まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

今年ももう半分です

2009年06月30日 | ブログ

今日は6月30日。ということは今年も半分を経過するということで。

・・・うーん、時の経つのは早いもので。

2009年といえば、1月1日付の異動で東京を離れて兵庫は尼崎に住むことになり、ある意味で人生の転換点といえる年である(現在に至るまで一人で住んでいることには変わりないが・・・)。振り返ってみればいろいろあったようにも思うが、時間の経過が早く感じられる。誰もが経験する「年のせい」だろうか。

これから迎える今年の残り半分、実は直接お仕えしていた上司が異動で関西を去ることになり、その影響で仕事の割り振りも変わってくるということになる。これまで以上に成果が求められることになり、プレッシャーがかかりそうだ。何とか気を引き締めて取り組んでいかねば、です。

さて「前半終了」ということで気になるのが、国内に3つある独立リーグの前期リーグ戦。特に今年発足し、吉田えり投手や資金難による運営会社の撤退で有名になった関西独立リーグの前期覇者はどこになるのかが気になるのだが・・・。

いかんせん、リーグそのものの情報発信源がないため、どこのチームが首位なのか、パッとわかる状況ではないという。この状態は非常にマズい。公式戦が正当に行われているのかを疑われても仕方がない。

ということで、久しく観戦していなかったリーグ戦(暑い時期でもあったし・・・)、前期終盤戦となる7月のどこかで、1試合くらいは顔を出してみようと思う。「1000円サポーター制度」というのも気になるし・・・。

その前に、まず夏バテ対策。少しずつ食欲も戻ってきたことだし、あとは栄養の量とバランスに気をつけて・・・・。

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いちご・おもちゃ・たま電車と名物「駅長」

2009年06月28日 | まち歩き

JR和歌山駅。紀勢本線の支線の隣の小さなホームに向かう。ここが旧南海貴志川線、現在は「和歌山電鉄」の貴志川線である。

貴志川線は、南海が廃止を表明した後に岡山電気鉄道が引き継ぎ、和歌山電鉄として再生した路線である。その再生ぶりが全国からも注目を集めているところである。その再生に大きく貢献しているのは、この線の終点・貴志で「駅長」を務める猫の「たま」。その人気というのは、今さら私が言うまでもないところだろう。

ただ私はまだ「たま駅長」をナマで見たことがないし、南海時代を含めて貴志川線に乗ったことがない。「サザン」で和歌山まで来たわけで、ちょいと「乗り鉄」ということにしよう。

Dscn1992貴志川線のホームに上がると専用の出札口があり、一日乗車券を販売していた。650円で、単純に貴志まで往復しても元が取れるというものである。その脇では「たま駅長」に関するグッズがこれでもかというくらい並べられている。私も「猫派」なのだが、駅長グッズを買うかどうかは思案のしどころ。

Dscn1993さて、これから乗る列車はこのような「いちご電車」。貴志の名産であるいちごを塗装だけではなく、車内のインテリアにも大胆に使用したもので、木目調の内壁にいちごのデザインをあしらった車両である。「かわいいね~」という声もあがる。まだ朝早いためか乗客は2両で30人程度だが、地元の人間でない客が半分くらい占めているか。

和歌山駅を発車。線路を左に向け、近郊の住宅地を行く。線路のすぐ両脇に民家が迫っており、ちょっと走るとすぐに停車する。こんな感じで進んだかと思えばパッと風景が開け、水田が広がる。よく晴れた、夏の車窓である。

Dscn2005「伊太祁曽(いだきそ)」という駅に到着する。万葉仮名の駅名というのも珍しい。貴志川線の本拠地といったところで、車庫もある。ここで対向列車との行き違いとなるが、やってきた赤い電車は「おもちゃ電車」という。うーん、今乗っている「いちご電車」は知っていたが、こういう仲間もいるんだな。

Dscn2007少し山越えがあり、終点の貴志着。和歌山から約30分の道のりだったが、車窓も変化に富んでおり、ちょいとしたローカル線風情を味わうことができる。大阪から和歌山まで1時間ちょっとだから、少しの遠出で楽しむことができる。

その改札口が「たま駅長室」である。「たま駅長の出勤時間は朝9時から」とある。もう、貴志川線の人気を一手に引き受けている「アイドル」。麻生首相ではないが、「初めてナマでその面ぁ」を見てやろうか。

Dscn2009・・・・と思ったが、この有様。ピクリとも動きまへん。「仕事してへんやん!」とがっかりの客も。まあ、猫だからね・・・・。見物客が増えるのはこれからの時間で、その時はいろいろと相手もしなければならないから、比較的ヒマな時間帯はゆっくりと眠りを決め込んでいるのだろう。

暑い中、起きるのを待つのもどうかと思うので、折り返しの列車で引き返す。駅に「いちご・おもちゃ・たま電車時刻表」が置いてあったのでいただいたが、先ほどの「おもちゃ電車」を含め、折り返しを繰り返して「全種類に乗ろう」ということにする。

Dscn2020まずは神前まで戻り、貴志に向かう「おもちゃ電車」を捕まえる。車端部には陳列棚が設けられており、昔のブリキのおもちゃやら、人形やらプラモデルが置かれている。子どもたちにはもちろん人気だが、こういうのって、大人が見ても楽しめるものだ。

