まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

兵庫3番「廣田神社」~神仏霊場巡拝の道・76(アレのアレは、アレになるのか・・?)

2023年11月30日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道めぐりは垂水から西宮に移動。これから、今回の目的地である西宮の2つの神社を参拝する。まずは、駅からバスでアクセスする兵庫3番・廣田神社に向かう。荷物をいったんコインロッカーに入れ、北側のバス乗り場に向かう。乗るのは阪神バスの山手東回りの路線。国道2号線を過ぎ、JR、阪急のガード下をくぐる。

広田神社前バス停で下車。昔ながらの石灯籠と、まだ新しい石鳥居が出迎える。ちょうど七五三の時季で、晴れ着姿の子どもを連れた家族連れが目立つ。

そして、参道沿いの参集殿には早速「祝 阪神タイガース セ・リーグ優勝おめでとう!」に並び、「祝 阪神タイガース 日本一おめでとう!」の手書きの幕が掲げられている。

廣田神社といえば、タイガースの監督、コーチ、選手が毎年キャンプイン前に必勝祈願に訪れることで知られる。今季は18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一ということで廣田神社もようやくホッとしたことだろう。この必勝祈願、タイガースの創立時からの年中行事だという。

廣田神社の主祭神は天照大神荒魂。読みは「つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと」で(これを一文字ずつ入力するのが面倒で、廣田神社の公式サイトからコピペしたくらい。もう「アレ」でええやん・・・という気がしないでもない。神功皇后が三韓征伐に出る時、天照大神のお告げで、和魂が天皇を守り、荒魂が先鋒を務めるとあった。その後、三韓征伐の帰り再び天照大神のお告げがあり、荒魂を皇居の近くに祀るのは良くないとした。そこで、現在の尼崎から西宮にあたる廣田国に祀ることで外敵からの守りとした。これが廣田神社の起こりという。

このことで、廣田神社は武運長久のご利益で信仰を集め、都から西国を目指す街道にある神社ということで、現在の「西宮」の由来ともなった。現在の六甲山もかつては廣田神社の領地だった時期があるそうで、ちなみにこの後参拝した西宮神社は、元々は廣田神社の摂社の一つだったが、いつしか「西宮」はそちらに移ることになった。

拝殿にて手を合わせる。

その前の絵馬奉納所では、タイガース絵馬がずらり。11月4日あるいは5日と書かれたものも目立つ。ちょうど日本シリーズの第6戦、第7戦と重なっている。このシリーズ、11月2日の第5戦を終えてタイガースの3勝2敗だったが、4日の第6戦でバファローズ・山本の熱投で3勝3敗となった。「アレのアレ」を願うファンがこの2日間にこぞって神頼みしたことがうかがえる。これも、「決戦・日本シリーズ」だ。

さらに、書き込み式の巨大絵馬もある。ここにも「アレのアレ」を祝うメッセージが多数書き込まれていた。ひいきチームが日本一になり、神社にお礼参り・・・信仰心もあっていいじゃないですか。

朱印をいただく。文字は「天照大神荒魂」。

タイガースの日本一もあり、一時は「アレ」もしくは「アレのアレ」が流行語大賞・・・もとい「アレ」を獲得するのではと言われていたが、世の中へのインパクトという意味では、個人的には「生成AI」が「アレ」ではないかと思う。あらゆるものがAIで表現できてしまうご時世・・。日常、NHKのニュースも観るのだが、アナウンサーがいとも簡単に「AIによる自動音声でお伝えします」と言ってしまうのは、省力化の一環ともいえるが、アナウンサーじたいがAIに取って代わられる存在、不要不急の商売であることを白状しているようなものだ(アナウンサーのビジュアルがどうのといっても、それこそAIでどのようにでも美男美女が再現できる)。

あ、でもアナウンサーって、今やタレントと同義語でしたな。失礼。

参拝を終え、バス停に戻る。ちょうど先には六甲山系の東端にあたる甲山を望む。

阪神バスで西宮に戻る。この先は、今回の目的地である西宮神社に向かう・・・。

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兵庫8番「海神社」~神仏霊場巡拝の道・75(明石海峡から須磨浦へ)

2023年11月29日 | 神仏霊場巡拝の道

11月25日、神仏霊場巡拝の道めぐりは西宮シリーズだが、その前に、神戸市内の札所で広島から見てもっとも手前にある兵庫8番・海神社を押さえることにする。神戸市内にはこの他にいくつかの札所があるのだが、それらはまたの機会とする。

この日は広島から新幹線で姫路、姫路から新快速と普通を乗り継いでJRの垂水に到着。南口に出ると狭いロータリーがある。このまま、海神社の横手から境内に入ることもできるが、ここは正面から入ろうと、いったん国道2号線まで出る。

2号線に出ると向こうに垂水漁港が見える。せっかくなので少し眺めるとしよう。明石海峡大橋を望み、釣りのスポットでもある。神戸といえば日本有数の貿易港のイメージがあるが、中心部から西の方向、須磨・垂水・舞子辺りまで来ると海の幸にも恵まれている。

垂水といえば、2号線で明石海峡大橋方向に少し行ったところにある神戸垂水ユースホステル(現・神戸ゲストハウス)に泊まったことがある。1回目の広島勤務時で、もう20年以上前のことだが、広島からクルマで下道を延々とたどり、神戸でのブルーウェーブ(当時)の試合を観戦したことがある。そのデーゲームの帰り、安く泊まろうということでユースホステルを選択した次第。

そして、海神社である。さてこの神社の名前だが、「わたつみじんじゃ」と読む。または「かいじんじゃ」とも読むそうだが、「海」を「わたつみ」としたのは本居宣長の説にもとづいて明治時代になってからのことという。

その海神社の由緒には神功皇后が登場する。三韓征伐の帰途、この地の海上で暴風雨に遭い、綿津見三神を祀ったところ、暴風雨がおさまったという。明石海峡に近い垂水は海上交通の要衝であったこともあり、航海安全や漁業繁栄の信仰の場として現在にいたるまで信仰を集めている。

ちょうど七五三の時季でもあり、子どもの成長を願う家族連れの姿も見かけた。

垂水駅に戻る。ここからは目的地がある阪神西宮に向かうため、JRの乗車券の一部区間を放棄することになるが、反対側に回って山陽電車のホームに向かう。山陽から阪神への直通特急に乗れば乗り換えなし。

車内は混んでいて座れなかったが、窓越しに須磨浦の海景色を見る。JRの車窓とはまた違った角度である。そのまま神戸市中心部の地下区間を抜け、阪神の線路に入る・・・。

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神仏霊場巡拝の道~さて今回の行き先は・・・金沢?

2023年11月28日 | 神仏霊場巡拝の道

今回の神仏霊場巡拝の道めぐりの目的地は、前回の札所めぐりでの当初の目的地としていた兵庫2番・西宮神社である。繰り返し書くが、前回の札所めぐりは10月の日本シリーズ第1戦、そして西国三十三所先達研修会に合わせてのことで、タイガースの必勝祈願で知られる兵庫3番・廣田神社とともに参拝をいったん見合わせ、他の札所を回ったのだが、「なんば線シリーズ」とも呼ばれた決戦・日本シリーズはタイガースがバファローズに勝って38年ぶりの日本一となった。

28日にNPBのMVP、新人王が発表され、パ・リーグのMVPは山本、新人王は山下と、ともにバファローズから順当に選出された。一方セ・リーグはどうなるのかと思ったが、村上がMVP、新人王のダブル受賞となった。MVP、新人王のダブル受賞は過去に木田(ファイターズ)、野茂(バファローズ)の例があったが、いずれも優勝チーム以外からの選出。その点、リーグ優勝、日本一という結果をともなっての受賞は栄誉あること。おめでとうございます。

話を神仏霊場めぐりに戻す。

今回、11月25~26日で出かけたのだが、もっとも当初は大相撲九州場所観戦、さらに九州八十八ヶ所百八霊場めぐりとして九州に行くことを考えていた。九州場所のチケットも確保していたが、あることで九州行きは取り止め、神仏霊場めぐりとした。

この記事のタイトルは「今回の行き先は・・・金沢?」だが、久しぶりに訪ねる金沢を目的地(正確にいえば、目的地は金沢ではなく新大阪なのだが)とする事情ができた。神仏霊場めぐりで西宮の廣田神社、西宮神社を訪ねるのも、金沢までの往路の一部もかねてのことである。大相撲や札所めぐりを取り止めて、逆方向の金沢に行った事情についてはおいおい書くとする・・。

