まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「銀座鉄道」と国鉄型車両の出会い

2010年08月31日 | 旅行記C・関東甲信越

Dscn2570 8月23日、浅草から地下鉄銀座線で銀座へ。一時東京に住んでいたとはいえ銀座にはほとんど来ることはなく、いわばお上りさん状態である。

それがこの関東旅行で訪れてみようと思ったのが、銀座で行われていたあるイベント。23日は月曜日で、博物館や美術館などは通常は休館日であるが、こちらのギャラリーは火曜日が休みということでまことにラッキーだった。

そのイベントとは「銀座鉄道」というもの。

銀座4丁目交差点、向かいは三越というロケーションにリコーのギャラリー「RING CUBE」に現れる。ここで8月29日まで行われていたイベントである。鉄道写真家の広田泉さんの主催によるもので、広田さんのほか、何名かの鉄道写真愛好者の作品も合わせて約50点が展示されるというもの。銀河鉄道をもじって、「銀座鉄道」。

Dscn2571 この展示会を訪れるきっかけになったのが、私も愛読させていただいているブログ「とくとみぶろぐ」の徳富政樹さん。この方の鉄道旅行記(本職は何ですか?というくらい出かけてらっしゃるようです)や、街並み(井戸がお好みのようです)や鉄道を追いかけた写真の数々が面白いなと思っていたのだが、とくとみさんも出展するという記事を読んで、それならばぜひ訪れてみようと。

会場内の写真撮影はできなかったし、出展者の写真集を販売していたわけではないのでその様子をこのブログで紹介することができないのが残念だが、回廊式のギャラリーに大きくカットされた写真の数々。

鉄道の写真展といっても、珍しい汽車の走行シーンや車両の形式写真のような作品は少なく、「鉄分」は薄めといったところ。ただ逆にその分、「鉄道のある風景」「鉄道と共に生きる人たちの表情」というものを主眼にした作品が多く、ムードを楽しむことができる。

私も鉄道旅行をするようになって長いが、心の中でのイメージは「ああ、こんな景色に出会えれば」という憧れがある。ただ実際に目にするシーンはもっといろんな余計なものが入ってくるようだ。それをカメラを通して、その一瞬をうまく切り取ってくれているように思う。

また、普通であればただ何と言うこともなく通り過ぎるであろう景色も、そこに鉄道の2本の線路、または1両の車両を配置するだけで、何とも情緒あるシーンになるのはどういうことだろうか。これがレールの持つ魔力とでもいうものだろうか。

そんな中、とくとみさんの作品に出会う。舞台は九州、車両は肥薩線だろうか。出発していく列車を、両手を振りながら見送る人たちの後姿を切り取った一枚。後姿ではあるが、鉄道を見送る人たちの喜びの表情が背中越しに伝わってくる。列車ではなく人に照準を合わせたところが、写真の世界観・・・。

一枚一枚に感心し、十分満足して会場を後にする。またどこかの作品展で目にすることができればな、と思う。

Dscn2575 さて、この日の午前中はこのような感じで東京都内で過ごし、昼過ぎの列車で東京駅から中央線に乗る。この日の宿泊地は上諏訪である。午後はもう途中下車観光などはなくひたすら移動するだけだが、時刻表を見ればいろんな乗り継ぎパターンが出る。要はどこで長時間待たされるかだが、どう乗り継ぐかは野球の継投策を考えるようにも思えて面白い。結局、高尾、大月、小淵沢と乗り継ぐことにする。

大月での待ち時間。ふと売店のスポーツ新聞を見ると、この日の一面が「T-岡田30発」のはずの日刊スポーツが、「巨人坂本、先頭打者本塁打」となっている。ははあ、同じ東京版とはいえ、発送時間の関係でいくつか版が分かれる中、当初は「坂本」が一面で走ったのだろうが、途中で「T-岡田」の連発のほうがニュース性があるとして差し替わったのだろう。このあたり、山梨というのも微妙な位置やなと思ったものだ。

Dscn2576 さて大月からは115系の横須賀色。いわゆる「スカ色」。本家横須賀線からはなくなって久しく、このところは房総半島からも113系が姿を消しつつある中、山梨県で元気に走っているのは貴重な存在である。

Dscn2579 そこへ接続列車としてやってきたのは、高尾を1本後に出てきた大月止まりの快速電車。それが201系であった。思わず席を立ち、今となっては貴重なツーショットとなるこの顔合わせを撮影。201系は今年の10月での中央線からの引退が決まっており、それを追いかける人も多いようだ。果たして、列車の周りには結構多くの「その筋」の人たちが集まっていた。

Dscn2586 途中にわか雨も降る中、甲府盆地を経て上諏訪に到着。ホームの足湯が出迎えてくれる。かつては服を脱いで入る本式の風呂であったが、何かと手入れが大変なのだろう、数年前から足湯になっている。現在は「駅露天風呂」の石碑が当時を物語るだけである。

23日と24日は、上諏訪駅前の「ルートインホテル」に連泊する。シングルの料金でツインルームに泊まれるプランがあり、部屋を広々と使う。信州らしいものを食べようと店を探しに出るが今ひとつこれという店が見つからず、結局駅前の「庄や」に入る。新しくオープンしたばかりというがちょっと店員の応対が遅いなと思いつつ、旅行3日目の夜の一時を過ごした・・・。(続く)

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東京スカイツリー建設現場を見る

2010年08月29日 | 旅行記C・関東甲信越

Rscn2383 8月22日はひたちなか海浜鉄道湊線を楽しんだ後、勝田から特急「フレッシュひたち」で柏に移動。ここから海浜幕張まで南下して千葉マリンでナイター観戦をしたのは先の記事の通り。

Dscn2552 明けて23日、幕張の「ホテルフランクス」の一室で目覚める。幕張に泊まったのは初めてで、客室やレストランからは幕張の海岸線も見ることができる。日曜日の夜ということで宿泊料がシティホテル並みになっていたのはうれしい。ディズニーランドの旅なのか子ども連れの家族が結構目立つ(写真は朝食のレストランからの眺め。奥に千葉マリンスタジアムの外壁が見える)。

さてテレビでは朝の情報番組をやっていたが、スポーツ紙の一面紹介を見てビックリ。日刊スポーツ「松井になった浪速のゴジラ T-岡田30号」・・・・これは前日の2本塁打で30本の大台に乗ったということで、22歳で30本を放ったのはあの松井秀喜以来で、「元祖」に並んだ「浪速」のゴジラという記事である。他に古いところでは清原、張本、王、野村、中西・・・えらい記事の割きようである。

Dscn2785 もちろん、この後駅売りでこの日刊スポーツを記念に買い求めた。ただこの「T-岡田」が一面に来たのは何と東京版のみ。さて地元関西版はといえば、ツイッターの方から情報を得たところでは「橋下知事、虎Vでパレード」・・・・。

今に始まったことではないが、関西のスポーツ紙に対しては呆れて何も言うことはありませんわ。まだ東京の記者のほうが、「その時一番話題にすべきことは何か」というのを広い視線で追いかけているように思う(それでも、個人的には十分とは思えないがまだまし)。

さて、それはさておき機嫌よく幕張を出発。ロッテの応援歌「We Love マリーンズ」のメロディーで送られる。マリンスタジアムにもまた来たいものである。

京葉線で東京まで行き、大きなバッグをロッカーに預けて地下鉄へ。丸の内線と半蔵門線を乗り継いでやってきたのは押上。

そう、押上といえば東京の新しい観光名所である東京スカイツリーである。駅の案内板にも大きく「東京スカイツリー(建設中)」と表示されており下車客のほとんどはそちらに向かう。

Dscn2556 そして現われた巨大タワー。

Dscn2559 すでに東京タワーよりも高く、工事の進捗を示す看板によればこの日の高さは418m。

Dscn2560 平日ということで工事の最中で、ちょうど鋼材や何かの部品がクレーンで巻き上げられるのを見上げる。この日も朝から汗ばむ猛暑であるが、汗が出るのも構わず上空を見上げて思わずうなってしまう。

