とも不思議な国です。

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本屋で立ち読みして

2006-12-05 05:57:00 | 日記
昨日 家内と駅の三省堂で待ち合わせしました。たまたま週刊誌の「エコノミスト」を立ち読みしましたら児童文学家の高木敏子さんのインタビュー記事が載っていました。
高木さんは戦争のため12歳で家族全員を亡くされて、その後結婚されるまで一人で生きてこられたとのこと。そのあたりのことを「ガラスのうさぎ」という本にかかれたとのことです。
インタービューで印象に残ったのは「私は敗戦記念日の8月15日ではなく戦争を始めた12月8日に重きをおいているというようなことが書かれていた。日本はなぜ戦争を始めてしまったのか。そこを考えるのが重要ですというようなニュアンスだったたと思います。
さっそく私も「ガラスのうさぎ」という本を注文しました。
戦争というものは悲惨なものという認識をさらに強くしました。今 日本は多少右翼化しています。若者に戦争の悲惨さを伝えてみえる高木さんのような存在が重要だと思います。

下記にインターネットの高木さんのプロフィールを無断転用させていただきました。

児童文学家

高木敏子さん



 1932年、東京本所区(墨田区)に生まれる。 文化学院卒業。

 処女作「ガラスのうさぎ」で、78年に厚生省児童福祉文化奨励賞、 79年に 日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。2005年エイボン女性大賞を受賞。

 「ガラスのうさぎ」は旧版、新版、文庫版あわせて計220万部のロングセラー。
 英語、ハンガリー語ほか9ヶ国で翻訳されている。
 仏語、ポルトガル語、アラビア語での翻訳が 現在進行中。
 初めてのアニメ映画化「ガラスのうさぎ」は好評公開中。



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平和の尊さを訴え続ける
    
  

 もしも、あなたのお子さんが12歳で、米軍による東京大空襲で母と妹2人を一瞬にして亡くしたとしたら・・。そして、こんどは戦闘機による機銃掃射で父を亡くし、たった一人で、周囲の助けをかりて遺体を運び、火葬のための薪を集めてもらい、お骨にしようと奮闘するまだいたいけない少女だったとしたら・・。
 この胸が潰れるような「もしも」の現実を、「戦争」の渦中を、生き抜いてきたのが、高木さんだ。しかも、お父さんを亡くしたのは敗戦のわずか10日前、新潟へ2人で引っ越すというまさにその日、疎開先の神奈川県二宮町の駅でのこと。一人ぼっちになってしまったが、途方にくれる暇はなかった。「どんなことがあっても生き延びなければ」と悲痛な思いを胸に秘め、自分を奮い立たせる。埋葬許可書、火葬許可書を取るために奔走し、役所にも医者にも一人で交渉した「敏子ちゃん」は、まだ12歳。
 その前向きでひたむきな「交渉力」「行動力」には驚かされる。きっと、それらはたった一人で戦後の混乱を生き抜くために、天が授けてくれた「守り刀」だったに違いない。「人さまに笑われないように。人さまにご迷惑をかけないように」「人さまにやられて嫌なことはしない」「江井(旧姓)の娘として恥ずかしくないように」-折に触れ母がかけてくれた言葉も、少女を常に導いてくれていた。

 それから60年の歳月が流れた。今もなお、高木さんは明るい前向きなオーラを発散している。ピンクの縁なし眼鏡がよく似合ってチャーミングだ。「こう見えても、私は病気持ちで、膠原病のリューマチ、60歳のときは脳梗塞、63歳でアミロイドーシスという難病にかかって、あと3年の命と言われたんです。でも、ほらもう10年も過ぎちゃった」と笑う。新版の発行では、各章の最後に用語注釈をつけ、漢字にはふりがなを振った。そのため、黄班変性症を悪化させ視力を失った。「でも片目が見えるからそれでいいかって」。下町育ちは楽観的で威勢がいいが、「戦争のことを少しでも多くの人に分かってもらうために生きさせてもらってるんじゃないかな」と、しんみりする。話が心の奥深い傷に触れると、目が潤み涙がこぼれそうになる。