11月25日、広島7時30分発「のぞみ82号」に乗車する。この時間帯、広島始発の「のぞみ」は何本か続けて発車するが、あえてこの列車を指定した。

快晴の山陽路を快走し、8時26分姫路着。ここで下車する。新幹線ホームから姫路城の天守閣を望む。「のぞみ」の列車剪定は姫路停車を基準とした。

当初の目的地である廣田神社、西宮神社を訪ねるなら、新神戸まで新幹線、そして三宮に移動して阪神電車に乗れば早いのだが、姫路乗り換えとしたのは、この機を利用して阪神間でもう1ヶ所くらい立ち寄ろうかというもの。目をつけたのは、JR、山陽電車の垂水駅のすぐ近くにある兵庫8番・海神社。

姫路から新快速に乗り継ぎ、さらに明石で普通に乗り換える。写真は撮らなかったが、車窓には明石海峡大橋を望むことができる・・・。

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第74番「海蔵寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(草津の町並みと八幡宮)

2023年11月27日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐりは第74番。次は私が住んでいるのと同じ広島市西区である。広島新四国めぐりも徐々に西に進んでおり、2023年内での結願はさすがに無理にしても視野に入ってきた。

前回の11月19日に続いて、23日に訪ねる。途中立ち寄るところもあり、どうせならと自宅から歩いて向かう。到着したのは広電宮島線の草津電停。江戸時代頃まではこの南の宮島街道辺りに海岸線があったそうで、ちょうど山と海とが近づくところである。

線路の向こうにはかつての西国街道があり、山陽線の線路を跨ぐ形で第74番・海蔵寺の参道の石段が続く。ここだけ見れば、尾道辺りにありそうな風景に見えなくもない。

そのまま石段を上がると海蔵寺の山門に出る。振り返ると草津の町並みが広がる。草津は神武天皇の頃から水運や水軍の拠点となったところで、特に戦国時代には武田氏、大内氏、陶氏などにより争われた港だが、後に毛利氏が支配下に収め、水軍の重要拠点として児玉氏を城主とした。

ここ海蔵寺は室町時代前期に中国の僧により禅宗寺院としれ開かれ、後に曹洞宗となった。毛利氏が草津を治めた時には児玉氏の菩提寺となり、厳島合戦の時には毛利の陣も置かれた。関ヶ原の戦いの後、福島正則の時に草津城は取り壊しとなったが、その後浅野氏の代になると、浅野氏の家老で備後の東城を治めていた堀田氏の菩提寺となった。この堀田氏の始祖である堀田高勝は元々明智光秀に仕えていたが、本能寺の変の後に浅野長政に取り立てられ、後に浅野の姓をもらって東城に入ったという。

山門をくぐると本堂が出迎える。こちらは江戸後期の天保年間に再建されたものだが、原爆の時には爆風の影響で本堂が傾いたという。海を隔てているとはいえ、爆心地からは直線距離で5キロほどのところ。その時に多くの避難者を受け入れたこともあり、後に広島市被爆建物等保存・継承事業の助成により保存工事も行われた。

朱印の箱は本堂の前にあったが、扉が開いており中に入ってお勤めとする。本尊は十一面観音。創建が室町時代の禅宗寺院ということで八十八ヶ所の弘法大師とはご縁があるようには見受けられないが、本堂が爆風の影響を受けたこともあり、広島新四国のもう一つの大きな役割である平和を祈念するということで札所に加わったのかもしれない。

本堂の裏手には江戸元禄年間に築かれた石庭がある。

境内の横には東城浅野氏の墓石が並ぶが、浅野氏の墓所のため立ち入らないようとの札もある。この奥には小田原北条氏の最後の当主であった北条氏直や、山中鹿之介の娘などの墓所もあるそうだ。これらもまたどういうご縁でここに墓所があったのかな。

さて草津といえば、草津八幡宮である。神武天皇の東征の時、後の神功皇后の三韓征伐の時にも登場しており、宇佐八幡宮からの分祀により現在につながる八幡宮となった。私もこちらには2021年の初詣の一環として、近所の庚午神社、そして宮島の厳島神社とともに参拝したことがある。当時はコロナ禍の影響で都道府県を跨ぐ移動がはばかられた頃で、2回目の広島勤務となった直後、初めて広島での年末年始だった。

海蔵寺と同じくらいの標高にあるが、八幡宮に通じる道がわからなかったので、いったん石段を下りて山陽線の踏切を渡り、改めて正面から石段を上がる。境内三の鳥居まで189段続くが、「ひやく」と読ませ、「飛躍」、「避厄」に通じるとされる。こういう石段なら一段飛ばしなどはしないほうがよさそうだ。

石段を上っている最中、沿道に並ぶ奉納者の名前の中に「広島東洋カープ 佐々岡真司」というのが目に入った。カープの名投手にして後のコーチ、監督である。情報によると佐々岡氏は毎年参拝しているそうで、こちらはコーチ時代に奉納したもののようだ。お住まいもこの近くなのかな。

石段を上りきり、拝殿の前に出る。ちょうど七五三のお参りの家族連れの姿も見える。八幡宮からのほうが草津界隈の景色もよりはっきり見える。かつての水運、水軍の拠点もすっかり埋め立てられたが、草津港、商工センター一帯は広島における流通、物流の一大拠点であるし、冬となると牡蠣も多く水揚げされる。これからの牡蠣シーズンが楽しみだ。

佐々岡氏のご縁なのか、あるいはその前からそうだったのか、境内にはカープ必勝祈願の絵馬のコーナーがある。絵馬にデザインされているのは、バットを笏に持ち替えたカープ坊や・・(顔は自由に描くことができる)。現在奉納されているのは2023年の必勝祈願で、新井監督への期待も込められたものも多かった。残念ながら優勝は逃し、タイガースとのクライマックスシリーズにも敗れて、私の祈願であるバファローズ対カープの日本シリーズまであと一歩残念だったのだが、久しぶりに広島の街は明るい雰囲気だったように思う。いや、こうなると「前監督」は複雑な気持ちになるのかもしれないが・・。

草津の電停に戻る途中の西国街道のたもとに、「置鳳輦止處」という石碑に出る。「鳳輦を置きしところ」と読み、この前にある造り酒屋の小泉本店は厳島神社や草津八幡宮の御神酒を奉納している。明治天皇の山陽行幸の時にここで休息したこと、また日清戦争時に広島の大本営に滞在していた明治天皇の陣中見舞いに訪ねた昭憲皇太后も宮島参拝の時に休息したことを記念して建立したという。

この後は広電に乗って自宅とは反対の宮島口方面に向かう。下車したのは佐伯区に入った楽々園。電停からも近い「塩屋天然温泉ほの湯楽々園」に入る。広島市内でも数少ない天然温泉で、加温のみの源泉かけ流しの湯や、各種の浴槽が楽しめるのでちょくちょく訪ねている。昼間の一時を楽しむ。

そして広電で帰宅したのだが、車内では「本日広島市内でイベントが開催されていますので、お帰りの際はあらかじめICカードへのチャージをお願いします」という呼びかけがあった。市内でイベント・・?ということでスマホで検索すると、この日(11月23日)はマツダスタジアムでカープファン感謝デー、そして広電の千田町車庫では創業記念日イベント「ひろでんの日」が行われるとあった。そりゃ、帰りはそれなりに混雑しそうだな・・。

カープのファン感謝デーについては、この日夕方の広島各局のローカルニュースでもトップの扱いだった(そこが広島らしいのだが)。中でも大きく取り上げられていたのが、カープからFAでバファローズへの移籍が発表された西川。カープファンへの最後の挨拶ということで登場し、ファンの方からも温かい声援が送られたという。

カープといえばこれまで多くの選手がFAで他球団に移籍し、その行き先がジャイアンツやタイガースだとブーイングも激しかったというが、西川本人も「セ・リーグなら意味がない、パ・リーグでどれだけできるかやってみたい」といっていたし、故郷の大阪の球団を選ぶのなら・・ということのようだ。バファローズといえば以前は「お断りックス」とすら言われていたところ、前季の森といい、(大阪出身の選手が続いたとはいえ)FAで選んでもらえる球団になるとは時代を感じる。

