平泉寺白山神社から坂を下ったところの田んぼの中に巨大な城がある。見たところ新しい感じだが、最初にこれを見てイメージしたのは、「風雲たけし城」のセット。
勝山の観光スポットの一つである勝山城博物館である。勝山城そのものは戦国時代に柴田勝家の一族である柴田勝安により築城され、その後江戸時代には勝山藩として小笠原氏がこの地を治めた。その後明治の廃藩置県で城は取り壊された。
今そびえる天守閣はその再建かと思いきや、そもそも勝山城の場所というのがここではなく、駅に近い勝山市役所が城跡である。今あるのは元の勝山城とは全く関係のない場所に建てられたものである。また、勝山城には天守閣がなかった。天守閣の建設には幕府の許可も得ていたのだが、勝山藩に財政面の余裕がなく、結局建てられることはなかったのである。それがこうしてデンとそびえるとは。
レンタサイクルを乗りつけて天守閣の下に行く。石垣には龍の彫刻がなされている。そして見上げる天守閣の高さは57.5mということで、姫路城、大阪城、名古屋城という名だたるところを押さえての日本一である。
・・・ここまで書かなくても、この勝山城が歴史的な建造物でないことは明らかだろう。あくまで模擬天守閣の「博物館」である。それでも元日から開いているというのはよろしい。中は近代的な造りである。
まずはエレベーターで最上階の6階に行く。ここは展望室で、扉を開けると勝山の地の展望が開ける。勝山の市街地や先ほど訪れた平泉寺の「寺領」などもよく見える。
ここから階を下るが、階段も緩やかで高齢者にも配慮した造り。撮影禁止なので画像はないが、各階ごとにさまざまな展示がある。白山信仰や平泉寺白山神社の歴史について地元の画家が描いたさまざまな絵で紹介したり、中国の清朝末期の刺繍コレクションの展示もある。刺繍を寄贈したのは魯迅の孫の周令飛という人で、これも魯迅と「藤野先生」こと藤野厳九郎博士(福井出身)とのつながりからである。
さらに階を下ると数々の武具が展示されている。その中で圧巻なのは、川中島合戦と賤ヶ岳合戦の屏風。川中島では武田信玄と上杉謙信の一騎討ちが描かれているし、賤ヶ岳では七本槍の活躍が描かれている。それぞれわずかしか現存していないもので史料的にも価値がある。また2階では日本の四季をテーマにした障壁画がそびえ、自動演奏のピアノが美しい音色を響かせる。先ほどの平泉寺白山神社が見事なまでに「何もない」ところだったのに対して、勝山城博物館はてんこ盛りである。
ここを後にしてペダルを漕ぎ向かったのは越前大仏。正式には臨済宗妙心寺派の清大寺というところ(清水寺ではない)。広大な駐車場を持つこともあってか、参拝者もそこそこいる。門前には商店街があるがシャッターを下ろしているところが多い、その中に「ネジアート」として、ネジで仏像などをつくっているギャラリーもあるのだが・・・。
普段は500円の拝観料を取るようだが、初詣期間は無料とある。これも新しい感じの巨大な仁王門がまず出迎える。その後はこれも先の勝山城と同じような巨大な大仏殿。この中に越前大仏が安置されている。
中に入る。正面にデンと座っているのは盧舎那仏。高さは17mということで、奈良・東大寺の大仏よりも2m高い。坐像としては国内最大だという。
この廬舎那仏を中心として両脇を菩薩像が固め、さらには両側にはこれでもかと坐像が並ぶ。こういう光景を見ると「21世紀の仏教はこうでなくちゃ」ということか、建てたほうは至極真面目かもしれないが、見ていると逆に滑稽に見えてしまう。
ここでは縁起物の授与も行われており、地元の人たちでそこそこ賑わっていた。
1300年の歴史を持つ平泉寺白山神社とは対照的に新しい感じの勝山城に越前大仏。勝山市の観光スポットとして紹介されているが、さまざまなネット記事を見ると、まっとうな観光スポットというよりは「珍スポット」的に扱われているように思う。私も史跡としての城郭や古刹としての寺院という観点から見ると、「何だかなあ」と見えてしまう。
