1月3日、長かった肥前旅行の最終日である。思ったよりも早い時間の列車に乗ることになり、15時過ぎに博多に到着する。
博多からの新幹線、3日の午後の新大阪方面と言えば指定席は早々と満席である。そのため、とりあえず博多まで出て、便を遅らせて「のぞみ」の自由席に座るか、あるいは、どうせこの日のうちに帰宅できればよしということで、「こだま」での長丁場の乗車を取るかという選択肢となった。とはいうものの、その気になれば博多から大阪まで鈍行と快速を乗り継いでもいいというくらいの乗り鉄である。ここは「こだま」のほうがいいなということで、博多16時22分発の「こだま752号」新大阪行きでのんびりしようと、食料や飲み物を仕入れる。
ただ、ホームではその前の15時20分発の「こだま750号」岡山行きがまだ発車を待っている。岡山止めというのが引っかかるが、車内を覗き込むと空席もあるし、こちらに陣取ることにしよう。
1月3日といえば、有楽町の線路際での火災により、東海道新幹線が大幅運休となったというのを憶えていらっしゃる方も多いだろう。朝の6時台に起こった火災であるが、その鎮火に手間取ったこともあり、東京駅と目と鼻の先のところでの火災にも関わらず、午前中のほぼ全便が運休となったことである。
その後運転は再開しているが、ダイヤ乱れは大変なことになっているようだ。午前中はニュースに触れることもなかったが、いざ博多まで来てみると、その余波というのが夕方になっても収まっていないのに驚く。一部、九州新幹線の運転にも影響が出ており、まさに東京から西の区間全体に及ぶトラブルだったのだなと思う。
さて、「こだま」はレールスターの編成。それを知って新大阪寄りの車両に乗り込む。2列シートの車両は乗客もまばら。ダイヤ乱れの隙を縫うように発車する。とりあえずはこれで岡山まで行って、後はどうするかというところ。
「こだま」ということで元々通過待ちを行うのだが、この日はとにかく様子見の感じで走る。通常なら後の列車が追い越していくであろう駅でも、後から来る列車がないと見るやそのまま発車したり、あるいは、いつもより長く停車したり。この「こだま」でも一時は定刻を20分以上遅れていた。車内は年末年始の上り列車とは思えないガラガラの、気だるい雰囲気が漂う。子どももグズりだす。
まあ、私としては「各駅停車でのんびりと」という風情が味わえるし、座席もゆったりしているし、別にどうでもいいやというところである。途中の停車駅では車両の写真を撮ったり、自動販売機で飲み物を買うこともできる。外の空気を吸うのもよし。たまっていた読書のほうも進むし、慌ただしかった今回の旅の中で、列車の中でゆったりとした時間を過ごすには持ってこいだった。
そんな「こだま」も、最後は10分以内の遅れで岡山に到着した。やれやれ、10分程度の影響なら、さすがに東海道新幹線のダイヤ乱れも収まっているのかなと思った。
さてここからどうするか。ホームは大勢の客であふれかえっている。一瞬「ここで途中下車して、岡山駅前の『ミシュラン居酒屋』である「鳥好」に寄ってみようか」とも思ったり、岡山から山陽線の各駅停車と新快速を乗り継ごうかとかという思いも頭をよぎった。ただ結局は「およそ20分遅れ」という、「のぞみ184号」東京行きに乗りこむ。岡山から新大阪までは1時間かからないし、何とかなるだろうという思いがあった。ただ、後で時刻表を見ると、先ほど乗ってきた「こだま750号」の岡山到着は定時で18時52分、これから乗る「のぞみ184号」は定時なら岡山到着は18時39分。通常ならおそらく福山あたりで「こだま750号」を追い越していたはずの列車である。とりあえず指定席のデッキに乗り込んだが、すでに通路までびっしりと埋まった状態である。
さてここからはスピードを上げて・・・と行きたいところだが、全然上がらない。それどころか減速を始めて途中からノロノロ運転。そして停車。車内放送が入り、新大阪までの間に何本も列車がいる状態で、なおかつ新大阪駅も「満線」だとか。うーん、東京の手前の混乱が、この時間になってもまだ続いているのか。