これは後の話だが、金銭面の条件はもっとも低かったものの、自身も子どもの頃ファンの球団で、さまざまな縁もあって大方の予想を覆してファイターズへのFA移籍を決めた山﨑福のような投手もいる。一般の企業でもそうだが、就職・転職において何を重要視するか・・というのがより多様化していることも反映しているように思う。給与を上げることは大切なことだが、単にそれだけではないということで・・・。

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第73番「高信寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(平和への祈りとえびす講)

2023年11月24日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐり、次は第73番・高信寺である。

高信寺、「こうしんじ」という読みなのだが、寺の名前に触れた時、私の頭の中では「高信二」と変換されていた。カープの元選手で、引退後はカープのコーチを務め、一軍ヘッドコーチ時代にはカープのリーグ3連覇にも貢献した。その後は2軍監督となり、2024年も継続が決まっている。どのタイミングだったか、一軍監督に推す声もあったと思う。

高信寺があるのは平和大通り、本川にかかる西平和大橋のたもと。河原町バス停を降りるとある石碑に出会う。これも原爆で犠牲になった人たちの慰霊碑なのかなと見ると、「広島県送出 元満州開拓青年義勇隊の物故者をまつる」とある。戦前、新天地を求めて各地から満州に渡った人たち。中国やソ連との戦いで戦死した人、あるいはソ連に抑留された人、命からがら帰国できた人とさまざまいる。また中国といえば、中国残留日本人孤児の問題もある。この石碑は生還者や有志の手により建てられたものだが、原爆とはまた違った意味で平和の尊さ、民族融和というのを祈念している。

さて、通りを渡った4階建てのビルが高信寺である。入口には「祈りの殿堂・高信寺」とあり、一瞬、このまま入っていい者かどうか迷う。寺のように山門があって、境内に本堂があれば、仮に本堂の扉が閉まっていて外からのお勤めであっても一応形にはなる。ただ、ビルの前で手を合わせてお勤めというのは妙なものだ。

そこで扉を開けるとスリッパに履き替えるよう貼り紙があり、エレベーターまたは階段で上がるようになっている。2階が本堂、4階が八角堂で、六観音を祀っているとある。このまま自由に入ってよさそうなので、まずは2階に上がる。

本格的な祭壇があり、ここで法要もできそうだ。

高信寺を建立したのは高さんという信心深い一人のご婦人という。原爆の熱風に耐えかね、川に飛び込んでそのまま命を落とした大勢の人たちを弔うため、私財を投げ打って寺院と観音像を建てたのが初めてだという。後に、世界平和と人類和楽を祈るスポットとして、現在地に新たに建てられた。本尊の十一面観音は「平和観音」とされている。

朱印は祭壇の脇に書置きがあったのをいただく。また4階に上がると小ぶりな六観音が揃う。外に出ることもでき、平和大通り、本川の景色も望める。

参詣を終え、そのまま本川に沿って歩き、平和公園に入る。欧米人の観光客姿も目立つ。コロナ禍明けでインバウンドの客が回復基調にある中、先日訪ねた宮島といい、広島を訪ねる外国人には欧米人が多い印象がある。爆買いを目的としたアジア人にとっては魅力がそれほど感じられないのだろうが・・。

この日は11月19日。そのまま本通りのアーケードを抜けると、「胡子大祭」として歩道には多くの出店が並ぶ。「えびす講」だ。広島の胡子神社が開かれたのは江戸時代の初めで、以後、毎年の大祭は400年以上欠かさず執り行われている。原爆の被害に遭った1945年でも、11月にはバラックの仮社殿を建てて奉納したという。またコロナ禍の時は規模を縮小しながらも大祭は行われたそうだ。

熊手が縁起物で、それは通りの屋台で買うことができるが、「ごまざらえ」という祈禱をしてもらって初めてご利益があるとされている。そのため、「ごまざらえ」を待つ長い列ができている。私はそこまでの信仰もないし、今の仕事でいえば商売繁盛というよりは交通安全、無病息災を祈願するのが近いかなということで、普通の参拝とする。

賽銭箱代わりに通りの真ん中に樽が置かれるのも広島らしい光景である。

さて「えびす講」といえば、1999年には暴走族が中央通りを占拠して、警察の機動隊と衝突、少年ら45人が逮捕されるという事件があった。当時私は1回目の広島勤務当時で、そもそも人混みがあまり好きでもなかったのでその場にはいなかったのだが、連日ニュースになっていたのは今でも微かに憶えている。暴走族といっても、単にバイクやクルマで暴走するだけではなく、暴力団が背後にいた点も問題になった。この1件で「広島は怖いところ」という悪評がより広まったように思う(ただでさえ、「仁義なき戦い」の影響で広島は・・・というのがあったのだが)。

ただ、その後は警察の取り締まり強化や、暴走族根絶に向けた条例の効果によりそうした暴動はなくなり、現在はあくまで平和に祭りを楽しむことはできる。ただ、今はネット社会の広まりにより、ある種の暴走行為や犯罪については形を変えて、しかもより陰湿に行われているようにも思う。

まあ、とにもかくにも「平和」を願うばかりである・・・。

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みまさかスローライフ列車に乗る~この列車はこれからどうなるのか

2023年11月23日 | 旅行記F・中国

11月23日、木次線を走る観光列車「奥出雲おろち号」が25年の運行の幕を閉じた。夕方のテレビニュースで「ああ、今日がラスト運行だったか」と気づいた次第だが、木次線沿線や備後落合駅には大勢の人が駆け付けたそうだ。

「奥出雲おろち号」には何度か乗車したことがあり、最後に乗ったのは今年の5月、ちょうどG7広島サミットと重なった時である。この時は出雲坂根~備後落合の往復という限られた区間での乗車だったが、現地までクルマでアクセスしたこともあり、出雲坂根で下車した後も国道を並走して「奥出雲おろち号」を外から「なんちゃって撮り鉄」した。

そして車両をナマで最後に見たのは、9月に芸備線応援のクラウドファンディングで「呑み鉄鈍行ちどり足号」で備後落合に着いた時。この時には「おろち号」の運行終了へのカウントダウンが進む中、「ちどり足号」で同乗した人たちとの会話で、もうこの列車の指定席を取ることはできないなという話題も出ていた。「ちどり足号」の旧国鉄首都圏色のキハ47と「おろち号」が同じ駅で並び立ったのも、引退する列車への惜別シーンとなったことである。

機関車が客車を牽引することじたいが希少なものとなる中、これも一つの区切りなのかなと思う。ともかく、お疲れさまでした・・・。

さて、11月12日の「みまさかスローライフ列車」乗車記の続きである。津山から因美線をのんびりと走り、物見トンネルを抜けて鳥取県に入った那岐に到着。列車じたいはこの先鳥取方面や智頭急行に乗り継ぐ客のために智頭まで向かい、折り返してくるのだが、那岐で下車する人がほとんど。まずは気動車の発車を見送る。

鳥取県は観光PRとして「蟹取県」、「星取県」などのキャッチコピーがあるが、鳥取でも限りなく山あいのこの駅にも、「蟹取県」の「カニ帽子」姿の方も出迎える。駅前のテントではカニ汁も販売されており、一杯いただく。鳥取で松葉ガニをがっつりいただく・・・とは懐具合からしておいそれとはいかないのだが、ほんの少しでも風情を味わうことができる。

カニ汁を味わっているうち、駅前スペースでは地元のグループによるよさこい踊りの演舞が披露される。威勢がいい。

その後はということで・・・津山から乗って来た寅さん御一行のうち、津山市の金田稔久議員以外のお二方が登場。「松江の寅さん」こと「フーテンの純ちゃん、フーテンの福ちゃん」と発します・・・。

フーテンの純ちゃんは「松江から来ました」と自己紹介しており、島根にそうした芸人さんがいるのかなと思って一時を楽しんだのだが、後で知ったところでは、プロの芸人ではなく、本業は自動車整備・販売業の社長さんだという。松江では観光などのボランティアに携わっているとか。隣のフーテンの福ちゃんも自動車整備業の方で、純ちゃんのお弟子さんだという。

寅さん、いや純ちゃんのトランクから出てきたのはネタの小道具。番号とネタが書かれていて、ギャラリーの指名でそれを披露する。東京や大阪の笑いの基準だと単なる素人の出し物でしかないのかもしれないが、こういうローカル線の駅前でのほっこりしたイベントだからこその笑いが起こる。純ちゃん、福ちゃんにしても、(本業があるからというのは別にして)純粋にお客さんに楽しんでもらおうという気持ちでのひとときである。

