まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

若麒麟が大麻で逮捕

2009年01月30日 | ブログ

大相撲って、結局食べて太ることしか能がない男たちが土の上でモッチャカモッチャカやって懸賞金をせしめる競技なんですね。

いや、またもや大麻で逮捕者が出たと聞いて。

ロシア人力士が逮捕された時は、「まあガイジン力士だから」という目もあったのだが、こうやって日本人力士も逮捕される。あれだけ騒ぎになっていたのに、やはりこういう輩がいるんですな。

どうせ他の力士もやってるんでしょ?白状するなら今のうちでっせ。

支度部屋でやり取りされているのは、八百長の白星ではなく実は大麻だったりして・・・・。

朝青龍に「横綱の品格がない」ともっともらしいことを言う一方で、こういうことが平気で行われている。再発防止なんとかというのも、結局役に立たないですよね。厄満さんもエラソーなこと言っていてどこに目をつけてんの??

かつての双葉山、大鵬というあたりがやれ相撲道だの、横綱の品位だの言って相撲を妙に「道」の世界に高めようとしていたが、結局はこの有様。

全員チョンマゲ切れ。草相撲からやり直しや。

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JR西日本、京阪神路線の終電繰り上げ

2009年01月29日 | ブログ

今の職場にはクルマで通勤している(何せ交通の便が悪い「陸の孤島」なもので・・・)ため、行き帰りの電車の中で週刊誌の中吊り広告を眺めたり、読書にふけったり、鉄道沿線のお出かけ情報に身近に触れることがなくなった。同様に鉄道の話題もちょっと縁遠くなったかな・・・。

JR西日本が3月のダイヤ改正で、京阪神の主要路線の終電時刻を最大で約20分ほど繰り上げるというニュースを目にした。JRといえば西日本も東日本も終電が遅いということがあり、遅い便の新幹線から乗り継いで帰宅する時や、飲んで遅くなった時でもまだ間に合うというのがあるのだが。

その理由というのが「終電を早めることで翌朝までの運転士の休息時間を拡大するという労働環境の向上により、安全性の向上につなげる」というもの。

なるほどね。

4年前の福知山線列車脱線事故以来、鉄道の安全性に対する世間の注目が集まっていること、また、ただでさえ労働環境がよくないとされている運輸業界にあって、少しでも配慮しようというのは会社の姿勢としては評価していいのでは。やはり安全は確保しないとね。

いろんな方のブログを見ると「利用者無視」「単なるコスト削減の口実だ」という声が圧倒的に多いのだが、これはやむを得ないのではないだろうか。

これはパソコンの前の空論に過ぎないのだが、終電を早める一方で、深夜利用が比較的多い金曜・土曜限定の臨時列車を運転するというのはどうだろうか。これまでの経験上、終電を気にしつつ飲むというのはこれらの曜日がほとんどだったように思うので・・・・。

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埼玉西武ライオンズ・ユニフォーム一新

2009年01月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

昨年日本一に輝いた埼玉西武ライオンズ。今年からはユニフォームやロゴを一新するということで、28日にそのお披露目が行われた。

西鉄の「黒」の時代、そして西武の「青」の時代(太平洋の赤&ピンクとか、クラウンのオレンジというのはこの際無視しておきましょう)が重なった「レジェンド・ブルー」という新たな色である。

P1185142これまでの西武といえばライトブルーという色だったのが、昨年西鉄の復刻ユニフォームを着用し、結果日本一になったのだから、これまでのチームカラーを変える意味での新たなシンボルカラーというところだろう(写真:近江鉄道彦根駅にて)。

ホームページで見る限りでは「ちょっと地味やな・・・」という感じもするが、そこが逆にメジャーリーグっぽくて、このレプリカユニ着用で埼玉県以外のところを歩いても違和感はないようにも思える。なかなかよろしいんじゃないでしょうか。

一方で、これまでライオンズのみならず、バスや電車にもデザインされているあの手塚治虫氏デザインの「レオ」のマークはどうなったのだろう。あれは堤時代のキャラクターだとして、こちらは「卒業」ということかな・・・?