Dscn2021それにしても、車内にガチャポンの販売機が置いてあるのは全国でもここだけかな・・・。

Dscn2024再び伊太祁曽に到着し、ここで「おもちゃ電車」を降りる。そして向かいにやってきたのは、今年デビューしたという「たま電車」。電車全体に「たま駅長」のいろんなアクションが描かれている。いいのか、ここまで大胆にやっちゃって。

Dscn2027大胆にやっちゃっているのは車内のインテリアもそう。本当に「普通に走っている電車なのか??」と思わせる。もう、どこまでも「たま駅長」。インテリアも「猫足」とはこれまた芸が細かい。運用時刻表によれば、土日に限らず平日でも一部の列車で使用されており、「たま電車」で通勤・通学という乗客もいることだろう。とても心安らぐ通勤・通学ということになるだろう。

Dscn2034「たま電車」は和歌山駅に到着。折り返しの便には貴志駅へ向かうと思われる客が多くあふれていた。そろそろ、駅長も起き出すころだろう。

Dscn2028和歌山電鉄貴志川線。「たま駅長」やユニークな車両の導入で現在は人気ローカル線といっていいだろう。ただ、こういうのはいつでも「○○ブーム」で終わりがちなのが気になる。ちょっと、駅長出すぎでは??という感じもした。しかし、一部の鉄道マニアのために走る路線とは違い、地元に密着した運行もなされており、健闘している様子がうかがえた。

また機会があれば行ってみよう。駅長、今度は起きとってや!!

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南海の旅は「サザン」

2009年06月27日 | まち歩き

前日にサザンオールスターズのことを書いたからというわけでもないが・・・・。

Dscn1987南海特急「サザン」です。

いや、このところ夏バテ気味とはいうものの、休みだからといって部屋でエアコンをつけてゴロゴロするのもちょっとなということで、久しぶりに「乗り鉄」をやって元気を回復させようということで。

Dscn1986南海の顔といえば杉浦・野村・・・ではなく関空特急ラピートであるが、難波と和歌山を結ぶ足として長らく活躍している。一方で私はといえば、大阪出身でありながら南海電車というのはほとんどなじみがなく、過去の記憶をたどってみても、電車で孝子峠を越えたことがないのではないかということもあり、そうであれば乗ってみようというものである。

「勝手にシンドバッド」でも「TSUNAMI」でもなく、このところYouTubeで気に入っている「南海ホークスの歌」が頭にシンクロする。

Dscn1988座席指定料金500円を追加し、リクライニングシートに座る。今となっては古いタイプのシートなのかもしれないが、ガラガラということもあり静かで快適。8両のうち4両がこの指定席で、後ろ4両は普通の通勤型であるが、途中から乗ってきて指定席の連れと合流した人が「いや~指定はええわ。後ろ、むっちゃ混んどるで」と。

堺、岸和田など、泉州地方の主要な駅に停まっていく。どうも位置関係がよく飲み込めておらず、「泉州」といえば中国南部の港町をイメージしてしまうからいけない。「泉州銀行」の看板を見ると、「BANK OF QUANZHOU」などと呼んでしまう。いずれ、南海沿線の街並みも訪れないといけないな。

途中の駅では、通常なら「各駅停車の○○行きはこちらでお乗換え」というアナウンスのところ、「普通車の○○行きはこちらでお乗換え」という。南海電車独特の言い回しというが、やはり「普通車」というのは特急などの「グリーン車・普通車」じゃないかと思う。特に指定席車に乗っているために、後ろの車両を回されるのかと落ち着かない。

みさき公園を前にして、箱作の海を眺める。孝子峠も軽く越え、紀ノ川の流域に広がる和歌山市街が見えてきた。

Dscn19911時間足らずで和歌山市着。ここから紀勢線の和歌山行きに乗り換え。和歌山着。

朝来る前は和歌山から即阪和線で大阪に戻ろうという気持ちだったのだが、和歌山まで「乗り鉄」で来たのだ。ということは、あの線を訪ねないわけにはいかないだろう・・・・。

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日本の夏は「サザン」

2009年06月26日 | ブログ

本日のトップニュースというのは「マイケル・ジャクソン死去」というもので、スーパースターの死去として世界中でも報じられている。

私は特にファンというわけではなく、「スリラー」とか、一部のヒット曲くらいしか知らないが、それでも「プロモーションビデオ」というのがこんなに面白いものかと、メディアをうまく利用してファン拡大につなげたところなど、「エンターテイナー」としての存在価値というのは認めるところ。晩年は奇行やら幼児虐待容疑など、どちらかといえばステージの外での話題が多かったのが気がかりであるが、それもスターの一面なのだろうか。

ともかくも、ご冥福をお祈りします。

さて、帰宅後にテレビ朝日のミュージックステーションを見たが、特にマイケル・ジャクソンの追悼とかいうことはなく、昭和と平成の「夏うた」のベスト50のカウントダウンを行うという編成。

