団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

私のかみさんが投書したような相談です。(苦笑)

2020-01-26 06:00:20 | 日記
 昨日の3時頃 長野にいる妹から電話がありました。
「元気?」と訊いてきましたので、「元気だよ」と答えました。
どうも夢に私が出てきたので、心配になったようです。
心配してくれる妹がいることは、うれしいですね。(笑)

 ところで、中日新聞の「ねえ! ねえ! ちょっと」というコーナーで、
「定年後の夫 どう付き合う」というタイトルで65歳の女性が読者に相談を投げかけていらっしゃいます。

 下記が相談内容です。


 もうすぐ夫が定年退職します。
夫は特に趣味もなく、家事は全くしません。

 家にいる時はテレビやネットを見ているだけ。
今でもよく口げんかをしますが、ずっと家にいるようになったら、
ますます息苦しくなるのではと今から心配です。

 定年後の夫とうまくやるこつを教えてください。


 以上です。

 私のかみさんが投書したような相談です。(苦笑)
私は37年間働いたので、定年後少しのんびりしても良いかなと思っていました。

 ところが、かみさんは今までの生活パターンを変えられてしまうので、大変鬱陶しいと思っていました。
これが仲の悪くなる原因の一つだったような気がします。

 一番良いのは、ご主人がいつまでも働かれることのような気がします。
定年後も会社で嘱託として、働けるならそれが一番なのでは。
それが出来ないなら、奥様が何かの趣味をお持ちになり、
毎日のように外出されて、息抜きを図るということが大切なのでは。

 私は働く気がないので、かみさんに何か息抜きをしてもらいたいのですが。
少しばかり家事をやっていますが、それではかみさんの鬱陶しい気持ちは無くならないようです。(苦笑)








時に愛は / オフコース
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このような若い子が高齢者を心配してくれるなんて、高齢者の私にとって心強いです。(笑)

2020-01-25 03:32:28 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「高齢者に優しい日本に」というタイトルで15歳の女子中学生さんが投稿されていました。



 日本は他国に比べても高齢化がずい分進行しているそうだ。
高齢者福祉を実現させるために政府は昨年10月、消費税率を2%アップして10%としたが、
それでもまだこの先のことを考えると財政面では不十分との指摘があるという。

 祖母に聞くと、昔はもっとたくさんの年金をもらえたとか。
高齢者だと通常よりも安く公共交通機関に乗れたというが、
そんな優遇も遠くないうちになくなるだろうとこぼしていた。

 高齢者が生きにくい社会にしてはいけない。
たいてい高齢者の収入といえば年金なのだから、
それがどんどん減る事態は何としても避けたい。

 その点、今回の税率アップにもかかわらず、
食品の税率はおおむねこれまで通り8%となったことは評価したい。

 食べないと何人も生きることができない以上、
高齢者も税率が据え置かれた恩恵を確実に享受できると思うからだ。

 この先、今以上の高齢化社会になっても
「日本は本当に高齢者に優しいな」と他国から言われるようであって欲しい。


 以上です。

 
 この女子中学生さんは、高齢者に優しいですね。
おばあちゃんとの日頃からの会話のおかげなのかな?

このような若い子が高齢者を心配してくれるなんて、高齢者の私にとって心強いです。(笑)

>この先、今以上の高齢化社会になっても
「日本は本当に高齢者に優しいな」と他国から言われるようであって欲しい。

 私もそう願いたいです。(笑)






米津玄師 MV「Lemon」
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指導の先生も、もう少し頭を柔らかくして欲しいです。(苦笑)

2020-01-24 04:22:59 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「髪形指導は人権の侵害」というタイトルで33歳の女性が投稿されていました。



 「あなたはパーマをかけていますね」ー。
高校の入学式で生活指導担当の先生に突然そう聞かれた。

 私は「天然パーマです」と答えたが、「証明するために小さな頃の写真を提出しなさい」と言われ、取り付く島もなかった。
そのことを母に話したら「ばかにしている」と怒っていた。

 そもそも校則とは学生の本分である学業がおろそかにならないためのものではないか。
髪は色が黒で真っすぐであるべきで、それ以外は執拗に直そうとするのは
その人本来の姿を否定することになりかねず、人権の侵害とも言える。

 たとえ人工的に手を加えていたとしても、とがめるべきものなのだろうか。
そんな髪や服装のチェックよりも指導すべきことが学校にはある気がしてならない。


 以上です。


 確かに今でも服装チェックや髪形チェックをする高校があるようです。
戦前でもないですし、この投稿者さんが書かれているように学校にはもっと力を入れることが他にあるように思います。

 今は外国人の生徒さんもいらっしゃると思います。
髪の色が黒くて真っすぐなんて概念は通用しないです。

 私の世代の女性徒も髪は黒い人が多かったように思いますが、
髪が真っすぐな女性徒は、そんなにいなかったのでは。
私もくせ毛がありますが、くせ毛の女性は多いと思います。