真下から見てもいいが、ここは少し歩いてみよう。ということで浅草駅のほうを向いて歩く。下町の風情と東京スカイツリーが組み合わさった町並み見物までの時間はないが、少し離れたところから見て改めてその高さを感じるのもいいだろう。

Dscn2565 途中の源森橋というところ。すぐ脇には東武伊勢崎線の高架があり、ここでちょうどいい感じの景色に出会う。ちょうど午前の時間帯では逆光になるが、通天閣と南海電車のツーショットとはまた一味違った組み合わせである。もう少し待てば特急スペーシアも来るのだろうが、さすがに熱気の中じっとするほどのこともないかなと思い先へ。

Dscn2569 吾妻橋で隅田川を渡る。振り返るとアサヒビール本社の建物や首都高速の高架橋があり、その向こうにすっくと立つスカイツリー。うーん、これはいい眺めだ。ここでアサヒビールを飲みながら・・・と思ったが、先もあるのでここはパス。

2012年には高さ634m(この高さは「武蔵=むさし」というところからだそうな。初めて知った)で完成となる。その時にはこの辺りもどのような景色になっているか、こちらもまた来たいと思わせるスポットである。

この日は本当に素通りで来た形になるが浅草からは銀座線に乗る。向かったのは銀座・・・・。(続く)

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ひたちなか海浜鉄道湊線を楽しむ

2010年08月28日 | 旅行記C・関東甲信越

8月22日の朝8時前、常磐線列車のグリーン車から降り立ったのは勝田駅。一気にやってきたのは茨城県である。

実は22日の行程は結構迷っていた。夕方から千葉マリンスタジアムでのロッテ対オリックス・バファローズの「薄暮試合」の観戦に訪れることは決まっており、それまでどうしようかとあれこれ迷っていた。東京都内にいるか、大宮の鉄道博物館に行くか、銚子せんべい電鉄に乗りに行くか、果ては東京湾フェリーにでも乗ってやろうかとか・・・。時刻表をあれこれめくって検討するのは楽しい。

結局その中で決めたのは、やはり千葉マリンに行くのだから東京より東側に行こうということと、「気動車を見たい、乗りたい」という理由で、茨城交通湊線改め、ひたちなか海浜鉄道湊線の乗車ということになった。少し前に流れていたバージョンの、菅野美穂さん出演の「チオビタドリンク」のロケが、この路線を揺られる気動車の中や那珂湊駅で行われていて個人的に結構印象的であったことも一つの要素かな。

Dscn2333 さて勝田駅の窓口で一日乗車券を買い求める。紙タイプの乗車券には「MMM みなとメディアミュージアム」とデザインされている。この夏、湊線の活性化のためにローカル線とアートのコラボとなるイベントが行われているという。主な駅ではアートの展示が行われていたり、また駅名標も文字に遊び心のデザインが施されており、その駅の特徴がよく出るような表示になっている。

Dscn2384 一時は廃止寸前とまで言われたが、地元の人たちの支えにもよって生き残ることができた湊線。そこが、一部の鉄道マニアどもが介入していらんことしてかえってその命を縮めたという、同じ県内のどこやらの鉄道とは違うところ。

Dscn2374 トコトコ揺られるという表現がよく合うなという走りで、路線の中心駅である那珂湊駅に到着。ここで一度下車することに。

Dscn2339 この那珂湊には、非冷房車という理由で夏の間はお休みしている気動車たちが停まっている。かつての国鉄カラーが復刻で塗られており、見ていてうなるばかりである。ちょうど先週はこのうちの1両を「あえて」走らせるというイベントが行われたというが、やはり乗ってみたかったなと思う。

Dscn2352 さて、那珂湊といえば太平洋に面した漁港である。首都圏からも大勢の観光客が訪れる海浜市場へは歩いて10分ほど。朝の8時半から暑さを感じる中、市場は早くも熱気に包まれていた。

Dscn2346 売り場をのぞいてみるが、普段のスーパーなどで買っているものとは具材の大きさからして断然違うし、その量の割には価格も安い。普段あまり目にすることのない魚を見るのも楽しい。あちこちから威勢のいい売り声も飛ぶ。ただ残念なのが、それらを買って帰れないこと。「宅配便で送ればいいではないか」という声もあるだろうが、やはり長い旅の上ということもあるし、一人身住まいでは荷物を受け取ること自体が一苦労である。

ということで、お土産を購入するのはあきらめ、何か食べることにする。一番うなったのは岩ガキ。カキといえば冬の味覚とされるが、今や日本各地の岩場で採れる岩ガキは夏の風物詩、夏の味覚として定着しているところ。私も居酒屋などにあれば必ず注文するというメニュー。

サイズにより値段が異なるが、これという1個を指差すと店の人がナイフを入れて、殻と身を分けてくれる。最後に水につけて「ハイッ」と渡してくれる。

Dscn2353 これがまたボリュームが大きい。もった感じのかさの大きさが違う。これに指を突っ込み、レモンも何もいらん、生の味を楽しむんやとばかりチュルチュルとやる。身の厚さと、海水のホロ苦さが口の中でシンクロする。すっかり夏の味覚の虜になってしまう。

しばし市場の雰囲気を楽しみ、那珂湊駅に戻る。やってきた列車で終点の阿字ヶ浦を目指す。のんびりした走りがまたムードを高める。

Dscn2360 阿字ヶ浦到着。以前訪れた時は側線に気動車が停まっていたのだが、譲渡先も決まったとかで今は撤去され、ガランとした終着駅である。ホームの向こうからは夏草の匂いが漂う。

Dscn2366 阿字ヶ浦からは海が近い。坂道を降りて5分もすれば阿字ヶ浦の海水浴場に出る。近隣や首都圏から訪れる人が多いようで、砂浜は多くの家族連れ、若者たちで賑わう。海の家も出て、監視員の姿も見える。

Dscn2365 こんな海水浴場真っ最中の中、いかにも「その筋」という出で立ちで入っていくのは、いけないということではないだろうが思いっきり浮くことは間違いない。誰もいない海なら海水ギリギリのところに行くところ、この日は海水浴客たちを遠目に見ることにする。

Dscn2368 その代わりということで訪れたのが、その海水浴場を見下ろす日帰り温泉の「のぞみ」。ここは風水の考え方を取り入れた浴場があり、露天風呂に「青龍、朱雀、白虎、玄武」とそれぞれ彫られた岩が置かれていたり、窓越しに海水浴場の様子を見ることもできる。海水浴場と一体となっているかのようである。

前夜は夜行列車乗車のために入浴をしていなかったこともあり、ここでサッパリした。時間もあることで、大広間でしばらく横になる。こういう時間の過ごし方、夏休みやなあ・・・と思う。さてここからリラックスして、旅を続けることにしようか・・・・。(続く)

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ムーンライトながらに乗車

2010年08月27日 | 旅行記D・東海北陸

8月21日の夜、大垣駅に戻る。22時を回りホームには大勢の乗客の姿。22時49分発の「ムーンライトながら」を待つ人たちである。

Dscn2321 「青春18」の時期に合わせての臨時列車という扱いであるが、そのシーズンでの需要は衰えを知らないようで、連日満席が続いているようである。私も発売開始の2日後くらいにみどりの窓口で指定席券を購入したが、窓側の席はすでに埋まっているようだった。それでもまあ、乗れるだけよしということだろう。

Dscn2324 発車の5分ほど前に入線。懐かしい国鉄特急色塗装の車両は、JR東海の車両で運転していた時よりもノスタルジックで、「その筋」の人たちには却って喜ばしい状況ではないだろうか。先頭車両には大勢の人たちが群がり、カメラを構える。

Dscn2326 さて指定の車両に乗り込んでみる。座席は大垣発車時点で5~6割の乗車率。隣の窓側の客は現われず、ちょっと尻が落ち着かない感じで向かう。

23時18分、名古屋到着。ここで大勢の乗客があり、座席も8割方埋まる。隣の窓側の席の主も現われ、これでようやく落ち着く。席を倒し、眠るような眠らないような、座席夜行独特の曖昧な気分で進む。車内の照明も落ちるわけではなく、眩しい感じ。