昭和と平成の「夏うた」が交互に流れるが、うーん、年のせいかな、「昭和の歌のほうが強い」という感想。平成の側が「こんな曲知らんぞ」「何でこのナンバーが"夏うた"やねん」というツッコミどころが多く・・・・。11月だの2月だのに発売された曲を"夏うた"と呼んでいいのか?という疑問もあるが、それは多くの視聴者が選んだのだから、そうなのだろう。

その中で昭和の1位を獲得したのが、サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」、そして平成の1位は、これまたサザンで「TSUNAMI」。なるほど、この両曲が1位になるのなら納得かな。それだけサザンというのが息が長く、今でも多くの人から支持を受けている証である。マイケル・ジャクソンと比較するのはモノサシが違うが、まあ、日本を代表するエンターテイナーといってもいいだろう。現在無期限の活動休止ということだが、いずれ復活する日が来るのではないかな。

夏うた、夏うたねえ・・・・。夏といえば活動的であり、必ず「この夏こそは」とかいう枕詞がつく。「この夏こそはいい人とめぐり合いたい」というのもそうだろう(あまり秋や冬の季節にそういう発想はありませんな)。

その夏を迎えるにあたり、体調のほうを早く直さないといけないのだけど・・・・。

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疲れてます・・・・

2009年06月25日 | ブログ

このところいわゆる「夏バテ」というのか、いや本格的な夏にはまだ早いのだがというところなのだが、心身的にちょいと弱っています。

暑さのせいか、屋内と屋外との環境の差か、どうも抵抗力が弱っているようで、心身のだるさを訴え、食欲がわかないという有様。

やはり基礎体力が弱っているのかな。環境が変わったことで、そのことをモロに思い知らされているというか。

もっと自己管理を徹底して、これから来るべき本格的な夏に備えねば、ですね・・・・。

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ガガガSP『讃丑歌』

2009年06月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

「さんちゅうか」と読む。

何の気なしに音楽の番組を観ていたら、ガガガSPが出ていた。そして流れたのが「ドンドドン ドンドドン ドンドンドン 高ら~か~に~ 響け~われらの歌声よ」という歌声。

どこか気になるタイトルだったのだが、この音を聞いて「うわ、バファローズのチャンステーマや」とすぐに気づいた。大量点を奪った、逆転した、相手投手がKOされたときなどに外野スタンドで歌われている曲である。

これは元々ガガガSPのナンバーだったのか、それても応援歌をカバーしているのか・・・・正解は、ガガガSPとバファローズの私設応援団の競作という。

いやあ、熱いねえ。

早速楽曲のダウンロードサイトから単品購入し、パソコンに落とし込んだ。クルマの中で聴くのも気分が高まっていいかな。

ガガガSPといえば神戸出身であるが、熱心な「野球狂」である。バファローズとは、得点時には『つなひき帝国』の一節が流れる。そのほか、神戸を舞台にしたナンバーも多く、数少ない中で熱心な「神戸バファローズ」のファンである。

うーん、ガガガのメンバーもいることだし、神戸の街からNPBが撤退するなどということは、やはりよろしくないなと思う次第である・・・・。

(アルバム『金くれ!愛くれ!自由くれ!!』の1曲目に収録)

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何たる体たらく

2009年06月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

今日は午後から外出。空梅雨の様子の大阪は猛暑で、これから苦手な季節が本格的にやってくるのを感じる。そういえば今日は夏至でしたな。

帰宅してテレビのチャンネルを変えていると、テレビ朝日の「刑事一代」というドラマをやっていた。何でも昨日・今日と2夜連続の放送だったそうだが、普段テレビの番組欄をチェックしていないので、最後のほうだけを見ることになったのだが、思わず画面に食い入ってしまった。

作品は、昭和の数々の事件に「情熱」をもって携わってきた平塚八兵衛という「刑事一代」を、渡辺謙さんが熱演。以前「砂の器」での刑事役の姿とだぶったものだった。うーん、一部だけしか見ることができなかったのは残念で、再放送、もしくはDVD化を望みたいところだ。

さて「情熱」といえば、プロ野球交流戦も終わり、8勝16敗という体たらくに終わったオリックス・バファローズの面々には果たして「情熱」というのがあるのだろうか。8勝といっても、その半分は横浜からだし。よくもまあ、これだけ豪快に負けてくれましたねえ。それでも、みのもんたのように構ってくれるマスコミがいないのが悲しいかな(ボロボロの成績も影が薄い)。

でも、本当に悔しいと思っているのか、ね・・・・?(どうも、負けてもヘラヘラしているのではないかと疑いたくなるんです)

26日からはリーグ戦開催となるが、いきなり楽天戦。厳しい戦いになりそうだ。

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丈武選手

2009年06月20日 | プロ野球(独立リーグほか)

「丈武」と書いて「じょうぶ」と読む。

今年、東北楽天に「育成ドラフト」で入団した、本名「森田」丈武選手である。四国・九州アイランドリーグで2年連続で本塁打と打点の二冠王に輝く実績だったが、それでも「育成」での入団。やはりまだまだNPBの壁は厚かったということだろう。

それでも、よりによってFA遺跡もとい移籍の中村ノリに代わっての支配下選手登録→即一軍入りで、早くも打点を挙げるなどなかなかの活躍である。こういう展開って、野村監督の好むパターンではないだろうか。

