まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第16回四国八十八所めぐり~まずは伊予小松へ

2018年04月30日 | 四国八十八ヶ所
四国アイランドリーグの試合を川之江で観戦するために一部日程を変更した四国八十八所めぐり。30日に行われた愛媛マンダリンパイレーツ対高知ファイティングドッグスは、パイレーツが5対2で勝利した。パイレーツのペレスが2本の本塁打を放つ活躍を見せ、四国中央市の子どもたちを喜ばせていた。

野球の試合(ニュース性がある)ということで、この観戦記を先に書こうかとも思ったが、ここは時間軸に従って、八十八所めぐりの紀行文の一つとして書くことにする。このため、かなり後に登場することになるのでご了承のほどを・・・。

さて話は29日。この日は前回のゴールとなった予讃線の伊予小松駅を目指す。伊予小松から伊予西条方面に戻る形で63番の吉祥寺と64番の前神寺を回る。出発に選んだのは新大阪7時15分のさくら545号。岡山からは8時32分発のしおかぜ3号に乗り継ぐ。自宅からは始発ではなく6時すぎに出れば間に合う時間帯ということで指定席を買っていた。始発で出るより多少ゆっくりできたな・・・と余裕をかましたのだが、4日前の25日、近鉄南大阪線の大和川橋梁の線路異常で不通になったのを思い出す。不通となった当初は、復旧までかなりの日数がかかるのではとも言われていた。だとすれば、連休のお出かけにも影響が出る、ひょっとすれば予定した列車にも間に合わないかもしれないかなと心配だった。そこを半ば突貫工事で1日半でとりあえず復旧させたのはありがたいことだった。

予定通り新幹線に乗り、岡山に到着。在来線のコンコースでは、瀬戸大橋開業30周年記念のパネルが掲げられていた。もう30年経つのか。その昔、初代のマリンライナーの車両に乗ったのを覚えている。グリーン車の車両がパノラマ式で、全席が横に向けられる構造で橋からの景色を見たものである。

この日も特急しおかぜは晴天の瀬戸大橋を快走する。これから八十八所に向かうわけだが、この八十八所巡拝に多くの人が訪れるようになったのも瀬戸大橋をはじめとした本四連絡橋ができてからではないだろうか。特に瀬戸大橋は唯一の鉄道ルートとして四国外からの巡拝者を多く渡してきたことになる。

宇多津では高松からのいしづち3号を併結。8両となって讃岐から伊予にかけて走る。多度津を過ぎてからの海岸線は穏やかである。

川之江に到着。今回、29日の夜は川之江に宿泊する。30日の朝に65番の三角寺に参詣し、その足で野球場に向かうコースである。ここはまず停車してすぐに発車し、次の伊予三島との間では製紙工場や貨物専用駅を過ぎる。

10時18分、伊予西条に到着。ここで下車して、10時29分発の各駅停車に乗り換える。駅のすぐ横に建つ四国鉄道文化館は子ども連れで賑わっている。ちょうど29日は鉄道イベントが行われているそうだ。この文化館の見学は、次回の横峰寺、石鎚山シリーズの時に行う予定だ。

一方で、各駅停車を待つ客も多い。そのホームだが、以前には打ちぬき水の湧水があったと思うが撤去されている。確かあったよなと思いつつホームをうろうろしていると、どの列車に乗るのか迷っている客に見えたのか、地元らしいおっちゃんが「次の伊予市行きは、今向こう(松山方面)に行ったやつが折り返して入ってくる。ワンマンやから入口は後ろの一ヶ所しかないで」と声をかけてくる。いや、それはわかっているのだが・・・お声掛けはありがたく受ける。

1両ということもあり座席もほどよく埋まる。中には白衣姿の人や登山ルックの人も目立つ。進行方向左手に石鎚山系の山々を見ながら走ること3駅、伊予小松に到着。白衣姿や登山ルックの人もここで下車する。これから横峰寺を目指すか、あるいは61番の香園寺から東に向けて歩いて行くか。伊予小松には10時38分に着いたが、この列車、前回この駅でゴールした後に今治まで乗った便である。ちょうどその時間帯からスタートするというのも、前回とつながった感じがする。

かつての駅務室を公文式の教室として活用している伊予小松の駅舎。駅前にて金剛杖をケースから取り出し、笈摺を羽織って巡拝モードに変わる。駅の西に62番の宝寿寺の境内が見えるが、ここは前回巡拝済みとしてお参りすることなく、今回のターゲットである吉祥寺を目指す。まあ、前回の時にあまり良い印象に残らなかった札所でもあるから、別にいいか・・・という思いも少しある。

吉祥寺へは国道11号線に沿ってそのまま歩けば着くのだが、駅前から国道11号線を横切り、そのまま南へ伸びる道を歩く。少し遠回りになるが、伊予小松の歴史にちょっと触れてみようということで・・・。
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第16回四国八十八所めぐり~愛媛の最後はさらに分割にて・・

2018年04月29日 | 四国八十八ヶ所
四国八十八所めぐりも愛媛は残すところ後4ヶ所になった。60番の横峰寺、63番の吉祥寺、64番の前神寺、そして65番の三角寺である。

並びとしては、横峰寺が石鎚山の中腹にある難所、吉祥寺と前神寺は予讃線の駅(伊予氷見、石鎚山)にも近くアクセスしやすいところ、そして三角寺は四国中央市(伊予三島、川之江)郊外の山の中となる。

この連休の後半(5月3日~6日)でこの4ヶ所を回り、愛媛を完了させようと計画していた。予讃線沿いの吉祥寺と前神寺は容易だし、横峰寺も伊予西条からの路線バスと山中の参拝バスの組み合わせで行けるだろう。ただ、三角寺については愛媛のもっとも東、香川にも隣接するということで、次の香川シリーズに入れることも考えていた。

どのように回るか。連休中ということもあり、早い時点で伊予西条駅近くのホテルを連泊で押さえた。ここを八十八所めぐりのベースキャンプとするつもりである。

後は具体的なプランニングだが、その中で「石鎚山に上ってみたい」という気持ちが出てきた。西日本でもっとも高い山だが、それだけではそんな気持ちは起こらない。ただ、弘法大師が石鎚山で修行したことは間違いないようで、八十八所めぐりのオプション、番外として、それならば挑戦してもよいかなと思う。

その結果、まず初日の5月3日は予讃線沿線の2所を回ることにする。伊予西条の駅前には四国鉄道文化館があり、こちらも楽しみたい。2日目(5月4日)、3日目(5月5日)で横峰寺、さらに石鎚山を目指す。そして最後の5月6日、大阪に戻る途中の伊予三島で下車して三角寺に向かうことにする。

・・・そんな中、3月の下旬に日程を変えることにした。

4月30日に四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツと高知ファイティングドッグスとの試合が川之江で行われることになった。う~ん、愛媛では宇和島で観戦済みなのでミッションはクリアしているのだが、年に1回という川之江での試合が大型連休前半に行われるとは何かのめぐり合わせかとも思う。

当初、連休前半はNPBの公式戦(バファローズ対ホークス)観戦を予定していたのだが、いろいろ考える中で、28日はその通り動くとして、29日~30日で、三角寺への巡拝と合わせて川之江の試合を観戦することにした。四国の野球観戦に合わせて巡拝のプランを組むとはね・・・。ただ、あまり札所順が飛んでもいけないので、前日に29日に予讃線沿線の吉祥寺と前神寺の2つを回ることにした。そうなると横峰寺だけ残るが、石鎚山と合わせて連休後半に訪ねることにした。四国を立て続けに訪ねることになり、かつ、後半は横峰寺と石鎚登山が目玉になるが空き時間が生じてくるので、どうするかは別に考える。旅でもなかなか訪ねる機会がない東予地方を回るか、いっそ前倒しで香川の札所に入るか。

