まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第21回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第101番「成田山大勝寺」(グリーンランドで厄除け祈願)

2025年02月02日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

先に訪ねた荒尾の第58番・金剛寺に続いて、第101番・成田山大勝寺を訪ねる。県道に入り、鹿児島線の線路を渡って東に進む。

しばらく走ると左手にショッピングモール、その向こうに観覧車やアトラクションが見える。グリーンランドである。グリーンランド・・もちろん、現在アメリカが買収を狙っている北極海のあの島ではなく、九州最大級の遊園地である。かつては、三池炭鉱を保有していた三井鉱山が経営していたことから「三井グリーンランド」という名前だったが、現在は西部ガスグループが筆頭株主であるリゾート会社が運営している。

そのグリーンランドの敷地の北に成田山の看板が出迎える。グリーンランドへは大牟田からバスが出ているので、公共交通機関でのアクセスも可能な札所である。

成田山大勝寺は、その名が示すように千葉の成田山新勝寺が本山で、その支院に当たる。私の大阪勤務時、年始や期のはじめに職場の安全祈願で寝屋川にある成田山の大阪別院に参詣していたが、ここ大勝寺は成田山の本尊である大日大聖不動明王の分身を本尊として1972年に開かれた。ホームページには「有明成田山」とあり、グリーンランドを中心としたリゾート地が存在する有明の地を聖地と定めたという。

成田山といえば交通安全祈願。クルマ専用の祈願所もある。

1月12日、まだ松の内ということで初詣の看板が掲げられ、新年の絵馬には多数の寄せ書きがあふれている。私の場合、2025年の初めは正月気分どころではなかったので、ほんの少しだけその余韻を味わうことにする。

こちらは大師堂。

コンクリート造りの本堂に上がる。中も広々としている。ちょうど厄除けで来られていた方の祈願が行われていたが、「それ成田山は~」から始まる祈願文、成田山の大阪別院に参詣した時に耳にしたのと同じようだ。護摩供ではないので大掛かりな火が焚かれることはなかったが。

不動明王の真言を唱え、朱印をいただく。これで熊本県の札所はコンプリートとなった。残すは福岡(筑後、筑前)、佐賀、長崎の3県で、いよいよ後半に差し掛かる。

山門を抜けると正面にグリーンランドのアトラクションが広がる。この成田山もアトラクションとは言わないが、開放的で、厄除け祈願、交通安全祈願や護摩供などイベント的要素もあり、参詣しやすい雰囲気がある。

さてここからかつての三池炭鉱の産業遺産を回るところだが、気になるスポットが一つある。この日は山鹿から玉名に出て、大牟田、荒尾に来たのだが、玉名駅前にあった蓮華院誕生寺の大梵鐘のレプリカがあった。この実物は誕生寺の奥の院にあるとのことで、前回誕生寺を訪ねた時はバス利用で本院から離れていたこともあり奥の院に行くことはなかった。

今回、当初の予定には入れていなかったが、レンタカー利用であるし、成田山から10キロほどのところである。せっかくなので、あの大梵鐘の本物を見に行ってみようか・・・。

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第21回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第58番「金剛寺」(四国と西国のお砂踏み)

2025年02月01日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐり、いよいよ熊本県シリーズの最終日である。第58番・金剛寺へは荒尾駅から徒歩圏内だが、いったん福岡県に入り、大牟田で下車する。今回、大牟田でレンタカーを利用して札所めぐりのほか、世界文化遺産の一つでもあるかつての三池炭鉱の産業遺産を回ることにする。

いったんJRの駅舎を出た後、跨線橋を渡って西鉄の駅舎に出る。駅前にはかつて西鉄大牟田市内線の路面電車として走っていた車両が保存されている。

国道389号線沿いにあるトヨタレンタカーに向かう。これで夕方までの行動半径が大きく広がる。

炭鉱関連のスポットは後で回るとして、まずは金剛寺に向かう。国道389号線を南下し、県境を跨いで荒尾市に入る。大牟田市と荒尾市は県は違うが炭鉱の発展とともに栄えた歴史があり、生活圏としては一つといってよいところである。福岡南部、熊本北部の有明海沿岸の自治体をひっくるめて「有明圏」という呼び方もあるそうだ。

脇道に入り、荒尾市役所の近く、住宅地の中にある金剛寺に到着。

金剛寺が開かれたのは昭和の初期。四国八十八ヶ所の遍路を終えた赤星精秀和尚が、真言宗寺院のなかった荒尾に弘法大師入定千百年の記念事業として法雲院として開創した。その後、後継となった赤星善弘和尚が金剛寺と改めた。新たに開いた寺ということで、真言宗の中で中心といえる大日如来が本尊である。

境内では弘法大師や地蔵像が出迎える。そして参道には、四国八十八ヶ所、西国三十三所のお砂踏みである。ここを歩くだけでもありがたいな・・と思いつつ、駐車する際にはどうしてもここをまたぐ、この参道のスペースでハンドルを切り返すということで、踏みつけるようにしているのは申し訳なくも思う。

弘法大師帰朝千二百年の碑もある。

そして本堂に到着。中からは読経の声がする。駐車場にクルマが何台か停まっていたが、法事で来られたのだろう。ならば扉を開けるのは控え、玄関の外からお勤めとする。

本坊のインターフォンを押し、朱印をいただく。「今日は法事で、申し訳ありませんねえ」と丁重に返され、こちらこそ恐縮である。

さて次は番号が飛ぶが、第101番・成田山大勝寺である。成田山って、あの成田山かな・・・。

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第21回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~山鹿から大牟田に移動

2025年01月31日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

1月12日、前日宿泊のスーパーホテル熊本山鹿にて目覚める。由緒ある山鹿温泉「さくら湯」も朝6時から開業しているのだが、朝も寒いし、歩くのもどうかということで、館内にある灯籠の湯に入る。

早い時間に朝食を済ませ、部屋でしばらくくつろぐ。

まずは山鹿バスセンターから、鹿児島線の玉名までバスで移動する。この系統のバス便も結構あるように思うのだが、時刻表を見ると平日で1日10本、土日祝日は1日7本だけである。

その中、山鹿発9時ちょうどの便に乗る。乗り込んだのは私一人。最後部の席に陣取る。まずは山鹿の中心ということで、前日訪ねた「さくら湯」、「蔵BUZEN」の前を通り、昨夜美味しい米焼酎をいただいた蔵元・千代の園の前も過ぎる。

その後はバスの揺れに身を任せ、県道16号線をひた走る。九州自動車道の菊水インター前を通過。そして40分ほどで九州新幹線の新玉名に到着。ここで初めて乗客があった。新幹線の駅ではあるが、駅前で目立つ建物といえばケーズデンキ、そして九州のホームセンターであるグッデイくらいで、ホテルやコンビニはない。