今回のロゴ一新に対する西武ファンの感想を聞いてみたいものだ。

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尼崎散歩~「あましん」の博物館

2009年01月27日 | まち歩き

P1255200阪神尼崎駅にほど近いところに、寺町という一角がある。江戸時代に尼崎城が築かれた時、城下町の建設として寺院を城の西に集めたというところ。現在でもその区画にはほとんど変更がないとかで、この一角は瓦葺のお堂や白壁が目立つ独特のつくりである。先ほど見た工業地帯とはまた違った尼崎の表情である。

その一角にあるのが「尼信博物館」。地元中心に店舗を広げる尼崎信用金庫、通称「あましん」が、地域の発展と文化向上のためにと開設したものである。

P1255173博物館前には「尼信記念館」という赤レンガの建物がある。この建物が尼信の元々の本店だったとか。寺町の一角にこういうレンガ造りの建物があるというのも面白い。

博物館の1階は企画展示。この日やっていたのは「ペンタグラム展」というもので、東光会とかいう画壇の作家たちによる作品展。ヨーロッパの街角の風景や、女性のさりげない表情を描いた油彩・水彩画が展示されていた。極端な抽象画ではなく、落ち着いて鑑賞することができる。

P12551762階が博物館のメインで、城下町としての尼崎の展示。大阪湾に面し、都と西国を結ぶ交通の拠点であり、また大坂の西の守りを固める拠点でもあったということで、江戸幕府の直轄だったり、譜代の松平家が治めたりというところであった。政治の拠点であった尼崎城に関する資料や、当時から伝えられた刀剣武具などが丁寧に展示されている。

P1255181この奥に、さすがは金融機関の博物館ということで、日本でこれまで発行された紙幣やら、世界170ヶ国あまりから収集したというコインがズラリ。そのコインたるや、現在普通に使われているものから、オリンピックやサッカーW杯などの記念硬貨まで並べられている。これだけのお金を見せられると、思わず口元がゆるんでしまうものだ。

さて、尼信博物館を出てすぐのところに、これもあましんが開いているところの「世界の貯金箱博物館」というのがある。硬貨を見物した後は、それを入れる貯金箱というところか。

P1255182ドアを開けるや、これでもかというくらいの貯金箱が出迎えてくれる。季節展示ということで、十二支やら七福神をかたどった、縁起物の貯金箱の数々が正面に並ぶ。こういう不景気なご時世だからこそ、縁起物というものがありがたく感じられるものだ。

P1255184P1255188これ以外にも、世界各国から収集した貯金箱やら、キャラクターもの、アンティークなものなどズラリ。これらを眺めるだけでも、当時の世相やら、お国柄などが見えてくるというもの。

貯金箱の歴史といえば貨幣の歴史とともに歩むというところがあり、そりゃ昔は今のように銀行口座があるわけでなし、カード決済、ネット決済という制度もあるわけなく、もっぱら現金のやり取りだったはず。その現金をどこかにしまわなければ・・・ということで、それを入れた器というのはこれ貯金箱ということになる。それが経済が進むに連れ、将来のために少しずつ蓄えるとかいう現在の使い方になったというところか。

いろんなキャラクターの貯金箱がある中で、当時は販促品か何かだったのだろうか、「昭和50年代のプロ野球チーム」というのがあり、

P1255190P1255191こういうものとか、こういうものまで貯金箱になっていたようだ。ほかの貯金箱もそうなのだが、展示だけではなく実際に「販売」をしてくれればいいのにな・・・・。

しかしプロ野球といえば、そしてあましんといえば、やはりこの球団ということになるのかな・・・。

P1255183この球団の勝率だったか順位だったかで金利が変動するという商品を売り出して話題になっているのはこのあましんである。特に阪神尼崎の近辺はこの球団の熱心な応援で有名とかで・・・。私、尼崎が地元になるといってもこの球団の応援だけは拒絶したいのですがね。

それはさておき、やはりこういう貯金箱を見るとまたもや口元がゆるんでいるようだったかな。本当に現金なものである。

P1255201博物館を後にしようとすると、出口のところで「お土産です」と紙袋を渡される。開けてみるとこれが「宝珠貯金玉」というもの。一切の願いが意のごとく通うという縁起物の宝珠である。これはありがたや。早速願いをこめてお金を入れるとしますか。

先に書いたとおり、今や「現金」でなくても取引や買い物ができる時代。ただそんな時代だからこそ、こういう貯金箱というアナログなものに触れることによって、お金のありがたさというのかな、金銭の重みというのを感じるのも大切なことであろう。