29日、30日とも東予地方は晴れの天気予報である。野球は間違いなく行われるだろうが、2日間の無事を祈って新大阪駅に向かう・・・。
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観戦記・近鉄バファローズ対南海ホークス(関西クラシックでようやく初戦勝利)

2018年04月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
大型連休に入り、バファローズは4月28日~5月3日まで大正ドームで6連戦。この6連戦を「KANSAI CLASSIC」と銘打って、28日~30日が「近鉄バファローズ対南海ホークス」、1日~3日が「阪急ブレーブス対西武ライオンズ」という、復刻ユニフォームでの試合である。近鉄、阪急、南海という、かつて関西に本拠地を置いたパ・リーグの電鉄3球団のシリーズも定着した感がある。今年は、その初戦となる28日の試合を観戦する。

近鉄、阪急、南海のグッズも多く並ぶ。今年は80年代に着用していたそれぞれのビジターユニフォームでの試合である。胸のロゴは「KINTETSU」、「Hankyu」、「NANKAI」である。そのためか、それぞれの電車のイラストがあちらこちらに使われている。鉄道ファンとしても何だかワクワクする演出である。

近鉄復刻グッズのうち、ビジターユニフォームのデザインをベースとしたラグランTシャツを購入する。これを着用してスタンドに入る。

スタメン発表も「電車」がテーマで、ブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」に乗せて、選手の名前も昔の切符(硬券)の駅名のように表示される。近鉄はビスタカー。80年代といえばこの車両が近鉄のシンボルだったよなと懐かしく思う。

このシリーズでは球団OBが登場してメモリアルピッチを行うのだが、この日は「ピッカリ投法」で知られる佐野慈紀さんが務める。もちろん、マウンドではお約束のその投法を披露してファンを沸かせる。

さて試合。近鉄の先発は西。開幕投手で3連敗の後、前回やっと初勝利と星勘定は苦しいが、ここまで内容は良い。まず初回はランナー1人を許すが後続を抑えて無失点。

一方の南海先発は東浜。これに対して先頭の宗がセンターへの二塁打を放つ。攻撃的打順を敷いた2番の吉田正は凡退するが、続くロメロがレフトへ鮮やかな二塁打を放つ。まずは1点先制。打線の援護がなかなか得られない西へのプレゼントである。

しかし南海もすぐに反撃。中村晃が内野安打で出塁すると上林がセンターを破る当たり。これで中村が生還して1対1の同点、上林も三塁まで進む。何だか嫌なムードだが、続く甲斐を打ち取って何とか同点で止める。

この後は西、東浜ともテンポよい投球となり、試合も早いペースで進む。2回裏から5回表までは両チームとも三者凡退。

試合が動いたのは5回裏。一死から7番の大城。どうせ凡退だろうと思って見ていると、振り抜いた当たりがそのままレフトの下段席に一直線。今季1号の勝ち越し本塁打である。「岡田より先に打ちよったで!」とは隣の席の人。

応援歌が当時の近鉄、南海の選手のものに変わった6回表、一死から今宮がヒットで出塁。続く柳田の当たりは二塁へ。二塁は先ほど本塁打の大城だが、打球が強かったためかはじいてしまう(記録はエラー)。一打同点のピンチで内川を迎えるが、ここは西が落ち着いて二塁へのゴロとなる。今度は併殺となり得点を防ぐ。西と大城のグラブタッチもいい感じだ。

6回裏は先頭の宗がまたもセンターへのいい当たり。俊足を飛ばして三塁まで行く。一死からロメロがセンターへの犠牲フライを放ち、3対1となる。宗の走塁が生きた形になった。

7回の攻撃ではそれぞれ南海ホークスの歌、近鉄バファローズの歌が流れる。一塁側の近鉄ファンの中にも、南海ホークスの歌を口ずさむ人が見られる。それを聞きながら、南海が身売りをしてもう30年になるのだなと改めて感じた。周りに若い観客も結構いるが、この人たちが生まれる前の出来事・・・。

西は7回で交代となり、8回は若手で期待の山本が登板。ファンの中には「山本を先発に・・」という声も大きいようだが、まずはセットアッパーで経験を積ませる起用である。その期待通り、150キロ超の速球を披露。今宮のセンターを越えようかという当たりを、宗が背走してジャンピングキャッチする好プレーも出た。

9回は抑えの増井が登板。最後は二死三塁とピンチを迎えるが最後は福田を三振に打ち取り、3対1で試合終了。連敗を止めるとともに、今季初めてカードの初戦に勝利となった。

インタビューは勝利投手の西と、勝ち越し本塁打の大城。まずは大型連休中の9連戦の初戦に勝ったことでホッとした様子だった。

4月は負け越しという結果になったが、この近鉄、阪急のシリーズで巻き返しなるか。チームの奮起を期待したいものである・・・。
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近鉄南大阪線、異例の早さで復旧

2018年04月26日 | ブログ
その辺りが近鉄最強路線とか呼ばれる所以なのかもしれないが・・・。

25日に大和川橋梁の不通で大阪阿部野橋~河内天美間が運休した近鉄南大阪線。復旧までにはかなりの日数がかかるのではないかとも言われていたが、翌日26日の夕方に運転を再開した。現場付近で徐行することもありダイヤに遅れは見られるが、予想以上の早い復旧にはうなるばかりである。復旧に携わった皆さん、お疲れさまでした。

・・・話は26日の朝に戻る。藤井寺から西淀川にどうやって出社するか。前日の帰り、ありがたいことに上司から「遅刻もやむなし」と言っていただいたので気持ちは楽だったが、間に合うのなら間に合いたいという思いはあった。藤井寺からどう行くか。道明寺線で柏原まで行き大和路線に乗るルートが浮かぶが、藤井寺から道明寺に向かう始発は遅い。

一方、河内天美までの列車は、通常の始発からのダイヤと同じ時間に出るようだ。前日寝る前は、道明寺回りで行こうと思っていたが、朝起きて少しでも大阪市内に近づく方がいいかなと思い、大阪阿部野橋方面のホームに向かう。次に出るのは2番列車の5時24分発。通常は各駅停車で大阪阿部野橋まで先着する列車だが、この日は河内天美止まり。

ガラガラの状態で河内天美に着く。河内天美まで出たのは、地下鉄北花田との距離である。前夜、この区間に臨時の代行バスが出たものの、バスに乗れない客が長蛇の列をなしたという記事を見た。その中で「2キロくらいなら歩け!」という内容のコメントがあった。そうか、2キロくらいなら歩けるか。地図を見てもさほど離れていない。河内天美まで出て、歩いて北花田まで行き、御堂筋線に乗るのが最善かと思った。

その河内天美の改札口にて、駅員が北花田までの代行バスの案内をしていた。その声に従ってロータリーに出ると、観光バスが3台停まっていた。席が埋まればすぐに出るというので急いで先頭のバスに乗る。5時40分には出発していた。

北花田へは直線距離なら2キロくらいだが、大型バスのため遠回りをする。あまりに時間がかかるなら歩いたほうが早いかなと思いながら車窓を見るうちに、あびこ筋に入る。もうすぐ北花田かと思うが、バスはそのまま走り、なぜか大和川にかかる道路橋を渡る。えっ?北花田といいながら、サービスでその先まで行くのか?