バスはいったん九州看護福祉大学を経由した後、玉名の街中に入る。山鹿バスセンターから1時間で玉名駅に到着。前回、12月29日に訪ねたばかりの駅である。駅前には九州八十八ヶ所百八霊場の第57番・蓮華院誕生寺の奥の院にある巨大な梵鐘のレプリカがある。前回訪ねたのは誕生寺の本院で、「南無皇円大菩薩」の真言が印象に残っている。

玉名から10時22分発の鳥栖行きに乗車。次の第58番・金剛寺もよりの荒尾に到着するが、もう1駅、福岡県に入った大牟田で下車する。熊本県荒尾市、福岡県大牟田市は県境が入り組んでおり、大牟田市の中に荒尾市の飛び地もあるという。

大牟田で下車したのはレンタカーを利用するためである。この後の第58番・金剛寺、そして第101番・成田山大勝寺を訪ねるだけなら徒歩やバスで何とかなるが、せっかくなので荒尾、大牟田両市にまたがる三池炭鉱の産業遺産(世界文化遺産でもある)を合わせて見物しようと思う。結果的には三池炭鉱の産業遺産以外に、もう1ヶ所訪ねるのに大いに活躍したのだが・・・。

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第21回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~山鹿温泉「さくら湯」に浸かり、熊本最後の一献

2025年01月30日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは熊本北部の山鹿へ。私にとって初めてのところだったが、札所である第100番・金剛乗寺の近くにある八千代座、山鹿灯籠民芸館といったところで豊前街道以来の歴史と伝統を感じることができた。なかなかよいところである。

そして、温泉地に来たということですぐ近くの公衆浴場「さくら湯」に向かう。元々、肥後細川藩の山鹿御茶屋として建てられ、殿様専用の「御殿の湯」があった。明治になると一般庶民にも開放され、道後温泉本館にも携わった棟梁を迎えて大改築が行われ、山鹿温泉のシンボルとなった。その後、老朽化と再開発のため1973年に解体されたが、2012年に昔の姿を取り戻す形で「復活」し、現在はレトロな風情が楽しめるスポットになっている。

タオルは持ってきているが、シャンプーやボディソープの備え付けはないとのことで単品購入。地元の人、観光客それぞれで賑わっている。浴槽はシンプルに大浴槽のみで(入るエリアによって若干温度に違いがあるように感じた)、露天風呂やサウナなどないが、だからこそ昔ながらの温泉風情を楽しむことができる。

入浴後、別棟となる「龍の湯」に行ってみる。こちらは小浴場というくらいの広さで、浴槽は見学のみで入ることはできないが、この天井に、かつて「御殿の湯」で掲げられていた「双龍の絵」のレプリカがある。

さてこのまま近くの店で一献・・というには予約の時間まで間がある。そのため、いったん宿泊先のスーパーホテルまで戻り、しばらく休憩。このスーパーホテルにも天然温泉があるが、夜または朝湯として入ることにしよう。

一献の時間ということで、先ほど訪ねた「さくら湯」にも灯りがともる。

その先の静かな通りを進むと、この日の店である「蔵BUZEN」がある。その名のとおりかつての蔵を活用した店で、すでに何組もの客で賑わっている。後からも座敷のグループ客も入ってくる。飛び込みでは難しかったかもしれない。カウンターに座ると目の前の厨房であれこれ調理するのが見えて楽しいし、マスターはじめ店の方の接客もよい感じだ。

まずは生ビールで乾杯とした後、熊本ご当地ということで天草晩柑のサワーをいただく。レモンとはまた違った酸っぱさを感じる。

いろいろ注文した中、最初に出てきたのが揚げ豚足。豚足を揚げて食べるというのは九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの熊本シリーズで初めて知った一品である。

そして、これもこのシリーズで好物となった馬ホルモンの煮込み。こちらは味噌味である。この手の煮込み料理は店ごとの違いを楽しめるのがよい。共通しているのが馬肉ということで、こちら「蔵BUZEN」のメニューには「すべて大腸を使っています」とある。

米焼酎もいろいろいただこう。山鹿の岳間地区の米と渓谷の湧水を使って製造された「岳間」や、すぐ近くにある蔵元「千代の園」で造られた「八千代座」といったところを楽しむ。もっとも、飲み比べて違いを語れるだけのセンスはないのだが・・。

提供時間の関係か、ちょうどメインディッシュのタイミングとなったのが馬刺し。やはり熊本に来たなら・・ということ、そして今回で九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの熊本シリーズ最後の夜ということで、値は張るが霜降りをいただく。

辛子レンコンボールという初見のメニューにも挑戦。熊本名物の辛子レンコンを食べやすいボール状にしたもので、うまいこと考えたものである。一口サイズなのだが見た目と違いレンコンの歯ごたえはしっかりあるし、辛子もちゃんと効いている。居酒屋でつまむにはちょうどいい感じである。これは「蔵BUZEN」オリジナルというわけではなく、地元の食品メーカーが開発した一品で、通販や業務用スーパーで購入できるという。

最後はおにぎりと魚のアラが入った味噌汁。熊本県最後の夜はなかなか豪華に過ごすことができた。

このままスーパーホテルに戻り、天然温泉山鹿灯籠の湯に入る。それほど広いわけではないが他に客もおらず、のんびり浸かることができた。

さて翌日(1月12日)は山鹿から玉名に出て、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの熊本県最後となる2ヶ所を回ることに・・・(紀行文は2月に入ってもしばらく続きます)。

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第21回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~山鹿温泉のスポットをたどる

2025年01月29日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは熊本北部の山鹿から玉名、荒尾をたどる。今回で熊本県内の札所はコンプリートとなる予定。

さて前の記事では山鹿にある第100番・金剛乗寺に参詣し、この後は初めて訪問する山鹿での一時を楽しむ。学生時代以降九州には何度も上陸しているが、札所めぐりを目的としてみると、まだまだ訪ねたことがないエリアが多いのを実感する。熊本北部の山鹿というところも、鉄道が通っていないというそれだけのためにこれまで訪ねたことがなかった。ただ今回、宮崎、鹿児島を含めた九州一周の意味もある九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの中で新たに訪ねることができた。

その金剛乗寺の参詣後に訪ねたのは、同じ豊前街道にあるにある八千代座。建てられたのは明治末の1910年、山鹿の旦那衆が町の繁栄を願ってのことである。山鹿は豊前街道に面し、菊池川の水運もあったこと、また山鹿温泉が湯治場ということで賑わっており、その娯楽の中心であった八千代座では往年のスターによる数々の公演や映画の上映が行われ、人気を博した。

ただ、戦後になって娯楽の中心がテレビに移ったこともあり、経営不振で八千代座は閉鎖。建物は山鹿市に寄贈され、後に国の重要文化財に指定され、2001年に復元修理が完成した。現在も数々の公演が行われており、昨年は十代目市川團十郎さんの襲名披露公演もあった。周辺でポスターが貼られていたのが、直近の2月14日・15日興行の「坂本冬休み 爆笑ものまねショー」・・・。