なかなかに充実したひと時でありましたぞ。

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尼崎散歩~尼崎港線跡

2009年01月26日 | まち歩き

休日で引越荷物も片付いたことであるし、休日にふらっと散歩に出かけてみよう。尼崎・伊丹近辺といっても、いろいろと歩いて回るところはありそうである。というわけで、JR尼崎~阪神尼崎までの道を歩いてみることにした。

JR神戸線・東西線・宝塚線のジャンクションとして賑わいを見せている尼崎駅。駅近辺は新しいマンションも林立している。また今年秋のオープンを目指すショッピングモール「キリンガーデンシティ」も着々と工事が進んでいる。

今回目指すのは、そのガーデンシティの敷地内も通り、かつて尼崎港まで伸びていた線路、福知山線の支線である通称「尼崎港線」の廃線跡である。廃線跡というとどうしても北海道や九州の端のほうまで出かけるイメージがあるのだが、関西にもこうしたものがわずかではあるが残っているというのだ。この線の存在は昔の道路地図に載っていたのを幼い頃に見て覚えているというのもあったが、印象深いのは宮脇俊三の『時刻表2万キロ』でこの線を訪れたことが取り上げられていたところ。1日2往復だったかの本数で、貨車の後ろに申し訳程度に客車が連結されていたとか、乗車した後で大阪にいる知人に出会い、この線に乗ってきたことを話すと目を丸くして驚かれたとか、そんなところ。

廃線になったのは25年くらい前の話で、私自身は乗ったことがないのだが、近くにそういう路線があるのならということで出かけてみたのだ。距離的に歩いても知れているだろう。

P1255147尼崎駅の西、「開かずの踏切」と呼ばれている踏切があり、かつて尼崎港線はこの脇をオーバークロスしていたという。ただ、キリンガーデンシティの工事に伴い道路改良を行うとかで、踏切は閉鎖(まあ、開かずの踏切が永久に閉まったままといったところか)し、残っていた土手も取り壊されたとか。ここから南に伸びる方向でフェンスに囲まれた空き地がある。ここが尼崎港線の線路跡のようだ。

歩いていくとところどころ空き地が途切れ、工場や事務所が建っているのに出会う。線路が廃止になって、土地が整理された後に建てられたものである。

P1255150もっと進むと今度は住宅地に出会う。道路と道路に挟まれた空間(ちょうど単線の線路とその脇の砂利を足した幅:奥行き)に住宅が立ち並ぶ。玄関と裏口がそれぞれ道路に面しているという、ちょっと落ち着かない感じがする。この家に住んでいる方たちは、かつてここが線路だったことはご存知なのかな?

P1255151家が途切れ、小さな公園に出る。「天神橋緑地」という目印があるが、これがちょうど線路の車止めの形をしている。その先はちょうどレールの形をした歩道があり、かつてここに鉄道があったことを示してくれている。

ベンチのあるところはかつてホームがあったところだろうか。「天神橋緑地」とはあるが、かつて尼崎港線が走っていたことを紹介する立て札や看板の類はなかった。

P1255154天神橋という名前の由来か、近くに長洲天満宮というのがあったのでお参りしておく。

P1255153こうなればなるべく忠実に線路跡に沿って歩く。そう思ってみると、両側に建物が迫っていたのだろう、中途半端な広さの空き地が見られたり(そういうところは駐車場に活用されていましたね)、これが廃線跡ということかというのがわかってくる。ローカル区間の廃線跡であればサイクリングロードなどで整備されているケースがあるが、都市空間の中ではこういう土地活用ということになる。あるいは全部つぶして幅広道路にしてしまうか。

P1255157室町時代の「大物くずれの戦跡碑」というのに出会う。この向かいは黄色と黒のフェンス。この形からして、尼崎港線の踏切跡かな。

P1255161阪神の大物駅をくぐり、ひたすら南下。空き地との境にフェンスが並ぶところに出る。このフェンス、よく見ればレールの形をしている。ふーん、これも尼崎港線のものかな。

P1255164阪神高速神戸線をくぐったところが、かつての尼崎港駅。旅客線の終点である。その跡地とされているところは、某物流会社の営業所の建物があり、その南側には公園が広がっている。かつてはポツンとしたホームの周りにヤードが広がっており、貨物の拠点であったという。現在はJRのコンテナも置いてある物流会社の営業所があるということに、かつての鉄道の名残というのを感じる。

