まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

・・まあ、こういう試合もあるということで・・

2025年04月09日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

4月9日のバファローズ対ホークス戦。

終盤までバファローズが優位に進めていたが、8回からホークスの猛反撃。

9回は満を持して平野が登板したが、ランナーを出す。ここまでは平常運転だったが、山川が甘く入った変化球を捕えてレフトスタンドへの豪快な一発。ここは何度も対戦したこともあり、さすが山川といったところ。

この後もずるずるとヒット、失点を重ね・・・。まあ1敗といえば1敗だし、まだ高い勝率にはあるが初のカード負け越し。それもホークス相手。こういう試合もあるということだが、これが昨年の悪い方向に向かわなければよいのだが・・・。

この日CS中継の実況をしていたのはOアナウンサー。やはり別チャンネルでホークス肩入れ実況しているだけに、ホークスが勝ってはしゃいでましたね・・・。


トニ・ブランコ元選手がドミニカで事故死

2025年04月09日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

8日未明(現地時間)、ドミニカ共和国の首都・サントドミンゴにあるナイトクラブで屋根が崩落し、100名近い人が死亡したほか、150名以上が負傷したというニュースに接した。

犠牲になられた方の中にはドミニカの州知事や元メジャーリーガーらの名前があり、日本向けの報道ではドラゴンズ、ベイスターズ、そしてバファローズで活躍したトニ・ブランコ元選手も犠牲になったとあった。ドラゴンズで本塁打王、打点王を獲得し、ベイスターズでも打点王に輝いた。バットのヘッドスピードが速く、あっという間に打球がスタンドに飛んでいくのをスポーツニュースで見たのが印象的だった。

故障の影響で出場機会が減ったことで2014年オフにベイスターズを自由契約となり、この年まで在籍したペーニャの退団にともない大砲を求めていたバファローズにそのまま移籍した。「ラララ~ブランコ~」の応援歌で期待されたが、結局は故障もあり思ったような成績が残せず(2年で本塁打は12本にとどまった)、そのまま退団。

ブランコを間近で見た試合として、2016年の神戸でのホークス戦の画像が残っている。ブランコ、そしてホークスの柳田という両選手のこれでもかというフルスイングが印象的で・・。

さて、この崩落事故では、2015年にバファローズでチームメートだったヘルマン元選手も同席していたとある。ヘルマンによると、崩落で天井の一部が自分を直撃しようとしたところ、ブランコが体を押してくれたので助かったという。

崩落事故の原因は調査中とのことだが、地震があったわけでもなく、人災によるものだとすれば何とも悲劇である。ともかく、事故で犠牲になられた方々のご冥福を祈ることに・・・。


「百姓一揆」ではなく「打ちこわし」では?

2025年04月07日 | ブログ

このところ連日物価高、値上げの話題、アメリカのトランプ大統領による関税大幅アップといったニュースが目立つ。芸能人とテレビ局のスキャンダルがどうということよりは重要なニュースである。

その中で「令和の百姓一揆」ということで各地のコメ農家が東京に集まってデモをしたという。この時代に「百姓一揆」・・まあ、インパクトある言葉だ。昔なら幕府、藩、代官に対して年貢の減免を願う、現代ならコメの買取価格を上げ、日本の農業を守ってほしいという訴えである。昔のように竹槍を持つわけでもなく暴徒化するわけでもなく、(どこぞの党の主導ということはさておき)平和裏に行われたデモである。

・・・ただ、同じ行動するなら、「百姓一揆」ではなく町民による「打ちこわし」ではないのかなと思う。何を生ぬるいことをやっているのか。

結局、今のコメの価格高騰って、コメを売る連中が何やかんや言って値を吊り上げる、あるいは売り惜しみをする、横流しする・・江戸時代のそれと同じ状況ではないか。市場原理か何か知らないが、コメを買い占め、値を吊り上げているのは商人なのだから、テレビに出て言い訳している連中を打ちこわして、実力行使すれば話は早いのでは・・・?


桜満開、広島・・そしてバファローズも・・・

2025年04月07日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

4月6日、広島はちょうど桜が満開である。近所の公園でも桜まつりをやっていたし、テレビでの桜の開花情報でもその様子を伝えていた。ちょっとぶらりと出かけることにしよう。

向かったのは広島平和記念公園。これまで平和公園と桜というのは私の中ではそれほどリンクしていなかったのだが、元安川、本川の川辺には桜並木が広がっており、広島における桜の名所である。

原爆慰霊碑にて手を合わせた後、元安川に沿ってぶらぶら歩く。ちょうど青空が広がり、花びらの色も映えている。多くの人が花見を楽しんでいる。私もちょっと道端に腰掛けて軽くプシュッと・・・。場所が場所だけに屋台などが林立するわけではないので一定の落ち着きが保たれている。

この日はすぐ北にあるエディオンピースウィング広島においてサンフレッチェ広島対セレッソ大阪の試合が行われる。「セレッソ」とはスペイン語で「桜」を意味する言葉で、ちょうど桜色のユニフォーム姿の人もちらほら見かける。

対岸には原爆ドーム。この建物を桜の背景として見ることに抵抗を感じる方もいるかもしれないが、桜の花に平和の願いを込めたいと思う・・。

さて、桜満開といえばカープ、そしてバファローズである。この日は桜見物後に帰宅して、テレビ桟敷での観戦である。マツダスタジアムの試合はともかく、北広島のファイターズ対バファローズの1戦はNHKでの全国中継ということでkれは観なければ(広島でも放映されるとは思わなかった)。バファローズは中盤に勝ち越しを許すが、中川の3ランで逆転。そのまま逃げ切り、何とファイターズ相手に3連勝。連勝も6に伸び、7勝1敗で首位をキープ。8日からはいよいよホークス戦だ。またカープも序盤から得点を重ねてベイスターズ相手に3連勝。