大和川を渡るのがおかしいと思ったか、乗客から「おい、このバスどこに行くねん!!」と声が飛ぶ。ここで運転手が「すんません間違えました・・・」とか細く答える。あびこ筋に入るまではよかったが、北花田にはある交差点で側道に入らなければならないところ、そのまま直進してしまった。だから大和川を渡ることになった。

「その先あびこの駅やろ!!左寄せて停まれや!」と声が飛ぶ。「何やったらこのまま天王寺まで行けや!!」とまで言われる中、最前列に座った人が心優しく「次の信号のところ、寄せようと思えば寄せられるよ」と声をかける。運転手は恐る恐る「ここでよろしいか・・」と、地下鉄御堂筋線のあびこ駅前で停まる。本来のルールにはなかったことだろう。やれやれ。「この駅でちゃんと振替輸送の処理をするんやろうな!?」と、先ほど大声を出したとおぼしき男性が捨てセリフを吐きながら降りる。まあ、男性の気持ちもわかるし、私も時と場合によっては同じように声を出したかもしれない。ただ、この運転手もこのためにわざわざ奈良から応援に駆り出されたのだろう。慣れない道での間違いも仕方ない。そこは責めてやりなさんな。

そのあびこで地下鉄のホームに下りると、ちょうど列車がやって来た。運行ルート通り北花田に着いていれば乗れなかっただろう。この時は運よく後の乗り継ぎがはまり、普段の出社より早く西淀川の職場に着いた。職場の皆さんの「よかったな」の声がうれしかった。

まあ、上に書いたのは早朝のこと。この時間帯だからまだ余裕のある移動ができたのだろうが、その後のニュースなどを見ると、河内天美で北花田に向かうバスを待つ長蛇の列ができている様子や、柏原に向かう列車を待つ道明寺のホームが満杯で身動きが取れない様子が紹介されていた。時間帯によっては「どないせぇっちゅうんや?」という状況になったわけだ。

その南大阪線、26日の夕方に運転再開。この日は職場の新社員歓迎の飲み会がある中で帰りの列車を心配していたが、大阪阿部野橋まで戻ってほぼ正常に運転していたのに改めてホッとした。そのために飲み会も普通に参加することができ、その席で周りから言われた「よかったな」もうれしかった。「帰宅難民」も短時間で解消されたわけだが、一方で「最寄りの交通機関、普段利用している交通機関が何らかの事情で動かなくなった場合のリスクヘッジ」も大切だなと感じられた。

当初は長期化すると見られていたが、まずは混乱が1日で収まったことに近鉄の底力を見た。これから橋の補強や、場合によっては架け替えも必要になるところだが、ともかく列車が走ったのはすばらしいことだ。関係者の皆さん、お疲れさまでした・・・。
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近鉄南大阪線、大和川橋梁で不通・・・

2018年04月25日 | ブログ
長年の老朽化によるものかな。

近鉄南大阪線の矢田~河内天美間の大和川にかかる橋梁が、25日の朝に異常を感知するセンサーが働いたために不通となった。このため、大阪阿部野橋~河内天美間で運転見合わせとなった。

・・・職場の方から知らされて「えっ!?」となった。藤井寺から大阪の西淀川に通勤する者として、大阪阿部野橋に出られないのは致命的である。これが人身事故や踏切故障なら当日限りの影響だが、橋梁の異常となると長期化しそうだ。昨年だったか、南海本線でも橋梁が陥没して、何ヵ月か運休したのを思い出す。

さて帰宅をということで、阪神なんば線から藤井寺までどう行くか。JR西九条~天王寺は通常の通勤ルートなのでよいとして、その後は大和路線で柏原まで出て、近鉄道明寺線に乗るか、いっそのこと藤井寺まで歩くことが考えられる。

ただこの日は、大和路線も三郷駅で人身事故が発生したため、運転見合わせとの情報。これはえらいことになった。

そこで取ったのは、阪神なんば線から近鉄大阪線に入り、上本町から八尾まで出て、近鉄八尾から藤井寺までバスに乗るというもの。天王寺から地下鉄谷町線で八尾南まで行ってもいいが、八尾からのバスが満員で乗れない恐れもある。

この動き、八尾までは順調に来て、近鉄八尾発のバスに乗ったのが20時15分。藤井寺までは30分くらいで着くはずである。運よく席にも座れた。バスは満員になったが、詰めればまだ乗れるくらいだった。

・・・ただ、ここからが大変だった。八尾の市街地の道が狭いのか、クルマが集中するのか、バスがなかなか進まない。途中、八尾南での乗り降りはあったが、乗りきれない客の長蛇の列ができていたし、駅周辺は迎えのクルマがずらりと並んでいた。

結局藤井寺まで1時間半近くかかり、到着。バスの乗客の皆さんもお疲れモードだった・・・。

さて、南大阪線の運休が長期化する中で、帰宅は何とかなるとして出社をどうするかである。バスで八尾に出るのも渋滞は勘弁、いや八尾南までならいいかなとか、柏原まで近鉄道明寺線もしくは徒歩で行くか。河内松原や河内天美から地下鉄北花田へ向かうバスもあるし、いっそのこと河内長野まで南下して、南海高野線で北上するか・・・。この際だからいろんなルートを試してやろうかと気持ちを切り替えるしかないなあ・・。

1日も早い復旧を願うばかりである・・・。

(写真は、帰還後の藤井寺駅にて。河内天美~古市、古市~河内長野、橿原神宮前間は各駅停車のみで間引き運転。時刻も表示されていなかった)
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鉄人・衣笠祥雄さん死去

2018年04月24日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
ネットで速報を見た時はびっくりした。鉄人も病気には勝てなかったかと。

最近では4月19日の試合の解説をしていたそうだ。私がテレビで見たのが今年BSのどこだったか、昔からのカープファンについて取り上げた番組で、当時の選手として回顧するインタビューシーンだった。頭が丸くなった姿には、失礼ながら昔カツラのCMに出演したくらいだから年相応に・・と感じたが、声がかすれた様子なのが印象的だった。えらい老けたなあと。それは闘病生活の中での取材だったとはないかと思う。だとすれば、人前で痛いと言わない鉄人らしい振る舞いで、何と気丈なのだろう。最後まで鉄人としての姿だったと思う。

衣笠さんと言えば、「山本浩二の次の監督」と期待するファンも多かった。私もそうだろうなと思っていた。しかし実際はそうならず、コーチとして迎えられることもなかった。これには、迫勝則という広島でカープ関連の著作を出しているライターによる考察があり、その中ではカープの松田オーナー一族を元凶とした上で、一族や球団運営に対する不満を書きなぐっている。衣笠、高橋慶彦など、カープの一時代を築いた選手たちの一部がカープの監督はもとよりコーチにもなれないことや(昔からのファンの中には広島県出身か否かで応援するか否かを決める人もいたそうだ)、当時、黒田と新井がFAでチームを去った背景についても触れており、カープが優勝できないのをオーナー一族のせいにしている。

もし、衣笠さんが監督になっていればカープはどうなっていたか。その答えがついに出なかったのは残念だが、今思えば、出なくてよかったのかなとも思う。

私の広島勤務時代、山本浩二が二度目の監督を務めた時期があったのだが、カープについての職場や町の人の会話では、「コージじゃいけん」「コージの采配はダメじゃのぅ」などと、かつての「ミスター赤ヘル」に対するダメだしが多かったのを覚えている(まあ、近鉄バファローズで言えば300勝の「草魂」鈴木啓示が監督をした時にも同じような声が聞かれたものだが)。カープファンの気質といえばそれまでなのかもしれないが、衣笠さんが監督となって同じような野次が飛ぶというのは広島の方も忍びないのでは?という気もしたものである。

当時、広島の「母さんの味 ますや味噌」のラジオCMで衣笠さんが「僕も好きです、ますや味噌」と言うフレーズがあったのが思い出される。「世界の衣笠」と広島の味噌屋のギャップというのが印象的で。

このところ著名な人たちの死因に「大腸がん」というのが多いように思う。私も気を付けなければならないのかな。

謹んで、ご冥福をお祈りします・・・。
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長尾議員、そういう言い方はあかんでしょう・・・

2018年04月23日 | ブログ
連日テレビやネット記事で目にする財務事務次官のセクハラ騒動。テレビ朝日の対応、いやマスコミ業界全体に対しても特にネットでは批判的な声も挙がっている。

