中日新聞の「エンタ目」という欄に「耳毛が生えて考えた」というタイトル。
「『国民の話を聞く』なんて」というサブタイトルで佃 典彦さん(劇作家・演出家・俳優)が投稿されていました。
どうも、名古屋のミラーマン佃です。
今日はちょっと思うところありまして「耳」をテーマにお話ししたいと思います。
なぜ「耳」なのかと言いますと先週、耳鼻咽喉科に行きまして先生に面白いお話しを聞いたからです。
僕の耳の穴をのぞいて先生は「モシャモシャ生えてきましたねぇ、佃さんも初老の仲間入りだねぇ」とこう言うではありませんか。
そう、知らない間に耳毛がモシャモシャ生えていたのです。
鼻毛と違って耳毛は自分で確認することができませんから全く気付きませんでした。
先生はさらにこう言ったのです。
「耳毛ってのは染色体の構造上、男にしか生えないんです。
つまり男には必要でも女には必要ないんですよね、何ででしょうね?」。
医学的には本当かどうかは分かりませんが、確かに耳毛モシャモシャなオバサンは見たことが無い気がします。
でもどうして男にだけ耳毛が生えるんでしょうね?しかも年を重ねるにつれて生えてくる。
そうかぁ、だから中高年のオヤジになると人の意見を聞かなくなるのか。
耳毛のせいで他人の言葉が遮られてしまうんだな、なんて考えていたらテレビで岸田文雄総理がノートを手にして「私は国民の話を聞きます!」とか何とか言っています。
へぇ、だったら岸田さんは耳毛が生えてないのかしらん?
秘書に抜いてもらったりしてるのかな?とか余計な心配。
僕は国民の話を聞いて政治なんかできるもんかと思っていますから、ちょっと岸田さんの事は信用できません。
「国民の話を聞く」と言われたら何となく庶民の声をすくい上げるみたいな感じがするけれど、大企業の社長だって権力者だって国民ですからね。
右派も左派も国民、一体誰の話を聞いて国民の声とおっしゃるつもりなのか分かりませんが誰の声を聞いたとしても国民の声を聞いた事になりますからうそではありません。
実に巧妙です。
先日、「ドライブ・マイ・カー」という映画を見ました。
映画を見に行ったのに演劇で泣かされるという不思議な体験をしたのですが、この映画はまさに「他社の言葉に耳を傾ける」行為について描かれた作品だと感じました。
多言語演劇という特殊な演出法もそうですし、妻の最後の言葉をどう受け取ったかが主人公にとって大きなテーマで、作中の「本当に自分自身を深く真っすぐ見つめるしかないんです」ってセリフには感動しました。
兎にも角にも他人の言葉をちゃんと聞くのは難しい。
耳毛を引っこ抜いたくらいじゃ間に合いませんねぇ。
以上です。
>でもどうして男にだけ耳毛が生えるんでしょうね?しかも年を重ねるにつれて生えてくる。
そうかぁ、だから中高年のオヤジになると人の意見を聞かなくなるのか。
耳毛のせいで他人の言葉が遮られてしまうんだな
私はかみさんから「あなたは私の話を聞こうともしない!無視している!」とよく怒られますが、仕方ないですね。耳毛がかみさんの話を遮ってしまうのだから。
私が悪いのではなく、耳毛が悪いんです。☺️
妻に、恋人に、この想い君に届けたい4曲・・・玉置浩二 心の歌