桜の見頃は今がピークであるが、ペナントレースはこの後も見頃盛りだくさんで楽しませてほしいものである・・・。


観戦記・カープ対ベイスターズ@マツダ~最後は劇的サヨナラ本塁打

2025年04月06日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

・・先の記事で、バファローズ単独首位! エキサイティングリーグ・パ!などと書いておきながら、やはり身近なところでのプロ野球も観戦してみよう。熱心なファンというわけではないが、マツダスタジアムでのカープ戦である。

JR広島駅に向かう。広島駅は長らく駅ビルの建設工事が行われていたが、先の3月新たに「ミナモア」が開業し、雰囲気も一変した。別にショッピングをするわけではないが、広島の玄関口がどのように生まれ変わったのかを見てみようという気もあった。

新たな店の数々もそうだが、やはり目を見張るのが、完成まであと一歩の広電乗り場。路面電車が2階に乗り入れる構造の駅というのは他にあるだろうか。一方で、この区間の開業と引き換えに、猿猴橋町、的場町の区間が廃止となる。確かにここをぐるりと回るのがかったるく感じられることもあった。

この2階部分から愛宕踏切を過ぎたところまで通路が延びている。マツダスタジアムへの道も分散された形である。

スタジアムに到着。この試合は2階指定席での観戦である。さすがにマツダスタジアムのチケットの売れ行きは良く、空いていたのがこのシートだがちょうどグラウンド全体を見渡せる位置である。

一塁側ではこの日のカープ先発・床田がアップの最中。一方のベイスターズ先発は開幕投手の東。

限られたスペースだが、三塁側ビジター応援席はベイスターズファンで賑わっている。スタメン発表の時に旗が振られるのだが、その中に「至誠通天☆下関」という文字が見える。ベイスターズの前身である大洋ホエールズの当初の本拠地が下関だったこともあり、今でも一定数のファンがいるそうだ。昨年日本シリーズを制したことを受けて、下関では三浦監督を招いての祝勝会も行われたくらいだ。広島対横浜といいつつ、広島対下関という中国地方対決の面もある。

両チームのスタメンはこのような形。

さて初回、ベイスターズは先頭の梶原のヒットから一死一・二塁として、4番・オースティンがセンターへのタイムリー二塁打で2点を先制する。

カープの反撃は2回。先頭の堂林が二塁打を放ち、守備の乱れに乗じて三塁に到達。一死から末包の二塁打、菊池のタイムリーで2対2の同点とする。

そして4回裏、二死からファビアンがショートへのゴロ。このゴロを捕球した森の一塁への送球が浮き、セーフの判定。三浦監督から物言いがついたが軍配通りセーフ。

ここで続く末包にレフトスタンドへの豪快な一発が出て、4対2とカープが勝ち越し。スタンドも大いに沸く(打った瞬間の画像は今季からの決め事により掲載は控えます・・)。

床田は初回こそ2点を失ったが、2回以降は安定した投球を見せて5回終了。

6回には好守も出た。先頭の佐野がヒットで出塁し、オースティンの内野ゴロの間に二塁へ進む。続く宮﨑の打球はショートへのゴロだったが、走者の佐野は三塁へ向かう。ここでショート・矢野が冷静にさばいて三塁へ送球、タッチアウト。この試合、森は悪送球1つあったが両チームのショートがいい動きを見せていたのが印象的だった。

7回表、ベイスターズのラッキー7。下位打線ということもあり床田は三者凡退とする。

カープのラッキー7。「それ行けカープ」の著名人リレーも2025バージョンであるが、おなじみの顔ぶれが並ぶ。7回裏も東が続投し、こちらも三者凡退。

8回表、カープは床田が勝ち投手の権利を持ったうえでハーンに継投。先頭の梶原がヒットを放つも最後は佐野を併殺に打ち取って反撃を許さない。

8回裏も東が登板。一死から矢野の打球を三塁・宮﨑が後逸。その後小園の二塁打、堂林の四球で満塁となり、打席にはファビアン。ここで再び宮﨑にエラーが出て、6対2と点差が広がる。ここで東は降板。失策が絡んでの失点が残念な所である。ここで堂林の代走に起用されたのが、バファローズから移籍の「時代は山足」である。後続が凡退したので得点には絡まなかったが・・。

6対2になったのでセーブはつかないが、9回は栗林が登板。「時代は山足」も一塁の守備についた。ここまで早い展開で来ており、3時間を大幅に切る時間で終わりそうだ。ただ、ここからあそこまでもつれる展開になるとは・・。

ベイスターズは先頭のオースティンが四球、続く宮﨑が三塁への内野安打で出塁。蝦名にもヒットが出て無死満塁。何だか嫌な展開・・。

ここで山本がタイムリー二塁打を放ち、6対4と追い上げる。なおも無死二・三塁となったところで、代打に筒香が登場。ああ、ここでとっておきか・・。カウントが悪くなれば一塁が空いているので歩かせても・・と思ったが、ここはフルカウントから空振り三振に打ち取る。

しかし栗林は次の代打・京田にストレートの四球。これは作戦ではなくコントロールが定まっていないということで、再び満塁となり、ここで降板となった。代わって塹江が登板。梶原を三振に打ち取り、ワンポイントで島内に継投。ともかく、あと一人だ。

ここで島内は牧に押し出し四球を与え、6対5。なおも満塁のところで、佐野がレフトへのタイムリーを放ち、7対6とベイスターズが逆転する。続くオースティンが凡退して攻撃は終了したが、まだ9回裏の攻撃が残っているにも関わらずここで席を立つ人も出た。

9回裏は今季抑えで起用されている入江が登板。まず代打・野間がライトへのヒットで出塁(代走・羽月)。続く代打には曾澤が登場。ここで羽月が盗塁に成功したが、曾澤が死球を受ける。治療の後、無事に出塁して無死一・二塁となる。すんなりとは終わらせないようだ。