 子どもたちが小さいうちは家庭に専念、学校の役員を引き受け通した。下のお子さんが高校に入り、両親と妹の33回忌を終えた結婚20年目に「私の戦争体験」を自費出版する。それが出版社の目にとまり「ガラスのうさぎ」が誕生。本邦初のアニメ化には、お孫さんの言葉が生きている。「おばあちゃんの本にはね、難しい言葉がいっぱいあって分からないよ」-平和になった世の中では「学徒出陣」「灯火管制」「戦災横死」「国体の護持」など死語に近い。「 『焼夷弾』を雨あられのように投下ってあるけど、空襲のイメージが湧かないから、アニメにしたらもっと飛行機が何百機も襲ってくるイメージが湧いて分かりやすいよ」と。「戦争を知らない世代が増えてきていますが、戦争は体験して欲しくない。でも戦争の悲惨さやむごさは追体験できるはず」「今の子どもたち、少し幼いかもしれないけど、それでいいんです。しなくてもいい苦労はしなくてもいい。13歳が13歳らしく生きられる世の中をつくろうじゃないですか」-高木さんの言葉には強くて熱い願いがこもっている。

 「そうそう」と言いながら、高下駄を長いこと探し続けていた古武道を学ぶ孫の、とあるお店で下駄と遭遇した時の話を披露してくれた。「彼はお年玉などを集めても全財産5千円しかなかったんです。一本歯の下駄は6500円、どうしたと思います?」いたずらっぽく問う。「彼は誠心誠意つくして交渉して、お店の人の心を動かしちゃったんです」-祖母へお金を無心するのではない。祖母から孫へ伝わったものが確実にそこにはある。

 12歳から一人で生きることを強いられた高木さん。「なぜ、大人は戦争を止められなかったのか。なぜ、女性は反対するどころか、賛成をせざるを得ない状況で、夫や子どもにやっと『生きて帰って』と言うくらいの意思表示しかできなかったか」と心底恨んだ日々もある。「でも、選挙権がなく、そういう状況下ではやらざるを得なかったんですね」と、最近読んだという「国防婦人会」(藤井忠著 岩波新書)を紹介してくれた。

 「平和の時代を生きている私たちがまず平和を守っていくことが一番の責務です」 「戦争を起こすのは人の心。戦争を起こさせない、というのも人の心。みんなで戦争を起こさせない心の輪を広げていきましょう」と、微笑んだ顔にはもう涙はなかった。







 


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こんな教師がいるなんて信じられない!!

2006-12-04 06:50:00 | 日記
本日の中日新聞朝刊にて東京都羽村市の小学校男性教諭が交通事故で亡くなった子供達を自分のホームページで侮辱したとの理由で遺族から告訴されることになったとの記事が載っていました。
告訴するのは1997年に東京都世田谷区でトラックにはねられて亡くなった片山隼(じゅん)君当時八つの父 徒有(ただあり)さんと、2002年に名古屋市緑区の保育園で落下したワゴン車の下敷きになって亡くなった片岡樹里ちゃん当時三つの母 朋美さんら六組の遺族とのこと。告訴される30代の小学校教諭は自分の運営するHP[クラブきっず」と「交通事故きっず」に交通事故で亡くなった子供たち六人の顔写真などを載せ、それらに「ぐしゃっとつぶれた」などと、事故を想起させるコメントを付けるなどしていた。中には子供達が裸で入浴する写真もあった。遺族が作成したHPから無断で写真を転載していたとみられるとのこと。問題のHPは既に閉鎖されている。
遺族の母 片岡さんは「物をみるような視点で樹里の死を扱われ、(尊厳を)踏みにじられた」。隼君の父親 片山さんも「まずは(教えている小学校の)子供たちからこの教諭を離さなければならない」と訴えている。
傷ついている遺族の大事なお子さんを侮辱し、さらに悲しみを与えるような男性教諭は許せない!!学校の先生という前に人間として行って良いことか悪いことかわからないのか。情けない。このような人の気持ちがわからない先生が生徒を教えているという事実に恐いものを感じる。

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チェチェン共和国の人口20パーセントが殺害されている!!