Pa253915私は昨年の「独立リーグ日本一決定戦」で、丈武の属する香川オリーブガイナーズが富山に乗り込んで来た時に、予備知識ゼロで見たのだが、3番の堂上(ソフトバンクに入団)の後の4番で、荒削りながら豪快なスイングを見せていたのを覚えている。富山のファンも「あっちの4番もすごいな」と感心していたほどだ。

こういう感じで這い上がってきた選手がNPBでも一軍に入り、結果を残しつつある。何年か後のこうした活躍を見る、そして思い描くのも、独立リーグ観戦の楽しみである。

本日は特に見たいテレビもなかったので、「おっさんテレビ」の西宮阪神対東北楽天の中継を見ていたのだが、2安打の活躍。これから「丈武」の名がどこまで売れるのか、楽天は「敵軍」ながら、個人的に注目してみたい選手である。

Pa253919日本一決定戦で富山の主砲だった野原選手も阪神に指名されたが、こちらはまだ出番がない。長打力に走力もあるのだから、外野の一角に割って入っても面白いだろう。こちらも期待したいところ。

Dscn0923さて、騒動を乗り越えてリーグ戦も再開となった関西独立リーグ。早く「リーグとしてのホームページ」も期待したいところ(リーグ全体の動きが見えないので)。こちらのほうはNPBの指名が受けられるか。個人的には大阪の俊足野手陣(長谷川、山門)、神戸の若林、明石の「イチロー」こと川咲に主砲・田中、紀州の宇高あたりが注目なのだが・・・・。

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風車を山上へ運び上げよう

2009年06月19日 | ブログ

日本のエネルギーを支える電力。現在発電の主力である火力・水力・原子力だけではなく、最近クリーンエネルギーとして注目されているのが、太陽光発電と風力発電。いずれも気象条件に左右されるものであるが、特に風力は「風の来そうな地域」の山の上などに風車を建てることで新たな発電所としての活用が期待されるところである。

Dscn19666月も中盤、梅雨入りしたとはいうものの雨の気配などなく、真夏の太陽が照りつける和歌山県は有田川にやって来る。実はこの山の頂上に現在風力発電所の建設が進められており、そのうち、「風車の羽根の輸送」という業務に私の勤務先が絡んでいるということで、どのような様子で行われているのか一度この目で見ておこうというものである。

Dscn1937長さが30m以上もある羽根。夜のうちに港からトレーラーで中継地点まで運んでいるが、ここから現場までは、有田名産のみかん畑の中、急勾配に急カーブが続く。通常のトレーラーでは間に合わず、普段は寝た角度の風車を道路の状況に合わせて起立させたり、道路の外に振ったりと、特殊輸送に使用するトランスポーターが活躍する。

Dscn1941こうしてみれば苦もなく山道を上がっているように見えるが、実際は人間が小走りでかけるくらいのスピードが出ている。上から眺めると、それこそみかん畑の中を虫が這い上がっているようにも見える。

Dscn1964約7キロの道のりを1時間半ほどかけてゆっくりと上る。先導の警備車がついて、一般車に一時退避をお願いする。このところ続いている作業なので、一般の方もご協力をいただいている。中には輸送風景を写真に収めている人も。

Dscn1950こういうものが山の上に上がるからなあ・・・・。恐れ入りました。

有田川では、みかんと風力発電の町を目指しているとか。新しい風が吹く日が待ち遠しいものである・・・。

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しょーもない選挙になりそうです

2009年06月18日 | ブログ

来月実施される東京都議会議員選挙、この結果次第では麻生首相の退陣論も出ており・・・(ん?昨日の書き出しとほとんど同じやないか)。

もう一つ「総選挙の前哨戦」として報道されているのが、7月5日に実施される静岡県知事選挙。自民・公明対民主・社民・国民対共産対無所属という争い。国政に対する意思表示ということもあるし、選挙のきっかけが静岡空港開港に絡む前知事の辞職ということもあり、これは注目されるところである。何かと「新商品の売れ行きテスト」に利用されることのある静岡県。今度は国政の行方の試験紙としての行方が注目されることである。

一方で、同じく7月5日に投票がある・・・らしいのが、私の住む兵庫県知事選挙。こちらは国政を占うといったことは全くなく、与党が推す井戸とかいう知事と、共産の新人の対戦。兵庫県内に支持者の多い社民党も現職知事を推し、民主党までもが対立候補を出さず、事実上の「相乗り」。

井戸という知事といえば・・・皆さん、忘れてませんか?「景気回復には関東で大震災が起こればいい」とほざいたヤツですよ。

関西出身ながら(だからこそ)、「関西中華思想」というものを最も嫌う私としては、当時東京に住んでいたこともあり、何とも嫌な表現でしたね。

こんなヤツがまだ知事選に出てくる、そしてそれがほぼ信任投票で通ってしまう・・・・。兵庫県の未来も先が知れていますね。震災発言はともかく、この人については、もっともっとこれまでの業績が果たして今後県政を託するに値するかの議論が必要ではないだろうか。