興行がない時は見学が可能である。扉を開けて中に入ると、これぞ芝居小屋、歌舞伎小屋という世界が広がる。客席に座ったり、花道を歩いたり。側面のほか、天井にも広告が並ぶ。これらはかつての旦那衆の広告を再現したものだとか。

見学ルートは座席や舞台のほか、楽屋や舞台下など一通り見ることができる。

二階席、大向こうにも上がってみる。今は誰もいないが、実際の公演、そして大勢の観客で埋まると一体化する空間になるのだろうなと想像する。なかなかこうした昔ながらの芝居小屋で鑑賞する機会もないのだが・・。

続いて訪ねたのは山鹿灯籠民芸館。建物は大正時代、当時の安田銀行山鹿支店として建てられたもので、1973年まで銀行として使われていた。

中に入るとまずは紹介映像の視聴を勧められる。山鹿では毎年夏の2日間、山鹿灯籠まつりというのが開かれる。その代名詞といえるイベントが、和紙で作製した金灯籠を頭に掲げた女性が舞い踊る「千人灯籠踊り」である。映像では祭りの伝統を受け継ごうと日頃から稽古に励み、そして晴れの舞台で舞い踊る山鹿の人たちの活き活きした姿が流れる。

また、灯籠まつりではかつての旦那衆が神殿や建物などを奉納しており、現在も「灯籠師」の手によりその技術が受け継がれている。民芸館ではその力作を見ることができる。

かつて銀行の金庫室だった一角には、先ほど訪ねた八千代座の舞台が忠実に表現されている。実に精巧。

その八千代座の建物全体の作品もある。現在の八千代座は周りの建物に囲まれて全体を見ることができないため、様子をうかがえる貴重なものだという。

展示コーナーの中央には、先ほど引退した「SL人吉」の8620形蒸気機関車、そして現在も不通が続く肥薩線の球磨川第一橋梁。こちらは現在の若手の灯籠師の作品である。

他にも日光東照宮、浅草雷門、金閣寺などの建造物やブルーインパルスの戦闘機など、その精巧さを見る楽しさがある。制作するにはとてつもない根気が必要だろうが・・。

もう一つ目を引いたのが、線路の上を走るバス車両。レールバスというやつだ。かつて、鹿児島線の植木と山鹿の間に山鹿温泉鉄道という私鉄があったとのことで、このレールバスは車両不足を補うために一時的に走っていたそうである。利用客の減少に加え、幾度も水害に遭ったことから1960年に全線休止、1965年にそのまま廃止になった鉄道である。先ほど山鹿まで植木経由でバスに乗って来たが、さすがにその頃廃止された路線となるとその痕跡は残っていないだろう。

吹き抜けの2階には金灯籠が吊り下げられるほか、天井には「双龍の絵」が掲げられている。かつて山鹿には細川藩主の休泊所である山鹿御茶屋というのがあり、殿様専用の「御殿の湯」があった。その「御殿の湯」の天井に掲げられていた実物が民芸館で保存されている。

かつて「御殿の湯」があった場所に、現在公衆浴場の「さくら湯」がある。その別棟に「双龍の絵」を復元した天井絵があるとのことで、ならば温泉地に来たこともあり、「さくら湯」に入ってみることにしよう・・・。

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第21回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第100番「金剛乗寺」(温泉脇の古刹)

2025年01月28日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

1月11日、この日の目的地である熊本北部の山鹿に到着。時刻は15時で、ちょうど宿泊するスーパーホテル熊本・山鹿にチェックインし、荷物を預けた後で町中に出る。

これから目指すのは九州八十八ヶ所百八霊場の第100番・金剛乗寺。ホテルから5分ほど歩くと山鹿温泉の観光スポットに出る。代表的な公衆浴場のさくら湯や、昔ながらの芝居小屋である八千代座、他にも山鹿灯籠民芸館といったところが固まっているところである。金剛乗寺もその一角にあり、まずは参詣した後、夕方までの時間でこれらのスポットを回ることにする。

かつての銀行の建物を利用した山鹿灯籠民芸館を過ぎ、案内に従って脇道に入ると石の門がある。異国風というのか、以前に九州観音霊場めぐりで長崎の札所でも同じような門を見た覚えがある。月輪門という名で、これをくぐることで如来の心中に入ることを意味するという。さすがにクルマでくぐるのは無理だが・・。

門の向こうには修行大師像が立ち、その奥に山門がある。案内板には菊池氏、細川氏の祈願所の文字も見える。九州八十八ヶ所の第100番ということで、札所発足時は番外札所だったが、その後に百八霊場として加わった形だ。ここまで番外組も順次訪ねたが、こちらも100番ということで大台に乗った。いよいよ九州八十八ヶ所めぐりも後半から終盤に向かうことになる。

金剛乗寺が開かれたのは平安時代、弘法大師によるとされる。往時は「西の高野山」と称されるほどの規模を有していたという。後に衰退したが、後鳥羽天皇により再建され、室町時代の中頃に宥明法印により再興された。この宥明法印は山鹿温泉にも関係しており、当時枯れていた温泉を、薬師堂を建てて祈願して復興させたと伝えられている。

その後の歴史については触れられていないが、少なくとも江戸時代の細川氏の祈願所であったことから当時もそれなりの存在感があり、明治の廃仏毀釈も乗り越えて現在に至る・・というところか。

本堂に向かう。本尊は薬師如来。九州八十八ヶ所百八霊場の札所は本堂に上がってお参りできるところが多いのだが、この時は本堂の中から読経の声がする。どうやら法要中のようで、さすがにその扉を開けるのははばかられるので、本堂の外でのお勤めとする。

朱印は本坊のインターフォンを押して、寺の方に対応いただいた。

さてこの後は限られた時間だが、近隣にある山鹿のスポットをたどることにする。ちょうどこの通りはかつての豊前街道で、参勤交代にも使われた山鹿のメインストリートである・・・。

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第21回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~熊本の干物で一献後、山鹿に移動

2025年01月27日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは前回の続きとして再び熊本市街に向かい、九州をめぐるのならということで熊本城を見物。この後、第100番・金剛乗寺の参詣のために山鹿に移動するが、この後の予定はのんびりしたものである。

山鹿へは桜町バスターミナルから路線バスで1時間20分ほどかかるが、バスは30~40分の1本のペースで出ているし、札所と周辺のスポット、そして宿泊地も近い位置に固まっている。この日(1月11日)は山鹿に泊まり、翌朝のバスで玉名に抜けるルートである。

ということで、今回はしっかり昼食をいただくことにする(私が旅に出た場合、昼食をとったりとらなかったりまちまちだし、昼食を通り越して昼飲みになることも多いのだが・・)。熊本城から新市街のアーケードに出る。前回熊本で一献とした「遊食亭 えくぼ」もこの通りにある。