最後は、よさこい踊りのグループも交えての記念撮影。

それはそうと、次から次へと「寅さん」が乗車するというのは・・。確かに全国見渡せば寅さん好きも多く、寅さんに扮して地域で活動している方も幅広くいるのだと思うが、「みまさかスローライフ列車」に乗せてしまうのはやはり金田議員の尽力によるものだろう。

帰りの列車の時刻が近づき、ホームに上がる。津山行きは、キハ40の旧国鉄一般型塗色。地元の方たちの見送りを受けて発車する。

帰りのボックス席には相客がおらず、一人占めの形で乗車する。

岡山県に戻り、おもてなしの後片付けがほぼ終わった美作河井で地元の人たちの盛大な見送りを受け、美作加茂に到着。列車行き違いのためということもあるが、往路の買い物で当たりくじを引いた人への景品交換の時間でもある。

復路は淡々と走り、16時17分、津山に到着。この日は日曜日、翌日に備えて早めに広島に戻ろうと、そのまま津山線に乗り継ぎ、岡山から新幹線に乗車・・・。

秋の1日を里山ローカル線の車窓で楽しむことはできたが、この「みまさかスローライフ列車」、現在は春、秋の時季に運行されているものの、はたしてこの先はどうなっているのだろうか。「奥出雲おろち号」の件があるにせよ、これからも少しでも長い期間、運行してほしい列車である・・・。

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みまさかスローライフ列車に乗る~山あいの駅でのおもてなし

2023年11月22日 | 旅行記F・中国

11月12日に津山から乗車した「みまさかスローライフ列車」。映画「男はつらいよ」のロケ地になった美作滝尾駅では、おもてなしの一つとしてフーテンの寅さんの衣装をまとった市議会議員や芸人さんの撮影会?もあり、大いに賑わう。

加茂川沿いに走り、次の三浦はすぐに発車して、美作加茂に到着。

美作加茂では12時50分の発車まで27分停車する。乗客が一斉に構内踏切を渡って駅舎に向かう。ちょうどこのあたりは列車と乗客を組み合わせた格好のアングルだったようで、共同ネットワークで各紙に配信されていた。で、その中でよく見るとまた私が写り込んでいて・・・。

列車が到着してすぐに、「タブレット受け渡しの記念撮影を行う」との案内がある。かつてローカル線で見られたタブレットの受け渡しが、この列車の見どころの一つである。旧国鉄急行色の車両によく似合うが、今でもこうした方式の線路というのはあるのだろうか。

ホームにて立ち食いのうどんをいただく。また駅舎の外では焼き鳥やお菓子、干し肉ジャーキーなどの物販もある。一会計ごとにくじ引きがあり、当たりだと帰りの列車の停車時に景品を受け取ることができるのだが、残念ながらはずれ。

駅の窓口には、地元選出(比例)の阿部俊子衆議院議員からのメッセージが掲げられている。その中に「列車を楽しみに訪れた多くの方々と各駅で賑わい、交流の輪がさらに広がりますよう祈念致します」とある。阿部氏は岡山3区にて平沼赴夫~正二郎氏と毎回接戦を繰り広げ、前回の総選挙では平沼氏が当選、阿部氏は比例復活となったが、平沼氏が当選後に自民党に追加公認を受けた。ただこの岡山3区、小選挙区の改定にともない、岡山県の北部から西部にかけての区域に広がった。ざっくり、美作国の全部と、倉敷市を除く備中国の全部が岡山3区となったが、備中国には元官房長官、厚生労働大臣の加藤勝信氏がいる。小選挙区の候補者はどうなるのかなと思ったが、結局小選挙区は加藤氏で、平沼氏、阿部氏は比例候補となるとのこと。まあ、何やかんやいっても中国地方は自民党の安定した地盤である。

選挙区の見直しで比例に回ることになった議員の心境というのはわからないが、こういうところにさりげなく名前を出すちょっとした活動?も次の選挙に向けて欠かせないところだろう。

一連の賑わいも少し落ち着き、「みまさかスローライフ列車」が出発。

次の知和は昭和初期の開業当時の木造駅舎があるが、ここはすぐに発車。

13時50分、美作河井に到着。因美線の岡山県最後の駅である。転車台跡の案内があり、まずは駅舎とは逆方向のこちらに向かう。

転車台は除雪車の方向転換に使われていたもので、使用されなくなってから土に埋もれていたのが掘り起こされ、現在は近代産業解散にも認定されている。

駅前には産直品のテントが出ており、また使われなくなった側線を自転車で走る体験イベントもあった。

「よかったらどうぞ」と、寅さん姿の金田稔久・津山市議会議員が私にあるものを差し出す。選挙買収用のおカネ・・・ではなく、木の輪っかである。テントには「八幡神社の花祭り 造花の柳」とあり、屋根に置けば火災除けになるそうだ。

この八幡神社だが、正式には阿波八幡神社といい、美作河井駅からは約4キロに位置する。創建は奈良~平安時代とされており、戦国時代には、山陰の雄・尼子晴久が中国経略にあたりあえて社殿を焼き払い、その後、戦に勝ったことの御礼として社殿を再建したこともあったそうだ。その後も、矢筈城の草刈氏や津山藩の森氏からも崇敬を受けたという。

それはそうと、この柳の輪っか、先ほどのタブレットに似ていないこともないなあ・・・。

地元の人たちの見送りを受け、物見トンネルを抜ける。スローライフ列車は美作から因幡へ入る・・・。

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みまさかスローライフ列車に乗る~美作滝尾は「寅さん」撮影会

2023年11月20日 | 旅行記F・中国

11月12日、津山から「みまさかスローライフ列車」に乗車する。それはそうと、始発の津山駅では新たにホームと地上改札を結ぶ跨線橋ができている。これまでは地下道だけだったのだが、跨線橋ながらエレベーターをつけたのが利用客への配慮である。さすがに橋上駅舎、南北自由通路化とまではいかなかったようだが。

駅構内のコンビニでこの先の飲食物を買い求め、「呑み鉄」モードへの準備も万端だ。旧国鉄急行色のキハ47が2両と、旧国鉄一般色のキハ40の合計3両編成。今回乗るのは2号車、キハ47である。ボックス席もほぼ満席、老若男女であふれている。

11時48分、津山を出発。今となってはもっとも昔の鉄道旅の風情を感じられるのがこのキハ40、47の車両だが、これからさらに貴重な体験になるのだろうなと思う。快適な観光列車に改造された車両があるかと思えば、あえてかつての国鉄色と車内設備を復刻した車両があるのも、この系列の特性である。

列車は次の東津山に到着。姫新線の佐用方面からの接続のためしばらく停車する。この間を利用してホームに乗客が群がるが、その中、あの出で立ちの方々が列車の先頭に向かって歩く。そう、フーテンの寅さん。

前年秋に「みまさかスローライフ列車」に乗った時にも寅さんの御一行を見かけたのだが、このところ、この列車には寅さんのコスプレ、ものまね芸人が乗り込むのが定番になっているのかな。

キハ47をバックに「はい、バター」のポーズを披露する。このうちの一人、左側(車両側)でポーズを取っているのは津山市の金田稔久議員。県北に広がる津山の地域活性化の一環として、自ら「作州寅治郎」としてこの列車イベントにも積極的に協力している。あとのお二人は芸人さんだろうか。前年のパターンなら、実質終点の那岐駅でパフォーマンスがあると思われる・・・。

やってきた姫新線の津山行きのキハ120は、かつての三江線カラー。三江線が廃線となった後は姫新線に活躍の場を移しており、そういえば備後落合駅でも見かけたことがある。「これはレアですよ」とつぶやきながらカメラを構える人も。

次の高野ではわずかな時間ながら、駅前に出るだけの時間はある。ここでは特におもてなしはないが、シンプルに、木造駅舎と気動車の組み合わせを楽しむことができる。

沿線に撮り鉄も増える中、次は美作滝尾。映画「男はつらいよ」の最終作となった48作「寅次郎紅の花」のロケ地にもなった木造駅舎で知られている。この「みまさかスローライフ列車」の前半の大きな見どころで、そして今は寅さんの出で立ちの芸人や市議会議員が降り立つのも人気になっている。

この美作滝尾は昔ながらの風情を保とうとする姿勢がうかがえる。こういうのを見ると、備後落合はちょっといろんなものを貼りすぎたかな・・とすら思える。

駅前では懐かしい音楽を奏でるジャズバンド、そして地元の若者たちによる獅子舞などでのお出迎え。近隣の人たちにとって「みまさかスローライフ列車」は春と秋の恒例の祭りのようなものかな。