しょーもない選挙になりそうです。

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「大政奉還」は違うでしょう

2009年06月17日 | ブログ

今日も暑い一日となった関西。月の半ばということもあって会社は早々に退社し、家でのんびりとして少しでも体力を温存しなければというところ。

今朝の報道を見ていると、例の「鳩山政変」への対応に関する麻生首相への批判があれこれ起こっているようで、来月の東京都議選の結果次第では麻生退陣などという意見もあるとか。まあ、どうなんでしょうね。

そんな中、自民党のとある議員が「大政奉還を決断すべき」ということを麻生首相の面前で言ったという。そして、首相は記者会見で「何の大政をどう奉還するのかわからない」と言った。

私は珍しく、「麻生首相、そのとおりやな」と納得していた。

その議員の言わんとするところはわかるのだが、「大政奉還」はその例えとしてちょっと違うのではないかと思う。

この言葉が使われた江戸幕府の立場というのは、そもそもが天皇が有する権力であった(実際は名ばかりであったということを含めても)「大政」を天皇から預かって国内の政治を行っていたのだが、幕藩体制が行き詰ったために一度天皇にお返しする「奉還」を行い、幕府はもう一度その下で体制の立て直しを図ろうというものである。

その議員はその「大政」を誰に「奉還」しようというのか。民主党は違うでしょう・・・元々政権を握っていたわけではないし。相手が国民なら「奉還」とはちょっと違うな。返すとすれば戦後憲法で「政治家」の手に渡った政治を、大日本帝国の時代に戻って「天皇」にお返しするという意味でしか、この言葉は使えないだろう。

まあ、マンガばっかり読んでいる麻生首相はそんな歴史の言葉など知らないだろうが。

それはさておき、これまで握っていた政権を手放す、下野する、ベルトを返上する・・・(そうだ、この議員も「ベルト返上」とでも言っていればまだ気の利いた発言だったかもしれない)という覚悟はあるのかな。一方で、野党の側もかつての薩長のようなパワーというのが感じられないし・・・・。

少しずつ近づく総選挙。もっと党のカラーというか、積極的な姿勢というものをアピールしてほしいものである。このままでは、投票したくなる候補者、政党がありません。「政友会」とでも書きましょうか??

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あやうく熱中症

2009年06月16日 | ブログ

まだ6月なんですがね・・・・。

今朝は神戸で行われた外部セミナーへの参加で、三宮で合流した上司とJR神戸へと向かう。関東や沖縄では大雨の予報も流れる中、関西・西日本はほとんど雨もなく、外も入道雲のようなものが出ていた。

夕方にセミナーが終わり、時間があるので元町の商店街を眺めつつ、阪神三宮まで歩く。で、この後阪神の特急に乗り、夕方は梅田で大事な方との会食に向かうところだったのだが・・・・。

三宮の地下駅は人通りも多く、その割には風通しがあまりよくなく感じた。で、特急電車に乗ったのだが、しばらくして手足がしびれたような感じになり、息苦しくなってきた。普段から汗かきなのだがその量も急にドバッと出るようになった。

幸い次の停車駅で席が空いたので座ったが、どうにもこらえきれない。

私のそんな様子に気づいた上司が「次の駅で降りよう」ということで下車。風通しもある高架駅でしばし休憩。電車に乗ったときにペットボトルを持っていなかったので、スポーツドリンクを買ってもらい、頭から首筋を冷やす。

この後に何もなければもう直接帰宅すればよいのだが、やはり約束は外せないということで、空いていた列車がやってきたのでそれで移動。梅田に入る頃には意識もはっきりし、手足のしびれもおさまったため、何とかファイティングポーズを取ることができた。

こういう状況なので、会食時には皆さんにちょっとお話して、普段なら「こういう時期はビールジョッキに限る!」ところを乾杯用のグラスビールに止め、後はお茶で料理を少しずつという作戦。皆さんには心配をかけたが何とか乗り切ることができた。

うーん、今日はそんなに極端な真夏日ということもなかったのだが、こういう症状に襲われたのは初めて。何だろう、塩分不足だったかな。それとも最近お疲れ気味(自業自得?)?

ともかく、まだまだ夏本番はこれから。炎天下の街中に出なければならないこともあるし、体調管理には十分に気をつけたいもの。ちょいとしたクスリになったことである・・・・。

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備前長船の匠の技

2009年06月14日 | 旅行記F・中国

先週にしまなみ海道は大三島にある大山祇神社を訪れ、宝物館にて、源義経が奉納したとされる大鎧などを見学した。

その時に太刀や薙刀なども展示されていたのだが、ふと、「名刀=備前長船」ということが頭に浮かんだ。確か備前長船には刀に関する博物館があり、かつて訪れたことがある。

ホームページを確認すると、毎月第2日曜日には「鍛錬」の場を一般に公開しているという。第2日曜日・・・つまり6月なら今日。こういうのを見つけたからには行かないわけにはいかないだろう。今日は夕方には会社に顔を出す予定にしていたので、早起きして午前中の公開時間に間に合うようにクルマを走らせる。今回は阪神高速~第二神明~バイパス~国道2号線ルート。

Dscn1826もっとも、ただ刀だけを見に行くのもどうかと思うので、先に、朝鮮通信使の潮待ち港として名高い牛窓を訪れる。小ぢんまりとしているが古い町並みの残る港町で、ここをそぞろ歩くのも面白い(公共交通機関でのアクセスがもう少しよければと思うところ)。