昼食ならラーメンという手もあるし、繁華街なのでさまざまな店舗もある。そんな中で見つけたのがカレーのココイチ・・・の真上にある「ひものキッチン本店」。さまざまな種類の干物がある他、串にさして焼き鳥感覚でいただける「ひもの串」というのもある。定食もあればランチタイムから「せんべろ」や「飲み放題」まで楽しめる。

まだ新しい造りの店に入ると、「定食?居酒屋?」と訊かれる。ここは居酒屋を選択だが、別に定食を注文してもよいし、ご飯セットは単品で追加できるからどちらでもよいようだ。まずはビールをいただく(この後札所めぐりだが・・)。この後「白岳しろ」にスイッチ。

やって来た「ひもの串」のお任せ5種盛り。塩サバ、赤魚、縞ホッケはわかるが、変わり種はししゃも。川魚のように串刺しにした感がある。そして珍しいのは鰻の白焼き。鰻の白焼きじたい口にする経験がほとんどなく、それも串になって片手にグラスを持っていただくとは・・。

干物の串焼きはこの店オリジナルのものではなく、食べ方としては「あり」のようで、ネット通販で購入できる業者もあるようだ。調理するほうは手間だろうが、食べやすさで魚の消費量が増えればそれはそれで喜ばしいことだろう。

ただ、串焼きだけではなくがっつり食べたいとも思う。干物といえば・・ということでイカの丸干しを注文したが入荷がないとのことで、次の候補とした大アジの開きを注文。30cmほどのものが出てきて、これは食べ応えを通り過ぎそうだ。

ということで、ご飯セットを追加する(ご飯、味噌汁おかわり自由)。ここで店のおすすめにあったのが、だし茶漬け。これはアジの旨味が引き立つようで、ご飯も進んだ。昼から豪勢なこととなった。

この後、桜町バスターミナルに移動。単なるバスターミナルではなく複合商業施設「サクラマチ クマモト」となっており、地下には飲食店、土産物店、食料品店も連なる。熊本県内のさまざまな酒を扱う「くまBAR」という店もある。

その一角に「味千×桂花」という店を見つけた。熊本ラーメンで有名店である「味千」と「桂花」だが「×」とはどういうことか。フードコートのような造りだが、それぞれのメニューを注文することができるようだ。

後で知ったところではこういうことのようだ。昭和40年代に東京に進出し、熊本ラーメンの名を広めた「桂花」だが、客の減少や設備投資が重荷になったことで、2010年に民事再生法の適用を申請した。そこで支援を名乗り出たのが、同じ熊本ラーメンの老舗で海外にも展開していた「味千」。同じ熊本ラーメンとはいえ「味千」には「味千」の、「桂花」には「桂花」の、それぞれの歴史、特徴や良いところがある中、合併してしまうのではなくオリジナルの味を引き続き提供してほしいという思いで支援という形をとったそうだ。

そして2023年、それぞれのブランドメニューを一体化した「味千×桂花」を阿蘇くまもと空港、そしてサクラマチクマモトに出店した。先ほどの「ひものキッチン」も楽しかったが、こういうことを事前に知っていればターゲットを「味千×桂浜」にして両方のラーメンを一度に味わい、ついでに飲み物は「くまBAR」にしたかもしれない・・。

さて、コインロッカーから荷物を取り出し、バスターミナルに向かう。次の便は13時30分発の山鹿温泉行き。到着は15時前の見込み。

まずは熊本城の東側から北側に回る。熊本城稲荷神社、加藤神社といったところを過ぎる。途中は県道なども走り、沿線の利用もそこそこある。途中から国道3号線に入り、熊本県北部の玄関口である植木インターの前を通過する。まあ、1時間あまりの移動時間はバスの最後部の座席でのんびり過ごすだけであった。

終点の山鹿バスセンターに到着。現在は九州産交のこのバスセンターが山鹿の公共交通機関の拠点となっている(以前は西鉄や熊本電鉄のバスも乗り入れていたそうだが)。

バスセンターから少し歩いたところのスーパーホテル熊本・山鹿がこの日の宿泊地である。ちょうどチェックイン開始の15時ということで、早々に手続きをする。バスセンターにもコインロッカーはあったが、チェックインすることで荷物を軽くすることができる。まずはこの後少し歩き、第100番の金剛乗寺、そして見物、さらに温泉とするか・・・。

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第21回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~熊本城に登城

2025年01月24日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは、前回訪ねた熊本からもう一度始まる。次の目的地である第100番・金剛乗寺がある山鹿に向かうにあたり、熊本の桜町バスターミナルから路線バスに乗るのが利便性がよさそうというのを見つけた。であれば、前回訪ねることができなかった熊本城を見物してからでも十分である。

桜町バスターミナルのコインロッカーに荷物を預け、加藤清正の像の前から登城する。2016年の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城、その後復旧工事が進められ、現在は「特別見学」の形で一部エリアのみ、また順路も決められているがまずは復興のシンボルということでいち早く復旧した本丸、そして天守閣まで行くことができる。ただ、城全体の復旧となると当初の計画より大幅に遅れ、2052年度となる見通しである。

完全復旧まで36年とは気が遠くなるようにも思うが、複雑な積み付け構造が見られる石垣を含めて、城全体を文化財として大修復して、往時の姿を取り戻す計画である。

熊本城といえばこの二様の石垣である。登れるような、登れないような・・。ただ現在はボルダリングという競技もあり、その筋で活躍する選手たちならいとも簡単に攻略してしまうのかもしれないが・・。

そして大小の天守閣が並ぶ本丸に到着。国内外の観光客が大勢訪れ、天守をバックに記念撮影に余念がない。この天守閣じたいは昭和の再建であるが、その外観はやはり街のシンボルにふさわしく、地震で大きな被害を受けた熊本の人たちにとって、お城が復旧したというのは心の大きな支えになったことだろう。

天守閣の中は熊本城の資料館となっており、加藤清正による築城、そして後の細川藩による城下町の整備などが紹介されている。加藤氏の改易後、小倉から熊本に入った細川忠利の時、熊本では大きな地震があり城にも被害があり、その後も地震が頻発していたことで「本丸にはいたくない」とボヤいたという手紙も残っている。元々、別府~島原間は断層の多い地形で、熊本も地震が起こりやすい土地だったという。

かつての天守閣の写真も残されている。西国の大名たちを抑えるために強固な構造となった熊本城だが、江戸の幕藩体制の時には戦じたいが起こらなかった。図らずも熊本城がその威力を発揮したのが、明治維新後、士族たちが西郷隆盛をかついで最後の反乱を起こした西南戦争である。当時、熊本城には熊本鎮台が置かれ、谷干城が司令長官となっていたが、薩摩軍はまず熊本城を攻め、九州から本州への経路を確保しようとした。