日付が変わった豊橋を過ぎ、浜松に到着。この両駅からも乗車がある。私の席の通路を挟んだ隣の席には、確か豊橋からカップルがやってきて前の座席に突っ伏すような感じで眠っていたのだが、浜松で一人の客と車掌がやって来て車掌が声をかける。どうやらこの客が本当の席の主で、先のカップルは察するに指定席券を持たずに乗ってきたようである。「困ります」と車掌が声をかけていた。

うーん、それでもその場から追い払うだけで、列車からは降ろさないのね。おそらくそのカップルは他に空席を見つけるか、それでもなければ通路なりデッキに立っていくのだろう。まあ本人が眠れない、翌朝疲れるというのは別問題として、「全車指定席」をうたっておきながら、指定席券を持たない客が乗ること自体いかがなものだろうか。「全車指定席」で「満席」表示が出れば「乗れない」「乗らない」と思うのが普通で、例えば「ながら」が取れないから旅行プランが成立しないということもあるだろう。それが、とにかく「乗ってしまえばこっちの勝ち」というのを認めるかのような応対というのはいかがなものだろうか。もしそれがまかり通るなら、なんぼでもやるで・・・。

ちょっとカチンときて興奮状態にもなったがいつしかそれも収まり、また眠ったようである。全力で走ればもっと速く東京に到着するのだろうが、そこは適当に時間調整もしながらの東行きである。

まだ夜が明けない横浜の前でチャイムが鳴り、到着アナウンスが流れる。ボーッとした感じで横浜、品川を過ぎ、列車の速度が徐々に落ちる。こういう感じで入る東京というのもまたいいものだ。曜日は日曜日の未明。土曜の夜を都心で遊んだ客がそろそろ朝帰りに着こうかという時間帯である。私も東京勤務時代は新橋駅で乗り降りしていたこともあり、その意味では懐かしさを感じる車窓である。

Dscn2328 5時05分、東京到着。大垣から6時間15分の行程。何だかあっという間に着いた気がする。満席の乗客はここから思い思いの方向に向かい、旅を続ける。中には先ほど通った線路を、今度は東京始発の静岡行き(こちらは、JR東海の特急型車両を使用。かつての「ながら」の折り返しの筋の名残である)に乗車する客も。

Dscn2330 私はといえばそのまま山手線で上野まで行き、常磐線の快速列車で一気に東京都内を通過し(ちなみに、東京勤務時代の住まいは常磐線沿線だったのでこちらも懐かしく)、千葉県に入った我孫子へ。ここは特大の唐揚げが入った駅そばが名物だが、販売元の駅弁屋ではその昔、放浪の画家で「裸の大将」の山下清も一時期奉公していたこともあったそうだ。ただこの日はそば屋が開くには少し早すぎる時間の到着となった。

Dscn2332 ここからは我孫子始発の常磐線列車に乗り込み、これも久しぶりなのでSuicaにチャージしてグリーン車に乗車。こちらも快適な車両で、このままさらに東を目指すことに・・・。

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湖国の味を楽しむ

2010年08月24日 | 旅行記E・関西

21日から夏期休暇ということで現在旅行中。この記事は信州は諏訪のホテルの部屋で、パソコンを接続させて書いています。先の記事の千葉マリンスタジアムでの野球観戦もそうでしたが、「夏」のさまざまな表情を楽しめる旅行となっています・・・。

さてその前段ということで、21日まで話をさかのぼることに。

私の勤務先の場合、会社全体が「この日は盆休み」というものがなく、各支店、セクションの中で休みを決めて消化するという仕組み。結局盆から一週間ずらす形になっての休暇ということになった。

21日は午前中は大阪市内での所用があり、昼食後の12時過ぎにJR大阪駅に現れる。今回の旅行は東を目指すということであるが、この日の行程は大垣からの「ムーンライトながら」に乗車するというもの。極端な話、それまでに大垣へ、いや考えようによっては深夜の23時過ぎまでに名古屋に出ればよいというスケジュール。

Dscn2285_6 大阪からどうしようかとも思ったが、ここはあまり乗車することのない関西線に乗ってみようと思う。まずは大阪から加茂行きの列車で移動。昼過ぎの加茂駅は空気が熱せられており、立っているだけで汗が流れ落ちる。駅前のコンビニで普通のペットボトルではなく、凍らせたタイプのボトルを購入する。それも溶けて液体になるペースが速いようだ。

Dscn2286 加茂から亀山行きの気動車に乗車。バスのようにエアコンの通気孔を自由に動かすことができ、さほど客がいないのをいいことに自分有利に風を向ける。

Dscn2287_3 加茂から笠置にかけて、木津川の清流が流れる。河原にはたくさんのクルマが停まっており、水遊びやらバーベキューやらを楽しむ家族連れの姿が見える。ここまで暑ければ川の水温もどうなのかと思うが、コンクリートで覆われた猛暑の街で過ごすより快適なことは間違いなさそうだ。

Dscn2292夏の山村風景の中を走り抜け、柘植に到着。当初は、このまま亀山まで乗車し、津、あるいは四日市まで向かって夕食の後、養老鉄道経由で大垣入りするのも面白いかと思ったが、結局ここで下車する。大阪市内に比べれば標高は上がっているが、それでもまだ暑いことには変わりない。

Dscn2294_7 ここから草津線に乗車。先の関西線に続き、冷房に当たりに来ているようなものである。それにしても、この列車の塗装は緑一色。湘南カラーでも、JR西日本のオリジナルカラーでもなく、最近のJR西日本のローカル線区を走る旧国鉄型車両を中心にこうしたのっぺりした塗装を施すことが多くなっているという。コストを安く上げるということのようだが、別に線区ごとに色分けする必要もなく(というより、線区ごとに厳格に分けているようでもないみたい)、見ていてガックリと来る。

これで草津まで走り、草津からは各駅停車で東海道線を北上。下車したのは彦根。ここで下車したのはちょうど夕食を取ろうというもので、関東に出かける前に湖国・滋賀のいろいろなものを食べるつもり。

Dscn2301 さてにと駅前に出て、早速発見したのが駅からすぐの居酒屋「彦一」。地元の人も仕事帰りにシュッと寄れそうな構えだし、一方で「ご旅行の方、出張の方もぜひ」という看板も出ており、こういうのを好む私としては結構ヒットな感じである。

Dscn2296 通常の居酒屋メニューに加え、郷土料理ということで注文したのは「近江牛の刺身」、「鮒ずし」、そしてこれは滋賀というより福井になるだろうが「鯖のへしこ焼き」。牛のタタキは食べたことはあっても、刺身というのはほとんど食したことがない。ただクセもなくじわっとした肉の感触を味わうことができた。

Dscn2297_2 一方、鮒ずしはその発行臭に好き嫌いがあるだろうが私は好きなほうの人間。鮒の本体だけでなく、周りの発酵米も酒のアテとしてはピッタリ。湖北の地酒「奥琵琶湖」とともに楽しむ。いや、彦根といえば彦根城にひこにゃんであるが、こうした味覚もしっかり味わうことができることで感心。

Dscn2302 食後、腹ごなしを兼ねて日の暮れた彦根城に向かう。ちょうど空が真っ黒になり始めた頃だが、もちろん天守閣はじめ城内には入れない。

Dscn2311 お堀端をテクテクと歩く。ちょうど天守閣もライトアップされている。大阪からまっすぐ彦根に来れば天守閣に登ったり、ひょっとすればひこにゃんを見ることもできたかもしれないが、今回はあくまでプレの要素が強い。

ここから米原に出た後、大垣まで移動。「ムーンライトながら」の発車時刻まではまだ時間がある。どこか時間つぶしのできそうなところをと思うが、重い荷物を抱えていることもあって北口に広がるショッピングモールに行くのも何だかかったるい。