 そういえば、うちの娘も髪が茶色なので指導の先生に引っかかったようです。
生まれつきなので仕方ないですよね。(苦笑)
今は金髪に変身しています。(笑)

 指導の先生も、もう少し頭を柔らかくして欲しいです。(苦笑)







松任谷由実 - リフレインが叫んでる
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バカンスに、空っぽという意味があるとはしりませんでした。

2020-01-23 06:55:55 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「欧州の休み方 日本にも」というタイトルで18歳の高校生が投稿されていました。



 私はこの先の人生をより良くするために働くことについて調べて見た。
海外と日本との働き方はこれまでもいろいろと比較されているが、その違いはバカンスにあると私は考えた。

 欧州を中心にバカンスは当たり前の存在となっているが、これは単なる休みではない。
バカンスには空っぽという意味があり、キャンプやスポーツなど何をしても個人の自由だが、
日常のペースを離れてゆっくりとだらだら何もしない時間を送る機会なのだ。

 出社時間になっても寝ていたり何の目的もなく外を散歩したり・・・。
そんなぜいたくな時間の使い方をすることで心底リフレッシュができ、
また新しい気持ちで仕事に取り組もうという気になれるのだ。

 こんなバカンスを日本でも積極的に採用してもらいたい。
それが昨今議論される働き方改革の突破口になるような気がしている。

 以上です。


>バカンスには空っぽという意味があり

 バカンスに、空っぽという意味があるとはしりませんでした。


>出社時間になっても寝ていたり何の目的もなく外を散歩したり・・・。
そんなぜいたくな時間の使い方をすることで心底リフレッシュができ、
また新しい気持ちで仕事に取り組もうという気になれるのだ。

 以前勤めていた会社で、リフレッシュ休暇という制度がありましたが有効に使えなかったです。
椎間板ヘルニアで1年近く入院してしまい、有給休暇を消化してしまい
欠勤扱いになるところでしたので、リフレッシュ休暇をそれに充てました。(苦笑)

 私の知っている方でバカンスを有意義に使われたのは、タレントの大橋巨泉さんではなかったかと思います。
セミリタイアの推奨者で、実践された方でもあります。

 日本人はバカンスを有意義に使うことに慣れていませんが、
この若者のような考え方の人が増えると、働くときは一生懸命集中して働き、
遊ぶときは、何の目的もなくブラブラした生活をし、リフレッシュする。
そのようなメリハリを付けた生活をする方が増えるような気がします。(笑)







安全地帯 碧い瞳のエリス  1988
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小学校の低学年生が、重いカバンを背負って行き帰りしているのを見るとかわいそうにと思ってしまいます。

2020-01-22 05:56:03 | 日記
 中日新聞の読書投稿欄に「『置き勉』増やすの反対」というタイトルで13歳の女生徒が投稿されていました。



 今、学校での「置き勉」が問題になっています。

 私の通う中学校では9教科のうち実技だけは教科書を学校に置いてもいいことになっています。
それでも1日に主要な5教科の全てがあるときは教科書が多くてかばんがパンパンになります。

 成長期に重い荷物を持っての登下校は悪影響との意見もありますが、
私は置き勉を可能とする教科を増やすことには反対です。

 家での復習が難しくなるからです。
それで学力低下を招いたとしたら、児童・生徒は学業が本文なのだから本末転倒な気がしてきます。

 私は、かばんの重さを軽くするために工夫する余地はまだ色々とある気がします。
例えば1年間、同じ1冊の厚い教科書を使うのではなく、
何冊かに分けて学期ごとに使うようにしたらどうでしょう。

 他にも案はあると思っていますが・・・・・



 以上です。




私の時代も「置き勉」は、禁止されていましたね。

>例えば1年間、同じ1冊の厚い教科書を使うのではなく、
何冊かに分けて学期ごとに使うようにしたらどうでしょう。

 投稿者さんのこのアイデアも悪くはないです。
できれば教科書出版社が取り入れてほしいです。

 私はどちらかというと「置き勉」は賛成です。
小学生の頃、当日必要な教科書を忘れて家まで走って取りにいったことが度々あります。
隣の子に見せてもらえば良いのに、家まで帰りましたね。
そんな日は、それだけで疲れてしまいました。(苦笑)

>成長期に重い荷物を持っての登下校は悪影響との意見もあります

 学校に教科書を置いて、宿題や復習に必要なものだけを自宅に持って帰る。
そのほうが身軽で動きやすいので安全なのでは。

 小学校の低学年生が、重いカバンを背負って行き帰りしているのを見るとかわいそうにと思ってしまいます。








さよならイエスタデイ 2001 //TUBE
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