2006-12-03 17:09:00 | 日記
本日 テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」という番組を見て初めて知ったのだがロシア兵によってチェチェン共和国の人口20パーセントが殺害されているとの話である。
恐ろしいことにその首謀者が大統領のプーチンらしい。最近のニュースで元スパイのロシア人が英国で放射能物質で殺されたということが話題になっているが、それもプーチン大統領が関与しているのではないかと疑われているらしい。
チェチェンでの虐殺はあのヒットラーがユダヤ人を虐殺したより酷いものらしい?
私も詳しく知らないので余り記載できないが、少しチェチェン共和国とロシアの対立に関して勉強する必要があるなと思いました。なお 11月に殺害されたロシアの女性ジャーナリストもチェチェンの内実を書いたため殺されたのではないかと言われている。
話は変るが私の死んだ親父はロシアを信用できないといつも言っていました。日本が第2次世界大戦で負けるとわかってから日露協定を一方的に破棄して日本を攻撃してきたということでそのような国は信用できないと思っていたようです。
今日のテレビ番組を見ていてロシアは北朝鮮より始末が悪いと思いました。以前は経済に弱点がありましたが今や豊富な石油を持ち世界5番目の金持ちになっています。日本の近隣の国は恐すぎます。できれば引越ししたいがどうにもならない。


下記にTNN 田中さんの記事を無断で転用しました。
TNN(田中宇の国際ニュース解説) 他の記事を読む


チェチェン戦争が育んだプーチンの権力
2000年1月21日  田中 宇


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 1999年9月22日夜9時すぎ、ロシアの首都モスクワから200キロほど離れたリャザンという町で、バスの運転手をしているアレクセイさんが帰宅時、自分のマンション(公共住宅)の前に、自家用車が停まっているのに気づいた。ありふれた国産車「ジグリ」だったが、運転手という職業柄、ナンバープレートがおかしいのが気になった。

 プレートには、ナンバーの最後の2桁の部分に紙が貼ってあり、「62」と書かれていた。それはリャザンの地域番号だったが、紙の下にある、もともとの番号も透けて見えた。「77」。それは、そこから走って何時間もかかる、モスクワの番号だった。

 変だと思ったアレクセイさんは、警察に通報した。当時ロシアでは、モスクワなどで公共住宅の連続爆破事件が起きており、300人以上が犠牲になっていた。マスコミは無差別爆破の危険を大々的に報じ、「不審な人物や荷物を見たら、すぐに警察へ」といった広報を頻繁に流していたため、通報した方が良いと思ったのだった。

 しばらくして警察がやってきたが、もうその時には、不審な車は立ち去った後だった。警察がマンション(13階建て)を捜索すると、地下室に、白い粉を入れたいくつかの大きな袋が置いてあるのが見つかった。調べてみると、それは爆薬で、袋の近くには時限発火装置がセットされていた。

 その直後から、大変な騒動となった。時限発火装置はすぐに取り外されたが、ほかにも爆弾が仕掛けてあるかもしれないということで、マンション住民250人は、すぐに避難するように言われ、避難勧告が解除されたのは、翌朝7時だった。取り外された時限発火装置は、翌朝5時半にセットされており、大事を取って、それが過ぎるまで、警戒が続いたのだった。午前5時半という時刻は、何日か前にモスクワの公共住宅が爆破されたのと、同じ時刻だった。

 不審な車には男2人と女1人の計3人が乗っており、別の住民がこの3人を目撃していた。ロシアで続いていた連続爆破事件は、分離独立を狙うチェチェン人組織の仕業である可能性が高いと、マスコミでは報じられていた。リャザンのマンションに爆弾を仕掛けたのもチェチェン人ではないか、とも思われたが、不審な3人はチェチェン人ではなく、ロシア人のように見えた。

▼「防犯訓練」と言わざるを得なかった連邦保安局

 翌日の夜、テレビを見ていたリャザンの人々は驚いた。連邦保安局の長官が登場し、「爆弾は防犯訓練のために当局が仕掛けた。火薬のように見えた袋詰めの白い粉は砂糖だった」と発表したからだった。

 訓練にしては、おかしな点がいくつもあった。爆弾が見つかってから訓練だと発表するまでに、丸一日以上過ぎていたし、訓練なら多くの地点で実施すべきなのに、なぜリャザンだけで実施したのかも不明だった。

 だがその翌日、人々は合点がいった。ロシア軍が、チェチェンに対する空爆を開始したのである。爆弾騒ぎは、ロシア当局のチェチェン攻撃と関係がある、もっと言えば、マンションの連続爆破事件は、ソ連時代にはKGBと呼ばれていた連邦保安局が、ロシア人の反チェチェン感情を煽る目的で実行した可能性がある、と人々は考えた。