そんな中、国会では野党が審議を拒否して喪服姿で「Me too」のパフォーマンス。これには見ていて呆れた。国会議員はパフォーマンスするのが仕事なのか。もっと建設的な、構造的な話し合いというのができないのだろうか。

このパフォーマンスに対して憤りを感じたのだろう、自民党の長尾敬議員が「セクハラとは無縁な方々」とツイートした。しかしこれがあちらこちらから批判を受け、投稿の削除、ブログでの謝罪となった。

長尾議員といえば私の住むところの選挙区からの選出で、総選挙のたびに維新の谷畑孝議員と「二人のたかし」で議席を争っている。片方が勝ってももう片方も比例復活で当選するから、力は拮抗していると思う。私はどちらかを選べということで長尾議員を支持していて、ブログも読ませていただいている。

ただ、このタイミングである。発言に至った経緯の弁明はわからないでもないが、現職の議員としては発言すべきことではない。たまに全国区のニュースに出たと思えばこれとはね・・(前に出たのは尖閣諸島上陸だったか)。

安倍首相の配下にいるのなら、なおのこと前向きな議論を呼び掛けるくらいのことをすべきだと思うが、逆に足を引っ張ってどうするか。

反省するところは大いに反省していただき、議員の本業のプラスの部分で登場してほしいものである・・・。
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観戦記 オリックス・バファローズ(2軍)対愛媛マンダリンパイレーツ@舞洲(交流戦はNPBの意地で・・・)

2018年04月22日 | プロ野球(独立リーグほか)
5月の連休に四国八十八所めぐりのうち、愛媛県で残っている4つの札所(60番横峰寺、63番吉祥寺、64番前神寺、65番三角寺)を回るプランを立てていた。伊予西条をベースキャンプにして前の3つを回り、往路または復路のいずれかで四国中央市(伊予三島、川之江)にある三角寺に行こうというものである。

そんな中、3月に四国アイランドリーグの公式戦日程が発表されたのを受けて計画を見直すことにした。4月30日に、川之江の球場で愛媛マンダリンパイレーツ対高知ファイティングドッグスの試合が行われるとある。私の四国八十八所めぐりの中のミッションに「アイランドリーグ観戦」を入れており、愛媛については昨年観戦してクリアしているのだが、日程が近い中、ごくたまにしか開催されない川之江での試合というのをぜひ観たいなと思う。そのため、八十八所めぐりのスケジュールを一部変更する形にして、4月の29日、30日にも四国を訪ねることにした。アイランドリーグの日程で八十八所めぐりのコースを変えてしまうとはね・・・。

さて、先日アイランドリーグのホームページを見て驚いた。4月22日に、愛媛マンダリンパイレーツがオリックス・バファローズ2軍との交流戦(練習試合扱い)を行うと紹介されていた。場所は舞洲のバファローズスタジアム。北神戸から昨年2軍の本拠地が舞洲に移転したが、訪れたことがない。バファローズの2軍の試合を観るのも兼ねて行ってみることにする。気になるのは、2軍の日程は福岡でのホークス戦(ウエスタンリーグ公式戦)になっていること。バファローズはどのようなメンバーが出るのだろうか。

舞洲には西九条駅から大阪シティバスに乗ってアクセスする。舞洲にはスポーツ施設やバーベキュー施設などがあり、若い人のバス利用も多い。バスにはバファローズの帽子をかぶった人もおり、その人に合わせるように舞洲東で下車する。ここから歩いて舞洲バファローズスタジアムに到着である。22日は交流戦・練習試合の扱いということもあり入場は無料。それはよいとして、愛媛の移動費用などがどうなるのかが気になる。この日はアイランドリーグとホークス3軍の試合が組まれていることもあり、試合にあぶれた愛媛が大阪まで対戦相手を求めて遠征したようにも見えるし・・。

この日は川之江での観戦前の「予習」という気持ちも込めて、バファローズファンながら愛媛マンダリンパイレーツ目線で観てもいいかなと思う。スタンドのところどころには同じような、いやパイレーツ目当てで訪れた人の姿も見える。

愛媛の打撃練習も終わり、バファローズの選手もアップに出てくる。選手を見て納得した。100番台の背番号をつけた育成選手が多い。2軍の「主力」は福岡に行って、残った育成選手たちがこの日の対戦相手を務めるというものである。まあ、アイランドリーグやBCリーグがNPBの球団と対戦する時、ホークスやジャイアンツは「3軍」である。バファローズには3軍はないので、育成選手が中心の起用ということか。その中にあって、背番号24の宮崎、背番号99の杉本といった1軍経験ありの選手の姿もある。これらの選手が3軍扱い?とも取れるし、独立リーグのチームに胸を出すにあたりこうした選手も入れておく(九州に遠征した2軍の留守番役の選手とも言える)のも相手への配慮かリスペクトかとも取れる。

練習試合ということで試合前のイベントもなく、試合開始である。バファローズの先発はドラフト4位の高卒ルーキーの本田。140キロ台後半の直球を軸に、2回を完ぺきに抑える。パイレーツもペレス、ヘイドーンという、リーグでは打撃部門の上位にランクされる外国人打者を擁するがまずは速球に押される。高卒でドラフト本指名にかかるだけのことはあるなと感じさせる。

一方のパイレーツは大卒で今季新入団の竹本が先発。こちらのストレートは130キロ台後半。独立リーグならまずまずの球速を持つと言えるが、やはりNPBの140キロ台後半を投げる投手(しかも1軍未経験)と比べると力が落ちるように見える。2番の佐野にヒットを許し、迎えるは宮崎。振り抜いた当たりはレフトへ飛ぶ。開始早々にバファローズが1点先制。うーん、やはり独立リーグと、2.5軍とは言えNPBのチームとの差なのかな。

2回裏には竹本が連続で歩かせる。得点は許さなかったものの、四球、特にストレートの四球というのはいただけないようにも思う。

3回からバファローズは吉田凌が登板。2015年夏の甲子園、東海大相模で小笠原(現・中日ドラゴンズ)との左右の両エースで優勝した投手で、その年のドラフトでバファローズから指名を受けた選手だが、現在はこの位置である。今季ドラゴンズで開幕投手を務めるまでになった小笠原との差は・・・というところだが。

その吉田に対して、パイレーツ先頭の7番・真山がチーム初安打となるレフトへの二塁打を放つ。これにネット裏から大きな拍手を送る女性ファンもいる。続く大本のバントをキャッチャーのフェリペが三塁に送球するがセーフ。チャンスが広がったところで中川が一・二塁間を破るヒットを打ち、1対1の同点に追いつく。

1番に戻って太田が右中間への大きな当たり。2人が生還し3対1となり、自らも三塁まで行く。続くペレスはレフトへの当たり。これが犠牲フライとなって太田が生還、4対1とパイレーツがリードを奪う。その後追加点はなかったがさらに四球や三振振り逃げで吉田にプレッシャーをかける。

3回裏、バファローズの先頭は宮崎。振り抜いた当たりはレフトフェンスを越える本塁打。4対2と追い上げる。宮崎は4回裏の次の打席でもレフトへの犠牲フライを打ち、3打席で3打点と気を吐く。今季はインフルエンザでチームを離れたというくらいしかニュースになることもなく、1軍からもまだ声がかからない。本人の心中はいかがなものかと察してしまう。

3回に4点を取られた吉田も4回、5回はランナーを出しても併殺で切り抜ける。一方のパイレーツも4回まで投げた竹本に替わり、5回からは左腕の樽見が登板。ランナーを出すものの、ショート真山の好プレーもあり得点を許さない。前半を終えて4対3とパイレーツがリードを保つ。