そして寅さん御一行はといえば、駅舎をバックに「はい、バター」での記念撮影や、駅構内を使っての撮影に気軽に応じている。中でも金田議員はノリノリのようで、またカメラを構える人たちもグラビアアイドルの撮影かというくらい力が入っている。中には、低いアングルからのポーズを求めて寝転がった位置からカメラを向ける人も。

・・・それはそうと、そこまで熱心に撮影した寅さんの写真、どう活用するのかな・・。

ちなみに、金田議員のSNSをのぞいてみたのだが、駅舎をバックにポーズを決めているその背後で、ボーッと駅の様子を眺めているおっさんが写り込んでいるのを見て思わず笑ってしまった・・・(私のことです)。

また物販のテントが出ていて、「みまさかスローライフ列車」のクリアファイルのほかに、「干し肉駅弁缶」なるものを買い求める。この「駅弁缶」は、津山の機関庫をイメージしたデザインの缶に、干し肉のスライスをトッピングした炊き込みご飯が入っているという。まだ缶を開けていないのだが、古くから牛肉を食べる文化があり、今や郷土料理となっている干し肉やホルモンが有名な津山ならではの一品のようだ。今回、「みまさかスローライフ列車」乗車にあたっては、津山に前泊して牛肉料理で一献ということも考えたのだが・・。

そろそろ発車時刻となり、最後まで列車とともに寅さんが被写体となり、美作滝尾を出発する。この先々も、スローライフ列車と寅さんの旅は続く・・・。

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みまさかスローライフ列車に乗る~姫新線でアクセス

2023年11月19日 | 旅行記F・中国

春と秋に因美線で運行される「みまさかスローライフ列車」。旧国鉄塗色の車両が里山の風景の中を走り、停車駅ごとではさまざまなおもてなしイベントが行われる観光列車。2022年の秋に久しぶりに乗車したのだが、「男はつらいよ」の「フーテンの寅さん」も乗り込んで賑やかなものだった。

2023年秋の列車は11月11日、12日に運行。12日の便にて、津山から鳥取県に入った那岐までの往復指定席を押さえる。

12日に広島から日帰りするとして、岡山まで新幹線、そして津山線で津山に向かうのが通常のルートだが、そこにちょっとひねりを加えてみることにする。

前日11日夜、テレビのチャンネルを地上波、BS、CSいろいろいじっている中で、BSテレ東で「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」をやっていたのを観る。「みまさかスローライフ列車」ではまた寅さんが乗って来るようだし、またこの第32作は、備中高梁が舞台である。寅さんが坊さんになるというストーリーで、ヒロインは竹下景子さん。舞台となった「蓮台寺」は、備中高梁の薬師院という寺がロケ地になっており、私も中国四十九薬師めぐりで訪ねたことがある。

さて12日当日、広島を早朝の新幹線で出発し、岡山に到着。ひとひねりというのは津山までのアクセスで、いったん伯備線で新見まで行き、新見から姫新線で津山に向かうものである。JR西日本の「e5489」でも、このルートの乗車券を買うことができた。当初から備中高梁を経由するルートを計画しており、そのルートをたどる前日に寅さんの備中高梁が登場した偶然にうなるばかりである。

岡山からは8時05分発の「やくも3号」に乗る。「やくも」だが、来年の新型車両の導入を前に、かつての国鉄~JRの塗色を復活させた編成でも話題になっている。その中で「やくも3号」は現行の「ぐったりはくも」・・・もとい「ゆったりやくも」の塗色で、ある意味もっとも地味なのだが、この381系が走る時間もだんだん少なくなる中、貴重な機会である。

繁忙期でないこともあり指定席も空席が目立つ。倉敷から伯備線に入り快走する。先に触れた備中高梁にも停車する。

9時07分、新見に到着。ここで下車する。次の姫新線津山行きは9時53分発ということで、いったん外に出る。

待合室の一角には、「縄文の祭典 片桐仁×猪風来」というのがあり、縄文式土器をイメージした作品が陳列されている。片桐仁さんはラーメンズで知っているが、猪風来って??というところ。この猪風来(いふうらい)氏は縄文造形家とのことで、新見市内には「猪風来美術館」という、縄文アートを主題にした美術館もあるそうだ。先ほどの「縄文の祭典」は企画展とのことだが、こういうスポットが新見にあるとは初めて知った。駅近くなら行ってみようかと思ったが、美術館があるのは新見市内といっても伯備線の各駅から離れている。

駅前を少し回る。

姫新線に乗るために少し早めにホームに向かう。ホームにはその筋の人たちの姿もちらほら見える。姫新線の本数も限られているが、新見からの列車に乗れば津山から「みまさかスローライフ列車」に接続しており、同じように乗り継ぐのかな。

待つうち、米子方面から「やくも8号」が入線してきた。旧国鉄特急色の復刻塗色である。現在の381系の塗色の中でも一番人気である。ここで出会うとは。これから、旧国鉄急行色の復刻塗色の「みまさかスローライフ列車」に乗りに行くが、いつかこの旧国鉄特急・急行色が並ぶことがあればと思う(あったのかもしれないが、どうだろうか)。

津山行きに乗る。キハ120の単行だが、幸いにボックス席を確保する。新見出発時点では20人くらいだったが、半分以上はその筋の人のように見受けられた。事実、「みまさかスローライフ列車」の車内で見かけた人も何人かいた。

中国山地のローカル線といえば芸備線、木次線がクローズアップされることが多いが、姫新線、因美線も決して楽観できる状況ではない。

新見を出発すると山がちな区間。先日、姫新線と並走する中国道をクルマで走ったのだが、山中でカーブも多く、また工事のために対面通行区間が長く、周りに人家がないいため灯りもなく、結構スリルを感じたものだ。

そんなローカル区間、時速25キロの必殺徐行区間も頻繁に現れる。今や各地の路線で行われていることなので、特段驚くほどのこともない。

途中の駅で若干の乗降はあったが、車内が混雑する場面もなく、11時31分、津山に到着。隣のホームにはすでに「みまさかスローライフ列車」が入線している。11時48分の発車まで少し時間があるので、しばらく佇まいを見るとしようか・・・。

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第72番「存光寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(大鳥居改修後初の宮島へ)

2023年11月18日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐり、次は第72番・存光寺だが、前回までの広島市中心部から一気に宮島に飛ぶ。宮島には広島新四国の第1番・大願寺があり、安芸の国をいろいろ回った後、最後に宮島に戻り、弥山の山頂で満願を迎えるのだが、その後半に1ヶ所だけ、存光寺がある。

広島新四国については札所順で訪ねることとしており、今回、この存光寺に行くために宮島に渡ることにする。宮島といえば、厳島神社の大鳥居の改修工事が2022年11月に完了し、鮮やかな色合いで多くの観光客、そして今年はG7サミットで各国首脳も招くことができた。かくいう私、前回宮島に渡った時はまだ工事中だったので、この機に大鳥居を見に行くのもいいだろう。

前回の広島新四国めぐりからすぐの11月5日。・・・いつまでも引きずるようで恐縮なのだが、この日の夜は決戦・日本シリーズ第7戦である。大一番を前に気持ちを落ち着かせようと、なぜか宮島に渡ることにする。こう書くと大仰なのだが、主な目的としては、ポツンと離れた第72番を抑えておき、再び広島市内を回るためである。

最寄りの高須電停から広電でトコトコと移動する。広電でアクセスする札所も点在しており、序盤、そしてこの後の終盤に登場することになる。

広電宮島口に到着。宮島への連絡船乗り場はすぐ目の前。多くの観光客で賑わっており、JR、松大汽船が交互に出航する乗り場にはいずれも乗船を待つ列ができている。ただ、宮島口から宮島に渡るなら、JR連絡船がお勧め。厳島神社の大鳥居に近いルートを行く。

宮島といえば、10月から「宮島訪問税」が徴収されている。ICカードだと、乗船時に改札機にタッチすると100円が上乗せして引き落とされる。

出航時には上階の展望デッキを含めて満員となる。やはり外国人(特に西洋系の)観光客も多い。コロナ禍も明け、このところの円安も重なっていると思う。私の周りにも西洋系の観光客がぐるりと集まり、ガイドらしき方がおそらく英語で案内している。どうやら牡蠣の養殖いかだについて解説しているようで、一斉にスマホやカメラを向けている。

もっとも、単語として聴きとれたのは「タイラノキヨモリ」くらいかな。厳島神社に信仰を寄せ、現在につながる社殿を整備した人物として紹介していたようだが、西洋流の「キヨモリ・タイラ」ではなく「タイラノキヨモリ」と言っていたのは、日本の歴史にもかなり詳しそうなガイドと見た。

ただ、それを耳にした私はといえば、平清盛、ターイラノキヨモリ、タイヤードキヨモリ、tiredキヨモリ、疲れた清盛、ベストガイ観て疲れた清盛・・・・昔あったラーメンズの「日本語学校」ネタを連想してしまう。田中角栄!