ここで二俣がバントを決めて一死二・三塁とした後、矢野の当たりは二塁への強い当たり。牧が処理したがこの間に羽月が生還して7対7と同点に追いつく。楽勝ムードから9回に逆転されたが、最後に何とか追いついてスタンドも再び盛り上がる。

続く小園は敬遠となり、迎えるは「時代は山足」。ここはぜひサヨナラを決めてカープのヒーローとなってくれ・・と願うが力のないフライ。7対7で延長戦に入った。

10回表は森浦が登板。三者連続三振という危なげない投球を披露する。一方のベイスターズは伊勢が登板。こちらも三者凡退とする。森浦は11回も登板。三振二つで五者連続三振とし、最後は梶原をゴロで打ち取る。

そして11回裏、山﨑が登板。ああそうか、ベイスターズにはまだこの投手がいたな。三塁側からは「康晃ジャンプ」が起こる。カープは森浦のところで代打・田村。

その初球、すくい上げた当たりはそのまま伸びて右中間スタンドの前列に飛び込む。8対7、劇的なサヨナラ本塁打となった。これはすごい。

ちょうどルーズベルト・ゲーム。観ている側としては面白かったが、現場としては何とも複雑な気持ちだろう。カープとしては今季初の連勝、初のカード勝ち越しとなったが9回ですんなり決めたかっただろうし、ベイスターズとしては9回の逆転はともかく、そこまでの失点にはすべてエラーが絡んでいたし・・。

ヒーローインタビューは、2回を完全に抑えて勝ち投手となった森浦、そしてサヨナラ本塁打の田村がお立ち台。田村は4年目でプロ初本塁打。若い野手も多い中、大きなアピールとなった。

観戦後は大混雑の中、広島駅に戻る。1階部分にも土産物店や飲食店、駅弁コーナーがオープンしており、ここも新たな賑わいである。「ミナモア」は「ミナモア」で改めて訪ねることにしよう・・・。


バファローズ単独首位、エキサイティングリーグ・パ!!

2025年04月04日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

ありがたや。

・・といっても開幕6試合目のことなので、どうということもない。

ただ、北広島でのファイターズ相手の初戦を取ったのは大きい。2戦目、3戦目の結果如何でよりいい感じになる。

・・その中、現在少しずつ読んでいるのが「オーナーたちのプロ野球史」(中川右介著、朝日文庫版)。先の年末に帰省した際に立ち寄った書店で見つけた一冊である。

日本のプロ野球には現在まで58社が「親会社」として関わったということで、その中には鉄道、新聞、映画、食品、ITなどさまざまな産業が関わった。この一冊は選手の活躍には一切触れない代わりに、プロ野球のオーナーたちがどのように関わったのかという「産業興亡史」の一面が強い。

現在の両リーグを見るに、波乱万丈の歴史といえばやはりパ・リーグである。この一冊は各球団の変遷だけではなく、個性的なオーナーたちの経歴や武勇伝にも触れられている点で異色の歴史書といえる。まあ、苦難の時代が長かったが・・。

改めて、エキサイティングリーグ・パ!!


平野佳寿、NPB通算250セーブ達成! バファローズも久しぶり「首位」浮上

2025年04月03日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

4月初めの千葉でのマリーンズ戦は平日にも関わらずデーゲームやったんやね。仕事終わりに試合の途中経過を観ようとしたらもう終わっていて・・。ちょうど春休みの子どもや学生にとっては観戦しやすい日程である(また、冬の屋外球場はまだ寒いだろうし・・)。

この試合はルーキー・麦谷が先制打を放ち、同点の後は公式戦に入って打撃好調の西川が勝ち越し打を放つ。9回はNPB通算250セーブが持ち越しとなっていた平野佳寿が登板。1点差をしのいで見事にセーブを記録した。

平野も息が長い投手である。入団当初は先発を務めていたが中継ぎ、抑えに転向。そしてメジャーに移籍したかと思えばバファローズに復帰し、リーグ優勝、日本一に貢献した。抑えの場面では常にランナーを出してファンをヒヤヒヤさせるのだが、最後は0点に抑える・・という不思議な投手でもある。記念すべきこの試合も二死一・二塁の場面を作ったが、最後はドラ1ルーキー・西川を三振に取るという劇場ぶり。

今季、抑えは基本マチャドが務めるが、こうしたベテランが健在なのも頼もしい。

チームはまだ5試合を終えたばかりだが、この日試合のなかったファイターズと並んで4勝1敗での「首位」。4日からはそのファイターズ相手に北広島での3連戦である。この3連戦の戦い方で今季の調子が少し見えるのかなと思う。広島から北広島の試合に行きたいという気持ちはあるが、なかなか・・。


新年度始まりました・・

2025年04月02日 | ブログ

4月となり、世の中は新年度ということでさまざまな話題がニュースでも取り上げられている。4月1日は各社で新卒社員の入社式が行われた。

もっとも私の勤務先企業の場合、4月1日は新卒社員の入社日だが(しばらくは研修のため、配属されるのは少し後のこと)、会社の事業年度は1月~12月ということで、3月末~4月初というのは「第1四半期の節目」という感覚である。まあその分、12月末~1月初はドタバタするのだが・・。

このところの少子化、人手不足の影響で新卒生は取り合い、奪い合いである。初任給の大幅アップ、福利厚生の充実など、各社ともあの手この手で人財確保に取り組んでいるが、なかなか難しい。別に学生が初任給や福利厚生だけで就職先を選んでいるわけではないのだが、業界により学生獲得に有利不利があるのも事実である。

さて、新年度始まり、プロ野球も開幕したということで、今年度の観戦、そして札所めぐり(現在関西、九州で継続中)の計画を立ててみる。今季こそ東日本のスタジアムでのバファローズ遠征試合の観戦も考えたが、現実の日程としてやはり厳しいのかなと。せめて大阪、神戸、そして九州での観戦、またウエスタンリーグの試合も合わせて訪ねたいところである・・。