開戦直前に何らかの原因で出火し、天守閣と本丸御殿は炎に包まれたが、それでも熊本城は各方面からの薩摩軍の砲撃にも耐え、その後の兵糧攻め、水攻めにも耐えた。強固な造りでさすがの薩摩軍も石垣を登っての攻略もできなかったという。しびれを切らした薩摩軍は熊本城攻略をあきらめて田原坂に北上、ここで政府軍に敗れ、また政府の援軍も熊本城に到着したことで薩摩軍は撤退し、その後鎮圧されることになる。

熊本城が唯一経験した攻城戦だが、敗れた西郷隆盛は「おいどんは官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」と言ったそうである。もし加藤清正がこの言葉を聞いたら、どんな反応を示しただろうか・・。

最上階に着き、ガラス越しに四方の景色を眺める。阿蘇の山並みもかすかに見えるような、見えないような・・。

仕切り直しで熊本のシンボルに来ることができてよしとして、山鹿に向かう。ただせっかくなので中心部で昼食としてからにしようか・・・。

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第21回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~今回で熊本県の札所コンプリートを目指す

2025年01月23日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

2024年の末に訪れた九州八十八ヶ所百八霊場めぐり。この時は熊本市街、玉名の札所をめぐり、熊本での一献もあった。最後に熊本城を見物して青春18きっぷで広島に戻る予定にしていたが、大阪に住む母の具合が悪くなったことで、日程を繰り上げて大阪に帰省。そのため大阪にて年越し、実家マンションから初日の出も見ることができたのだが、その後はいろいろあった。結局、仕事始めだった6日も実家に滞在し、リモートワーク。その週にようやく落ち着くことができ、広島に戻る。

もっともこれは一時的なもので、今後もさまざまな対応が出てくると思う。要は「介護」のことである。私もそうした年齢になり、現実のものとなったということだけ書いておく。

その週末の1月11日~13日は3連休。年末年始の休みもよいが、年始の仕事始めでなかなかエンジンがかからない中、成人の日が変更されたために暦の上で3連休となったこの週末というのは案外ホッとするものである。ここでもう一度気持ちをリセットするというのか。かつての大阪の職場では一時、公式行事としてここに照準を合わせて伊勢神宮参拝というのもあったなあ・・。

ここに無理くり、年末に訪ねたばかりの九州八十八ヶ所百八霊場めぐりを急遽組み込むことにした。1月の成人の日の連休は世間のハコモノも通常営業しており、前回たどったルートではその姿を見ることすらなかった熊本城を訪ねることができる。また荒尾にある第58番・金剛寺、第101番・大勝寺、そして山鹿にある第100番・金剛乗寺をめぐると、九州八十八ヶ所百八霊場の熊本県がコンプリートとなる。熊本県が終わると残りは福岡、佐賀、長崎という九州北部ということで、この札所めぐりも後半の盛り上がりとなる。

11日~12日の1泊2日として、ルートをどうしようかいろいろ考えた。一応、九州一周の札所めぐりのコマは玉名まで進んでいる。新玉名まで行って山鹿行きのバスに乗れば第100番・金剛乗寺に行けるが、ただバスの便は少ない。一方、熊本の札所は済んでいるが、熊本城に行けていない(天守閣の姿を見ることすらなかった)。天下の名城を素通りというのも名残惜しい。

・・ということで、まずは九州新幹線で熊本に向かい、熊本城を訪ねることにする。そして熊本の交通の要衝である桜町バスターミナルから山鹿に向かう。山鹿へのアクセスだが、桜町バスターミナルからだと30~40分に1本の頻度でバスが出ており、玉名から行くより便利である。山鹿では第100番・金剛乗寺を訪ね、温泉地ということでそのまま宿泊。翌日、山鹿からバスで玉名に移動し、鹿児島線で荒尾はいったん通過して大牟田に向かう。大牟田まで行くのはレンタカーを利用するためで、公共交通機関でも行けそうな荒尾の札所に加えて、かつての炭鉱の産業遺産(今は世界文化遺産の一部)も回ることにする。

・・・という、相変わらず長々とした前置きがあり、1月11日、広島から定番の6時53分発「こだま781号」博多行きで出発。まずは車内でのんびり過ごす。

博多からは8時40分発「さくら403号」に乗り継ぐ。このルート、私にとっては「バリ得こだま」で割安で九州に移動する際の定番となっている。博多始発だが列車名が「つばめ」でないのは、新鳥栖、久留米の後の駅を通過するからだろう。

9時18分、熊本に到着。12月30日の朝に出発してからわずか中11日で降り立つとはね・・・。

駅前から市電で辛島町に移動する。桜町バスターミナルのコインロッカーで荷物を預け、熊本城に向かうことに・・・。

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第20回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~熊本新市街で一献

2025年01月22日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

昨年末の12月29日、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで玉名、熊本市街を回り、この日は熊本で一泊である。コースの都合上、上熊本から熊本市電に乗る。こちらの市電だが、決済方法が多岐にわたっている。現金のほか、全国交通系ICカード、PayPayやd払いなどのQRコード決済、そしてクレジットカードやスマホによるタッチ決済・・と何でもあり。現在、タッチ決済に対応した機器を導入するため全国交通系ICカードの利用が停止されている熊本県内のバス路線、また熊本電鉄とは対照的である。

ガタゴト揺られ、洗馬橋電停で下車する。電停横にはたぬきの銅像、そして童謡「あんたがたどこさ」の歌詞が書かれた菓子店の看板がある。「あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ」にある「船場」とはこの辺りとされている。ただ、この後の「船場山には狸がおってさ」となると、近くに山というほどの山は見えないし、どうなのかと思う。この「あんたがたどこさ」、一説では埼玉の川越が発祥ともされている。

ただもう一方、「あんたがたどこさ」の歌詞を見ると「電線音頭」が頭に浮かぶ。「それを猟師が鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ ヨイヨイヨイヨイ オットットット・・・」。昭和の時代。

電停から少し歩き、この日チェックインしたのが、スーパーホテルLohas熊本天然温泉。前日の肥後大津のルートインとともに、全国チェーンのホテル宿泊となった(さすがに市街地にあるこの部屋は、カーテンの向こう、すぐ隣には別のマンション?ビルがあって眺望はなく)。ただスーパーホテル独特のよさも感じられる(部屋の鍵が暗証番号方式なので、部屋を出るたびにエアコンのスイッチが切れずに済むのはありがたい)。

部屋に荷物を置き、まずは天然温泉・火の国美肌の湯に入る。浴槽は若干狭いのだが早い時間ということで他に客もおらず、ゆったりと浸かる。

しばらく部屋で休み、一献ということで市電に乗る。今度は別系統の河原町から乗車。中心街に近い辛島町で下車する。

今回向かったのは新市街のアーケード。年末ということでどの店も混雑しているだろうというのと、熊本の料理や酒がさまざまあるというので予約したのが「遊食亭 えくぼ」。前日に続いて熊本名物をあれこれ楽しむつもり。ただ予約も詰まっているため、1時間半ラストオーダーの2時間制といわれる。