P1255169ちょうどこのあたりは、かつての尼崎城の敷地でもあったところで、南を流れる川は城の堀の役割も果たしていたという。その川の脇、貨物専用線はこの先まだまだ伸びており、この先の工場に至っていた。現在は遊歩道になっており、近所の人たちの格好の散歩コースである。ここを抜ければ、阪神尼崎駅も近い。

かつての尼崎港線の様子はいろんな人のホームページやブログでも紹介されているし、散歩コースもこれらから情報を得たりしたということもあった。次々に新しい建物ができ、変貌著しい街ではあるが、かつて尼崎の産業を支えた鉄道があったということも、歴史の一ページとして記憶にとどめておきたいものである・・・・。

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どうなる初場所

2009年01月24日 | ブログ

久しぶりに盛り上がりを見せる大相撲。初場所を国技館で見ることはなかったが、テレビ中継やスポーツニュースなどで取組結果をチェックしていた。

14日目を終えて、朝青龍が全勝、白鵬が1敗で追うという展開で、千秋楽の直接対決で朝青龍が全勝優勝するのか、白鵬が決定戦に持ち込むのか、東西の両横綱が優勝を争うという点では理想的な展開となった。

P6011125_2私の予想では、朝青龍がこのままの勢いで本割で勝利し、大相撲ファンにとっても、アンチ朝青龍にとっても後々まで話題となるような展開になりそうである。

それにしても、相変わらず不甲斐ないのが大関陣。新大関の日馬富士ですら、勝ち越しはしたものの前半戦の取組を見るに、大関となればこんな成績なのかとがっかりする。後はどうなんだ。横綱と当たってみてその力の差が歴然としているのがわかる(日馬富士は白鵬に勝ったけどね)。単に勝った負けたというのではなく、同じ敗れるにしても自分から腰砕けになるとか、足がすべってこけるとか・・・・。これならまだ真正面から力勝負を挑んで敗れた三役・平幕力士のほうが健闘しているぞ。

こうなれば、山本山がはやく横綱とあたることを期待するしかないのかな。

それはともかく、千秋楽結びの一番は楽しみにしたいものである・・・。

(写真=2008大相撲最強決定戦観戦時のもの)

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男子厨房学入門

2009年01月23日 | ブログ

男子厨房学・・・といったって、男子中学生のことを研究する学問ではございません。

『男子厨房学(メンズ・クッキング)入門』(玉村豊男著、文春文庫版)

最近購入したものではなく、随分前に購入し、本棚の後ろのほうに隠れていたのを引越荷物の整理時に久しぶりに目にし、改めて読み返してみたものである。

7andy_30592003 最近でこそ「ダンチュー」という言葉は市民権を得つつあるが、この一冊は、「ダンチュー先駆者」の一人であるところの著者が、台所に立つ楽しみと、料理をこしらえる上での発想の転換のすすめを書き記したものである。

東京で住んでいた部屋が会社の寮で自室の台所がなかったこともあり、自ら包丁を持つというのは銀行に行く時くらいのものだったが(ウソです)、これからは外食や買い食いではなく、久しぶりに自分の味付けでメシが食えるというもの。以前は休日の気分転換で(自分としては)手の込んだものをこしらえたりしていたのを思い出す。レパートリーをどうしようか悩むのだが、買い物先であれこれ悩むのもまたよいかな。

以前に自炊していた当時にこの一冊に出会ったのだが、その中で「なるほど」と思ったことが二つ。

その一つ、料理は「一般法則」から展開していくもの。たとえば同じ具財をベースとして使用するとして、それに調味料を工夫するとか、何か一つ手を加えることで次々に別な料理に展開していくということ。

もう一つは、最初から献立の完成形を後追いする形で買い物に出かけるのではなく、買い物先でまず食材に出会い、これとこれでどんな料理ができるかということを考えてそれを実行に移すということ。