新年度も相変わらずの構成となるでしょうが、よろしくお願いします。


プロ野球観戦に新たな撮影ルール適用

2025年03月31日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

NPBプロ野球は開幕最初のカードを終え、バファローズはイーグルス相手に2勝1敗と勝ち越し。私が大阪で現地観戦した第2戦は九里の投球を観ることはできたもののチームは延長の末に敗戦。第3戦は高島の好投に打線も援護しての快勝。

他カードでは優勝候補本命のホークスがマリーンズ相手に3連敗、対抗のファイターズがライオンズ相手に3連勝と対照的な結果となった。まだまだ始まったばかりだが、これは面白いペナントレースになりそうな予感だ・・(まあ、3試合だけなんでどんな結果になっても同じようなコメントをするのだろうが)。

このブログではプロ野球の現地観戦に行った際には観戦記を書き、下手くそながら画像も多く載せている。本来なら3月29日の第2戦の観戦記を(前後編にしても)アップするところだが、使っているデジタルカメラのトラブルなどもあって画像データが途中までしか残っていないこともあり見送りとする・・。

さて、現地観戦の画像撮影といえば、今季からNPBでは新たなルールを設けた。NPBの公式サイトでの発表やネット記事、テレビニュースでも取り上げられたが、一般のファンに浸透しているかとなるとどうだろうか。私もこれから観戦してブログを書くことを想定しておさらいしてみよう。

まず前提として、現地での写真・動画の撮影じたいは試合前、試合中、試合後問わずOKである。また、撮影した写真や動画を個人で楽しむのも大丈夫。この「個人で楽しむ」には、自分でアルバムにして保存し、家族や知人に個人的に見せたり送ったりすることも含まれるようだ。ただ、これらには「他人に迷惑をかけない限り」とある。かわいいからといってビール販売の女性を盗撮したり(だいたいこういう場合は性的趣味が入る)というのはNG。まあここまではわかりやすい。

ここから新たなルールとなるが、「インプレー」中の選手の写真や動画をインターネット空間に投稿することがNGとなった。これにはブログ、YouTube、Ⅹ、インスタグラムなど幅広く対象となっている。

ただ、同じ試合中でも「ボールデッド」中の選手の写真や動画(140秒以内)は、試合後であればインターネット空間に投稿することはOKとある。「インプレー」、「ボールデッド」となると、野球のルールにも絡んでくるのでわかりにくいという方もいるだろう。

OKの場合として紹介されているのが、イニング間の投球練習、打者が打席に入る前、あるいはファウルを打った後に審判から「プレイ」がかかるまでの素振りや間を取る時間、ヒットを打った直後にタイムがかかっている間、本塁打を打ち、生還した後のベンチ前でのハイタッチ・・・といったところ。これらを試合後に投稿するのはOK。

文字で見ればわかりにくいが、要は「プレイ」がかかった後の投球のシーン、打撃のシーン、野手が打球を処理するシーン、盗塁や走者が生還するシーンというのは、試合後であろうと投稿するのはNGである。(大前提として、個人で楽しむ分にはOK)。

・・私が書いたところで余計にわかりにくいことで、その辺りはNPBの公式サイトやメディア記事をご覧いただくとして、このたびこうしたルールを決めることになったのは、誰でも気軽に無許可で試合のライブ映像をネットにアップできる環境ができていること(今は営利目的のものも多いという)、後は盗撮とか、SNSでの誹謗中傷とか・・このところ程度がひどくなっていることもあり、そうした事態への対応という。

私はSNSといっても投稿するのはこのブログしかなく(一応Ⅹ、インスタグラムのアカウントは持っているが閲覧のみ)、1日のアクセス数といっても某ローカル線の1日の乗降者数といい勝負でしかない程度でしかない。私がインプレー中の写真をブログに載せたところでNPB当局や選手から訴えられることなどないだろうが、そこはやはりSNSということでルールはルール。今後の観戦には注意しよう。

よく試合前に「観戦時の注意事項」として、ビン・カン持ち込み禁止や「観戦はご自身の座席で」とあるが、ぜひ各球団にはこの撮影ルールもマスコットキャラクターを使うなどして啓発してもらいたいところだ。

話はそれるが、バファローズファン関連のブログを拝見する中で、テレビ中継画像を引用してアップしている方がいらっしゃいますよ。そちらのほうが二重の意味で問題なのでは・・・。


開幕戦!! まあ、何とか勝ってよかった

2025年03月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

NPBは28日に開幕。バファローズは京セラドーム大阪にイーグルスを迎えての開幕戦である。

開幕投手は宮城。仕事の関係で終盤まで結果を見る時間もなかったが、帰宅してCSの中継をつけると、7回までパーフェクトの好投だという。バファローズ打線も2回に2点を先制。このまま終盤・8回に入った。

ただ、この回先頭の辰己が一塁内野安打で出塁。ボテボテの当たりを捕球した太田からのトスが逸れたのもあったが、これでこの試合初の出塁となった。結局1点を失い、2対1で9回表に入る。

9回のマウンドは守護神に指名されたマチャド。ここで一死三塁となり、打席にはルーキーの宗山。三次市出身ということでカープもドラフト1位指名したこともあり、イーグルス入団後も広島のスポーツニュースで定期的に取り上げられている。この場面でプロ初安打となるタイムリーを放ち、2対2の同点。7回までパーフェクトに抑えていても勝ち星がつかない・・というのがプロ野球の面白さである。

9回に守護神で追いつかれる嫌な展開だったが、その裏、若月のタイムリーで3対2とサヨナラ勝ち。宮城に勝ちがつかなかったのは残念だが、チームとしてはオープン戦もなかなか勝てなかっただけに、開幕戦を何とかものにしたのはうれしい限り。岸田新監督もほっとしたことだろうし、ファンとしても安堵するところ。

今季もバファローズの試合を楽しみに、すでに何試合かはチケットを確保している。その手始めということで29日の開幕2戦目は大阪での現地観戦である。カープから新加入の九里、頼むで・・・!!