6回表、バファローズは3人目の東。今季神戸弘陵高校から育成ドラフトで入団した右腕。140キロ前半を出すが、堀尾、途中出場の近藤が振り抜いてそれぞれレフト前、センター前に落とすヒットを放つ。真山がバントで送り、大本がセンター前に放つ。これで6対3とリードを広げる。2.5軍相手とはいえ堂々とした攻撃である。

7回表、バファローズは4人目の神戸。こちらは昨季の育成ドラフトでの入団。バックスクリーンの球速表示で150キロ超を記録する。これにはスタンドもどよめき、パイレーツの打者も腰が引けた空振りとなる。独立リーグの投手は130キロ台後半、たまに140キロが出るか出ないかというところでの150キロ超である。かと思えば、次の打者へは全て110キロ台のカーブでタイミングを狂わせて空振り三振を取ったりする。このあたりは育成とはいえNPBの投手としての意地だろうか。

NPBの意地が見えたのは8回裏。パイレーツは7回から田邊が登板しているが、2安打と四球で満塁のピンチを迎える。ここで打席にはここまで3打点の宮崎。

思い切って振った当たりは、「まさか、まさか・・」という雰囲気の中、レフトフェンスの向こうに吸い込まれる。何と逆転満塁本塁打。7対6と一気に試合がひっくり返る。これが1軍の試合ならば・・・というところだが、2軍戦とはいえ7打点とはなかなかできることではない。

続く杉本も長打力がある打者。思い切って引っ張り、これもレフトフェンスを越える。8対6と突き放す。ここまでパイレーツも健闘したが、やはりNPBの地力だろう。

9回表、バファローズは鈴木優が登板。都立高校の星と呼ばれた投手である。こちらも最速153キロの速球でパイレーツの攻撃を3人で片づける。8対6、試合終了・・・というところだが、パイレーツの選手たちが走って守備位置につく。この日は練習試合で、点数に関係なく9回裏まで行うとのことである。パイレーツの選手も終盤は代打や守備固めの登場でガラリと替わっており、こちらはせっかくのNPB球団との試合なのでベンチ入りの選手を使い切ってしまおうというところ。一方のバファローズは野手の控えを置かない最小限のメンバーのようで、全員がフル出場と対照的である。これも練習試合ならではのこと。

9回裏はパイレーツでセットアッパーを務める片山が登板。そのまま3人で抑え、9回裏まで行ってバファローズが8対6でパイレーツに勝利した。最後はNPB球団の意地としての逆転勝ちだが、途中までの経過を見ると、2.5軍相手なら独立リーグのチームも互角に渡り合えることが見て取れた。この試合でパイレーツの選手がNPB入りに向けてアピールすることができただろうか・・?

さてこれで、次の四国での観戦に向けた「予習」になったかなと思う。4月30日は札所めぐりの後の金剛杖を手に球場に向かえればいいかなと楽しみにしている・・・。
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一体誰が投げたらいいのやら・・・?

2018年04月20日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
とりあえず、ボール、ボールが続いたらいけないということで。

その投手の心のうちはどうだったのだろうか。登板を告げられたタイミングが早かった?先発投手がもう一人を打ち取ってさえくれれば次の回の初めから万全の体制で投げられたのにそうならなかった?

これまで勝ちパターン(だけではなく同点やビハインドの場面でも)で投げてきた投手だが、ここに来て通用しなくなったのでは?

ならば誰を投げさせるかというところだが、頭数はあるが決め手にかけるのがこのチームの選手たち。

どうも、波に乗れないな・・・。
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奈良県庁が橿原に移転!?

2018年04月17日 | ブログ
3月にはこのニュースがすでに流れていたそうだが、私が知ったのはこのタイミングである。

2月の奈良県議会の定例会で、議員からの提案として奈良県庁を奈良市から橿原市に移す決議案が出され、賛成多数で決まったそうである。県の中部、南部選出の議員に賛成が多かった。

その理由は「南北格差」。県庁のある奈良市は県の最も北にある。地理面の偏りがあるとして、県全体が発展するには中部の橿原に県庁を移転し、中南部へのアクセスを改善させる起爆剤とする・・・のが主旨のようだ。ただこれから具体的にどうするという動きもなく、知事もノーコメントを通している。

県庁所在地がどこにあるかということだが、関西を見れば和歌山県はあれだけ広いのに北端の和歌山市だし、滋賀県も西の端、山一つ越えれば京都という大津市にある。京都市も府のかなり南といえば南だし、神戸市は旧国でいえば5つの国に渡り、瀬戸内と日本海の両方を有する兵庫県にあっては南東の端に近いようにも見える。

ただ、これらは歴史や地形を考えると、その場所にあることが自然であるように見える。その中で奈良県を見れば、中部から南部は山また山である。近鉄の阿部野橋から終点の吉野まで行くと、大層な山の中に来たように感じるのだが、これでも真ん中より北である。南の広い面積を持つのは十津川村。大和八木から新宮までの「日本一のローカルバス」で、延々と山の中を乗り通したのも旅の思い出だ。そのような地域の人の中には、せめて県庁がもう少し南にあれば中南部も活性化すると思う方もいるだろう。

はるか昔は県庁どころか、朝廷が飛鳥にあった。それを打破し、新たな時代の都として造られたのが平城京だが、今回の決議を「飛鳥京対平城京」と見るのも面白いだろう。近鉄で大阪、京都、名古屋まで一本でつながっているから、アクセス面では橿原遷都案も面白いと思う。ただ、費用対効果を考えると、あえてそれをやる意味はあるのかな・・?と思う。

人、物、金を集めるのが目的ならもっと他にできることはあると思うが、そうした「話題」を作り、県全体の活性化に向けた取り組みにつながればよいのではと思う。もし奈良の中心が橿原になったら・・・想像するのは一つの未来構想だろう・・・。
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観戦記・バファローズ対ファイターズ@神戸(天気もチームも雨のち晴れ)

2018年04月16日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
4月15日、大阪は前夜からに続いての雨。自宅周辺は時間帯によっては結構な雨足となっていた。神戸での試合だが、予報では午後から止むとのこと。グラウンド状態がよほど悪くなければ試合は行われると期待して出発する。

前日はファイターズ相手に打線が奮起せず、西を見殺しにする結果となった。そのためか?試合終了後には雨の中特守を行ったそうだ。

列車を乗り継ぎ神戸に向かうと雨は止んでいた。この先は降らない予報で、まずはよかった。なお、この日は甲子園でのタイガース対スワローズ戦は行われたが、他に関西で行われる予定の野球の試合は全て雨天中止だった。そこには舞洲でのバファローズ2軍の試合や、甲賀での滋賀ユナイテッドの試合、さらには関西の大学野球の試合も含まれる。さすが1軍の公式戦が行われる球場だなと感心する(中止にするとあちこちに影響が出るからというのもあるが)。

この試合はファンクラブデーということで、公式戦では初めてBsSpiritsの白色ユニフォームを着用しての試合となる。白地に赤文字というのもよく映えている。

また同時にペットデーということで、試合前には犬を連れた観客たちがライト側のアンツーカーを散歩するイベントも行われた。犬をつれて来るだけでも結構大変かと思うが・・・。

さて試合はバファローズが山岡、ファイターズが加藤の先発。序盤は両投手が好投して打線にチャンスを作らせない。

3回表、ファイターズが石井の二塁打をきっかけに一死一・三塁と先制のチャンスを作る。山岡はここで松本を二ゴロの併殺打に打ち取ってピンチをしのぐ。また続く4回表にもレアードのレフトへのフライを吉田正が落球するなどして一死一・三塁とされるが、後続を冷静に打ち取って得点を許さない。踏ん張りの投球が打線の援護を呼ぶかどうか。