本日のおすすめとともにメニューを見てあれこれ考える。馬肉メニューもあれこれある。

まずは前菜として人文字ぐるぐる。そして馬ホルモンの味噌煮込み。前日はすじ煮込みだったかな。ホルモン煮込みもなかなかの一品だった。煮込みがあるということは、熊本には馬のホルモン焼きを出す店もあるのだろう(今回スーパーをのぞく機会はなかったが、熊本のスーパーの肉コーナーには馬肉を置いている店があるのかな)。

メインは馬刺し。赤身、タテガミ、フタエゴの三種盛りである(さすがに、霜降りが加わるが1000円プラスとなる「上」を注文するまでの勇気はなかった)。これらを単品、あるいは2種、さらには3種をいっぺんに口にして味のバリエーションを楽しむ。

メニューを見て気になったので注文したのが、地獄蒸の焼豚足。大分県に接する小国町の名物とあり、地熱の蒸気でじっくり蒸しあげ、その表面をあぶった一品である。外はカリッと、中はトロトロの味わいを楽しめる。

その間に焼酎も進む。定番の白岳しろに加え、この札所めぐりで出会った人吉の武者返し、川辺といったところをいただく。普段積極的に焼酎を注文することがないのだが、熊本県内に入り米焼酎を口にすることが多かった。これも札所めぐりで得たご縁である。

料理の最後に出たのは、時間をかけて調理されたカンパチのかま焼き。身がぎっしりと詰まっており食べ応えがあった。ここでラストオーダーとなり、次の客もいるので速やかに店を後にする。

この後はしばらく繁華街をぶらつき、桂花ラーメンの本店を見つけたので入る。熊本のラーメン店と聞いて連想するのが桂花ラーメンと味千ラーメン。味千のほうはこの札所めぐりの途中、たまたま国道沿いで見つけた水俣店に入っている。これで一応、両方押さえたことになる。

市電に乗ってスーパーホテルに戻る。このホテルの1階「旅彩」にも郷土料理がいろいろあったようだ。ここなら多少安く上げることができたかな・・と思いつつ、まだ開いていたフロントのウェルカムバーに向かう。各種アルコールの中に白岳もあり、趣向を変えてソーダ割でいただく。

この後は再び天然温泉・美肌の湯に入り、部屋でゆっくりしていた。

・・・夜遅く、スマホが鳴った。実家の母の様子がおかしくなったので、早く大阪に帰省してほしいとの声であった。当初の予定では翌12月30日は熊本城見物、そして青春18きっぷを使って広島に戻り、翌31日から高松へ移動、そして年明け、元日に大阪に帰省することにしていた。ただ、そうも言っていられないようだ。

この時間からではどうしようもなく、翌朝、身支度もあるのでいったん広島に戻り、準備をした後に大阪に向かうことにした。ということで、熊本城見物は見送り。また青春18きっぷ5日間用の元は取れないことになったが、仕方ない。

朝食後に市電で熊本駅に出て、熊本から大阪市内までの乗車券、そしていったん下車する広島までの新幹線特急券を購入した。結局正月いっぱい、そして仕事始めからしばらくは実家にて過ごすことに・・・。

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第20回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第55番「本蔵院」(産業道路は病院が目立ち・・)

2025年01月21日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは熊本市街、第56番の金剛寺を訪ね、そのまま産業道路沿いに第55番・本蔵院を訪ねる。この日、朝からの行程は熊本城の外側をぐるりと回るもので、それでいて肝心の熊本城の姿を目にすることがないというもの。

産業道路を走るバスの系統もあるのだが、これから目指す本蔵院から熊本駅方面に向かう系統は本数が少なく、次の便を待ってもよいのだが、このまま歩くことにする。次の本蔵院を訪ねたところでこの日の札所めぐりは終了、そのまま宿泊するスーパーホテルまで移動すればよいので時間はいくらでもある。

熊本整形外科医院の前を通る。ここは公立ではなく一般の病院なのかな。病院といえば、熊本電鉄で御代志まで行った後、近くに熊本再春医療センターというのを見た。熊本には再春館製薬所もある。細川藩の学校だった「再春館」から取られた名前だが、なぜかこの日は「病院」がやけに目に入るように感じられた。

九品寺(くほんじ)の交差点を過ぎる。市電も通る熊本の交通の要衝の一つで、商店やマンションも建ち並ぶところ。九品寺というからその名がついた寺があると思うのだが、検索してもそうした寺が見つからない。

そのまま進むと尚絅大学のキャンパス前を通る。こういう名前の大学があるとは初めて知ったが、「尚絅」とは中国の詩経の中に「衣錦尚絅(錦を衣て絅を尚ふ)」という一節があり、「華麗な着物をまとっても、うすぎぬをかけて外に現さない」という意味という。転じて、深い学問や教養を身につけていても、それを見せびらかすことなく奥ゆかしい女性であれ・・というのが建学の精神だとか。元々、熊本の名門校である濟々黌の女学校として設立されたところ。もっとも今の時代にあって「奥ゆかしい女性であれ」というのはどこまで受け入れられるだろうか。

さらに進むと熊本大学病院、その向かいに熊本大学医学部がある。何だか、病院が続くなあ・・。

その中、本蔵院に到着。本堂が真新しい。2022年から再建工事が行われ、2024年に落慶したばかりの建物である。扉は閉まっており、インターフォンで朱印を願うと扉を開けて中に迎え入れてくれる。

本蔵院の歴史は阿蘇山にあるとのこと。阿蘇には阿蘇神社の別当である西巌殿寺を中心とした修験道の拠点となっており本蔵院も西巌殿寺の子院の一つであった。明治の廃仏毀釈で廃寺となり、後に熊本市内に移転して真言宗の寺として復興した。修験道の歴史を組むこともあり、本尊は不動明王。

こちらでお勤めとして朱印をいただく。

本蔵院の前には交通安全の延命地蔵尊が建つ。昭和35年の建立とあるが、この一帯は元々土葬墓地だったのが、道路拡充により現在地に一括移転、そして最近は事故多発地帯でその数も年を追って増加して・・とある。これだけ読むと、土葬墓地を掘り返したことが何だか祟りのように見えてしまうのだが、どうだろうか。

本蔵院から熊本駅までは産業道路を歩いて15分ほどということでそのまま進む。

その途中、ベンチに猫を抱いて腰掛ける犬の人形に驚く。こちら、竜之介動物病院という・・。何だかこの通りでは病院がどうしても目に入ってしまう。この先もごく普通の外科や歯科を見ても目に付くし、リハビリテーションを学ぶ学校の前を過ぎる頃には、何でもありやなという気分になった。

白川を渡ると正面に熊本駅が見えて来た。ここから、コインロッカーに荷物を預けた上熊本に向かうと循環ルートの完成である。鹿児島線の列車で1駅乗ろうかと思ったがちょうど発車したばかり。バスの便があるのでそちらで移動する。