Dscn1828牛窓=日本のエーゲ海ということで丘の上にはペンションも並ぶのだが、個人的にはこういう和風の建物のほうが風情があってよいですな。

Dscn1839ちょうど1時間かそこら散歩するのには適したコースで、資料館の見学などを含めても2時間あれば十分回れる。

しばらく牛窓を散策し、今回は竹久夢二関係はパスして「備前おさふね刀剣の里」へ。ちょうど外観からは、中世の武家屋敷を思わせる佇まいである。

Dscn1848備前の地というのは備前焼といい、刀といい、どうも「焼くもの」が盛んなところのようだ。元々、中国山地というのは砂鉄の生産が盛んなところで、日本海側の出雲地方では「たたら製鉄」が行われている。その中国山地から備前の地を流れる吉井川の水運に乗ってさまざまな物資が運ばれる中に砂鉄も含まれていたようで(同和鉱業片上鉄道が開通する前は硫化鉄鉱も水運で運ばれていた)、原料が集まりやすかったこともあるだろう。また、長船に近い「福岡」は、山陽道と吉井川が交差する交通の要衝で、人間も集まったということもある。

歴史の教科書で、中世の街並みとしてさまざまな店舗が並び、画面の左側では刀を持った武士たちが僧侶に因縁をつけている絵巻(一遍上人絵伝)というのを見た方も多いと思うが、ここに描かれていたのが中世の「福岡」の市である。やがてこの地を支配した黒田氏が関が原の戦いの後、筑前の地を与えられた際に、自分の地元の賑やかな町の名を持っていった。それが、現在の福岡の地名の由来という。

いつしか時代も進み、戦のための道具というよりは「魂を宿らすもの」「工芸美術品」という側面が強くなった日本刀。それでもその芸術性に魅せられた若い人たちも多いようで、現在は、伝統文化を受け継ぐという観点から、刀剣の鍛錬の修行を行っているとのことである。こうした博物館というのも珍しい。鉄砲類や、西洋式のソード、サーベルなどにはこういう博物館というのは(世界を見渡しても)あるのだろうか。

現在に残された名刀の数々を「銃刀法」の条文をバックに見学する。刀はもちろん銃刀法の規制の対象であるが、実際には「値ウン百万円」で暴力団の裏取引ではなく注文により制作し、一般の人間でも許可を受ければ持つことができる。やはりこれは美術品としての性格が強いものによるものだろう。

刀剣類を眺めるうち、そろそろ鍛錬場での実演が行われる時間となった。すでに40人くらいの人たちが鍛錬場に入り、半円をつくっている。外国人の旅行者の姿も見える。

Dscn1865作業は3人がかりで、炉に座ってふいごで空気を送り込み、鋼の溶け具合を見るリーダー格の人に、炉に炭をくべ、実際に槌を振るうのが二人。いずれも30~40代くらいの出で立ちである。ちょうど鋼を炉にくべ、ふいごで空気を送って炎を上げているところ。

Dscn1883炭がこれだけ盛んに燃える光景というのもなかなか見られるものではない。また、「青い炎」というのも、日常ではガスの炎くらいでしか見ることができないだろう。取り巻きの中に立っているだけでも暑く感じる。ましてや炉の周りともなれば・・・・。

Dscn1873しばらく待ち、炉をかき混ぜて一段と高い炎があがると、真っ赤に燃えた鋼の塊が出てきた。これを二人の職人が交互で槌を振り下ろし、鍛え上げる。高い金属音が小屋の中に響く。

Dscn1896時折火花も散り、見学客からもどよめきが起こる。

Dscn1890一度平たく延ばし、真ん中に切れ目を入れて二つに折り込み、それをまた延ばすという作業。これを何回か繰り返す。

Dscn1899結局午前の公開時間ではまだ鋼の塊で、これを刀の状態にまで長く延ばすところまでは見られなかった。それでも、こうした鍛冶屋の仕事をナマで見るのはもちろん初めてのことで、現場の熱気と高い金属音には驚くものがあった。まさに「鉄は熱いうちに打て」という格言を実感させてくれる。

Dscn1872・・・・さて、全く話は変わるのだが、熱いうちに打たれまくっているのがオリックス・バファローズ打線。試合は見なかったのだがヤクルトから11打数連続安打で1イニング10失点。前日は戦力外通告したユウキに「恩返し」も受けており、この体たらく。本当、今日見学した日本刀の炉の中に放り込んで、もう一回精錬しなおして、思いっきりトンカチしてやらんとどないもなりませんな・・・・。

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しまなみ海道を行く~瀬戸内野球観戦紀行・5

2009年06月13日 | 旅行記G・四国

松山坊っちゃんスタジアムでの独立リーグ観戦、友人との痛飲の翌朝。サッカーの日本代表が「世界最速」でワールドカップ出場を決めたとのニュースを見る。前夜は、ギネスビールとウイスキーを好む友人の希望でスポーツバーで飲んだのだが、その店でもテレビ中継を流すということで、テレビの観やすい席は予約が入っていた。愛媛のサッカーといえばJ2に「愛媛FC」というのがあるそうで、この店でもポスターやマフラータオルが展示されていた。

