29日は和歌山は上富田で関西独立リーグの観戦。この日はもう1試合、神戸9クルーズ対大阪ドールドビリケーンズの試合がスカイマークスタジアムで行われており、どちらに行こうか迷っていたところがあった。ただ、そこはドライブも兼ねて、滅多に行けないであろう和歌山を選んだというわけだ。
26日にスカイマークスタジアムでオリックス対日本ハム戦を一緒に観戦した大和人さんと鈍な師匠さんにそのことを話し、どういうコースで行こうかということを持ちかけた。順当に行けば阪和道や海南湯浅道路ということになるだろうが、混雑が予想される。「そしたら、高野山から龍神を回ったほうが近いのでは」というお奨め?もあり、このルートでの南下を検討した。距離は少し長いし、途中山の中を走ることにはなるが、こちらも通ったことがないルートだし、鉄道ならぬ「国道の乗りつぶし」とでもいうのかな。
尼崎を早朝5時に出発。さすがにこの時間では大阪市内の地道もガラガラ。結局国道25号線~大阪外環状線というルートで河内長野まで南下、そこから紀見峠越えに挑む。4月とはいえ朝の少しひんやりした空気が逆に気持ちいい。晴天が期待できる。
和歌山県に入り、橋本から九度山へ。そして国道である。急な坂、カーブの連続。往年の修行僧にとってはもっと厳しい高野行きであったことだろう。それが文明の利器で、山道を30分ほど走れば登ることができる。
高野山金剛峰寺のエリアに入る。前日は宿坊にでも泊まったか、朝から参詣客の団体バスやクルマで賑わっている。境内には枝垂桜がまだ色をつけている。目的地にはここを通過すればよいのだが、せっかく来たのだ。時間はあるし、素通りはないだろうということで、参詣することにする。目指すは弘法大師のおわします奥の院。
ただせっかく来たのだからと、参詣客の多い中の橋からではなく、手前の一の橋から歩き始める。杉や槙で覆われた一帯。こちらは緑の中に静寂が保たれており、じっくりと歩くことができる。さすがに凛と引き締まった雰囲気である。
奥の院への道はさまざまな墓を見ることになる。多くは一般の信者のものだが、この中に歴史上の人物が混じり、同居している。それだけに高野山の懐の深さというのか、自信というものを感じさせる。
仙台の伊達家や薩摩の島津家などの代々の墓やら、武田信玄・勝頼親子の墓、日露戦争での戦没者を弔っているかと思えば、豊臣秀吉の墓、さらには織田信長の墓なんてのもある。高野山の奥深さがいわゆる「偉人」たちを弔うことを厭わず、それがまた多くの信者を集めることにもつながるのだろう。
ただ中には墓石が倒れて、修復もされないまま放置されているのも見かける。いくら高野山が奥深いといったって、墓石が放置されているとなれば、浮かばれたものが戻ってくる・・・なんてことになりゃしないか。
少しずつ「大師講」の人たちも現れ、参道も賑やかになったところで、いよいよ奥の院へ。お大師様のおわしますお堂に手を合わせ、祈る。
さて戻りは一度中の橋方面へ。こちらは比較的新しい時期に開かれたエリアだが、こちらのほうが墓石そのものの作りも変わっており、不謹慎ながら観光客にとってはネタになりそうなエリアである。
自動車メーカーの墓石が労働者というのは、操業中の事故の教訓を忘れないということなのか。
意味深い墓石はこちらかな。消えてほしいような、仕事のために多少はいてくれたほうがいいような・・・・。
こうしてみると、不謹慎ながら「お墓のテーマパーク」という言葉が頭に浮かぶ。こういうところに葬られた人たち(有名無名を問わず)はどういう気持ちでいるんだろうか。また、企業関係の墓地の場合、あの世に行っても墓の中に会社での人間関係を持ち込むということになるのだろうか。それもまた高野山の懐の大きさである。
しばらく墓石ウォッチングをした後で、「高野龍神スカイライン」に乗る。当初は有料道路の扱いだったそうだが、現在は無料で紀伊田辺まで出ることのできる貴重な道路である。
もっとも、それ以上のこの道路はバイクのツーリングには人気のコースとか。高度900~1000mの間での気持ちよい走行や、カーブの連続が腕の見せ所という楽しみがあるのだろう。事実、私が龍神町を通り過ぎるまでの間、すれ違ったり、あるいは後ろから追い越されたりしたのはほとんどがバイク。
高野龍神ルートは、道中の雄大な景色やら宗教文化に触れることができて面白かったが、S字カーブ・ヘアピンカーブとアップダウンの連続ではさすがに疲れる。
ということで、高野龍神ルートから離れた後で、道の駅の案内板を見かける。少し休憩タイムも兼ねてそこに行ってみる・・・・。