・・・というこの2つのスポットであるが、これらを建てたのは同じ人物である。この勝山出身の故・多田清氏。子どもの頃に稼業が傾き、さまざまな仕事に就いた。その中でタクシー運転手からタクシー会社の経営に着手して、これが当たった。今も関西を中心に展開する「相互タクシー」である。
晩年の多田清氏は「今の自分があるのは世間の人々に迷惑をかけ借金をしてきたから」という「人生借金返済論」を掲げ、慈善事業や寄付に力を入れた。その中で故郷の勝山の活性化ということで、この清大寺と越前大仏を建てた。勝山城博物館も「天守閣を建てたくても建てられなかった当時の人たちの願いをかなえる」として着手したものである。ただ、その天守閣の完成を前に多田氏はこの世を去ってしまう。
勝山のためとして建てられたこれらのスポットだが、多田氏の死去後に相互タクシーが法人税の追徴課税や市税滞納などを理由として、五重塔など一部の資産を差し押さえられたことがある。公売にかけられたが結局買い手がつかず、市は結局徴税を放棄、寺も宗教法人に移行して現在に至るというものである。勝山市のページでも一応観光スポットとしては紹介されているものの、こうした経緯があってか、あっさりした扱いである。これらを嫌って「恐竜推し」になるのも仕方ないか。
「人生借金返済論」は、これだけを聞けば「人様に感謝の気持ちを抱いて奉仕の心を持つ」というように捉えられるが、それを巨大な建造物、城や大仏にというのは「やはりカネの力でしか物事をどうこうできない人なのかな」と思わせる。借金返済どころか、税金滞納って。大仏や菩薩像に凄味はあるが、信仰とか徳の深さということになるとどうだろうか。
ただ、清大寺に限らず、今は古刹とされている寺院の中には同じような経緯で建立されたところも多いのではないだろうか。今なら日本史の教科書で「○○という人が建立」と紹介されていても、当時とすれば権力や財力の象徴で、一族の繁栄とか、(民衆の救済なぞ考えずに)自らの成仏を願ったとか、当初はそういう目的で建てられたものもあるだろう。それを考えれば、今は珍スポットとか、バブル時代の象徴のように言われているところも、長い目で見ればまた違った評価を得るかもしれない。
この辺りで市内見物は終了とする。昼過ぎということで、勝山名物のおろしそばでも食べようかと市街地を回るが、正月ということでイラストマップ記載のどの店も休業中である。仕方なくコンビニで昼食を仕入れて、駅の待合室でいただく。ぼちぼち、勝山を後にする。
えちぜん鉄道に揺られて福井に戻る。時間的には、今回行こうかとも考えた丸岡城くらいなら行けるところだが、もう引き上げることにする。15時10分発の長浜行というのがある。2両編成の列車は青春18きっぷの乗り継ぎ客で満席。
このまま長浜まで行くところだが、途中の敦賀では湖西線経由の新快速が出ている。これに乗り継ぐと大阪には長浜・米原回りよりも早く着くということで、こちらに乗り換える客も多い。日の短い時期だが辛うじて琵琶湖の景色を見ることもできる。
短い1泊旅行であったが、年をまたいだこともありなかなか充実したものであった。福井は関西から近く、一方で関西とは一味違った文化を楽しめるところである。年末に限らず、また平常でも来たいところである・・・・。
(追記)
前夜に福井のかにの駅弁(紐を引いて温めるタイプのもの)を食べたが、定番は「かにめし」である。帰りにも食事用で買い求めようとしたが、ふとあったのが限定版の「特撰かにめし」。かにのほぐし身だけでなく、脚、そしてかに味噌をまぶしたホタテが入る。帰宅後の夕食としていただいたが、駅弁としてなかなかのものである。