結構アタマの回転がいりそうですな。

これからこのブログでまつなる流のレシピ・・・・が出るかはわかりませんが、食についてもあれこれやってみようと思ってます。

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尼崎に来たからには・・・

2009年01月22日 | ブログ

1月から住んでいるのは兵庫県は南東にある尼崎市。お隣の伊丹市を含めたエリアが日常での行動範囲ということになる(職場は大阪市ですが)。

学生の時、尼崎から通学している同級生がいたが、「アマガサキ」という言葉の響きだけで、「お前んとこガラ悪いなあ」「道歩いてて肩が触れただけでも拳銃をぶっ放されんとちゃうか」などと口の悪いことを言って冷やかしていたものである(どこからそういう思考回路が出来上がったのやら)。

それが10年以上の年月を経て住むことになるのだから、人生どういう展開が起こるかわからない。

住民登録も済ませ、改めて街の様子を見てみれば、工業地帯あり、昔ながらの賑やかな商店街あり、町の文化の顔としての近松あり、閑静な住宅街あり、大型店舗にスーパー銭湯など、実に幅広い顔を持つ街である。下町と山の手が同居しているというのかな(これは阪神・JR・阪急の三路線がそれぞれ独特の顔を持つ阪神間の街に共通することだろうか)。ガラの悪い街などといってスンマセンでした。

書店にあった「るるぶ」だったかでは、「合衆国」という表現がありましたな。

これからのホームタウンとして、いろいろな見どころを訪れてみたいものである。

※尼崎は関西独立リーグの神戸9クルーズ(あの吉田えり投手の在籍するチーム)の活動拠点でもあり、来週には阪神尼崎や三和商店街でキャンペーンを行うとか。平日なのでキャンペーンには行けないが、こういう商店街もまた歩いてみたいもの・・・(まだ職場の歓迎会の2次会~3次会で入っただけなので)。

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那智山とまぐろ(2)

2009年01月21日 | 旅行記E・関西

ええ加減にこの文章も書き終えなければならないのですが・・・・。

紀伊勝浦で目覚めた翌朝、駅前から早朝のバスに乗り込み向かうは那智山。那智大社に参詣するのも5年ぶりくらいかな。

P1045023今回は途中の大門坂でバスを降りる。どうせならここから熊野古道を歩いてみよう。まあ寒い時期だから汗だくになることはないだろう・・・・。

P1045026うっそうとした森の中に足を踏み入れると、人の声やクルマの音は遮断され、自分の足音と息遣い(運動不足のためハアハアいう息遣い?)だけが聞こえてくる。昔はもっと険しい道のりだったのだろうが、石段を一歩ずつ踏みしめる。そうすると歩くことに気持ちが集中できるように思えるのだから不思議なものだ。

15分くらい上って、ようやくバスの終点となる広場に出る。那智大社は土産物屋街を抜け、さらに階段を上がっていく。そうしてようやく拝殿にたどり着くと、海のほうから上がってくる風が心地よく境内を吹き抜けていく。ありがたいですな。

P1045030熊野三山の、今回は那智だけということになるが新年の無事を祈願し、やれやれと落ち着く。やはり朝早くの寺社詣でというのは気持ちが改まりますな。

P1045036隣には西国三十三ヶ所めぐりの一番札所である青願渡寺があり、こちらの観音様を拝んだ後、再び階段を降りる。この階段を降りるというのが上るよりつらいところもあり、実は前日の夜に歩道を踏み外して足首をちょっとひねっていたこともあってなかなかしんどい(ならば大門坂を上るなよという話だが)。

P1045043そうしてやってきたのは、日本三名瀑の一つである那智の滝。こちらでも初穂料を納めて中に入り、銘水をいただく。水の一点を見て、その流れが上から下に落ちていく様子を眺めるのも面白い。何かの映画だったかドラマだったか、かつて「この滝を切れ!」とかいうセリフがあったようなのを覚えている。「滝をどないして切るねん」ということになるが、流れのどこかに目標を定めてという心だったように思う。

滝前から山下りのバスで紀伊勝浦駅に戻る。次の列車まで時間があるので、駅に程近い港に出かける。そこでは日曜恒例のふれあい市場が開かれており、観光客で賑わっていた。

P1045055海産物、土産用の菓子などを売るいくつかの屋台が出ている。お客の目当てはやはりまぐろを扱っている一角で、こちらではまぐろの刺身などもブロックで販売している。ちょうどかぶと焼きの無料振る舞いもやっており、買い求めたまぐろ丼と合わせて食事とする。