そこで思いついたのが、やはり列車に乗ること。「青春18」を持っているのでその辺りは自由に動ける。乗車したのは東海道線の枝線・美濃赤坂行き。行って帰ってくればちょうどよい時間になる。

Dscn2319 闇夜の中を淡々と走り、美濃赤坂に到着。10人ほどの客とともに下車。他の客はそれぞれ家路につくようだが、私はここから折り返しとなる。駅前の自販機でミネラルウォーターを購入し、再び駅舎へ。夜空に浮かぶ木造駅舎が何だか温かい表情を見せている。今回は夜だが、次回はぜひまた日中に訪ねてみたいものだ。

折り返しの列車は乗客も2~3人しかおらず、大垣に戻る。先ほどとは違ってホームには人があふれている。おそらく、「ムーンライトながら」に乗車する人たちだろう。「青春18」の時期に限定して運転されているこの列車。それがために余計にプレミア列車になったかのようで、ホーム上はいかにも「その筋」と思われる客が陣取っていたり、中高年の姿も多かったりする。

さて発車時刻が近づき「ムーンライトながら」の客となったのだが、その話はまた続きということで・・・。(続く)

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花火イベントは中止でも・・・T-岡田30号一番乗りの打ち上げ花火!~ロッテ対オリックス観戦記@千葉マ

2010年08月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

昨日21日から次週25日まで、世間のお盆から少しずらした形での夏休み。今回は関西から関東方面への遠征。この週末はちょうど千葉マリンスタジアムで千葉ロッテマリーンズ対オリックス・バファローズの3連戦が行われており、金曜日は成瀬の前にオリックス打線がまたも沈黙、土曜日は5点のリードを守りきれず延長サヨナラ負け(ちょうど、サヨナラ負けの様子を大垣からの「ムーンライトながら」の中で、ツィッターの書き込みで知った次第)。

Dscn2398_2そして迎えた今日の第3戦。17時からの試合開始ということで、15時すぎに幕張のホテルにチェックインを済ませ、マリンスタジアムに現れる。海辺とはいっても照りつける太陽は真夏のそれで、立っているだけでも大量の汗が出る。ここは食べ物も豊富で、球場前広場は多くの屋台も出るお祭りモード。2年ぶりのマリン訪問となったがビジターながらこの雰囲気、好きである。

Dscn2408 涼みがてら、マリーンズのミュージアムへ。ベンチやフェンスが再現されているだけではなく、1950年の毎日オリオンズから続くチームの歴史紹介のコーナーは何度訪れても飽きない。現在ちょうど、交通新聞社新書の「国鉄スワローズ」(プロ野球球団の歴史について書いたものが鉄道書のコーナーに置いてあるのに好奇心くすぐられるが)という一冊を読んでいることもあり、また先日「野球知識検定」なるものに申し込んだこともあって、こういう歴史というのは見ていて面白い。

Dscn2428 最初は久しぶりにレフトスタンドで観戦しようかと思っていた。そんな中、夏の千葉マリンといえば花火ナイター。ただこれがレフトスタンドだとあまりよく見えないというらしい。なるほど、そういうことなれば、内野席にしようかと20日の夜にチケットぴあのサイトをのぞくと、三塁ダッグアウト上のS席に空席ありとの表示。早速オンラインで購入し、旅の途中でコンビニでの引き換え。

Dscn2439 上のフェンスが多少目障りに感じるが、グラウンドを見る角度としては実に見やすい。ただ夕方の時間、モロに西日を浴びるところである。これはたまらん。

Dscn2467 さて先発はロッテが先日入団し、2週間前のこのカードで勝ち星を挙げたペン。オリックスは山本。山本は自身5連敗中ということで、先発陣がもう一つピリッとしない中でもそろそろヤバイ状況にある。

Dscn2472 案の定、山本の立ち上がりもピリッとしたものを感じず、2番・今江、3番・井口の連打で一死1・3塁とすると、4番の金泰均がセンター前にポトリと落ちる先制打。何だか嫌な展開を予感させる。

Dscn2481 それを吹き飛ばしてくれたのが、ここのところ当たりが止まっている悩める大砲・T-岡田。ペンの速球を低い弾道ではじき返した打球はそのまま右中間へ。10何試合ぶり(それでもキング独走)の一発にレフトスタンドが沸く。ただやはり内野席だと三塁側もほとんどロッテファンということで、私の喜びはちょいと遠慮しつつ・・・。

Dscn2497 それでもピリッとしないのが山本。2回も1・3塁、3回も先頭打者に四球。そして4回は二死から8番・的場に二塁打を許し、続く9番・清田の当たりはレフト前へ。これをT-岡田が本塁へ好返球を見せ、鈴木がブロック。何とか勝ち越しを阻止。

Dscn2507 そして5回、三塁に西岡を置いて金泰均。低めのボールだったがこれをすくいあげると打球は一気にレフトスタンドへ。フェンスをギリギリで越える20号2ラン。「これで金泰均バーガーを買わなくちゃ」ということは全く頭には浮かばず、これで私も完全にカチンときてベンチ上の席から山本に罵声を浴びせかける。もう、左腕のエースも返上や。北神戸でやり直せ。

Dscn2509 5回裏を終えて3対1でロッテがリード。本来であればここで花火の打ち上げだが、どうも強風(電光掲示板の風速計ではセンターからホームベース方面に6mとあった)のために中止ということになった。あらあら、これを楽しみにナイターに訪れたというのに残念。それでも、それだけ風が吹くということか、日が落ちてからというのは昼間の直射日光による暑さが嘘のようで、結構快適に感じる。中途半端な空調のドーム球場より断然よい。

Dscn2510 花火中止で残念がるお客さんを喜ばせようということか、6回、カブレラを一塁に置いてT-岡田。今度は打った瞬間にそれとわかる打球で、ライト上段へ。これでリーグ30号一番乗り。花火は中止だが、T-岡田の花火は完全に復調モード。

Dscn2512 この回はさらにたたみかけ、大引、坂口の連打でさらに2点追加。これで5対3と逆転に成功。これであんな2軍行きでもおかしくない投球をしていた山本に勝ち投手の権利がついた。6回は前田祐、比嘉とつないでリードを守る。

Dscn2519 さてこれで7回はどうするか。前日も投げたが平野を投入するか。

Dscn2526 ロッテのラッキー7、白い風船が飛ぶ中で登場したのは何とローテーションエースの金子。思わず「何でや」ってな感じ。ツィッターの書き込みでも「何でかよくわからない」とする内容が殺到する。私は、岡田監督が最後まで頭を悩ませているのがこの「7回」をどうしのぐかということで、これまでにもいろんな投手が7回に登板したがどうもピタリとはいかず、永遠の研究テーマにしているのではないかとにらんだ。

結果、岡田監督が数日前から「リリーフもある」と本人に告げていたそうで、また中継ぎ陣に喝を入れ、絶対に落とさせないという気持ちの現われでの金子投入となったようである。ランナーを許すものの失点は防ぎ、金子もこの起用に応えた。今後、この起用がチームにどう影響するかはまだ何ともいえないが、今回だけというものでもなさそうだ。

Dscn2530 8回は平野でしのぎ、そして9回、最後を岸田に託す岡田監督。その岸田、一死から清田に四球を許し、続く西岡の高いバウンドの遊ゴロを大引が捕球しきれずエラーとなって同点のランナーを許す。次の今江は空振り三振に取ったものの、投球がそれてランナーが進塁。一打同点となって井口を迎える。何ともいやらしい場面。

ここでカウントが悪くなり、半ば歩かせる形で井口を四球として、これで二死満塁で、今日3打点の金泰均。当然スタンドのボルテージが最高潮に達し、ただでさえ熱心な応援を繰り広げるロッテファンのコールが三塁側にいる私のほうまで突き刺すように響く。

Dscn2533 するとここでマウンドに行ったのは岡田監督。これまで球場やテレビ中継で観戦する中で、岡田監督自らがマウンドに行くシーンというのは恐らく見たことがない。先ほどの金子のリリーフ投入といい、岡田監督のこの試合にかける「執念」を顕わにした一瞬である。

Dscn2539 金泰均も4番の意地で粘り、ライト線へ、あと数十cmでフェアになるという当たりもあり、見ていて緊張する場面。最後は低めの変化球に空振り三振となり。何とかヨレヨレでゲームセット。

Dscn2543 いや~、最後の最後までスタンドを盛り上げてくれた選手たち。中でもT-岡田の2発というのは大きな花火である。ただおっと、花火といえば金泰均のHRもある。今年ロッテ絡みの試合をナマで観戦するのは3試合目だが、いずれもHRを放っており合計4本。ひょっとして、結構相性よかったりして・・・?

