この4月、「公有民営方式」という形で新たに発足したというか、存続した路線がある。近鉄の内部・八王子線。
かねてから存続問題があがっていて、近鉄側は鉄道を廃止してBRT化を主張。しかし地元四日市市は鉄道での存続を強く望んだ。折衝の結果、施設や車両は四日市市が保有し、列車の運行は四日市市と近鉄が出資する新会社で行うという「公有民営方式」で両線は存続することになった。そして名付けられたのが「四日市あるなろう鉄道」である。未来への希望とか、「アスナロ」という言葉に加えて「ナローゲージ」というのがポイントである。それで「あすなろう」。まあ、この「公有民営方式」自体はあちこちで行われていてそう珍しいものではない。コストのかかる施設や車両部分を「公」のほうが持つという形を含めて。
ナローゲージで細々とした路線という印象はあるが、四日市の人たちにとっては欠かせない足である。これまで近鉄時代にも何回か乗ったが、悲惨なローカル線という感じはなかった。便によっては3両の列車に立ち客も出るくらいのもの。近鉄の主張としては、乗車人数はそれなりにあっても、「ナローゲージ」という特殊事情ゆえに、車両のメンテナンスや代替が難しいというのがある。地方の中小私鉄なら、旧国鉄~JRや大手私鉄と線路の幅が同じということがあり、その鉄道から一線を退く車両を引き取って運転させることができる(その最たるものは大井川鉄道だと思うが)。ただ、ナローゲージはかつての軽便鉄道。最近だとかつては近鉄の路線だった三岐鉄道北勢線しかない。こうした背景もあり、車両を維持するのが今となってはものすごく大変だという実態はある。
そこを押し切っての鉄道存続である。今回名古屋まで遠征するに当たり、試合までの時間はあるのだからと、新生あすなろう鉄道に乗ってみることにする。
朝に大和八木からアーバンライナーに乗車する。朝のゆったり感を味わいつつ、四日市に到着する。
高架の近鉄四日市だが、内部・八王子線はその高架下からひっそりと出発する。かつては同じ近鉄でも一度改札を出て、渡り通路を歩いて行くということで「別会社」というイメージを持ったものだったが、このたび本当に「別会社」になってしまった。ホームも名古屋線・湯の山線からの続き番号が振られていて「内部・西日野方面」という案内板だったのが、「四日市あすなろう鉄道」の案内になっていた(逆に、あすなろう四日市からも「近鉄線のりば」という案内だったが)。
というわけで、券売機で1日乗車券(550円)を購入した後に四日市あすなろう鉄道に乗る。四日市からは内部行と西日野行が交互に出る運用で、ホームにいたのが内部行ということでそのまま乗る。区間が長い内部線を先に押さえたほうがよいかなと。ちなみに四日市から内部までは片道260円で、往復してプラスアルファすればすぐに元が取れる。
公有民営方式に移管したためか、駅名票も新しい。またデザインも今風である。ただ、車両は塗装を含めて近鉄時代そのまま。前の2両はロングシートで、後の1両は路線バスの座席のような一人掛け席。四日市方を向いている。列車はガタゴトというよりは、タン、タンという感じで走る。線路と沿道の家々の距離が近い。
八王子線の分岐駅である日永を過ぎ、交換設備のある泊を通ってやってきたのが追分。今までに内部・八王子線には何回か乗っているが、いずれも終着駅を目がけて乗りっぱなしで、途中で下車したことがない。内部まで残り2駅だが、ここで下車する。駅舎は最近建てられたような造りだが、そのものは無人駅である。駅前の道路は旧東海道で、クルマがしょっちゅう行き交っている。その合間を縫って少し歩く。
追分という地名は日本のいろいろなところで使われていると思うが、ここは「日永の追分」と呼ばれる。東海道と伊勢街道の「追分」である。現在は国道1号線の交差点であるが、1号線は旧東海道ではなく旧伊勢街道を走っている。「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんはここから伊勢街道を通った。小さな史跡があり、街道の行き先を示す石碑や湧き水、伊勢神宮に向いた鳥居がある。その昔、東海道に向かう人たちも、せめてここからお伊勢さんを拝んだことだろう。