 当時、首相だったプーチンは、その1ヶ月前まで、連邦保安局の長官だった。彼が首相になった直後に始めたチェチェン攻撃は、ロシア人の愛国心を揺さぶった。プーチンへの支持率は急上昇し、1999年大晦日にエリツィン大統領が辞任し、プーチンはピンチヒッターながら、大統領にまで登りつめた。2000年3月の大統領選挙では、プーチンが当選すると予測されている。

 つまり、99年9月の連続爆破事件は、プーチンを権力の座に押し上げるためにあったようなもので、事件の背後には、プーチンの出身母体である連邦保安局の影が見え隠れしている。

 チェチェン人が爆弾を仕掛けたのなら、一般市民が住む公共住宅ではなく、軍や警察の施設を狙いそうなものだ。一般市民に被害を及ぼし、チェチェン人がやったことにして、もともと「チェチェン人はマフィア」というイメージを持っていたロシア人の反チェチェン感情を煽る目的があったとも勘ぐれる。

 爆破事件に対しては、どこからも犯行声明は出ておらず、チェチェン共和国政府は事件への関与を全否定している。そして、犯人に関する手がかりも、見つからないままである。

▼イスラムテロリストの爆弾工場は幻か?

 その後、プーチンの大統領就任を機に、再び連続爆破事件に対する疑念が、内外のマスコミから湧き出してきた。そのためロシア当局は1月中旬、チェチェン共和国内にある爆弾工場の映像をテレビで放映し、連続爆破の犯人はチェチェン人であることが判明した、と報じた。

 アメリカを狙うアラブ人オサマ・ビンラディン氏が率いるイスラム原理主義テロリスト組織が時限発火装置に使うことが多いカシオの腕時計が、そこでも使われていることを映し出すなど、含蓄に富んだ映像展開になっていた。(カシオの時計については「ミレニアムテロ:アメリカが育てたイスラム過激派」を参照)

 とはいえ、この工場が実在するのかどうか、確かめることはできない。ロシア政府は、チェチェン攻撃が始まって以来、内外マスコミがチェチェン周辺の現場で取材することを厳しく規制しているからだ。外国メディアのチェチェン訪問は全く許可されない。

 こっそり行ったとしても、たとえばアメリカの大手新聞「クリスチャンサイエンス・モニター」の記事によると、同紙の記者は、チェチェンの隣にある北オセチア共和国に入って30分後に、連邦保安局によって身柄を拘束されてしまった。

 このようにロシア政府が、必死で報道管制しているのは、前回1994-96年にロシア軍がチェチェンを攻めた際、マスコミが反戦報道を展開した結果、撤退せざるを得なくなり、チェチェンに自治を許してしまったという、苦い経験があるからだ。

 その後ロシアは、アメリカ政府の、湾岸戦争以降の戦争での報道管制の巧妙さ(狡猾さ)に学び、今回は攻撃開始前から、マスコミの手綱を引き締めた。その結果、ロシアのメディアは、9月のチェチェンへ攻撃開始から一貫して、当局寄りの姿勢をとっている。(ロシアのマスコミの多くは、大物政治家・財界人が支配している)

▼「敵に塩を送る」ロシア軍

 ロシアのチェチェン攻撃をめぐっては、もう一つ疑惑が湧き出している。ロシア軍が、チェチェン周辺のイスラム原理主義軍に武器を渡しているという疑惑である。

 1月上旬、チェチェンの南にあるグルジア共和国の当局は、首都トビリシの郊外にあるロシア軍の基地から、チェチェンの南隣にある南オセチア自治州に向かおうとする民間のトラックを検問し、機関銃の弾5万発や、迫撃砲などの武器を押収した。(位置関係が分かる地図はこちら)

 トラックの運転手はグルジア人で、その前日にも雇われて、ロシア軍基地から南オセチアまで荷物を運んだが、積荷が武器であることを知り、当局に通報したのだった。

 武器押収の様子は、グルジアとロシアのテレビで放映された。ロシアを非難するグルジア政府に対して、ロシア政府は「映像は、グルジア内部の権力闘争を背景とした政治的な目的で、でっち上げられたものだ」と反発した。

 南オセチアは、グルジア共和国内にあるが、イスラム原理主義勢力が支配しており、グルジアからの分離独立を求め、武装している。ロシア軍は、南オセチアの独立派を支援することで、ロシア離れを強めるグルジア国内を混乱させようとしている可能性が強い。