この日は熊本市内に宿泊。上熊本からは市電に乗って行くことに・・・。

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第20回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第56番「金剛寺」(藤崎宮から中将姫勧請の寺へ)

2025年01月20日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

熊本電鉄に上熊本~北熊本~御代志~藤崎宮前と乗車。これは年が明けてからのことだが、熊本電鉄ではこの2月から電車の運行本数を約3割減らす大幅減便のダイヤ改正が行われるという。

この数年、運転士不足が続いており、本来必要な運転士の人数が9人のところ、常勤の運転士はこれに足らない7人(他部署からの応援で何とかやり繰りしているという)。ただ、この1月から2月にかけて7人のうち3人が退職ということで、本数が減るだけでなく始発の繰り下げ、最終の繰り上げも行われるとか。

電車の運転士・・・(話が脱線するが・・あ、電車だけに脱線はよくないか)今はそうでもないのだろうが、私の子どもの頃だと将来なりたい職業の一つに挙がっていたと思う。今でも募集すれば応募があると思うが、地方私鉄の給与、休日、勤務時間などを考えると、憧れだけではやっていけない仕事なのだろう。今や一部の大手企業では大卒の初任給30万円超え、中には40万円近くというところもあり、ニュースでも取り上げられるが、その一方で地方の中小企業は賃上げといってもなかなか厳しく、かつ鉄道という日銭仕事では増収といっても知れたもので・・。こうした状況を鑑みると、くまモンを前面に出して台湾からの観光客を呼び込むことも企業努力である。

さて、藤崎宮前を下車して、まずは駅名にもなっている藤崎八旛宮に向かう。最初、「八幡宮」と書いたのだが、ここ藤崎宮では「八旛」と書くのが正しい。

国道3号線を渡り、まずは石の鳥居をくぐり参道を歩く。その途中にあるのが「吉田司家跡」。節会相撲の故実や伝書が受け継がれていた吉田家だが、後鳥羽天皇が宮中での相撲の儀式を復活させた際、行司に任ぜられた。その後朝廷での節会相撲で長く行司を務めたが、江戸時代になると細川藩に仕えて熊本にやって来た。後に、「横綱」という地位を考案し、谷風梶之助にその免許を与えた。谷風は現在の大相撲では第4代の横綱に数えられるが、史実としては事実上初代の横綱と言われている。

あ、横綱といえば・・(また話が脱線して土俵を割りそうだが)、この初場所途中で第73代横綱・照ノ富士が引退を表明した。この時点で黒星が続いていた大関・琴櫻の場所後の綱取りはすでに絶望的だったが、序盤を何とか乗り切った大関・豊昇龍もここに来て連敗。優勝の可能性はまだかすかにあるにしても、トップの金峰山とは9日目で3差。仮に豊昇龍が全勝して逆転優勝したとして12勝止まり。これではさすがに初場所後の横綱昇進とはならないだろう・・。

藤崎宮に到着。熊本の総鎮守として創建されたのは平安中期、平将門、藤原純友の乱の追討と九州の鎮護のため、石清水八幡宮から応神天皇、神功皇后、住吉三神を勧請した。元々は熊本城の西に当たる茶臼山に建立され、加藤氏や細川氏からも手厚い保護を受けたが、明治の西南戦争の兵火により焼失し、現在地に移された。元々社殿があった場所には現在藤崎台球場がある。ほぼ毎年ホークスの公式戦が行われており、今季は5月にバファローズ戦が組まれている。これはぜひ(札所めぐりとは関係なく)行ってみたいものだ。

拝殿にて手を合わせる。

藤崎宮から、九州八十八ヶ所百八霊場の第56番・金剛寺は近く、歩いて向かうことにする。白川を渡って数分で到着する。

駐車場の看板に「中将姫」の文字が見える。中将姫といえば奈良の当麻寺で出家し、一夜にして「当麻曼荼羅」を織り上げたと伝わる人物だが、その名が熊本にあるというのは・・?

寺は最近の鉄筋コンクリート造りで、階段を上がって本堂に入る。それを見て寺の方が出てきて内陣の照明をつけ、朱印帳を預かっていただく。まずはここでお勤めとする。

金剛寺が開かれたのは慶長の頃、斉藤又右門という人が夢のお告げを得て中将姫を勧請したことによるという。当初は熊本城の裏鬼門にあり、加藤神社の別当寺でもあったが、明治の廃仏毀釈で衰退、後に現在地で増本法秀により再興され、現在に至る。

熊本で当麻寺とのつながりに出会うとは思わなかった。

「次はどちらへ?」と訊かれる中、目指すのは札所番号順で一つさかのぼる第55番・本蔵院である。金剛寺が面している産業道路沿いに進めば到着する。さらにはそのまま行けば熊本駅に着くというところまで教えていただき、向かうことに。バスの便もあるのだが時間が合わないこともあり、そのまま歩くことに・・・。

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第20回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~熊本電鉄に乗車

2025年01月18日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

まだ昨年末のことを書いているが、12月29日、玉名にある蓮華院誕生寺に参詣後、熊本市内を回るべく鹿児島線で上熊本に到着した。ここから、初乗車となる熊本電鉄に乗ることにする。

熊本電鉄は上熊本~御代志の菊池線、途中の北熊本~藤崎宮前の藤崎線という2つの路線があるが、現在の運転系統では、御代志~藤崎宮前がメイン路線の扱いで、上熊本~北熊本間が支線の扱いとなっている。

熊本電鉄の上熊本はホーム1本だけの駅。ここから北熊本行きに乗る。駅舎にくまモンがデザインされる中、これもくまモンのラッピングが施された車両がやって来た。どこかで見たことがある車両と思うが、以前は東京メトロ銀座線で走っていた車両である。軌間や集電方式が違うなと思うが、そこは熊本電鉄仕様に改造したという。

くまモンのラッピングは熊本だからありかと思うが、私が驚いたのは車内吊りの広告。ロート製薬の目薬の広告なのだが、文面が中国語、それも繁体字なのである。他に、列車の乗り方指南も繁体字で書かれている。大陸で使われている簡体字ではないということは、台湾からの観光客に向けた広告であり案内であるといえる(簡体字を使う大陸の人も意味はわかると思うが・・)。熊本と台湾のつながり・・観光客が先か半導体メーカーが先かというのはあるが、熊本城に行くわけでもないこの電車に台湾の人がわざわざ乗りに来るのかな?