新幹線も通常に走っている分には快適な車内環境が保たれるのだが、これが混雑、そしてダイヤ乱れとなるとこれほど居住性が悪くなる列車は見たことがないというくらいに成り下がる。デッキに立っている中でも、当然赤ちゃんは泣きだすし、年配の人などは気分が悪いということでその場に座り込む人もいる。
ようようのことで相生に到着・・・と思いきや、通過線の上で停車する。どうせなら、後から列車が来るわけでもないのだから、あえてホームに列車を着けて、ここから在来線への振替輸送でもすればよいのになと思った。山陽線は通常に動いているのだし、少しでも客がさばけて新大阪での混乱も緩和するだろうに。何か新幹線というと特別なもので、在来線との連携というのは必ずしも良くないと思う。
それと同じ感想を姫路で持った。もうええやん、姫路に特別に停車すれば、ここから新快速に乗り継ごうという客は多かったはず。そうすれば新幹線車内の混乱も多少緩和できたことだろう。ホームは目の前にあるのに、ドアが開かないのがもどかしく感じる。
結局、次の新神戸までその状態が続き、新神戸トンネルの中でも停車するという車窓としては最悪の状態も経過しながら、ようやく新大阪の声を聞く。結局は1時間50分の遅れとなった。JRの規則で、2時間以上遅れた場合は特急券の払い戻しを受けられるのだが、たいていの場合はそうならないように、いくら遅れても1時間55分とか、とにかく「2時間以上は遅れない」というのが妙なプライドだったと聞く。1時間50分で収めるくらいならどうということはないのだろう。
ただこの日は東海道新幹線が半日にわたり全線運転を見合わせたこと、年末年始のラッシュと重なったこともあり、新大阪のコンコースも人だらけである。後でこの日の混乱ぶりの記事などを見るに、Uターンラッシュをまさに直撃した出来事だったのだなと思う。
特急券だが、駅の案内では「自動改札に入れた特急券は戻ってきます。それを1年以内に、JRの駅にお持ちいただければ払い戻しします」と、何人もの係員が大声で呼びかけている。私も手持ちの自由席特急券を改札に入れると、普段なら回収されて何もないところが、特急券が戻ってきた。事情が事情だから、もう「特急券を持っている人は全員払い戻し」というくらいの措置に出たのだと思う。精算所には長蛇の列ができていたが、後日でも払い戻し可というのなら、この日はそのまま持って帰り、後日出直すことにする(翌日に天王寺駅に行ったら、何も言わずに全額払い戻し処理をしてくれた)。
・・・とまあ、「江戸の仇を長崎で討つ」ではないが、最後は有楽町での火災が思わぬ影響を及ぼしたことである。今となってはこれも旅の思い出であるが、当時としては心配だったことである。
日本の鉄道網というのはこれほどまでにモロいものだと改めて思った。日本の鉄道を混乱に陥れるのには何もテロ的なことは必要ない。繁華街の沿線でボヤ騒ぎでも起こせば、新幹線を半日運休にすることができるのである。
今回の舞台は有楽町だったが、その時品川は何をしていたのかと思う。そもそも、品川駅を造った時は、混雑ダイアを少しでも緩和するために、品川を発着駅にしようとしていたのではなかったか。多くの人が指摘しているように、なぜ品川折り返しの措置を取らなかったのかということである。あるいは新横浜でもいい。とにかく今の鉄道は、どこか一か所で不備があれば、「全線を完全に止めてしまう」のが当たり前のようである。そのほうが全体的な影響が少なくなるのかもしれないが、利用者の視点で言えば、とにかく動けるところまでは動かしてほしいものである。何だか、トラブルに対して最大限の対処をしようという姿勢が見られないのである。
それで多少でも対応できる客もいることだし、「できるだけのことはやる」という姿勢のアピールにもつながって、鉄道会社としては悪いことではないと思うのだが・・・。
まあ、そんな感じで迎えた2014年である。この記事を書いている時はもう2月、立春も過ぎているのだが、今年も日本の諸相の中で、さまざまな発見ができればというところである。
これまで長々と書き続けてきた肥前紀行も、これでようやくおしまい。また、鉄道の旅行記を書くことも出てくるところだが、これからも皆さんのご支援をよろしくお願いします。