夏の旅行の思い出づくりとして日程に組み入れた千葉マリンでの観戦。今夜の両チームはすばらしい試合を見せてくれ、見る者を楽しませてくれた。いよいよ残り30試合前後となったペナントレース。まだ順位がどう転ぶかわからないだけに、これからの1試合1試合に注目したいものである。

Dscn2544 そして後はT-岡田。これで目標の30本塁打はクリアしたわけだから、これからは積極的なバッティングを心がけてほしい。これからも期待してまっせ!!

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あ~夏休み

2010年08月20日 | ブログ
世間から一週間遅れですが夏期休暇に入ります。
短い期間ですが、鉄道旅行でまた楽しもうかと。
…また、いろいろな仕掛けを入れてますので実況はツィッターで、またパソコンも持参しますのでできるだけ旅先からの旅行記アップもやろうと思います。

お楽しみに。

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「ユーラシア胎動」

2010年08月19日 | ブログ

株安、円高のニュースが連日流れる中、政治はといえば民主党の代表選挙に向けた駆け引きのニュースばかり。その中で「この人は行政面で何か貢献をしたことがあるのか?」と大いに疑問視している小沢一郎の動きがカギになり、このまま出馬すれば次は「小沢総理」の誕生というのだから、結局この国の政治というのは政権政党が変わったところで何らプラスにならない、いやこの停滞期に何をやっているのかという思いがする。

一方で日に日にエネルギーを感じるのが中国経済。特に今年は上海万博の賑わいやら、買い物・観光ツアーで大挙して来日する中国人の行動が話題として取り上げられている。

その中国を中心として、東から南を見れば日本、韓国、ASEAN諸国ということになる。そして一方で西から北へとなるとロシア、中央アジア諸国、インドということになる。やはりアジアの諸勢力図の中心は中国なのかなと思わせるところだ。

そのロシア、中央アジア(主にカザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン)とを合わせた地域「ユーラシア」というものについて著したのが本書『ユーラシア胎動』(堀江則雄著、岩波新書刊)である。

中国の西部・新疆ウイグル自治区やら中央アジア諸国といえば「シルクロード」のイメージで、砂漠のオアシスとか、大自然の中の遊牧民の生活やら、日本では私も含めてそのようなのんびりしたイメージを持つ人が多い。ただそれがこの10年ほどで、中国の経済成長に引っ張られるように経済の「胎動」が見られるという。

41qum4edg8l__sl500_aa300__2 本書では「石油・天然ガスの国際パイプライン」と、地域協力組織としての「上海協力機構」の紹介を中心として、実際のルポを間に織り交ぜるという構成になっている(もっともルポは数年前のことであり、現在はまた次の局面に展開しているかもしれないが)。中国、ロシア、中央アジアという、それぞれ異なる民族、宗教、文化を持つ国同士が「ユーラシア」という大きな括りを拠り所として集まるというのは興味深いことである。不勉強な話、本書を呼ぶまでこの「上海協力機構」の存在などほとんど知らなかったが、今や世界経済の中で存在感を大きくしつつある組織である。

そんな中、日本経済はどうだろう。素人の目から見る限りでは、そんなユーラシアとは逆に今でもアメリカや西側諸国のほうばかり意識しているように見える。ロシア、中国となるとどうしてもどこか領土問題のことが引っかかっているのか、冷戦構造の意識がいまだに根強いのか。ただ、これだけ「ユーラシア」の存在が大きくなっているということであれば、日本もアジア諸国の一つとしてどのように関与していくか、そういう戦略を持つ必要があるのではないかと思うのだが・・・。

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野球知識検定

2010年08月18日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

一時期ブームとなった「検定」もの。ご当地検定とか趣味に関する検定とか。

私の場合何年も継続して受験していたのが「時刻表検定試験」。残念ながら昨年の第15回をもって終了となったが、「時刻表博士」の認定は取れなかったものの、あちこちに「受験旅行」を楽しむことができたし、かつての人気番組「トリビアの泉」で取り上げられてテレビに映ったこともあったりして私の中で大きな思い出になったものである。

先日ツィッターのTLを見ていると、今年また受験意欲をかきたててくれるような検定試験が始まるとの書き込みがあった。結構プッシュしているユーザーがいらっしゃるようだ。

その名も「野球知識検定」。毎年オフに試合を行うプロ野球マスターズリーグ主催というもので、野球を「日本の文化」として認識し、その歴史、記録、知識というものを将来に伝え教えていくという「文化の継承」の一環という、何とも大胆な意義である。

野球について書かれた書物は多くあるし、映像も数多く残されている。ただそれを楽しむファン一人一人の思いというものを伝える形としての検定というのは一つの試みとして面白いだろう。

よほどマニアックな問題が出るのかと思いきや、今回は第一回ということで、初歩的な知識・ルールなどが中心に出題されるという。また問題集も発売されており、すべてその中から出題されるとか。ということは、落とすための検定試験ではなく(時刻表検定の第1種などは、「その筋」の人たちが多く殺気立った会場の雰囲気の中、受験者の3分の2が不認定を食らうなど当たり前の結果で・・・)、あくまで楽しんでもらおうというイベントのようだ。なお今回は9割の正解で5級、7割の正解で6級が認定されるという。試験監督をプロ野球OBが務めるとか、トークショーなどのイベントもあるとか。

9月11日が東京・千葉、20日が東京・福岡、23日が名古屋・大阪で開催されるということで、早速大阪会場の申し込み手続きを済ませた(後は受験料を振り込む必要あり)。果たしてどのくらいの人数が受験するのか、どんなことになるのか、今から楽しみである。

9月3日まで受付ということなので、興味のある方は受験されてはいかがでしょうか・・・?

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井倉洞に涼を求めて

2010年08月16日 | 旅行記F・中国

8月8日、暦の上では立秋を過ぎているが残暑が厳しい岡山の日帰り旅行。

Dscn2126 姫新線で新見に到着し、14時48分発の伯備線~赤穂線に入る播州赤穂行きに乗車。このまま播州赤穂まで乗ってもいいくらいのものだ。

Dscn2127 岡山県を南北に流れる3河川の一つ、高梁川に沿って走る。渓谷ムードが広がる中、2つ目の井倉で下車する。この時のツィッターを後で見ると、「イクラで途中下車。バブー」などと書いている。暑さで思考回路がどうかしちゃったかな。

Dscn2131 ここで下車したのは、名勝・井倉洞に行ってみようということである。井倉洞へは駅から徒歩10分ほどのところ。やはりこう暑いと、涼を求めたくなる。こういう洞窟の中というのは年中気温が10度台とほぼ一定しており、30度を超える暑さから逃れるのにはちょうどいいだろう。井倉洞、幼い頃におそらく家族で訪れたことがあるはずだが、私の記憶で定かではないので、実質初めて訪れるといってもいいだろう。

Dscn2129 高梁川の長い歴史が作り出した渓谷の中に洞窟がある。流れ落ちる滝が何ともいえない清涼感を演出してくれる。

Dscn2132 1000円の入場料を支払い、高梁川に架かる橋を渡って洞窟の入口へ。中から冷んやりとした空気が洩れてきて、立っていて涼しい。

Dscn2134 そして中へ。これまで見学用に解放された昔の鉱山史跡に入ったことがあり、そういうところは人や物資の運搬のこともあって坑道が整備されているいわば人工の穴だが、ここは鍾乳洞。何億年もかけて自然がつくりだしたいわば芸術作品の中を進むのである。そのため通路の幅も最小限しかないし、両側、そして上から鍾乳石や石灰柱がこれでもかと迫ってくる。