第24回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~佐賀城にて賢人に会い、最後は一献

2025年03月28日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは神埼郡の上峰町から鹿島市、さらには嬉野市へと佐賀県南部を横断することができた。札所以外にも初めて訪ねることができたスポットもあり、クルマの機動力を十分に活かすことができた。まあ、本来ならこの前の週に、初日レンタカー、2日目は客車列車の飲み鉄旅・・の組み合わせで一度に回りたかったのだが、仕切り直しで佐賀平野の青空を楽しむことができた。

そして有明海沿岸道路で嘉瀬南インターまで戻り、佐賀の中心部を目指す。市街地は少し渋滞もあったが、佐賀城本丸跡に到着。かつての本丸御殿を復元した佐賀城本丸歴史館が目的地である。

まず出迎えるのは佐賀藩の近代化に先頭に立って取り組んだ鍋島直正の像。佐賀城は当初龍造寺氏によって築かれ村中城と呼ばれていたが、江戸時代に佐賀藩主となった鍋島氏により拡張された。その時は天守閣もあったが江戸中期の享保年間に大火で焼失した。その後、本丸御殿を再建したのが鍋島直正である。

本丸内には佐賀藩が鋳造したアームストロング砲の複製もある。鍋島直正が再建した本丸御殿は佐賀の乱の後に取り壊されたが、2004年に佐賀城本丸歴史館として復元された。立派な建物だが入館料は無料である。本丸歴史館とはいいつつ、広間を活用した公民館的な要素もあるようだ。ただそこは建物維持のために募金の協力が呼びかけれており、私も何がしかを納めて中に入る。

ちょうど雛祭りの時季ということで、地元の小学生が思い思いに制作した雛人形が並ぶ。

順路に沿ううち、奥の間で「佐賀の八賢人おもてなし隊」による寸劇があるというので行ってみる。佐賀といえば七賢人・・あれ?八賢人?

その前に、佐賀の七賢人である。明治維新といえば「薩長土肥」と言われるが、やはりどうしても薩摩・長州の英雄たちが歴史の表舞台にいるし、土佐といえば坂本龍馬という立役者がいるのが目立つ。その中で肥前佐賀は地味に見えるが(個人の見解です)、インテリ・実務派の印象が強い人材を輩出している。その七賢人とは藩主の鍋島直正を筆頭に、佐野常民、島義勇、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信である。

八賢人というのは、先の七人に枝吉神陽という人物を加えた呼び方だそうだ。その枝吉神陽とは、当時佐賀藩で主流だった「葉隠」の武士道に反するように楠木正成を祀る「義祭同盟」を結成し、尊王思想を説いたとされる。この門下生に名を連ねるのが、(鍋島直正は別として)明治政府で活躍する先の七賢人である。思想が受け継がれたこと、そして早逝したこともあり「佐賀の吉田松陰」とも称されている。

さて、話は「おもてなし隊」である。いくつも演目があり、毎週日曜日、その時々によって演目や登場人物を替えて出演しているそうだ。この日演じられたのは「どしたらええんじゃ?」。早くから頭角を現した佐野常民、枝吉神陽に遅れた形で焦っているのはボケ役演じる島義勇。インテリ・実務派とは真逆に、ブサイク、いじられキャラとしての演出である。そこに藩主・鍋島直正が直々にお出ましになり、義勇に「密命」を言い渡す。それは当時列強も目をつけていた蝦夷地、樺太の探検調査であった。表向きでは「義祭同盟」を認めていなかった藩主・鍋島直正が実は裏のところで枝吉神陽と理解しあっていた・・というストーリーで、最後は義勇は直正からの「密命」に喜んで蝦夷地に赴任するというところでエンディング。

ただ島義勇の蝦夷地調査はゴタゴタもあって難航し、維新後は松浦武四郎に替わる形で解任され、最後は佐賀で江藤新平とともに新政府に対する不平不満の士族たちの手で担ぎ上げられ(佐賀の乱)、斬首される。何ともなあ・・。

寸劇が終わり、島義勇、鍋島直正、枝吉神陽それぞれの役者がご挨拶。その中で発せられたのが、「佐賀の八賢人おもてなし隊」の存続がピンチなのだという。この手の「おもてなし隊」は行政が支援しているのかと思いきや、寸劇を観た人からの募金が支えなのだという。10年以上活動してきたがこのままだとこの3月末をもって活動停止となるので・・ということで、募金の呼びかけも行われていた。この記事を書いているのは3月も押し詰まった頃だが、果たして4月以降どうなるのやら・・・。

上に出した佐賀の乱の首謀者として処刑されたのが江藤新平である。島義勇とともに「七賢人」の一人であるが、明治政府への反逆者として長く正当な評価がなされていなかったとして、復権のプロジェクトが立ち上げられた。そもそも「佐賀の乱」という呼び方じたい、江藤、島の側から見れば不当な名前なのだろうが、歴史というのはどうしても「勝者」の側から見られるもので・・。

これで佐賀城見物を終え、給油を終えて駅レンタカーにクルマを返却する。佐賀駅のレンタカーはパジェットレンタカーの佐賀駅前店が兼務していた。

さて、ここでようやく今回の一献である。入ったのは、佐賀駅北口の角にある「焼鳥かど屋」。前週に佐賀に来た時は別の店に入ったのだが中途半端だったので、今回は気分を変えて。