駅に戻る。壁に「あすなろう新聞」というのが掲示されていて、開業の様子を伝える。近鉄が手放した今、より地域に根ざした運営が望まれる中で、地元商店も早速動いているようだ。追分駅前の洋食屋さんも、列車を借りきって「ワイン列車」なるものを仕立てたそうだ。
追分から再び内部行きに乗り、2駅で終点内部に到着。ここは車庫もあり、四日市と並ぶあすなろう鉄道の中枢である。列車が着くと、これが折り返すのではなくバタバタと入れ替え作業が始まる。
駅前に出る。駅前と言っても路地のようなところで、知らなければまず素通りするところ。出たところの民家の格子には、以前は内部線の廃止反対を訴える写真パネルがあった。ただこの日はその下に、鉄道存続、あすなろう鉄道開業を祝うメッセージが加わっていた。
次の列車までの間、駅前を少し歩く。道路沿いの鉄板焼の店の駐車場から内部駅の構内が見えるのだが、何とその店が閉店して「テナント募集」の看板が出ていた。やれやれ。
折り返しの列車が駅に着いたのをカメラに収めて戻ると改札前には人だかりができている。出発時刻が近く、折り返しの列車が来ているのに、改札が閉じていて中に入れない状態だ。で、準備が整ったかと思うと出ていってしまう。少し走って止まり、向きを替えて横の車庫に入線する。代わりに来たのは、先ほど私が乗ってきたほうの車両。元々そういう運用だったのか、あるいは車両トラブルか。定刻から5分ほど遅れて出発。
今度は先頭の一人掛け席に陣取る。それにしてもこうして乗っていると、列車よりバスの感覚に近い。
日永に到着。東海道と伊勢街道が分かれる「日永の追分」ではないが、この駅でも線路が分かれる。先ほどの内部線と、もう一つの八王子線の西日野行き。内部から四日市に向かう列車は四日市から西日野に向かう列車と日永で交換する。また、西日野から四日市に向かう列車は四日市から内部に向かう列車と日永で交換する。・・・と文章で書いて、どれだけの方が一回で理解されるかはわからないが、近鉄時代から、このあたりの交換ダイヤはピタリとはまっていて、わかりやすさを感じさせる。
で、西日野行きはホーム向かい側に停まっていて、私が慌てて乗り込むと同時にドアが閉まる。同じような近郊住宅地とところどころの田んぼという景色を走り、一駅、西日野に到着。列車が遅れていることもあり、折り返しも慌ただしい。私も駅の写真だけ撮ってすぐに車内に戻る。乗客の中には中日ドラゴンズの応援グッズを身に固めた親子連れがいる。私もこの後でナゴヤドームに行くのだが・・・・。
西日野からそのまま四日市に戻る。四日市あすなろう鉄道、近鉄時代に何回か乗っているが、そう劇的に何かが変わったという感じはなかった。まだ転換から間がないこともあるのだろうが。
このたび、鉄道存続か、バス転換かの選択で、地元は前者を取った。この選択が正解だったのかは、この1~2年というよりは、10年20年というスパンで見ることになる。やっぱりバス転換かもしれず、逆に線路の幅を広げるかもしれない(技術的に可能かは別として)。
ともかく、新しい、そして珍しい路線。これからも応援したい・・・。
さて四日市からは近鉄で名古屋へ。ドームの開門には時間があるので、駅地下へ。味噌煮込みうどんの山本屋に行こうとすると、改装のため休業中とか。そこで味噌カツの矢場とんに向かう。ここも久しぶりだ。ここの楽しみは、カツ2枚の「わらじとんかつ」。1枚はソース、もう1枚は味噌でいただくのがよい。昔とはシステムが変わったのか、運ばれる時は何もかかっていないところ、後から店の親父が口上を言いながら味噌を上からかけてくれる。前は味噌がかかった状態で運ばれたと思うが、後からこうしてかけたほうが美味いのかな。
カツ2枚が結構こたえるようになったのは、それだけ年を取ったことかな(過去2度完食した、越後湯沢の「大爆おにぎり~コシヒカリ4合分」を中途で残したのが昨年の夏)。ならばと、その分は歩く。名古屋駅を出て気ままに歩くうち、名古屋城の外周、そして独特の造りの名古屋市役所まで来た。個人的には、ごく普通の天守閣の名古屋城よりは、中国の城市にもありそうな市役所~県庁と並ぶ一角のほうが「旅に来た」感が強い。
・・・という後で、ここから地下鉄名城線でドームへ移動した・・・・。