試合が動いたのは5回裏。伏見のヒット、マレーロの二塁打で二・三塁のチャンスを作り、若月の当たりはライトへ。これがヒットとなりまず伏見が生還して1点先制。続くマレーロもタイミングはアウトだったが、上手くタッチをかわすプレーが出て2対0となる。これには一塁側、ライトスタンドのファンも大喜び。マレーロのホーム突入は栗山監督から「物言い」がついたが、軍配通りマレーロのホームインが認められた。昨年はホームランを打ちながらホームベースを踏み忘れたというので名前が広まったマレーロだが、この日は技ありの走りで見事にホームにたどり着いた。

山岡は味方の援護を受けた直後の6回表も無死一・二塁とピンチを迎えるが、中田をライナー、レアードを併殺で打ち取り得点を許さない。この6回の投球で試合の流れは完全にバファローズに向いたと思わせる。

バファローズ打線もこの日は山岡の粘りの投球に応えようと、6回裏一死一・二塁から小谷野がタイムリー二塁打で3対0、その後安達もレフトへのタイムリーを放ちこの回3点が入る。5対0、試合としては完全にバファローズ有利となった。

さすがのファイターズ打線もこの後は沈黙する。バファローズは7回に近藤、8回に黒木と、勝ち負け関係なく登板する印象がある両投手にこの日も託す。点差を考えると別の投手でもいいと思うのだが、福良監督はよほど思い入れがあるものと感じさせる。

8回裏にはマレーロの2点二塁打が出て7対0と、一方的な展開になった。バファローズの試合のナマ観戦で、ここまで打った試合というのは結構前までさかのぼる。やはり打ち勝つ姿というのは観戦して面白い。

7点差で迎えた9回表は、バファローズは4人目で澤田を投入。ファイターズもクリーンアップを迎えるが、なすすべもなく三者凡退。これで試合終了、結局7対0とバファローズが快勝である。ここまで一方的な試合というのも久しくナマで観ていなかったと思う。

この日は朝は大雨だったが、試合が始まる頃には雨も止み、試合も支障なく運んで行った。まさに、「雨のち晴れ」という感じである。ペナントレースはこの先もまだまだ続いて行くが、この1勝が、沈んでいたムードのチームに明るい光となってくれればいいなと思った。ヒーローインタビューの若いバッテリーも、また次の活躍を期待するところである。

次の観戦は4月末、「KANSAI CLASSIC」での「近鉄対南海」の復刻ユニフォーム試合を予定している。この対戦を両チームがどのくらいの差をもって迎えるのか、今から楽しみにしたいものである・・・。
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帰りは夜の関西線回り

2018年04月14日 | 旅行記D・東海北陸
豊川、岡崎を回った日帰り旅もそろそろ夕方。降り立ったのは金山駅。JRと名鉄が交わる「総合駅」である。そろそろいい時間となり、このエリアで一杯やってから大阪に戻ることにする。改札のところで「知多四国」というポスターを見る。知多半島にある四国八十八所の写し霊場で、ウォーキングのコースとしても人気だという。いずれ、こちらも区切り打ちで回る機会があるかもしれない。

ホッピーとやきとんの立ち飲み客で賑わう店にもひかれたが、やはり名古屋に来たのだからと名古屋らしい店に行く。ということでベタな選択なのでが、手羽先の「世界の山ちゃん」に入る。大阪にも店があるのだが・・。

こちらでは定番の手羽先に加えて、みそ串カツ、うずら玉子などいただく。山ちゃんの手羽先を食べたのも久しぶりだが、あのスパイスは食欲を進める何かがある。

変わり種の飲み物もあるので挑戦する。赤味噌ハイというのがあるのでどんなものか注文する。何でも味噌と絡めるのが名古屋の味とはいえ、サワーまでとは。味噌汁を飲んでいるという感じはしないが、甘酸っぱいような香りがする。うーん、これは今一つかな。

一方で西尾産の抹茶を使った抹茶割りは濃い感じがしてよかった。手羽先にも合うといえば合う。

一通りいただいたところで駅に戻り、そろそろ大阪に向けて戻る。実は名古屋発21時の難波行き近鉄特急の指定席を買っていたのだが、これだと帰宅は23時半頃になる。そして名古屋駅に戻った時刻はまだ18時すぎ。今日はその時間までいることもないかと思い、青春18の旅とする。行きが東海道線だから帰りは関西線にしようと、その時はよく考えずに18時35分発の快速みえ21号に乗車。途中の四日市で、途中で追い越した亀山行きに乗り継ぐことができる。

19時07分、四日市に到着。しばらくホームで待つが、ここで雨が降ってきた。また風も強い。この時季に見られる不安定な天候である。やってきた19時14分発の亀山行きに乗り込む。

19時41分、亀山到着。次の加茂行きはそれほど待たずにあるのかなと思いきや、次は20時16分発まで30分以上待ちである。夜の30分は大きい。また亀山の駅前には古い個人経営の店しかなく、この時間はもう閉まっている。改札横の売店も閉まっているし、コンビニその他は10分ほど歩かなければならない。キャリーバッグを重そうに引いた女性客が、「食べるところも何もないんですかあ」と改札の駅員に困った様子で尋ねている。

亀山からは2両のキハ120。20時すぎだが外は完全に真っ暗。外は雨だが、スマホで雨雲の様子を見ると、この時間に雨が降っているのはこの辺りだけのようだ。車内にいるからいいものの、何でわざわざこのルートをたどったかなと苦笑いする。

21時35分、加茂に到着。接続の21時44分発の列車は奈良行き。まあ、奈良から接続列車があるのだろうと向かい、21時59分に奈良到着。

しかし、ここでまた時間が開く。次のJR難波行きは22時18分発と、およそ20分待ち。名古屋からここまで何だかんだで乗り換えの待ち時間が重なっている。東海道線回りなら新快速でとっくに大阪に着いているだろうし、名古屋から21時発の近鉄特急に乗っても同じような時間に大阪に戻れた形である。

結局この後は天王寺まで行かず、柏原で近鉄道明寺線に乗り換え、道明寺から藤井寺というルートで帰宅した。23時を回っていて、正に1日をフルに使う結果になった。この翌日にはBCリーグ観戦でまた滋賀の甲賀まで向かうのだが・・・。

乗る方はバラエティに富んでいた。行きが東海道線で豊橋、飯田線で豊川。ここが折り返しになり、帰りは名鉄で名古屋、名古屋からは関西線に乗り、最後は近鉄道明寺線を通る。名古屋を中心にした8の字型、メビウス型のルートは「乗りで」があった。次は行ったことのない名鉄沿線も見たいものである・・・。
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八丁味噌と岡崎城

2018年04月12日 | 旅行記D・東海北陸
岡崎公園前で下車。こちらは愛知環状鉄道の中岡崎駅と接しており、JRの岡崎駅に渡ることができる。ただせっかく来たのだから、何年かぶりに岡崎城のある岡崎公園に向かうことにする。

その前に、愛知環状鉄道の高架をくぐって、昔ながらの蔵造りのある建物に向かう。「カクキュー八丁味噌」の工場である。名古屋めしの味には欠かせない八丁味噌だが、その発祥は岡崎であり、現在八丁味噌を名乗ることができるのは、「まるや八丁味噌」と、「カクキュー八丁味噌」の2社のみだという。その他はあくまで赤味噌に過ぎないのだとか。

こちらは中の見学が無料でできる。30分ごとに案内があり、私の回は30名ほど参加した。まずは八丁味噌の歴史ということで史料館に向かう。明治時代に建てられた仕込み蔵を改装した建物である。

八丁味噌の「八丁」とは、岡崎城から西へ八丁(約870メートル)の距離にある八丁村(八帖村)で造られたことからその名がついており、大豆、塩、水のみを原料とする。一般に「赤だし」として飲まれている味噌は、米麹など他の原料も交えて風味を整えたものだという。まずは大豆を蒸して握りこぶし大の玉を造り、直径一間(約180cm)の杉の桶に6トンの味噌玉を仕込む。その上に3トンの石を乗せて2年ほど熟成させる。現在でも昔ながらの製造法を守っているという。かつては宮内省の御用達でもあった。