P1045053トロ箱に入れられたまぐろもいる。まぐろといえば大間のクロマグロがやたらとありがたがられているが、元々近海で獲れるといえばこのくらいのボリュームなのだろう。

P1045061また一尾が新たにさばかれるようで、観光客が屋台に集まってくる。まず内臓を取り出し、血抜きをした後でさばきにかかる。手際よく切り身の形になっていき、「さあこれで何キロ、刺身なら何十人分だよ」と、観光客をその気にさせていく。結局はこれをグラム、キロ単位にさらに切り分けていき、次々に売れていく。

P1045063私も購入してもいいのだが、この後列車に乗るのにまぐろの切り身をぶら下げるというわけにも行かず・・・。結局は加工品に、紀州といえばもう一つ忘れてはならないクジラのたれを買い求める。

P1045077これで紀伊勝浦でのひと時は終わり、後は再び列車の旅である。新宮まで出た後に気動車に乗り継ぎ、今度は紀勢線の東半分を回る。穏やかな熊野灘と険しい山々の対照を感じながら、のんびりとした汽車の旅を楽しんだ。

P10450812日間かけてみて、改めて紀伊半島の大きさを感じることができたし、この半島の内陸部には奥深い熊野の山々もある。関西にまた住むことになったわけだし、この地域にも機会があればじっくり回ってみたいものである・・・・。

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那智山とまぐろ

2009年01月19日 | 旅行記E・関西

P1035016紀伊勝浦のホテルにチェックイン後、夕食を求めて街中をぶらつく。勝浦といえば「まぐろ」ということで、まぐろを扱った料理店や魚屋のマップ入りのパンフレットを参考にぶらつく。ただ、まぐろ丼を出すいわゆる「食堂」が多くて店じまいも早く、まだ18時を回ったところなのに商店街も暗い感じである。やはり温泉地ということで、食事はホテルの宴会ということで、外食する人などそんなにいないのだろう。

こちらとしてはまぐろの刺身なんぞで一杯やりたいなというモードになっており、そんな中で見つけた1件の小料理屋に入る。若いご夫婦が切り盛りしているところだ。

P1035009P1035010単品でまぐろのいろいろな部位を食べさせるようだが、「おすすめコース」というのがあったので、そちらを注文。まぐろ赤身の刺身、胃袋の酢の物、まぐろのチゲ鍋(赤身に胃袋まで入っている)、カマ焼き、最後はまぐろ丼というものである。これに生ビール1杯がついて3000円。観光漁港価格ということを考えればお得である。カマ焼きまでが出たところで、「後はごはんものですから、飲み終わってちょうどいいところでまた声をかけてください」とのお言葉。

P1035012これに地元の酒「太平洋」を追加注文。じっくりと味わうことができた。

来たときは客は私だけだったが、そのうちに地元の人やらまぐろ料理を求める観光客やらがやってきて、小さな店内はすぐに満席となり、客を断るようになった。そりゃ、大将と奥さんだけでは多くの客はさばけない。

P1035013うーん、もうちょっと飲んで追加注文でもしたかったが、何だか長居するのが悪いような気がして、まぐろ丼をこしらえてもらい、そこそこに店を後にする。

やはり夜の町としてはちょっと物足りないのかな。次行くぞ!といっても次行く店がないし・・・・。

P1035017その代わり、港に面したところに足湯の設備があった。ここは対岸のホテル浦島などへ渡る船の乗り場に近く、また日曜日の朝には「ふれあい市場」というのが開かれるようで、観光客の立ち寄りスポットとか。少しぬるめだが足湯にしばしつかり、ホテルの部屋は普通のユニットバスだったので、せめてこれで温泉に浸かったことにする。対岸のほのかな夜景を眺めつつの入浴というのもまたよいものである。

・・・ところで、この記事のタイトルは「那智山とまぐろ」だったが、那智山のことまで書くスペースがなくなってしまった。まだまだ続きます・・・・。

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本州最南端へ

2009年01月17日 | 旅行記E・関西

紀州鉄道に乗車後、紀伊田辺行きに乗車。113系を改造したワンマン対応の車両で、なかなか快適である。朝方は雲が広がっていた空もようやく澄んできた。やはり南に来たのだなと思う。

P1034973紀伊田辺到着。ここで長距離を走る新宮行きに乗るのだが・・・・これがロングシート。空いているのでロングシートに横向きに座るが、これは結構疲れるな。ビール片手に「青春18」の旅を楽しもうというお父さんも、このシートでアルコールを飲むのはちょっと気まずそうだ。