単品飲み放題プランがあり、まずは生ビール。グラスがキンキンに冷えたプレミアムモルツが来る。ちょっとしたシャリ感すらある。

そして地鶏のたたき。ムネ、モモそれぞれ味わうことができる。

焼鳥は1本から注文でき、串巻きも含めて定番からオリジナルまでいろいろあり、さまざまに楽しめる。

飲み物では地名を冠した「佐賀ハイボール」なるものがあった。紫蘇のエキスが入っているとのことで、出てきたものは確かにちょっと紫がかっている。口にすると美味しく、(飲み放題プランということもあり)お代わりも。紫蘇じたいはあちこちで栽培されていると思うが、「佐賀」の名がつくとは、佐賀県が紫蘇の栽培で日本一とか、何かいわれがあるのかな。

満足して店を後にすると、佐賀駅前も少しずつ暗くなる時間帯である。列車の時間まで少し時間があるのでぶらつくが、高架下に「サガバー」なる店を見つけた。うわ、こちらのほうがより「佐賀らしさ」を味わうことができたかな。とりあえず情報だけインプットしておく。

18時56分発「かささぎ112号」で佐賀を後にする。

博多到着後は、遅い時間ということもあって「バリ得こだま」に頼らず、博多19時48分発「みずほ612号」に乗車。広島には20時49分着で、特急と新幹線の速達列車を組み合わせれば、佐賀と広島は2時間で結ぶことができる。この意外性の近さに感心するばかりだった。

さて次回だが、同じ佐賀県西部の武雄市を目指す予定である。また鉄道の要素も加えることに・・・。


第24回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第103番「大定寺」(嬉野温泉の・・手前まで)

2025年03月26日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

今回は九州一周、九州八十八ヶ所百八霊場の佐賀までのルートをたどることができればよかったかなというところだったが、レンタカーの機動力を活かしていろいろ回ることができ、肥前鹿島、肥前浜まで来た。そして佐賀に戻るまでにもう少し時間があるということで、肥前浜宿から10キロあまり離れたところにある第103番・大定寺に行くことにした。

大定寺があるのは佐賀の嬉野市。嬉野といえば嬉野温泉、西九州新幹線でアクセスも便利になったが、寺に行くには公共交通機関だとハードルが高い。今回、温泉に入る時間までは取れないだろうが、佐賀県~長崎県北部は結構札所が集中していることもあり、今回は足を延ばす形で嬉野の札所を取っておくことにする。

国道207号線に戻り、嬉野温泉方面へ続く交差点を左折して県道に入る。この道は肥前鹿島駅や祐徳稲荷神社から嬉野温泉に向かう路線バスも通る。・・あ、少し行けば祐徳稲荷神社があるが、訪ねることがなかったな・・というより、当初から訪問ポイントに挙げていなかった。以前の九州西国霊場めぐりのオプションで参拝したということもあるが、祐徳稲荷神社も今やインバウンドの連中が跋扈するスポットで、わざわざ時間を割いて訪ねる必要もないかなという思いがあった。

鳥越峠のトンネルを抜け、嬉野市に入る。大定寺へ続く交差点に差し掛かると、土瓶をかたどった建物が現れる。嬉野といえば茶の産地として知られている。また同じ敷地に「肥前吉田焼」の文字も見える。

坂道を上がると、大定寺への道沿いに肥前吉田焼窯元会館というのがあり、また窯元の煙突も見える。佐賀といえば有田焼、伊万里焼、唐津焼といった陶磁器が有名で、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に半島から連れて来られた職人たちが制作に適した土を見つけたことから盛んになったが、ここ肥前吉田もその一つという。先ほど土瓶をかたどった建物があったのは、お茶の産地であり、かつ焼き物の地としてのPRのようだ。

この窯元のすぐ近くに大定寺がある。門の前には大きな楠があり、寺の外も石垣がそびえて格式を感じる。山門の扁額「姑射山」の揮毫は東郷平八郎のものだ。

大定寺が開かれたのは江戸時代、当時の佐賀藩主・鍋島直澄が阿金和尚を招いたのが始まりである。弘法大師を本尊として、佐賀藩の祈願寺としての歴史がある。なお、元々は嬉野の市街にあったのが、廃藩置県の影響で衰退したために現在地に移ったという。こちらは扉が開いており、自由にお参りができる。ちょうど寺の方が出迎えてくれ、お勤めの間、朱印帳を預かってくれる。

本堂を後にしたところで、駐車場にクルマが停まり喪服姿の人が降り立つ。午後の時間だが、これから法要でも行うのかな。

境内には「吉浦神社」の額がある石鳥居があり、その奥の石段を上がる。そこにあったのは「先人陶業人の碑」。平成の初めに建てられた石碑で、背面には地域活性化、ふるさとづくり運動を始めるにあたり先人たちの功績に感謝の意を表し、若き陶業人の輝かしい未来を期待するという当時の嬉野町長による文章が書かれている。平成の初めといえば「ふるさと創生事業」というのが行われていた頃で、全国の自治体に1億円を交付するという政策があったが、ここにその一部が投入されているのかどうか・・。

なお神社といっても拝殿・本殿があるわけではなく、石の祠に「吉浦大明神」とあるのがそれかな。

今回、佐賀の手前にある佐賀成田山・龍王院を訪ね、筑後川にかかる昇開橋や世界遺産の三重津海軍所跡を経由して佐賀駅に向かえばよかったのだが、足を延ばして肥前浜、さらに嬉野まで来ることになる(温泉には入っていないが)とは予想しなかった成果である。九州一周のコマも佐賀県の西部まで進めることができたが、同じ佐賀県西部には江北からの佐世保線沿線にも札所が控えている。武雄温泉、嬉野温泉、有田といったところと合わせて訪ねたいところである。

ここで折り返しとして、国道207号線、国道444号線、有明海沿岸道路と来た道を戻る。レンタカーの返却まではまだまだ時間があるが、その前に目指すのは(当初の目的地にも含めていた)佐賀城跡である・・・。