大改修を終えた大鳥居を初めて見る。

宮島桟橋に到着。

宮島に来ればまずは海岸沿い、または参道の商店街を通って厳島神社に参詣するところが、今回の目的地である存光寺はその手前である。メインの参道からいったん左手にそれ、人通りもそこまで多くない道を歩く。いったんトンネルを抜ける。

そして存光寺に到着。そして山門はと見ると、改修のためか、土台がむき出しになっており、工事中のフェンスが立てられている。これは境内に入れないのかと躊躇したが、フェンスの一部が扉になっており、そこから中に入ることができた。たぶん、大丈夫だろう。

存光寺が開かれたのは戦国時代、和泉の国から存光坊寂如阿闍梨が来て阿弥陀三尊を祀ったのが始まりという。工事中で落ち着かない感じだが、まずは本堂の前でお勤めとする。なぜ、あえて番号が飛ぶ第72番となったのかはわからないが、札所の並び順やこれまでの事例から推察するに、元々広島市街にあった寺が何らかの事情で札所を返上したか、あるいは廃寺になったのを受けて、宮島で歴史あるこの寺が名乗りを挙げたというところだろう。広島新四国の巡拝については、札所順にとらわれず、エリアごとに回ることを推奨していることもある。

さて、この存光寺のすぐ横に石段が伸びている。ちょっと急なのだが上ってみる。

するとそこには今伊勢神社が鎮座している。今でこそ厳島神社の末社の扱いのようだが、名前からして伊勢神宮を勧請して、存光寺ともども神仏習合で信仰を集めていたと思われる。そしてこの一帯は、かつて毛利元就と陶晴賢の厳島の戦いの舞台となった宮尾城があったところである。宮尾城は、陶の大軍をおびき寄せるため元就が築いた「おとりの城」と言われているが、対岸と合わせてもこの場所なら砦を築いても何の不思議もないところである。

厳島神社に行こう。存光寺の前は「町家通り」が伸びている。宮島には何度も訪ねているが、この通りを歩くのは初めてである。表参道商店街とは違い、宮島の人たちの生活道路となっている。その中に昔造りの町家と、それをリノベーションしたおしゃれな店も並ぶ。宮島の穴場スポットといえるかな。

そして、この角度での五重塔。一瞬、京都にでも来たかのように感じられる。

ここで表参道に合流する。こちらは一転して人混みの中である。なぜか中世貴族の衣装を身にまとった人がいる。神社関係者でもなさそうだし、そういうコスプレなのかな。

そして大鳥居へ。厳島神社を訪ねる時は特に満潮、干潮の時刻は意識せず、着いてからのお楽しみとしているが、今回訪ねた時はまだ潮が満ちていて、ちょうど小舟が大鳥居の下をくぐっていたところ。

厳島神社に参拝。社殿のあたりは潮が引いており、鏡の池も姿を現している。

これだけ賑わう厳島神社も久しぶりに見た。舞台の先では記念撮影する人の行列ができている。

潮が引いている海岸に下りてみる。天候に恵まれたよかった。

広島新四国の第1番・大願寺にも参詣する。ここで広島新四国八十八ヶ所めぐりを発願したのは2021年の元日。それからもうすぐ3年となるが、八十八ヶ所めぐりはまだ72番。結構時間を要しているが、次に宮島に来る時は最後の大聖院、そして弥山本堂にて結願としたいところだ。

帰りは表参道商店街を歩く。とにかく人混みが激しいし、昼食どきということでどの店も満席の様子だ。まあ、無理に入らなくてもいいか・・。

ただ何も食べずに宮島を後にするのももったいなく、桟橋前の店で一夜干しカキ串、そして夏生牡蠣をいただく。そろそろ牡蠣のシーズンで、行きつけのスーパーでも牡蠣が並ぶようになった。これからが楽しみである・・・。

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第71番「善応寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(ここ、お稲荷さんでしょ)

2023年11月15日 | 広島新四国八十八ヶ所

10月30日、仕事は代休として平日の昼に広島新四国八十八ヶ所に出かける。30日は月曜日ということで日本シリーズは「移動日」。もっとも、「なんば線シリーズ」と呼ばれたバファローズ対タイガースの日本シリーズ、それぞれの本拠地の近さも話題になっており、阪神のドーム前~甲子園間は営業キロで13.4キロ。直通列車に乗れば15分ほどで着く。ひょっとしたら、自分のホームグラウンドより相手グラウンドのほうが自宅に近いという選手もいるのではと思う。「移動日」というよりは「休養日」のようなもの。

かつて、もっとも移動距離が短かった日本シリーズもありましたな。1981年のファイターズ対ジャイアンツ。いずれも当時の後楽園球場で、1塁側と3塁側を入れ替えての試合。それでも規定により「移動日」があった。

その一方、「移動日」の原則を崩して行われたのが2000年のホークス対ジャイアンツ。あの「ON」監督対決として話題になったシリーズだが、ホークスの不手際により福岡ドームの日程を確保することができず、変則的な移動となった。その変則日程が勝負のアヤになったかどうかは何ともいえないが・・。

・・・さて、この記事は日本シリーズではなく、広島新四国である。

第70番・金龍禅寺を訪ね、次は第71番・善応寺である。善応寺があるのは本川町ということで、歩いて向かう。途中、平和記念公園を通る。修学旅行だろうか、制服姿の団体を見かける。平和記念公園を訪ねるのは原爆の日・8月6日の前日である8月5日の夕方以来である。

2023年は広島でG7サミットが行われ、各国首脳が平和記念公園、原爆資料館を訪ね、核兵器廃絶に向けた機運も高まったかに思えたが、ロシアとウクライナの戦闘は止むことなく(一時いわれていた、ロシアの核兵器使用はトーンダウンしたのかもしれないが)、ここに来てまた中東での戦闘である。ロシアとウクライナはともかく、パレスチナにせよ、イスラエルにせよ、クロマグロが泳ぎを止めると死んでしまうのと同じように、「戦争をしなければ死んでしまう」という方々が多いのだと勝手に想像する。

原爆慰霊碑の前には西洋人観光客が列をなしている。こういうところに来るくらいだから、戦争や平和に関しての意識が高いと思われる。日本を訪れる外国人観光客はアジア各国の割合が高いのだが、こと広島においては欧米からの観光客の割合が高いという統計もある。まあ、広島には「爆買い」できるほどのスポットがないということもあるのだろうが・・。

平和記念公園から原爆ドームまで抜ける。園内にある原爆供養塔は広島新四国八十八ヶ所の番外霊場で、現在の八十八ヶ所が平和への思いを込めて再興された経緯があるだけに、特別なところである。私も満願となった後には改めて訪ねる予定である。

相生橋を渡り、本川町に入る。スマホ地図を見ながら善応寺を目指すが、たどり着いたのは朱色の鳥居が数基並ぶ神社。間違いかと思ったが、鳥居の奥に「広島新四国八十八ヶ所」の札が見える。

善応寺はもともと豊田郡にあったが、関ヶ原の戦いの後に広島に入った福島正則の信仰により移ったという。江戸時代後期になり、境内に伏見稲荷大社の分霊を勧請し、広島における鍛冶稲荷の祭神としたという。

明治の廃仏毀釈のために廃寺寸前となったが復興し、おそらく原爆で壊滅しただろうが、現在は善応寺、鍛冶稲荷神社として神仏習合の名残を伝えるスポットのようだ。なお、寺としての本尊は十一面観音。神仏習合、本地垂迹の考えでは、稲荷神と十一面観音は同一とされている。

書き置き朱印の箱を見つけ、無事に朱印をいただく。

この後は土橋電停まで歩き、広電で帰宅する。次の第72番は・・・というところだが、何と宮島に渡る必要がある。札所番号順に回るにあたり、第72番だけ宮島に飛び出ている理由はわからないが、宮島に行くなら日を改めて、厳島神社と合わせて訪ねるところだろう。この日はそのまま帰宅し、日本シリーズの試合もないので(翌日から月末月初で忙しくなるし)、自宅でのんびりすることに・・・。