Dscn2139

Dscn2144 後から見学客が来るということであれば身を寄せてじっくりと鑑賞ということもできずひたすら前に進むようになるし、またところどころ身体をよじらせたり、かがませたりして岩の間をすり抜ける(よく私の身体が入ったなと思った箇所も若干あり)ことになる。全長1200m、高低差90mというスケールの大きさもあり、結構身体を動かすことにもなった。

洞内の気温は15~16度とはいえ、かえって暑く感じた。空気が流れてないんじゃないかとすら思う。まあ、外気温がこのくらいの秋から冬場だって、身体を一定の時間動かせば温もって汗ばんでくるしね。

Dscn2150 そのまま、30度の外気に出ると一瞬で眼鏡が曇る。また真夏の太陽の下に戻された。本当、どうなってるんだか・・・。

Dscn2155 列車の時刻までもう少し時間がある。何か涼を求めようということで「これ」とやってみたのが、ちょうど流れる高梁川に足をひたすこと。浅瀬だが腰掛けられるくらいの石もあったのでそこに落ち着き、裸足になってズボンの裾を上げて川の中へ。ちょうど滝を正面に見る辺りで、足元から水の冷たさが伝わってくる。地球の息吹、歴史を感じるというのであればもっとじっくり井倉洞の中を楽しむべきなのだろうが、この時は洞窟より川の水のほうが涼を求めるということで気持ちよかった。

Dscn2159 駅に戻り、16時25分発の姫路行きに乗車。この車両は115系の「湘南色」。やはりこの色は貴重であるし、山河を行く風景にもよく合っていると思う。JR西日本のグレーというのか、何とも言えない独特の塗装もまあ大分見慣れてきたが、最近中国地区を中心に「青」「黄」という原色を一色だけのっぺりと塗ったのが新たに登場しているとか。気動車の赤に近いオレンジというのか、あの色はあれでローカル線らしくていいと思うが、青や黄色というのはなあ・・・。何か違うと思う。都市圏で、電車の系統がややこしいから路線別に色を塗り分けているというのとも意味が違うし。

そんなことを考えるうち、高梁川の流れを見ながらウトウトともする。渓谷がいつしか幅の広い大河となったところで岡山平野。17時58分に岡山到着。姫路行きなのだし、青春18きっぷ利用期間では山陽線のうち最も座席の確保に苦労する区間でボックス席に座っているのだからそのまま乗ればいいのだが、やはりここで下車する。時刻は18時。夕食にはちょうどよい頃合である。

Dscn2160 ・・・というわけで、日帰り旅行の「打ち上げ」は岡山駅前の居酒屋「鳥好」。この7月にも訪れたところで、自分としては岡山の関所のようなところになりつつある。広い店内はほぼ満員御礼で、カウンターに辛うじて空いていた1席に入れてもらう。カウンターの向こうの板場では大将が威勢のいい声でトロトロしている従業員にカツを入れているし、客同士の話し声も賑やか。・・・確か今日は日曜日だよな。

旅行者風の西洋人のカップルもテーブルに座っており、来たのはいいけど何をどう注文していいかわからない様子で固まっている。すると相席になっていた常連風のおっちゃん2人が「通訳」を買って出たようで、身振り手振りで何がおすすめ、これはこういう料理というのを説明しているようだ。そして注文を聞くホール係は中国人のアルバイト。うーん、インターナショナル。

Dscn2163 私のほうもしかるべく飲食した後、19時56分の三石行きにあえて乗車。姫路まで行かないこの列車は地元の人で満員だったが駅ごとに降りて行き、終点の三石まで乗ったのは4両で4人。そのうち2人はすぐに改札の向こうに消え、もう一人旅行者風の人と私だけになった。列車はこの日の営業終了のようで側線に入る。駅舎は階段を下りて向こうにあってしかもこの時間はもう駅員もいない。山の中の小さな駅に静かな一時が訪れた。風は結構涼しいし、虫の鳴き声ももう秋を感じさせるもの。次に岡山方面からやってくる姫路行きに乗るのだから岡山で待って着席を狙ったほうがよさそうなものだが、こういう乗り方というのもありだと思う。

この日も結構長い時間の鉄道利用であったが、久しぶりのローカル線の風情、そして途中下車駅での一時など、まだまだ奥深さというものを感じることができた夏の一日。もう少し時間があれば今度はその先まで足を伸ばしてみようかな・・・。

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のれん鮮やかな宿場町・中国勝山

2010年08月14日 | 旅行記F・中国

津山駅から続く姫新線の旅。次に乗るのは10時11分発の新見行き。キハ120形であるが、ここはロングシートの最前部に陣取って、前面展望を楽しむことにする。

Dscn2084 本数の少ない区間、線路も草むしているのがわかる。ここも中国自動車道(も長大なローカル高速道路のように見えなくもないが)と並走する区間。ただ、車両のことを別にすれば中国山地にはこういう味のある路線が多く残っており、「日本の田舎」を感じさせてくれる。写真は撮り損ねたが、美作千代など味のある木造駅舎もあり、ローカル線的には地味だが結構穴場のように思う。

Dscn2089 旭川の流れに寄り添ったところで、中国勝山に到着。列車はこの先まで走るがここで2時間半ほどの途中下車とする。白壁づくりの駅舎は地元の観光協会に管理を委託されているようだ。ここは湯原温泉や蒜山高原への玄関口という位置づけにようだが、美作の小さな城下町で、駅にほど近いところに古い町並みが残されているという。

Dscn2099 5分も歩けば町並み保存地区に出る。両側には白壁と連子格子の家屋や商店が続く。この町並み保存のために電線の地下化を行ったとかで、眺めも実にすっきりとしている。

Dscn2100その町並みを彩るのが数々ののれん。勝山在住の染色家・加納容子さんの手によるもので、その家々の個性やメッセージをのれんの色や模様に込めて表現している。これが家の格子が続くだけなら「ふーん」のところ、住む人の表情が見えてくるようで面白い。

Dscn2102 町並みの真ん中にある郷土資料館へ。江戸時代は三浦氏2万3千石の勝山藩の城下町。小さな藩ではあるが、出雲街道の宿場町として、そして旭川の水運を利用した高瀬舟の拠点として栄えた町である。津山といい、勝山といい、美作にあっては「川」が一つのキーワードになっている。展示資料を見ると、高瀬舟一隻の積載量は6.5トンほどで、岡山までの下りは2日、上りは4日かかったという。現在なら大型トラック1台分で、岡山までなら高速道路で1時間もあれば行く距離である。

Dscn2113 そんな勝山は終戦間近の時期、谷崎潤一郎が家族と共に疎開したという。勝山の商家にもいろいろと世話になったようで、その家に残されていた手紙やら色紙やらが展示されている。名作『細雪』の執筆も勝山で行ったというが、一方で「われ齢六十路におよびてかかる辺陬に客とならんとは、げに運命のほど測り難きはなし」とも書いている。確かに都会の香りがする谷崎潤一郎から見れば、勝山というのはものすごく辺鄙なところに映ったのかもしれない。

Dscn2108 町の奥のほうに古くからの蔵元を見つける。200年近い伝統を持つ「御前酒」を造る辻本店。ここで夏限定の生酒などを試飲し、一本買い求める。

Dscn2114 町並みのすぐ裏手には旭川の清流。川に面して家々の裏側を見るが、そのでこぼことしたつくりが味わいを出している。

Dscn2116 勝山の観光写真によく出てくるのはむしろこちらからの眺め。かつてここに高瀬舟が出入りしていた。この時期、川に入って鮎釣りなど楽しむ光景が見られ、涼しげである。私もしばらく川べりに立って風に当たる。