第24回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~肥前浜宿酒蔵通り

2025年03月25日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

第63番・蓮厳院の参詣で肥前鹿島・肥前浜まで九州一周のコマが進んだことで、近くにある肥前浜宿を少し歩くことにする。前回、JR九州の50系客車を使った「かしまるっと満喫ツアー」の途中で肥前浜で長時間停車があったが、結局そこで離脱して第62番・誕生院を訪ね、そのまま日帰り入浴とした後で肥前鹿島に向かったから、肥前浜宿は今回初めてである。

カーナビの指示に従ううちに細道に入り、町並み駐車場に何とか駐車する。

肥前浜は多良街道に面した港町、宿場町として中世から栄えた歴史がある。そして江戸時代中頃からは酒などの醸造業で発展した。現在も昔ながらの酒蔵の建物が並ぶところとして人気のスポットである。今回訪ねたのは3月9日だったが、その2週間後の3月22日・23日には毎年恒例の「鹿島酒蔵ツーリズム」が行われ、大勢の観光客が訪ねたというニュースを見た。イベントに合わせて臨時列車も出たそうだ。この日に合わせて来ればよかったという向きもあるが、実際には静かなたたずまいの中で町歩きができてよかったところである。

これらの家並みは現在も醸造場として活用されている昔ながらの蔵がある一方、レストランやカフェとして活用されたり、公民館に転用された建物もある。これらをぶらつくだけでも楽しい。

中には、九州各地の懐かしい景色をロケ地にふんだんに使っている大分麦焼酎「二階堂」の最近のCMに登場する建物もある。ちょうど帽子とコートの中年男性が登場するのだが、それはそうと、この男性が意味するキャラクターって一体・・?

ただ今回、レンタカーで移動しているだけにその辺りの酒蔵に入って昼飲み、せめてちょっと試飲だけでも・・というのができないのがつらい。

その中で立ち寄ったのが、観光酒蔵「肥前屋」。光武酒造場と峰松酒造場が統合した酒蔵で、日本酒「光武」と芋焼酎「魔界への誘い」を中心に扱っており、気軽にショッピングや見学を受け付けているところ。「光武」は前週の「かしまるっと満喫ツアー」でも、地酒飲み比べの一品として登場した銘柄である。

まずはさまざまな商品が並ぶ販売コーナーを抜けると、撮影スポットして大釜やタンクが並ぶ。ワンコインでの試飲コーナーもあるがそこは我慢。

奥には「昭和の部屋」として昔懐かしい電化製品や生活用品、レコードのジャケットなどがずらり展示されている。雑誌や新聞も並べられ、その中には「天皇陛下崩御」を伝える地元・佐賀新聞も置かれている。

ここで土産として「光武」の3本セットやつまみなどを買い求め、来た道をぶらぶら引き返す。ただ、後になって不勉強だなと思ったのが、肥前浜にはもう1ヶ所、昔ながらの町並みがあったこと。肥前屋からもう少し先に進むともう1ヶ所、江戸時代後期から近代にかけて漁師や職人が居住した茅葺や瓦葺の建物が並ぶ一角である。

さて駐車場に戻り、ここから佐賀駅に向かうか・・。ただ九州八十八ヶ所百八霊場の地図を見ると、ここから10キロほど西に向かい、嬉野市に入ると第103番・大定寺があるのがわかる。嬉野といえば九州新幹線の嬉野温泉駅があるが、大定寺は駅からは離れており、公共交通機関で訪ねるのはちょっとしんどそうだ。九州一周を考えるとポツンと離れており、肥前浜まで来たところでもう少し足をのばしてみようか・・・。


第24回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第63番「蓮厳院」(干拓の地を経て肥前鹿島へ)

2025年03月24日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりのオプションで佐賀市の産業遺産、世界遺産を訪ねたところで、時間的にこのまま西に進むことができるとなり、前回50系客車列車のツアーで訪ねた肥前鹿島を目指す。前回は第62番・誕生院だけ参詣し、すぐ近くの第63番・蓮厳院を残すことになったが、これですっきりできる。

県道48号線、国道444号線を通るルートで佐賀市を西へ横断する。地図を見るとこの先はほぼ平坦で、水路が多い。佐賀平野では古くから有明海の干満の差を利用した干拓事業により、土地の拡張や食糧の増産が行われてきた。干拓は特に江戸時代の佐賀藩で殖産興業のため積極的に進められ、昭和でも国の事業として行われた。現在はこの干拓地の先端に九州佐賀国際空港がある。

これまで九州を回る中、ここまで「平野」を実感できるのは今回が初めてだと思う。

ほぼ一直線に走るうち、カーナビにはない高架道路が現れる。「有明海沿岸道路(無料)」とあり、鹿島方面の矢印があるので乗ってみよう。有明海沿岸道路は大牟田市を起点として、柳川市、大川市、佐賀市など有明海の沿岸地域を経由し、鹿島市まで結ぶ道路。福岡県側は三池港から先ほど訪ねた三重津に近い諸富までの区間、佐賀県側は嘉瀬南から福富までの区間が開業している。かつての国鉄佐賀線もそうした役割があったはずだが、今はこうした道路整備である。

白石町に入り、終点の福富で下車。カーナビの到着予想時刻は先ほどまでとさほど変わらない。クルマで賑わう道の駅しろいしの前を過ぎ、再び国道444号線に合流する。

この先も干拓により開かれた一帯で、名前がそのまま「有明干拓入口」という交差点もある。この辺りではれんこんの幟や看板も目につく。干拓の土壌がれんこんの栽培に適しており、地元の名産品となっている。

広々とした干拓地もそろそろ終わり、肥前竜王駅近くで長崎線の踏切を渡り、国道207号線に合流する(重複区間)。途中から肥前鹿島駅や市役所の西側を行くバイパスに入り、最後は県道に入って蓮厳院に到着。