続いて熟成蔵に案内される。入口のところに、昨年の秋に造られたばかりの真新しい桶があるかと思えば、その奥には天保時代のものと書かれた桶もある。他にも石の積まれた桶が整然と並べられており、見ているだけで唾液が出てきそうだ。

最後には八丁味噌と赤だしの試飲。味噌汁ということで言えば風味を工夫した赤だしのほうが美味しく感じた。ただ、原点というか、八丁味噌のほうが濃厚で「味噌を食っているな」という感じがする。せっかくなので八丁味噌、赤だしそれぞれのインスタント用味噌汁をお土産に購入する。他に珍しいものとして浜納豆を購入。こちらは酒のあてでもよし、茶漬けにしてもよしという一品である。

この後は、城下町の通りを八丁歩いて岡崎公園に着く。まずは岡崎城跡に行こうと天守閣前の広場に出ると、賑やかな音楽が聞こえてくる。何かやっているようだ。

こちらは「グレート家康公『葵』武将隊」の皆さんによる演武ショー。徳川家康を中心に、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政の徳川四天王、それに本多忠勝の娘で真田信之に嫁いだ稲姫に扮した6人組。最近よくあるおもてなし部隊というか、パフォーマンスのグループである。またギャラリーも子ども連れのほかに、いわゆる「歴女」の方々も目立つ。こういうグループの存在は歴史上の人物や武将を身近なものに感じさせる効果がある。

だいたいこうしたメンバーは現代風のイケメンが揃うのだが、私としては巨漢で三枚目役の酒井忠次がいい存在感を出しているなと思った。最後は「堪忍おどり」というのをギャラリーと一緒に踊り、記念撮影タイムとなる。希望する人は手持ちのカメラやスマホで一緒に撮ることもできる。

この後は、すぐ後ろの「三河武士のやかた家康館」に入る。こちらは徳川家康の生涯をパネルで紹介した展示館で、見どころは関ヶ原の戦いのジオラマ解説。時間軸に沿って、各武将の兵隊の人形が関ヶ原を駆け回る。また企画展示では火縄銃が取り上げられている。火縄銃といえば細長い形をイメージするが、中には「これを一人で担ぐのは無理ではないか」と思う大型の形状のものもある。火縄銃も泰平の時代になると、型としての術になったり、また銃そのものも美術品としての要素が強くなったりと、役割が変わってきた。現在では各地の保存会の人たちが城祭りのようなイベントで腕前を披露している。

一通り見た後で、天守閣に向かう。こちらは戦後に復元されたコンクリート造りの建物で、中は主に江戸期の岡崎藩の時代の紹介である。天守閣が建てられたのが江戸時代の本多氏が藩主だった頃だから、そうした紹介になる。

5階からは岡崎市内の展望が広がる。城のすぐ下には矢作川の支流である乙川が流れている。かつては帆掛け船の荷卸し場になっており、「五万石でも岡崎様は お城下まで舟が着く」と謡われたところだ。今は岡崎公園の一部であるが、多くの屋台が出ている。

岡崎公園は桜の名所ということで、4月13日まで桜祭りが行われるとある。ただ、今年は桜の開花が各地で早かった分、4月7日という日にもかかわらず半分以上が散ってしまっている。岡崎で降りることにしたのは城と桜という組み合わせを楽しみにしたこともあったが、ちょっと残念。まあ仕方がない。

このまま川沿いを歩き、東岡崎駅に出た。時間は16時前。岡崎の駅前での一杯というのも考えたが、さすがにまだどの店も開店前である。もう1時間待つのも中途半端なので、このまま名鉄で名古屋に向かうことにする。駅のコンビニで八丁味噌のもう1件の老舗である「まるや八丁味噌」の商品があったので、こちらも追加土産で買い求める。

乗車するのは名鉄特急。指定席のミューシートをおごってみた。直線の多い区間を快走する乗り心地もなかなかよい。これで名鉄名古屋・・・と行くところだが、今回は趣向を変えて一つ前の金山で下車する。同じ飲むのも気軽に飲むならこちらのほうがよさそうで・・・。
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豊川稲荷は神社ではなく寺院だった・・・

2018年04月11日 | 旅行記D・東海北陸
JRの豊川駅から歩いて豊川稲荷に向かう。駅前から車道が伸びて、両側が商店街になっている。実は一本入ったところが昔からの参道で、飲食店や土産物店が並んでいるというのは、豊川稲荷に着いて初めて気づいた。

初めて気づいたといえば、豊川稲荷に来ること自体が初めてなのでそうなのだが、稲荷神社につきものの朱色の鳥居が見えない。それどころか、豊川稲荷の正門である総門は屋敷の門構えのようである。

総門をくぐると山門があり、仁王像が立つ。そうかと思えば左手には石造りの鳥居や狐の像もある。私がイメージする稲荷神社とは趣が異なる。日本三大稲荷の一つとされているが(伏見稲荷、祐徳稲荷と合わせて三大稲荷とされているが、伏見稲荷以外については諸説あるそうだ)、こういう感じなのかな。

これは私が知らなかっただけだが、豊川稲荷は神社ではなく曹洞宗の寺院である。正式には「妙嚴寺」といい、本尊は豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)である。手に宝珠を持ち、白狐に乗っているという。元々は古代インドの民間信仰から生まれた仏教の神だが、日本では神仏習合で稲荷神と同一視された。

妙嚴寺が開かれたのは嘉吉元年(1441年)のことで、以後は今川義元や徳川家康の保護を受ける。江戸時代も大岡忠相や渡辺崋山などの歴史上の人物や、一般大衆からも篤い信仰を受け、豊川稲荷として栄えた。ただ、明治の神仏分離によって、稲荷神と吒枳尼眞天が分離され、鳥居も外された。今のように鳥居が建ち、狐の像が見られるようになったのは戦後のことだという。だから歴史はあるといっても伏見稲荷とは系統がだいぶ違う。日本三大稲荷に諸説があると先に書いたが、「日本三大稲荷『神社』」とする向きは豊川稲荷は対象外としている。こんなところにも日本の神仏の複雑な関係が見える。

ということで、本殿に向かう。明治末に着工、昭和の初めに完成した建物である。正面には吒枳尼眞天の真言「おんしらばった にり うん そわか」の札がある。それならば、数珠は持ってきていないが般若心経のお勤めをしなければなるまい。少し横にずれてブツブツとやり、最後に豊川吒枳尼眞天の真言を7度唱える。全く思っていなかった展開である。今回のサイコロの出目も、吒枳尼眞天や狐が呼び寄せたものかもしれない。

境内はこの後奥の院に続く。豊川稲荷の見どころは本殿よりもむしろ奥の院だそうで、元々吒枳尼眞天が祀られていたところだという。そこで向かうとまず目に飛び込むのが両側に立てられた数多くの幟。伏見稲荷の拝殿の奥から一ノ峯に続く千本鳥居のようなものである。地元の個人や企業に交じって、県外からも多く奉納されている。

その間には諸仏を祀るお堂もあるし、腹を撫でるとご利益が授かるという大黒天の像もある。曹洞宗の寺だがなぜか弘法大師も祀られている。道元はどげんした・・?