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第70番「金龍禅寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(代休での参詣)

2023年11月14日 | 広島新四国八十八ヶ所

話は10月30日、平日である。この日は代休となった。10月は何だかんだで仕事が忙しく、気がつけば総労働時間が、健康障害を考慮すべき時間数に達してしまい、それを少し緩和するために平日の休みとした。前々日の28日は大阪での日本シリーズ観戦、前日の29日は梅田で西国三十三所の先達研修会と大阪に滞在しており、30日に代休とするならそのままゆっくりするなり、実家に顔を出すこともできたのだが、29日の昼過ぎに先達研修会が終わるとそのまま広島に戻った(日本シリーズ第2戦のチケットが手元にあれば話は別だったのだろうが)。

それはともかく、平日の朝ゆっくり朝寝するのも滅多にないことである。

さて、この日は晴天でまだまだ気温も上がる時季ということもあり、昼前から少し出かけることにする。そこで広島新四国八十八ヶ所めぐりを進めることにする。目指すのは、前回訪ねたものの法事で立て込んでいる様子だったので参詣を見送った第70番・金龍禅寺である。

前回と同じくバスでNHK広島局がある放送会館前まで来て、平和大通りを少し歩く。両側の緑地帯エリアにはさまざまなオブジェが据え付けられており、作業中の一コマも見かける。どうやら「ひろしまドリミネーション2023」の準備中のようだ。11月17日から来年の1月3日までのイベントだが、そういえばちゃんと見たことがないなと思う。たまたまクルマで平和大通りを通った時にちらっと目にした程度。

金龍禅寺に着く。平日ということもあってか、新しい建物の寺はひっそりとしている。中の様子はわからない。これなら、前回来た時に門をくぐって法事の人たちの後ろからお参りすればよかったかなとも思う。

金龍禅寺がこの地で開かれたのは江戸時代前期。元々は今中将監が紀州で開基した寺だったが、紀州の浅野長晟が移封したのに伴って広島に移って来た。広島の昔からの寺院だが、毛利輝元の広島築城にともなって移ったところ、福島正則が保護したところ、そして浅野長晟の広島移封にくっついて来たところ、おおまかにはこれらに分類されるかな。ただ、1945年8月6日の原爆で被害に遭ったことは共通していて・・・。

金龍禅寺は爆心地から940メートルのところということで壊滅的な被害となったが、クロガネモチの木だけは奇跡的に残った。そのため、戦後は幸運の木、はては「クロガネモチ」という名前から金運を授かる木として多くの信仰を集めているという。

本堂の外からお勤めとして、朱印の箱はなかったのでインターフォンを鳴らす。出られたのは住職とおぼしき方で、書いてきましょうということで、日付の入った朱印をいただく。

次は第71番・善応寺だが、ほど近いので歩いて向かうとしよう。

平和大通りに向かう途中、お好み焼の「みっちゃん」に出会う。「みっちゃん」といえば広島のお好み焼でも有名店で、観光客も多く訪ねるところ。そのためか、地元民の中には敬遠する向きもあるが、現在の広島お好み焼の形を作った「井畝(いせ)満夫の店」を名乗る老舗であることは確かである。

広島お好み焼、一口に「肉玉そば」が基本形といっても、そばや具材の扱い方、焼き具合は店によりバラバラ。広島の人それぞれにそれこそ「お好み」があると思う。

善応寺があるのは本川町。ここは平和公園を通ることにしよう・・・。

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神仏霊場巡拝の道~いざ、「決戦・日本シリーズ」の地へ

2023年11月13日 | 神仏霊場巡拝の道

中山寺、清荒神清澄寺の参詣を終える。この日(10月28日)の夜は日本シリーズ観戦だが、このまま阪急宝塚線で梅田方面には戻らず、いったん宝塚に出る。そしてホーム向かいに停車中の阪急今津線の西宮北口行きに乗車する。

かつての阪急今津線は、西宮北口で神戸線とのダイヤモンドクロス(平面交差)があり、終点の今津では阪神との連絡用線路があった。戦時中、軍事の緊急輸送用として設けられたそうだ。

今年のバファローズ対タイガースという関西球団同士の日本シリーズにあたり、約50年前の短編小説「決戦・日本シリーズ」(かんべむさし作)について紹介する記事をちょくちょく見るのだが、この作品の舞台として登場するのが阪急今津線である。

この「決戦・日本シリーズ」のあらすじだが、昭和のある年、阪急ブレーブス、阪神タイガースはシーズン当初から強さを見せ、ぶっちぎりで優勝する勢いだった。当時は阪急、阪神の沿線のライバル意識が強いこともあり、そこに目をつけたスポーツ紙が、「阪急と阪神の日本シリーズで勝ったほうの会社の電車が、日本一パレードとして今津駅の連絡線を経由して相手方の線路に乗り入れる」という企画を行うことになった。「今津線シリーズ」と銘打たれた日本シリーズは試合前からファン同士の「場外乱闘」も繰り広げられる中、第7戦引き分けで決着がつかず、運命の第8戦に移る。はたしてその結果は・・。

ネタばらしをすると、阪急、阪神それぞれが勝ったバージョンのストーリーが書籍の上下段で並行して進む。それぞれのパレード電車が相手の線路を目指すのだが、結局甲子園、西宮北口で相手のファンや電車の妨害に遭ってその先に進めず、今津駅を通って乗り入れることはなかったのだが・・。

この作品が発表されたのは1974年。史実のプロ野球の歴史でいえば、昭和40年代といえばジャイアンツのV9時代である。タイガースはあと少しで優勝というシーズンもあったが結局優勝できず、またブレーブスは初優勝を含む5度のリーグ優勝ながら日本シリーズではすべてジャイアンツに敗れ・・・だった。もっとも、かんべむさし氏は別にどちらかの熱心なファンでもなく、沿線住民がお互いライバル意識を持っている鉄道のチーム同士が日本シリーズを戦ったら・・ということで、それを「いちびり」感覚で書いたものだという。

さて、昭和から平成を経て令和になった2023年、パ・リーグは紆余曲折あった中でオリックス・バファローズとなったが、リアルの「決戦・日本シリーズ」となった。ただそこは時代の流れで、西宮北口は駅の大開発でダイヤモンドクロスはなくなり、今津線の線路はここで完全に分断されている。「今津北線」、「今津南線」という呼び方もあるそうだ。

その「今津南線」、今津行きも行き止まり式のホームから出発する。3両という短い編成だが、阪急と阪神を結ぶ路線ということで乗客はそこそこある。

こちらの車内の中吊り広告にも日本シリーズのポスター。「決戦・日本シリーズ」においては通称「今津線シリーズ」と呼ばれていた。

阪神国道を経由し、終点の今津に到着。現在は藩椎淡路大震災からの復興工事、さらには沿線の渋滞緩和もありそれぞれ高架化され、連絡通路でつながっている。かつて連絡線でつながっていた終戦直後の1947年、今津線の電車が暴走して阪神の線路に侵入する事故があった。当時は会社間のライバル意識も高かったことから、新聞には「阪急、阪神に殴り込み」という見出しがついたそうだ。

現在は双方高架化の高架化で電車が物理的に乗り入れることはできないし、かつての沿線住民同士のライバル意識も表向きにはほぼなくなっているといえる(潜在的なところがどうかはともかく)。そもそも、阪急、阪神の両方が同じホールディングスの傘下である。毎年の初詣のポスターも、タイガースの選手と宝塚歌劇の女優が並んでそれぞれ沿線の初詣スポットをPRしている。

実際の鉄道車両はどうかというと、神戸高速の高速神戸や新開地では双方の車両が同じホームに並ぶ。また2014年いには、阪急の車両が「合法的」に阪神に乗り入れ、阪神尼崎の留置線に停まっていたのを偶然目撃したことがある。阪急の車両の改造を阪神の工場で請け負ったためとのこと。

結局、タイガースの必勝祈願になってしまうからこの日は西宮神社や廣田神社には参拝しないぞとしたものの、阪神電車には乗ることになった。そのまま尼崎まで乗り、阪神なんば線に乗り継ぐ。尼崎に停車中の車両にも日本シリーズのヘッドマークが掲げられている。