 だが、南オセチアとチェチェンのイスラム原理主義勢力はつながっている。ロシア軍が流した武器は早晩、チェチェン人の手に渡ることは見えている。それを考えると、9月の公共住宅の連続爆破事件の延長として、チェチェンでの戦闘が長引き、チェチェン人に対するロシア人の憎しみが強まるほど、プーチンの人気が高まる、という目論見から、武器を流出させた可能性もある。

▼プーチンは強い改革者?、それとも・・・

 このように、戦争を起こすことで自らの権力を広げてきたと考えられるプーチン大統領だが、アメリカをはじめとする欧米諸国の、彼に対する評価は高い。というのは、彼は今のところ、エリツィン前大統領と同様、欧米と協調する政策を貫きそうであるからだ。

 エリツィン前大統領の歴史上の役目と功績は、共産党勢力など、ロシアに残る冷戦時代の遺構を破壊することに尽力したことだった。エリツィンは古い社会主義の代わりに欧米型の経済システムを導入し、それを起動させるため、欧米からの資金援助が流れ込んだ。

 だが、古い社会主義システムを壊すことは大変で、共産党の復権を防ぎたいあまり、国営企業の民営化などを性急に進めた結果、現在のロシアはあちこちにひずみが生じる状態になっている。

 民営化を急いだため、一部の大物財界人だけが、エネルギーや鉱山などの基幹産業を牛耳るようになり、彼らはその資金力を使って、エリツィン自身をも操るようになった。石油会社やマスコミを支配している財界人ベレゾフスキー氏らが、ロシア政府の黒幕として存在し、エリツィンからプーチンへの大統領交代も、彼らの差し金によるものだという指摘もある。

 彼らが国を牛耳るようになった結果、彼らの傘下にある大企業は税金を払わず、税収が少なくて国庫は財政難が続いている。汚職も多い。プーチンが担おうとしている役割は、こうしたエリツィン時代のひずみを修正し、経済を立て直し、ロシアを再び強大な中央集権国家にすることであるようだ。プーチンは、汚職を強く取り締まることを公言しており、それも欧米諸国にとって好感材料となっている。

 ロシアが強大な国になるために、チェチェン人がたくさん殺されるとしても、再びロシアが欧米と敵対する国に戻ってしまうよりは良いし、ロシアが弱くて混乱している状態が続くよりは良い、と欧米諸国は考えているように見える。

 プーチンは、若いときに10数年間、KGBに勤務し、旧東ドイツなどで諜報活動に携わっていた。そのため大統領就任直後、アメリカの新聞などは、彼がKGB出身であることを批判的に強調する記事を出していた。

 だがその後1週間もしないうちに、「KGB時代、東ドイツに滞在して西側経済をウォッチしていた経験が、彼の自由主義経済に対する理解力の源泉になっている」といったような分析記事が出回るようになり、親プーチンの流れができてしまった。

 おそらく、アメリカ当局のマスコミに対する隠然たる指導によるものだろうが、そういった偏りのベールを取った下に、どんなプーチン像があるのかは、まだ見えてこないのが現状だ。


 


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憧れの湘南高校

2006-12-03 06:42:00 | 日記
大学生の時、今から40年弱前下宿の先輩から湘南高校の文化祭に行こうと言われ一緒に行きました。私のような田舎者でも神奈川県の湘南高校の名前くらいは知っていました。今の湘南高校はよく知りませんが、当時は神奈川県でもトップクラスの進学校だったと思います。演劇部主催の劇を観たり、その他の催しものの会場を廻りましたが、特に印象に残っているのは音楽教室の会場です。フォークギターを弾いて歌っていた生徒は学生服を着ていたのかな?セーター姿ではなかっただろうか?加山雄三の「旅人よ」を歌っていました。その教室の雰囲気は青春に満ち満ちていました。私のような田舎の高校生活をおくった者にとっては別世界でした。私達もフォークを歌う者、エレキギターを弾く者はいましたよ。ただ垢抜けていない、湘南高校の学生達は垢抜けていましたね。今度生まれ変っても、湘南高校のようなレベルの高い学校には入れそうもないが、あのような学校で高校生活をおくれたら幸せだろうなという憧れがこれから60歳を迎えようとしているのにあります。

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