その中に奥の院のお堂があり、ここでも吒枳尼眞天の真言を唱える。

境内の最も奥、奥の院の奥(ややこしいな)に「霊狐塚(れいこづか)」というのがある。鳥居をくぐり、両側に吒枳尼眞天の幟と、何対もある狐の像を見る。

で、たどり着いたのは・・無数の狐の像。ゴツゴツした岩があり、その方向に狐が向いている。狐の像は願い事がかなった人たちが御礼の意味で奉納したそうだが、狐がこれだけ集まるというのはシュールな感じ。珍スポットとして紹介されることが多いそうだが、パワースポットとしても人気があるのだという。インスタ映えするとしてスマホであれこれ撮っている人がいるかと思えば、狐の多さに圧倒されたか泣き出す子どももいる。

何だか圧倒された感じを抱きながら参道を戻り、これで境内一周となる。時刻はちょうど昼時ということで食事にする。駅から続く昔からの参道に向かう。ちょうど総門の前の角に行列ができている店がある。豊川はいなり寿司発祥の地とされており、地元もいなり寿司で町を盛り上げようとPRに熱心だ。その「門前そば山彦」に入る。豊川のいなり寿司の店でも老舗だという。いなり寿司とそばというのはよく合うが、ここは愛知ということできしめんもある。

いなり寿司は「ミックス」を注文。五目いなり(ひじき、ニンジン、しいたけ、くるみ、タケノコ)と、葉山葵のいなりの組み合わせである。甘く煮た揚げに五目飯というのはなかなか見られない。また葉山葵のピリ辛というのも面白い。この店は昔ながらの味を守っているが、他の店ではいなり寿司に鰻を乗せたり、いなり寿司そのものを揚げてみたり、あるいはハンバーガー風にアレンジしたりと、いろいろ加工しているのもあるそうだ。最も美味しいのは昔ながらのスタンダードないなり寿司だと思うのだが、また機会があればこうした変わり種を試すのもいいかもしれない。

駅に戻る。ここで折り返すとして、行きに乗った飯田線ではなく名鉄の豊川線に乗る。こちらの駅名は豊川稲荷。これで国府まで出て、名古屋本線に乗ることにする。途中の駅で乗り換えて名鉄の支線に寄り道というのも面白そうだ。2両編成の列車に揺られ、豊川市内の近郊区間をトコトコと走る。

国府からの列車乗り継ぎで名古屋、岐阜方面のホームに移ると、リュックを背負いウォーキング姿の人たちであふれかえっている。改札の外にも乗車券を買う行列ができていた。何かのイベントかとスマホで検索すると、当日(4月7日)、トヨタ車体の健康保険組合主催のウォーキングイベントで豊川稲荷駅から国府駅まで歩くというのがあったそうだ。途中、佐奈川堤、赤塚山公園という地元の桜のスポットを通り、三河国の国分寺跡も経由する10.5キロのコース。ちょうど昼過ぎで完歩した人たちがホームに来たところに当たったようだ。それにしても桜・・・今年の傾向からして途中のポイントでもほとんど散ってしまっていたのではないだろうか。花に絡めたイベントというのは難しい。

やって来た特急はウォーキングの客で満員となる。私ももちろん立った状態で移動する。旧東海道の宿場町に近いルートを快走する。その中で、この列車をどこで降りるか考える。乗り鉄、名鉄乗りつぶしにこだわるなら新安城まで行って西尾線~蒲郡線とたどるのが面白そうだ。

ただ結局下車したのは次の東岡崎。そしてホームの向かい側で待っていた各駅停車で岡崎公園前に向かい、ここで外に出る。以前一度訪ねたが、岡崎での途中下車ということにした。西尾や蒲郡はまたの機会として楽しみにしておく。

岡崎で下車したのは桜の名所である岡崎城跡に行くというのもあるし、その前に名古屋の味覚の原点というべきスポットに行ってみようということで・・・・。
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飯田線の通し列車に乗る・・・豊川まで

2018年04月10日 | 旅行記D・東海北陸
青春18きっぷ利用の日帰り旅で目指す愛知、岐阜。目的地を決めるのにサイコロを使うことにして、関ヶ原を過ぎたところでサイコロアプリを起動する。もうタイトルからしてどこに行くことになったかはおわかりかと思うが、出たのは「5」。豊橋から豊川稲荷を目指すことになった。

出目によっては岐阜での乗り換えになったが、豊橋までということは、新快速の終点まで乗ることができる。まずはゆっくり車窓を見ることができる。

岐阜を過ぎて車内は満員。遠くに岐阜城を見て、木曽川、清洲城を過ぎる。名鉄の線路が近づくと名古屋である。愛知県に入ると雨も止み、この先は大丈夫だと安心する。そういえば、新潟や会津を回る青春18きっぷの大旅行をする男性は中央線に乗り換えたのだろうか。

東海道線の名古屋から先の区間に乗ることもなかなかなく、車窓を眺めるながら、豊川稲荷からの帰りをどうしようか考える。名古屋まで名鉄で戻るとして、途中は三河の国を走る支線にも寄ろうかとも思う。名鉄には乗ったことがない支線が多く、こうしたところを回ると新たな楽しさが見つかるかもしれない。

10時28分、豊橋に到着。乗り換え階段を多くの客が駆け上がる。この先浜松行きがあり、東海道線を東へ向かう客は席取り合戦となる。私はここから飯田線に乗り換えるとして、階段上の通路の売店で豊橋名物の竹輪など買い求める。え?飲み鉄のおつまみに決まっとるでしょうが。

その飯田線のホームは名鉄との共用である。駅名標を見ると、豊橋の次は船町。面白いのは、同じホームの反対側の名鉄乗り場では、豊橋の次が伊奈というのをJRのデザインで書かれている。駅コードが併記されているので名鉄と気づくくらいだ。

飯田線はかつて豊川鉄道という私鉄だった。また、名鉄の前身は愛知電鉄という鉄道だった。それぞれが同じくらいの時期に豊橋に路線を伸ばすにあたり、その合流地点から豊橋の間は、お互いが単線の線路を敷いて、それを複線として使用するという話があったそうだ。その名残が、国鉄からJRを経て現在まで続いているが、現在は完全にJRが有利で、名鉄は申し訳なさそうに乗り入れているようにも見える。

これから飯田線の10時42分の列車に乗るが、これが飯田線全線の100近いを7時間弱かけて走る岡谷行きである。飯田線に乗ることが目的なら時間帯的にもベストな列車である。ホームに下りた時にはすでに乗車口に長い列ができている。出で立ちからして、青春18きっぷで全線を乗り通すか、あるいは沿線の秘境駅を訪ねるか、いわゆる乗り鉄の殺気すら感じられる。乗ること自体は問題ないのだが、座れるかどうかは大きい。だから良い席狙いの殺気である。私もそのいずれかのためにこの列車に乗るのなら、知らないうちにそんな表情になっていたかもしれない。

ただ、この日は豊川が目的地。豊川までなら区間列車が頻発しており、座るのが第一なら区間列車に乗れば十分である。ただそこは、飯田線全線の通し列車に乗るほうが面白そうだ。座席は別にいいので、運転席の後ろに立ってみる。この一角も、「ビデオカメラをガラスに吸盤で貼り付けて前面展望を撮影しようというおっさん」とか、「望遠レンズのカメラを首からぶら下げ、右手には時刻表をにぎり、左手ではパンをかじりながら列車番号名をブツブツと唱えるお兄さん」など、こうした列車にお似合いの輩、もといキャラクターたちのパラダイスである。もっとも、その横に立つ私も、他の乗客には同類と見られているだろうが・・・。

運転席の後ろなので、かつてそうした経緯があった線路の様子も見える。豊川を渡り、分岐点で正式にJRと名鉄の線路が分かれる。ただしばらく走ると左側からまた線路が寄り添ってくる。こちらは名鉄の豊川線である。

10時54分、豊川に到着。ここで下車する。岡谷まで7時間近く走る列車のうち、12分だけ乗ったことになる。それもまたいいかな。ホームで列車の発車を見送るが、ボックス席に、ドア横のベンチ席に陣取った人の顔を見ると、やはり「乗りに来た」客の多さを感じる。

さてここからは豊川稲荷に向かう。駅では狐がお出迎えで・・・。
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