Dscn2122 そろそろ昼の時間になった。昼食ということで再び駅に戻り、駅の中のうどん屋さん「川峰」へ。列車の本数が少ない駅よりこちらのほうが賑わっている。町の人たちの昼食スポットということだろう。朝に「揖保乃糸」の看板を見て「そうめん食べたいなあ」と思っていたのだが、昼はそれに近い冷やしぶっかけうどん。自家製の麺かどうかはわからないが腰があって結構いける。

Dscn2124 次は13時30分発の新見行きへ。旅行者や地元の高校生で結構賑わっている。また車両の最前部へ。ここも夏草が生い茂っており、カーブにさしかかると極端に減速する。雑木林が線路の近くまで来ており、それを慎重に払うためだろうか。このあたり、1日8往復しか走らないローカル区間である。

Dscn2125 少しウトウトもしたが、14時24分新見着。長い時間かかったがこれで姫新線を久しぶりに全線走破。ここで折り返しとして、次は伯備線の客となる・・・。

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姫新線に乗る

2010年08月13日 | 旅行記F・中国

夏の青春18きっぷ旅の2回目。前回は「サイコロ」で行き先を決めて伊勢湾フェリーと岡崎の八丁味噌探訪ということになったが、ならば今回は西のほうに行ってみようということになる。

8月8日、今回はサイコロを振ることもなく、久しぶりに昼間の姫新線に乗ってみようと思う。姫路から津山を経由して新見まで結ぶ158.1kmの長いローカル線である。ただ今ではこれを直通する列車はなく、何回か乗り継ぎを重ねていくことになる。

プランニングしたところ、姫路を朝6時55分に出る播磨新宮行きから始めるのがよいが、大阪・尼崎からだと普通列車では間に合わない。一度上郡まで行って智頭急行線で佐用まで北上すれば佐用からは同じ列車になるのだが、今回はあくまで姫路から乗るのが目的。最初は姫路への前泊も考えたが、前日は神戸でのナイターを観戦。姫路まで移動するのもしんどいなと。

Dscn2056 ・・・・ということで、この日は新大阪からの新幹線で始める。6時05分発のひかり541号。ガラガラの自由席に乗り込み、わずか30分で姫路までやってくる。道楽とはいえちょっと反則かな・・・?

Dscn2058_3 高架の姫路駅、播但線と姫新線の共用ホームに真新しいステンレス製の車両が停車している。キハ127形というやつで、姫新線の姫路から佐用の間で走っている。内装は1列×2列の転換クロスシートが並び、ぱっと見ただけでは気動車とはわからない。エンジン音も静かなものだ。

地元の人や学生が半分、そして「その筋」の人たちが半分の割合で、2両の座席が8割がた埋まったところで発車。すぐに高架線を下り、近郊住宅区間を行く。余部までは区間列車を含めて1時間に2~3本の割合で走るところで、田園地帯ではあるが分譲住宅やマンションも結構目立つ。

Dscn2061 本竜野着。童謡「赤とんぼ」などで知られる三木露風ゆかりの地であり、ホーム横には「赤とんぼ」をモチーフにした像も立つ。この気動車のドアにも「KISHIN」と赤とんぼをモチーフにしたマークが飾られているし、駅名標も夕日をイメージさせるオレンジ色。路線のイメージアップである。

一方で竜野はヒガシマルに代表される醤油の産地。またここからはそうめん「揖保乃糸」の看板が目立つ。そうめんに関する資料館もあるそうだ。うーん、そうめんか。毎日暑い日が続くからな、冷えたそうめんなんぞすするのもいいかな・・・。

Dscn2064 播磨新宮着。現在改築中のところ、踏切を渡って反対側ホームに佐用行きが待っている。再びキハ127形の人となり、冷房の風がちょうどあたるところのシートに陣取る。ここで「その筋」の人たちの占有率が高くなった。

Dscn2065 この辺りから車窓のほうものんびりとしてきた。朝からギラギラした太陽に照らされ、緑が濃い。三日月という珍しい駅名も過ぎる。

Dscn2067 佐用到着。ここまでは転換クロスシートのガッチリした車体で走ってきたが、ここからが「その筋」には評判の悪いキハ120形が一大勢力をなす中国山地である。車両もいっぺんに小ぶりになったし、ロングシートだし、かといってボックス席は狭いし・・・結局ロングシートに座る。ただ冷房の通風口がバスのように位置を動かせるタイプのもので、これ幸いと有利に風が吹くように調節する。

佐用といえばホルモンうどん、それに昨年の集中豪雨での被害、それらを思いながら走る。集中豪雨で亡くなった方の遺族が佐用町を相手に4億円だかの損害賠償を求める裁判を起こしたとあった。気持ちはわからないでもないが、それを町相手の損害賠償訴訟という手段に訴えるのは果たしてどうかという気がする。

上月を過ぎ、播磨から美作に入る。進行右手には中国自動車道も寄り添ってきた。今や高速道路もETC割引のご時世。こういう姫新線のようなローカル線にとってはより厳しい状況となっている。かつては姫路から急行列車も走っていたように記憶しているが、今はこうして青春18の時だけ賑わうというところか。

Dscn2081 9時24分、津山に到着。盆地特有の熱気が出迎えてくれる。次の新見行きまで時間があるので一度改札を出て駅前を歩く。

Dscn2073 歩いてすぐのところに吉井川。この川もその昔は物流面で大きな役割を果たしており、河口の備前、そして瀬戸内を通じて大坂、江戸・・・。いまでこそ堤防やダム建設などで河川敷が広く、川の流れも細々としたものになっているが、そういうものがなかった昔は船を浮かべられるほどの流れがあったのだなと思いをはせる。

Dscn2074 ちょうどこの日は「ごんご祭り」というのが行われているようで、夜には花火が上がるという。津山城の公園が特等席のようだ。一方の私の鉄道旅行は祭りとは関係なく淡々と進むのだが・・・。

Dscn2080 この「ごんご」というのは河童のこと。昔は吉井川に「ごんご」がいて、船に悪さをするなどという言い伝えもあったそうだ。そんな「ごんご」も今は商店街の名前になるほど地元の人に親しまれているキャラクターである。

うーん納涼もいいかなと思いつつ駅に戻る。ここから再び姫新線の人となる・・・。

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八丁味噌と家康ゆかりの地・岡崎

2010年08月09日 | 旅行記D・東海北陸

話を再び7月25日に戻す。

Dscn1881 伊良湖岬でしばしの滞在を楽しんだ後、豊橋鉄道バスで移動。砂州の上に規則正しく整地された畑の中を抜け、国道259号線に出る。やはり冷房の効いたバスは快適で、ここでしばしウトウトとする。

Dscn1883 三河田原到着。バスは豊橋駅前まで行くが、「豊橋駅までお急ぎの方は電車に乗り換えてください」との案内。ここで乗り継ぐと電車運賃の割引券をくれたので、これを窓口に出して切符を買い求める。

この鉄道線、単線運転ながら15分おきと規則正しく運転されており、先頭車両に座って前を見ていると、2~3駅に1回は向こうから列車がやってきて行き違う。なかなか使い勝手のよい鉄道である。30分で豊橋に到着。

さてここからようやくこの夏初めての「青春18」の使用である。結局豊橋から大阪まで戻るだけなのだが、普通に買えば4620円する区間。それだけでも1枚あたりの値段2300円の倍する区間である。

ただ、このまま大阪に戻るのも惜しい。暑い盛りではあるがどこかに出かけようということで、このコースでの帰途に寄ってみようと目をつけていたのが、岡崎。そもそも愛知県といってもほとんど名古屋市内にしか降り立ったことがなく、せっかくの機会なので三河の中心を訪れてもいいだろう。