時刻は13時を回ったところ。ナイターのため、京セラドーム大阪の開門は16時30分とまだまだ時間がある。さすがにこのままドーム前で下車するには早すぎるので、そのままなんば線を乗り通し、大阪難波を過ぎて大阪上本町まで乗車。一応、近鉄を絡めることができた。

昼食・・というより昼飲みで、上本町ハイハイタウン内の「チエちゃん」に入る。ホッピー、キンミヤ焼酎と煮込みともつ焼で景気をつける。最後には新潟の栃尾揚げ。

上本町から折り返してドーム前に到着。ホーム、コンコース全面に日本シリーズの広告が並ぶ。この日本シリーズ、京セラドーム大阪、甲子園球場での開催とあって阪神電車にとっては「なんば線シリーズ」としての臨時収入である。関西だけでなく、NHK-BSの中継でも「いわゆる『なんば線シリーズ』」という実況があり、路線の知名度も全国的に上がったように思う。阪神間には阪急、JRが並走しているが、大阪のキタ、ミナミ両方にアクセスできる(さらに難波からその先へは近鉄でアクセスできる)のが強みである。

さて、この後の第1戦、山本由伸がタイガース打線にKOされる苦しい立ち上がり、その後甲子園でのタイガースファンの大声援に呑まれる形でのサヨナラ負けもあった中、舞台は京セラドーム大阪に戻った。第6戦で山本が1試合奪三振記録を更新する完投で溜飲を下げ、運命の第7戦となった。結果はタイガースに軍配。バファローズファンの私としては、絶対に負けたくない、絶対に勝ってほしかった相手に敗れたことで今でも非常に悔しいのだが、令和になって(舞台はいろいろ変わったが)現実となった「決戦・日本シリーズ」は後々まで語られることだろう・・・。

今回結局見送りとして西宮神社、廣田神社についてもそう遠くないタイミングで訪ね、神仏霊場めぐりの次の行き先を決めるところまで持って行くつもりである・・・。

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兵庫14番「清荒神清澄寺」~神仏霊場巡拝の道・74(こちらも神仏習合)

2023年11月11日 | 神仏霊場巡拝の道

日本シリーズ観戦を前にバファローズの勝利を願っての神仏霊場めぐり。阪神沿線を避けて阪急に載っているわけだが・・。

中山寺の次に訪ねるのは清荒神清澄寺。清荒神駅で下車する。改札を出ると何やら行列ができている。精肉店なのだが、コロッケが人気なのだとか。

駅から清荒神清澄寺へは1キロほど。その門前町は商店街になっており、食事処や日用品、骨とう品、仏具・神具などさまざまだ。緩やかな上りが続くのだが、歩いてもさほろ苦にならない。また、参道の形は龍が天に昇る様子を表しているという。

途中、中国道の高架をくぐる。この辺りから境内の雰囲気が漂ってくる。駐車場から先は本当の門前町といった感じである。

山門に到着。

清荒神清澄寺は平安前期、宇多天皇の勅願により静観僧正により開かれた。本尊は大日如来だが、合わせて鎮守神として三宝荒神社も建立された。宇多天皇からは「日本第一清荒神王」の称号が与えられた。その後、源平の戦いや戦国時代の有岡城の戦いなどの兵火に遭ったが、三宝荒神社現在の形になったのは江戸時代後期のこと。

昭和の戦後になり、「三宝三福」の教えにもとづく「真言三宝宗」という新たな宗派が開かれ、その総本山となった。「三宝」とは、仏・法・僧、「三福」とは、世福、戒福、行福という三つの善い行いという。「三宝宗」という名前でもよさそうなものだが、そこに「真言」がつくとはより強力なものを感じる。

さて清荒神清澄寺だが、参詣は順路が決められている。順路に従って、まずは鳥居をくぐって三宝荒神社に参拝する。拝殿にあたる天堂には三宝荒神、歓喜天、十一面観音が祀られている。早速神仏習合である。般若心経を唱えている方もいて、その横で私もまずお勤めとする。ただこういうパターンの場合、拝殿では柏手を打つものなのか、そうでないものなのか、どちらが正しいのだろうか。

天堂の背後には神殿造りの護法堂がある。

一角に、何やら金属らしきものが奉納されているのを見かける。火箸である。三宝荒神王は「かまどの神様」として信仰されており、かまどが賑わえば家庭や会社が栄えるとして、家内安全、商売繁盛、厄除開運のご利益があるとされている。そこで「火箸で厄をつまみ出す」ということで、厄年の人が火箸をいただき、厄が明けるとお礼として奉納するのだという。

順路に沿って石段を上り下りするが、その途中には稲荷社がある。

そして本堂に着く。こちらには本尊大日如来、不動明王、弘法大師が祀られている。こちらでも改めてお勤めとする。まさに神仏霊場めぐりにふさわしいところだ。先ほどの天堂、そしてこちらの本堂が同格に存在しているかのようである。

奥の不動滝に向かう。その手前の聖光殿は富岡鉄斎美術館である。富岡鉄斎とは明治、大正の文人画家である。清荒神清澄寺が収集した作品を広く公開展示することを目的として開設された。

聖光殿は資料整理のため現在長期休館中で、別館である史料館で一部が展示されている。「鉄斎-山水に遊ぶー」という企画展で、中国の仙境を描いた山水画が並ぶ。鉄斎の作品を収集したのは清荒神清澄寺の第37代法主・坂本光浄で、宝塚の地に宗教と文化の花を咲かせたいと願っていた折、信徒総代だった西宮の酒造家から、常に無欲で人格者であった鉄斎の作品に触れることを勧められたのがきっかけという。

さて朱印だが、もう一度天堂に戻り、その横の授与所でいただく。墨書には「清荒神王」とあり、右上の朱印も「日本第一清荒神王」とある。清荒神清澄寺は摂津国八十八ヶ所の札所でもあるが、そちらだと本堂の本尊である大日如来の朱印だという。それが「清荒神王」の朱印なのは、神仏霊場ならではである。

これで中山寺、清荒神清澄寺と参詣して、今回の神仏霊場めぐりはいったん中断とする。今回はあくまで西宮神社が目的地なのだが、くどいようだが日本シリーズを前にタイガースの必勝を祈願する神社に行くわけにいかない。バファローズがタイガースを破っての日本一を願い、西宮神社には次回に参拝することに。

再び参道を通って清荒神駅に到着。ちょうど昼近い時間帯。ここまで来たらいったん次の終点・宝塚まで行き、なかなか訪ねる機会のない阪急今津線に乗ってみようか・・・。

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イキのいいのが入りますよ、バファローズ

2023年11月10日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

プロ野球は日本シリーズにて一応幕を閉じたわけだが、現在京セラドーム大阪で熱戦が繰り広げられているのが社会人野球日本選手権。現在はドラフト会議が10月半ばに早まったため、その後に開催されることで「あのチームにドラフト○位で指名された選手が出場する試合」というのは、大会そのものへの注目度アップにつながっているといえるだろう。

私も大阪勤務時代には、勤務先企業が出場するたびに応援裏方スタッフとして京セラドーム大阪に行き、普段のバファローズ観戦では入れない関係者エリアに入ったり、手が空いたらスタンドの客席で観戦したり(さすがにビールは飲めなかったが)、それはそれで一つの楽しみだった。広島勤務になってこうしたことと無縁になったのは寂しいこと。

さて2023年の日本選手権を前に、勤務先企業でドラフト指名されたのが古田島(こたじま)投手。それもバファローズというのはうれしい限り。そして、1回戦となる10日のヤマハ戦に先発で登板した。

試合については毎日新聞の特設サイトでチェックしたが、気迫のある投球で、イニングを終えるたびに雄叫びをあげ、喜びを全身で表す。このところなかなかないキャラクターである。

古田島は8回途中まで1失点、11奪三振の好投を見せ、1回戦の勝利に貢献。さてこの先、日本選手権でどこまで投げられるか。(画像は、日刊スポーツサイトから借用)

バファローズといえばこのところ、ドラフトの上位では育成を意識して高校生を中心に指名し、下位で即戦力となる社会人を指名することも多い。そしてこの枠で指名された社会人の投手は中継ぎで活躍することが多く、古田島もこの試合では先発だったが、こうした短いイニングで起用されることも想定される。だとすると、気迫の投球スタイルが活きる場面も多いのではないかと期待する。

チームでの背番号は「20」。ここでいうのも何だが、正式契約となった時には、金銭トレードでジャイアンツに移籍した近藤投手の「20」を割り当ててもいいかな・・・。

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