サッカーはさほど興味がないので、まあ頑張ってくださいとしか言えないのだが、地域密着経営という点では先を行くJリーグ。野球も見習うところが多いのではないだろうか。

気持ちよい青空の下、広島・マツダスタジアムを目指して、松山から今治に向けての山中の国道を走る。カーナビでルート検索したところ、松山からだと松山道ではなくこのルートが最短のようである。松山道を走れば三角形の二辺を行くような形になるようだ。

Dscn1626久しぶりのしまなみ海道である。西瀬戸道に入り、最初に現れたのが来島海峡大橋。橋を見るためにパーキングへ。鳴門、関門と並ぶ「日本三大急潮」と呼ばれるところである。こうして離れたところで眺める分には、向かいの大島を初めとした島々が並ぶ穏やかな風景に見えるのだが、この下の流れがそれほど急とはね。

大島に上陸し、大島南インターで下車。狭い島のこととて、四国側の出入り口は大島南、本州側の出入り口は大島北と、二つのインターを設けるということになっている。

Dscn1629島を縦断してやってきたのが、村上水軍博物館。中世から戦国の世にかけて、瀬戸内一帯に勢力を張った村上水軍。独立リーグの「愛媛マンダリンパイレーツ」というチーム名前は、ミカンの英名である「マンダリン」と、海賊を意味する「パイレーツ」から来たものだが、その海賊こそ、この村上水軍を指している(そういえば、昨日の試合で、選手紹介時やイニング間に、「パイレーツ・オブ・カリビアン」のテーマ曲が流れていたな・・・・)。

Dscn1635もっとも、「パイレーツ・オブ・瀬戸内」たる村上水軍いうのは、何も略奪を生活の糧にしていたわけではなく、海上交通を仕切り、安全な航路の案内や護衛を行う見返りとして一定の通行料を取り、財源にしたという。一方では、河野氏や毛利氏など、瀬戸内の戦国大名に従軍し、戦のカギを握ったこともある。厳島合戦などは、水軍の力がなければ毛利元就が勝つことはなかったとも言われている。

とはいうものの戦など年中あったわけではなく、日常生活では漁業もやっていただろうし、船頭のようなこともやっていたのだろう。海に生きる民としての生活があったはずだ。

Dscn1637この資料館から海のほうを見やると、ちょうど、村上水軍の最大勢力であった能島村上の本拠地である能島が見える。面積からいえば圧倒的に大島や対岸の伯方島のほうが大きいのだが、櫓を構え、四方ににらみを利かせるにはよい立地条件だったのだろう。

中の資料館は水軍の活躍ぶりや生活の様子がうかがえ、いわゆる「海賊」のイメージとは違う「水軍」のことが一通り理解できるようになっている。何というのかな、海に生きる男たちのロマンというのを感じさせてくれる。

Dscn1641続いて向かったのは、大三島。ここでは大山祇神社を訪れる。ご神木の巨大な楠の向こうに、すがすがしい感じの建屋が見える。中世の世に訪れた気分である。

Dscn1642この神社は「日本総鎮守」と称されていることもあってか、神社の建物だけではなく、宝物館が有名である。何でも全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具の多くがここに保存されているという。源頼朝や源義経が奉納した大鎧や、護良親王が奉納した太刀などが展示されている。数百年も前に造られたものでどうしても色あせて見えるのだが、奉納当時のものはより色鮮やかで、刺繍も美しいものだったのだろう。頭の中で想像をめぐらせるのは楽しいが、逆に、それだけに時代の流れというのを感じさせられる。

「建造当時」と「1300年後」の姿を同時に見ることができるスポットとして奈良・薬師寺の東西の塔が挙げられるが、その姿を思い出していた。

Dscn1647これから渡る多々羅大橋を臨む道の駅がある。橋を眺めつつしばし休憩。朝から寄り道が多かったので時間も昼前となっていた。ここからクルマで1時間半も走ればマツダスタジアムにたどり着けるのだが、目の前の生簀には鯛やヒラメが踊っており「兄さんちょっと」と呼びかけているようだ。うーん、昨日は瀬戸内の魚介類を・・・という飲み会ではなかったので、ここで食べていくか。

Dscn1650ということで、ヒラメをふんだんにつかった「多々羅御膳」をいただく。これだけあれば一杯行きたいところだが、何せクルマ旅行なもので・・・・。

Dscn1649そんな時はやはりこれ。ビールと比べて甘ったるい感じがするのだが、のど越しを買うという意味で。

改めて観光地図を見ると、このエリア一帯には改めて訪れてみたいスポットが点在している。今回はあくまで野球観戦がメインであるのでその多くは通過することになるが、今度はゆっくりと、レンタサイクルで走るのも面白いかな。そんな感じにさせられたひと時であった・・・。

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坂の上の雲の街へ~瀬戸内野球観戦紀行・4

2009年06月11日 | 旅行記G・四国

直接野球とは関係ないのだろうが、先日松山坊っちゃんスタジアムと新・広島市民球場(マツダスタジアム)を訪れた中、「せっかく遠出するのに野球だけというのもな」ということで、寄り道をしてみたことを書く。