時間となり発車。住宅が建ち並ぶ中をのんびり走る。2両編成だが、駅によってはホームが短く、2両目の車両が途中までしかかからないところもある。そこはワンマン運転で、先頭車両からの乗り降りなので支障はないようだ。

北熊本に到着。ここで御代志行きに乗り換える。ちょうど御代志から来た藤崎宮前行きは、これも東京メトロ日比谷線からの譲渡車両である。日中は北熊本で御代志行き、藤崎宮前の行き違い、そして上熊本行きとの接続がいっぺんに行われるダイヤのようだ。

そこに来た御代志行き。これも私にはなじみ薄いがどこかで見たことがあるような車両である。乗り込んで車内を見る中で、かつて静岡鉄道で走っていた車両とある。経営が厳しい路線が多い地方の私鉄、他の鉄道会社からの車両を譲り受けるなどして何とかやり繰りしている実情がある。見る人によってはそれが地方私鉄の楽しみの一つでもある。

近郊区間をガタゴト走り、合志市に入る。三ツ石は九州自動車道にある西合志バス停に近く、高速バスの時刻表も掲示されている。後で調べたが、福岡~熊本の高速バスが30分に1本(土日祝日ダイヤでは20分に1本)走っており、博多、天神まで1時間半ほどで結んでいる。合志市には初めて訪ねたが、熊本の玄関口の役割もあるようだ。

北熊本から20分で終点・御代志に到着。ホーム、駅舎ともに新しい。駅が新しいのは、2022年に合志市の御代志地区の土地区画整理事業によるもので、この辺りの熊本電鉄の線路や駅を移設したという。

「みよし」といえば広島県民の私としては「三次」に変換されるのだが・・。

御代志から折り返しの列車に乗ってもよいのだが、時間があるので1つ手前の再春医療センター前駅まで歩く。御代志駅からすぐのところに再春医療センターがある。「再春」から連想するのが、熊本にある再春館製薬。ドモホルンリンクルとか、オリンピックのメダリストを輩出しているバドミントンチームで知られる。

再春医療センターは再春館製薬が運営する病院なのかなと思ったが、この施設は戦前に傷痍軍人の療養所として創設された国立のものである。そもそも再春館製薬じたい、同じ熊本でも益城町が拠点である。ただ、それぞれ「再春」の言葉が使われていることには何か意味があるだろう。調べてみると、江戸時代の熊本細川藩の時に医学のための藩校「再春館」(現在の熊本大学医学部、薬学部につながる)が由来のようである。

ここから藤崎宮前行きに乗車。

北熊本の側線に、熊本電鉄で走っていたかつての東急5000系(通称・青ガエル)が停まっている。行き違い停車の間に反対側ホームから団体客が線路を渡るが、その話し声は中国語である。駅舎には「團體出口」もあり、そちらに向かっている。実際に台湾から熊本を訪ねるツアーというのがあるようだ。それにしても、熊本電鉄の上熊本~北熊本に乗るというのはどういう意図なのだろうか・・。

行き違いとなる御代志行きとすれ違い、北熊本からは藤崎線に入る。建物が密集する中、その間をギリギリで抜けるように走る。終点の藤崎宮前は駅ビル「熊電プラザビル」と一体化した駅である。

藤崎宮前駅に来たということでこの後は藤崎宮に参拝し、そのまま歩いて九州八十八ヶ所百八霊場の第56番・金剛寺を目指すことに・・・。

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横綱・照ノ富士引退

2025年01月17日 | ブログ

大相撲初場所は琴櫻、豊昇龍の綱取りがかかり、そこに横綱・照ノ富士がどう立ちはだかるかが注目されていたが、序盤から波乱の展開。

そして、4日目に翔猿に敗れて2敗となった横綱・照ノ富士が引退を表明した。お疲れ様でした。

照ノ富士も波乱の土俵人生であった。モンゴルから相撲留学で来日、当時の間垣部屋に入門したが部屋が閉鎖され、伊勢ヶ浜部屋に移籍。そこから一気に大関まで駆け上がり、バケモノのような強さを見せてこのまま横綱になるのかと思いきや、ケガ、病気のため序二段まで番付を落とす。

復帰場所となった2019年春場所の初日、照ノ富士の土俵を見たのが私にとっては印象である。元大関が観客ガラガラ(この当時は、椅子席の客が溜席に座っていても特に注意されることもなく)の中、まず1勝をあげた。照ノ富士の引退会見でもこの一番について「一番緊張した」と振り返ったそうである。

その後は見事復活を遂げ、かつての大関を通り越して第73代の横綱に昇進した。ちょうど白鵬と入れ替わる形だったが、横綱昇進後もケガ、病気に苦しみ休場も多かった。それでも出場すれば優勝ということも多く、10回の優勝は立派である。

休場が多かったこともありナマの本場所で横綱としての取組を見ることはなく、巡業で土俵入りを見ただけであるが・・。

年寄株の目途が立たないから引退したくてもできない・・と言われていたが、そちらのほうも目途が立ったのだろう。進退をかけて初場所に臨んだが、終盤で綱取りを目指す大関と対戦するまで持たず引退となった。もう少し・・という思いもあったが、横綱自身もやり切った思いであろう。近いうちに伊勢ケ浜部屋を継ぐと思うが、部屋には元白鵬の宮城野親方もいて・・まあ、そこは当事者同士でうまくやってくれるだろう。

さて照ノ富士の後継となる綱取りだが、豊昇龍がチャンスをつかめるかどうか。終盤も焦らず堂々とした相撲を取れば一気に行くと思うが・・・。

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カープ、九里の補償は金銭のみにて・・・

2025年01月16日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの記事の途中だが、ちょっと余談。

このオフ、カープからFAにてバファローズに入団した九里。いわゆる人的補償がどうなるのか、年末からさまざまな予想が出ていた。カープからは前年の西川に続くFA移籍、西川の時は若手の日高が代わりに移籍したが、今回はどうだか。先発の柱の移籍とあって、若手からベテランを含めた投手を獲るというのが有力視されていた。広島出身ということで山岡あたりもその一人で、正月に会ったカープファンの親戚も「ぜひ山岡を!」と(あくまで個人的意見として)。

そして16日、カープが発表したのは金銭による補償。これはどう解釈すればよいのかな。バファローズファンとしては、カープの主力投手が来るのだからそれなりの選手が出ても当然だと思っていたのだが、カープから見ればバファローズの選手というのは魅力を感じなかったのかな。あ、でも現役ドラフトでは山足を真っ先に指名しており・・カープから見れば、バファローズのプロテクト外の選手は山足より魅力がなかったということか。見下されたものだ・・・。

ただ一方で、カープの支配下選手枠が残り2つしかなく、外国人選手の獲得や育成選手の支配下登録を考えると、これ以上選手を獲るのは難しいという見方もある。新井監督は現在の戦力の底上げを期待すると言っているそうだが、現役時代に苦楽を共にしたベテラン選手がほぼそのまま残っているために枠が開けられなかったのではという声もある。

まあ、広島のマスコミは昔からパ・リーグを格下に見ているので、「バファローズにはカープに見合うこれといった選手がいなかった」とほざくのだろうが・・。

ともあれ、これでバファローズの選手たちは迷いや未練を断って、新たなシーズンに臨んでくれることだろう。また今季の観戦計画を立てなければ・・・。

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