蓮厳院が開かれたのは平安時代前期とされ、この辺りに仁和寺の荘園があったことから、それを管理する目的で建てられた寺の一つと言われている。平安時代末期には伽藍を有していたが、戦国時代の兵火で焼失したとある。本尊の阿弥陀如来、薬師如来は九州で数少ない定朝様式の仏像で、国の重要文化財にも指定されている。

九州八十八ヶ所百八霊場のホームページでの蓮厳院の紹介文に、本堂と庫裏は藁葺き屋根とあり、その写真も掲載されているが、目の前にある本堂の屋根は瓦葺きである。最近建て替えられた様子である。

扉は閉まっており、外からのお勤めとする。朱印は横の庫裏の玄関でインターフォンを鳴らし、対応していただく。

これで、前回訪ねた第62番・誕生院と合わせて鹿島市の札所を回り終え、九州一周のコマは肥前鹿島・肥前浜まで進んだ形である。ここまで来たからには、前回訪ねることができなかった肥前浜宿をのぞいてみよう。

・・と、その肥前浜に向かう途中で誕生院の前を通過する。ならば前回無理に訪ねずとも今回で行けたわけだが、そうだとすると前回の佐賀行きは単なる飲み鉄の旅でしかなくなる。1ヶ所でも札所をくっつけたことで九州八十八ヶ所百八霊場めぐりが成立したわけで・・・。


第24回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~世界遺産・三重津海軍所跡

2025年03月23日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

旧国鉄佐賀線の筑後川昇開橋を徒歩で往復した後、車で数分のところにある「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」に向かうことにする。「三重津」という文字を見ると「三重県津市」を連想するが、もちろん両者に直接の関係はない。

三重津海軍所とは、佐賀藩が幕末に西洋の蒸気船の運用や修理、そして海軍技術の訓練の場として開いた施設である。有明海の干満差が大型船の出入り、修理に有利ということでドライラックが築かれ、後に、日本初の実用蒸気船である「凌風丸」もここで建造された。

後の発掘調査でドライドックの遺構が見つかり、当時の先端の西洋の技術と日本古来の技術を融合させた構造に歴史的価値があるとされ、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産の一つとされた。ただし、風化を防ぐためにドックの遺構は地中に埋め戻されており、一部では「見えない世界遺産」とも言われている。

その代わりというわけではないだろうが、展示室に入るとまず出迎えるのはドライドックの原寸大の模型。この後順路に沿って2階に進むと、その様子がよりわかりやすい。

大型スクリーンでは当時の海軍所の活気を紹介したCG映像が流れる。登場する西洋船も原寸大で描かれており迫力がある。

佐賀藩は江戸時代に長崎港の警護の役目を受け持ち、また長崎街道も通っている。そのために他の藩と比べて海外の情勢に接する機会も多く、近代化事業の必要性もいち早くつかんでいたという。当時の藩主・鍋島直正の主導により、大砲鋳造のための反射炉の建造や、西洋船の訓練が必要ということで技術開発が手掛けられ、その中でできたのが三重津海軍所である。

さて、今回の札所めぐりのスタートのJR久留米駅前にある「からくり時計」のところで、「からくり儀右衛門」こと田中久重について触れた。さまざまな発明を行った田中久重は久留米藩出身でありながら佐賀藩に招かれ、凌風丸の建造の中心となった。後の明治維新につながる佐賀藩の人物は「七賢人」と称されるが、こうした他藩出身の人物も登用されている。

この「七賢人」の一人で、三重津海軍所の監督を務めたのが佐野常民。三重津に近い早津江の生まれということもあり、歴史館の2階はほぼ佐野常民に関する展示である。

佐野常民は日本が初めて参加したパリ万博に佐賀藩として派遣され、後のウィーン万博にも日本政府から派遣された。万博を通して日本の近代化に貢献したといえる。また、西南戦争で政府軍、薩摩軍関係なく戦場で負傷した兵士を看護するとして、博愛社を設立した。現在の日本赤十字社の前身である。

歴史館の外に出る。三重津海軍所の跡地は埋め戻され、現在は佐野記念公園として地元の人たちの憩いの場となっている。早津江川の上流から船屋地区、稽古場地区、修覆場地区の3つのエリアで構成され、下流の修覆場地区にドライドックの遺構がある。

それにしても、日本にも数多くの世界遺産がある中で、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」とは、何とも幅が広い。合計で8つの県、23の資産で構成されている。例えば広島だと「原爆ドーム」、「厳島神社」という単体で2ヶ所の世界遺産があるが、明治の産業革命遺産の場合、それぞれ単体だと小粒で、それだけで世界遺産を名乗るには無理がある。ただここに、複数の地域を跨ぐ資産でストーリーを構成することで価値を見出そうという「シリアル・ノミネーション・サイト」という考え方が生まれる。明治の産業革命遺産だと、海外列強が日本に手を伸ばすのではという恐れがある中で黒船来航、西日本の雄藩が立ち上がっての明治維新、近代化、殖産興業、富国強兵、そして日清・日露戦争の勝利を経て世界の列強入り・・これらをわずか50年で成し遂げたというのが「ストーリー」である。

個人的には日本の近代化の時代というのは興味あるところで、ストーリーについても面白いと思うのだが、世界遺産となるとちょっと強引かなという気もする。

ただ、それでも「世界遺産があるならちょっとのぞいて行こう」というところはある。三重津海軍所というところは世界遺産となったことで初めて知ったスポットであり、このたび九州八十八ヶ所百八霊場めぐりのオプションとはいえ、実際に訪ねることができて歴史の学習になった一時であった。

さて時刻はちょうど昼時である。佐賀駅に向かうにはさすがにまだ早すぎで、ふと、札所めぐりの続きで肥前鹿島までどのくらいの時間で行けるか、カーナビで検索した。現在地からだと1時間弱で着くとあり、それなら第63番・蓮厳院まで行くことにしよう・・・。