P1034978線路も単線となり、一気にのんびりとした走りになる。周参見のあたりからは穏やかな黒潮の風景に出会う。紀州の海を眺めるのも久しぶりである。

紀伊田辺から1時間半で、本州最南端の駅である串本に到着。ここで下車し、次の列車までの1時間半あまりを利用して、バスで潮岬に向かう。岬に続く丘へ上がること20分で潮岬タワーに出てきた。

P1034986潮岬タワー前の広場では正月らしくあちこちで凧を揚げる光景が見られた。周りにはさえぎるものもなく、海からの風も心地よい。こういう正月の光景を見るのも久しぶりである(そもそも、正月の遊びの相場が凧揚げに羽根つきというのは、どういう理由からなのかという疑問があるのだが・・・)。

P1034993それにしても、これだけ水平線が長く見えるスポットなんてなかなかありませんな。

P1034987時間があれば下の岩場まで行ってみるのだがそれはやめておき、しばらく散策後、本州最南端の訪問証明書を買い求め、折り返しのバスに乗車する。

P1035004串本からは再び105系の人となる。車窓から望む橋杭岩に西日が差し、そろそろ日が傾く頃であることを知らせてくれる。この日は紀伊勝浦で下車。駅近くのホテルにビジネスホテルにチェックインする。勝浦という温泉地に来ながら温泉宿に泊まらないのも味気ないが、このあたりは一人旅の気安さである・・・・。

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紀州鉄道に乗車

2009年01月15日 | 旅行記E・関西

時間を少し戻して、年の初めに紀伊半島を訪れた時のことを書こうと思う。もともと、大阪への異動がなかった場合でも、帰省から東京に戻る際に紀伊半島を経由しようという計画であったもの。

P1034933天王寺から阪和線の快速に乗車し、和歌山へ。ここから、紀勢線(きのくに線)に延々と揺られることになる。まずはブルーに塗られた117系に出会う。この形式、なかなか出会うことが少なくなっており、貴重な機会である。

入り組んだ地形の紀伊半島の海岸。時折海を見るが、進路を思いっきり東へ向けて山の中に分け入ったりと、複雑な走りを見せる。さすがにこの時期ではみかんの収穫も終わっており、やや寒々とした車窓である。

P1034936御坊に到着。ここでは少し寄り道をして、紀州鉄道の気動車に乗車。紀勢線は何回か乗車しているのだが、実はこの「日本一営業キロが短い鉄道」に乗車するのは初めてである。ホームに行くと、クリームと緑のツートンカラーの小さな気動車が停まっていた。昭和35年製造というから、かれこれ50歳に手が届こうかという古さ。

P1034940車内も昔ながらの風情が残っている。板張りの床の車両に乗ることなど、今となってはほとんどないことであろう。もう、いてくれるだけでこの紀州鉄道の存在価値があるというものだ。

乗客は私のほかに、鉄道ファンらしい親子連れと、地元の人らしい女性1人のみ。御坊を出発し、ゆったりとしたスピードで走る。このあたりまで来ると完全にクルマ社会なのであるが、多くのクルマを停まらせて踏切をのっそりと渡っていくのも面白い。ここを通る人たちは、この踏切で停められてアンラッキーと思うかどうだろうか(別のところだが、1日3往復くらいしか走らない区間の列車に乗ったときに、どう考えても通行量の少ない道路と交わる踏切で停められていたクルマを見たことがある。おそらく朝のテレビの星占いで「12位」だったのだろうか)。

学門という、縁起物の入場券で有名な駅で女性が下車し、私と親子連れの貸切となった。朝や夕方はともかく、日中はこんな感じなのだろう。街中の路地裏、窓から手を出せば間違いなくケガをするくらいの近さに家が並ぶ。

P1034968そんな乗車もわずか10分で、終点の西御坊に到着。なんともまあ、窮屈なところで降ろされたものである。それもそのはずで、かつてはこの先まで線路は伸びていたのだが、かなり前に廃線となり、このような中途半端なところが終点になったという。

P1034951それでも、線路跡はそのまま残っているようだ。一緒にいた親子連れは廃線跡を観に行くようで、先のほうに歩いていった。私は・・・といえばこの先まだまだ南下しなければならないので、1本だけ列車を落として周辺を歩くことにする。