Dscn14356月6日は早朝に尼崎を出発し、中国道→山陽道→瀬戸中央道を走り、瀬戸大橋を渡る途中の与島に上陸。朝早くから多くのドライブ客が立ち寄り、瀬戸大橋の雄姿をカメラに収めていた。ETCの休日割引適用、元々が高かった橋脚部分も安くなるということで、これで本州と四国の経済的距離がぐんと縮まったように思う。

松山道というのは片道2車線あって走りやすく(高速道路といっても、ローカル区間にある対面通行区間というのが大の苦手なもので・・・)、出発から5時間後の8時半に松山の中心部に現れる。松山の市内電車ともすれ違い、四国の賑やかな町に来たことを実感する。ここ松山の中心部も、先に坊っちゃんスタジアムを訪れて以来だから、4年ぶりくらいとなる。

Dscn1442まずはということで、松山城を訪問。リフトに乗車して、少しずつ山に登っていくコースを楽しむ。元が高所恐怖症の気があるので、リフトの棒にしがみつつではあるが・・・。

Dscn1448やってきた天守閣前の広場。そうそう、この角度から眺める天守閣というのが、「平山城」の最たる姿を見ることができて好きなスポットである。何度来ても飽きることのない城郭の一つである。

Dscn1453土日は9時の開門に合わせて「出陣太鼓」を鳴らすという。係の人による挨拶があり、そして櫓からは太鼓の音。中のかんぬきがはずされると、観光客が外の門扉の金具を押して、門に入るというもの。この金具、女性の乳房のような形をしているが、これは私の妄想ではなく、「戦ばかりの世の中に安らぎを与える」ということもあり、設計者が意図してつくったとのことである。「天守観覧の方々、お成りでござーる!!」という掛け声とともに中に入る。この時間にこの城を訪れたのが初めてで、ちょっとだけ昔の侍気分。

Dscn1446天守閣は江戸後期の再建当時の姿を残しており、急な階段を回って最上階に至る。板張りの天守から松山の街が広々として見える。三津港のあたりから、この後訪れる松山坊っちゃんスタジアムの外見までばっちりと見渡せる。四国の中でも穏やかに広がる街並みは、私の好きなところの一つである。

さてもう一箇所訪れたのは、松山城から繁華街・大街道に出たところ。

松山といえば道後温泉に夏目漱石の「坊っちゃん」が有名であるが、ここに来て注目を集めているのが、「坂の上の雲」。明治という時代に焦点を当てた司馬遼太郎の長編作品であるが、日露戦争で活躍した秋山好古・真之兄弟、そして歌人の正岡子規がその主人公である。この3人はここ松山の出身。

Dscn1492さらに、現在の大河ドラマ「天地人」の後に、NHKのスペシャルドラマとして「坂の上の雲」が足掛け3年に渡ってシリーズで放送されるということで、注目を浴びていることもある。なるほど、「坊っちゃん」は名作の主人公ではあるが、「松山出身」の人間ではないということがある。また作品も、江戸っ子である「坊っちゃん」が田舎の松山(具体的な地名は小説の中には一切出てこないのだが)のことをちょいとクサするようなストーリーでもあることから、「松山の人間がヒーローになる」という描き方の「坂の上の雲」に松山の人たちの注目が集まるのもうなずける。

Dscn1463ということで、3人の生きた明治という時代を検証するとともに、その足跡をたたえるということでできた「坂の上の雲ミュージアム」。私は現地に来て初めてその存在を知ったわけだが、地元では結構有名なスポットになりつつあるという。

Dscn1471作品中の時代は明治初期から、日露戦争のあたりまで。日露戦争といえば100年少し前の話。大昔のようにも、ごく最近のことのようにも感じられる。彼らの遺品や書簡などが、司馬遼太郎の作品の一節を解説としながら紹介されており、時代への入りやすさを感じるとともに、時折主観の入った解説調になる司馬遼太郎の雰囲気をも味わうことができる。このあたりの時代(日本が近代化の道を歩む過程)というのは個人的にも結構好みなので、十分に楽しむことができた。

Dscn1465もちろん、これから放送されるドラマの紹介コーナーもある。役者の人選にもうなずくものがあるが、その中でも正岡子規役の香川照之さんなぞは、実際の子規の写真とそっくりなのである。配役を考えた人は真っ先に決めたことだろうな。いつかの芸能ニュースで、晩年の病弱な子規を演じる香川さんが体重を落として撮影に臨んだということをやっていたが(ヘルシアを毎日飲んだんでしょうね)、それだけ演じる側にも熱意というものが入った作品ということなのだろう。

大河ドラマを含めて、決まった時間にやっているドラマをリアルタイムで見ることはないのだが、「坂の上の雲」は今からチェックしておきたいところである。

Dscn1623この後に訪れた坊っちゃんスタジアム。スタジアム前の市坪駅は「の・ボール」駅という愛称で名高い。

Dscn1475そこには、野球を愛してやまなかった正岡子規の句碑もある。今でこそ「坊っちゃん」スタジアムだが、いずれ「の・ボール」スタジアムなどという愛称に変わるかもしれないな。

この後は、子規ならどう評価したかな、という試合を観戦し、松山泊まり。今年になって高松から松山に異動となったロッテファンのI氏を誘い出し、大街道での痛飲となった・・・・。

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