P1034959御坊という町の名前は、浄土真宗の「日高御坊」に由来する。この御坊を中心として、後は日高川の水運を利用した商工業でも栄えたところである。西御坊から2、3分も歩けば、大正時代に建てられた家が点在する寺内町に出る。

P1034958日高御坊は現在修復工事中とのことで中には入れなかったが、周りは格子造りの風情ある家々が立ち並ぶ。こういうところであったとは来るまで知らず、思わぬ発見となった。

P1034963あと、町の中で目立ったものといえばこのポスターですかな・・・・(左の方はともかく、御坊は右の方の地元だそうで)。

P1034966寺内町を一回りし、再び西御坊駅へ。ちょうど、折り返しとなる気動車がのっそりと入ってきた。Nゲージの世界に身を置くかのようである。紀州鉄道という鉄道ではあるが、その業務といえばホテルやリゾート業が中心である。純粋に鉄道だけやろうとしたのでは、とてもではないが採算はとれずとっくの昔に廃止になっていたことだろう。どこかで読んだのだが、ホテルやリゾートを商売としてやるにあたっては、会社の信用性というか、担保という意味で「鉄道」が有力な武器になるとか。本体の鉄道がこれでは「短くても線路さえ敷いていれば鉄道会社や」というインチキなような気もするが、まあ、紀州鉄道も全国からファンを集めていることから、これもリゾートの一環?かな。

P1034937再びのんびりと走り、御坊駅に到着。ホームでは多くの旅行者、鉄道ファンが気動車にカメラを向けていた。ほらやっぱりリゾート鉄道でしょうに・・・・。

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兵庫から新たな書き込みです

2009年01月14日 | ブログ

引越しを終え、まだ荷物は完全に整理していないのですが、ようやくネットがつながる環境となり、兵庫県に移ってから初めての書き込みとなります。

仕事のほうは・・・これからまだまだ慣れていかないといけないのですがね。これまでやってきたこととはいろいろと異なる部分も多いので。

そうですね・・・・こちらに来たからには、今年から発足する「関西独立リーグ」も観戦したいですね。今は神戸9クルーズの吉田えり投手(ナックル姫という呼び名があるそうですな)だけが注目されているようですが、他の大阪、紀州、明石の各球団(将来的には8球団くらいまで増えるとか)がどのようなチームをつくるのか、これまでの四国・九州、北陸・上信越とは違った「都市型」のリーグに注目したいですね。かつてこのブログで「このリーグは失敗に終わるだろう」という旨のことを書きましたが、いざ関西に移ってみれば、「地元のリーグ」として応援したいものですね。

これから、身近な地域のことについても書いてみたいものですね。

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東京を引き払いました

2009年01月11日 | ブログ

P1105091_2東京最後の夜となった10日、最後にささやかな送別の宴が行われた後、「ムーンライトながら」で東京を後にしました。

P1105094「ながら」もこの3月で臨時列車に格下げということもあるし、夜行列車で下るというのも、面白いところでした(その代わり、途中で目が覚めたりしてあまり眠ることができませんでしたが・・・)。今日はいったん実家に戻り、充電です。

3年半という間が長かったのか短かったのかはわかりませんが、名残惜しい気持ちもある中で、生活としてはこれで「一区切り」ということになります。

大阪に戻るとはいうものの、職場との距離・時間のために実家から通勤するわけではなく、「兵庫県民」ということでまた新たな住まいでの生活ということになります。しばらくはバタバタするでしょうが、また新たな町の発見も楽しみで、これからはそんなことも書いていければと思っています。

これからもどうぞよろしく。

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東京に戻りました

2009年01月07日 | ブログ

今年初めての東京からの書き込み。

年末年始は大阪への帰省と、仕事初めは大阪の移動先で出社しており、東京に戻ったのは先月の29日以来久しぶりのこと。

いやいや、改めて部屋を見ると引越しの準備途中だったり何やらでごちゃごちゃになっていたり、7日にしてようやく年賀状を見たり(出していなかった方もいらっしゃいます!その方については転居お知らせでご挨拶をしようかなと)、ようやく横になるスペースを空けたというところですか。

そろそろ片付けに入らないとね・・・・。

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