岡崎の観光名所となっているのが、徳川家康ゆかりの岡崎城。ただJRの岡崎からは遠く、最寄りは名鉄の岡崎公園前(ただし、各駅停車しか停まらない)となっている。

Dscn1888 ・・・とここで一つ抜け道。それが岡崎から高蔵寺に出る愛知環状鉄道である。ちょうど乗ってきた新快速に数分で接続しており、JR東海と同タイプの車両に乗り換えて5分、中岡崎に到着。川の上にかけられた高架駅で、シンプルな構造の駅舎。

Dscn1898

さて駅前の案内図を見ると、岡崎城のある岡崎公園には徒歩約10分とある。その一方で「八丁味噌の郷」という案内も見つける。名古屋の郷土料理といってもいい八丁味噌。岡崎城から距離にして八丁のところで造られたから八丁味噌の名がついたというが、どうやら工場見学もやっているようでそちらに出向いてみる。

Dscn1905_3やってきたのは老舗カクキューの工場。見学も気軽に無料で受け付けているようで、「次の時間は14時30分です」と言われる。私は観ていないのだが4年くらい前のNHKの朝のドラマで、宮崎あおい主演の「純情きらり」というのが八丁味噌の蔵元を舞台としたとかで、実際のロケでこのカクキューの味噌蔵なども使われたという。撮影風景の写真やら出演者の色紙なども並べられている。

この回は家族連れなど15人ほどが参加。日曜日ということで工場は休日であったが、古いもので江戸時代や明治時代の蔵もある。その蔵を史料館として改装しており、その中で八丁味噌に関するさまざまなレクチャーを受ける。

Dscn1907 普通の味噌と異なり、八丁味噌の特徴はまず大豆を蒸すこと。高圧で蒸すことで赤褐色になるが、その分栄養が逃げないという。また、大豆に麹をつけて仕込む豆味噌であること。

Dscn1911_2 ここカクキューでは昔ながらの大樽に「味噌玉」を入れて発酵させるが、四季の変化に自然に対応させる昔ながらの天然発酵を今でも続けているという。それだけ一般の味噌と比べても栄養価が高いとされている。

Dscn1920八丁味噌といえば今では有名で、もっと近代的な工程で大量生産しているのか と思ったら、昔ながらの樽や重石を用い、蔵も明治以来のものというからこれは意外であった。むしろこれがモノづくりのこだわりというものだろう。

最後は八丁味噌の味噌汁の試飲。個人的に赤だしは好きなので八丁味噌にそれほど抵抗感を感じないのだが、やはりインスタントの味に慣れてしまっているのかな。こういう「本物」を出されると一味も二味も違う、恐れ入りましたという感じ。

工場見学のプレゼントとしていただいた小さなパックのほかにもう一パックを土産に買い求める。後日自宅でこの八丁味噌をベースに味噌煮込みうどんをこしらえたが、何だか「豆を食っとるなあ」という感じで満腹になった。

Dscn1928 さて、猛暑の中を岡崎城に向かう。八丁(約870m)の距離というが、それだけの距離を歩くだけでも大汗が流れる。岡崎城の天守閣に登る。

Dscn1929 「お城下まで船がつく」という詞の民謡があるが、その船がやってきたのは矢作川。東海道と矢作川の水運で賑わったのが岡崎の町である。

Dscn1927 城内には「三河武士のやかた家康館」なるものもあり、松平氏から続く徳川家康の生涯、そして家康を、後に江戸幕府を支えた三河武士たちの歴史をビジュアルで紹介するスポット。関ヶ原の合戦は300体の人形が時と共に激戦を繰り広げる大ジオラマでの紹介である。

「三河武士が強かったのは八丁味噌を食べていたからだ」という説があるとか。その製法から長期保存が可能で、また固いため携行に便利、そして栄養価があるということからそう言われている。八丁味噌を食べていたことだけが理由ではないだろうが、この説は十分に説得力があるように思う。やはり栄養のバランスというのは大切なんやな・・・。

暑い中再び中岡崎駅まで戻る。この日は豊田市で花火大会があるとかで、ダイヤが通常から変更になっていた。結局ちょうど私が駅に着いたときに岡崎行きの列車が出てしまい、次の列車まで20分、西日さす高架ホームで待つ。

結局この後JR岡崎まで戻り、新快速で大垣へ出て夕食。暑い一日だったために生ビールがうまかった。ここで暑気払いができ、大垣から米原~新快速乗り継ぎで大阪に戻る。

今回は自分の優柔不断なところもあって、行き先をサイコロで決めるという行動に出たが、その目はズバリいい目だったといっていいだろう。この後の第2回目はどうするか。またサイコロを振ることになるかな・・・・?

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神戸夏まつりの主役は・・・・オリックス対ロッテ観戦記

2010年08月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

7日からは夏の甲子園も始まり、野球シーズン真っ只中。そんな折、「神戸夏まつり」としてさまざまなイベントが行われるというので、神戸スカイマークスタジアムへ、オリックス・バファローズ対千葉ロッテマリーンズ戦の観戦に出かける。

連日の真夏日である阪神地区を抜け、神戸の山の手までやってくるといくらか涼しい。さすがは周囲を山に覆われた自然を感じさせる球場である。

Dscn1939 「夏まつり」ということで提灯などぶらさがり、ステージでは浴衣姿のマスコットたちによるイベントが行われていた。ロッテのマスコット、マー君にリンちゃんも浴衣姿での登場。ただその中にあってガナリ声を立てて相変わらずしょーもないこと言っているゴーヤは・・・暑さをぶり返し不快指数を上げることこのうえない。

Dscn1995_2 この日はファンクラブ前売りで大幅な割引があり、すぐ横がネット裏というライブ指定席を2000円で確保することができた。バックネットさえ気にしなければ大変に見やすいところ。また、前売りでの購入ということで紺色の練習用シャツもついてきており、お得感満載。

Dscn1962Dscn1968 何でも「青」がテーマということで、ホームゲームにもかかわらずビジター用の濃い青のユニフォームでの選手登場。ただ相手のロッテのユニフォームが黒色のため一瞬判別がつかなくなる。ただ地元のファンたちにはビジターユニフォームも新鮮なようで、練習風景を熱心にカメラに収めている。

Dscn1993 さて試合はオリックス・小松、ロッテ・吉見。小松はローテの一角を張っているとはいえ今年まだそれほど勝ち星が上がっていない。また一方の今季途中横浜から移籍の吉見も、横浜時代のダメ投手のイメージがついて回っているようだ。この試合でもまたメールの応酬とあいなった松山在住のロッテファン・I氏も「今日は吉見やからね・・・あかんか」というコメント。乱打戦という形になるのか。

さて初回、今江、金泰均のヒット、大松の四球でいきなり2死満塁のピンチを招く小松。ここはサブローを抑えて何とかしのぐ。

Dscn1998 一方のオリックス、坂口が吉見を強襲する内野安打を放つものの、続く荒金がバント失敗で最悪の併殺打。両チームともチャンスをつぶす。140キロのストレートの一方で、90キロのスローボール。その後の攻撃を見るにこのスローボールが結構厄介なことになりそうな気がした。強打のカブレラ、T-岡田というところがタイミングを外されて打ち損じる場面を見る。

Dscn2005 先制点はロッテ。3回、ヒットの井口を置いて金泰均。外のボールに踏み込んだ当たりはライトへ。スタンド前列に入る先制2ランとなった。

Dscn2007 続く得点もロッテ。4回、今江を置いて今度は井口。きれいな打球が左中間に飛ぶ。これで4対0とリード。うーん、「花火ナイト」の前にロッテ打線に花火を上げさせてしまったようだ。

Dscn2010_3 小松は続く金泰均に四球、大松にヒットと止められる様子もなく、ここで古川にスイッチ。何とか追加点は防いだが、ロッテも次々にランナーを出して塁上を賑わせており完全に試合の主導権を握る。ただ相手はそう、いつも打たれているイメージのある吉見。強力打線が吉見を捉えるはずだ。

・・・というファンの期待もむなしく、緩急をつけた吉見の投球にいい当たりが出なくなる。得てしてこういうものなのかな・・・?

Dscn2015 5回裏終了後は花火ナイト。三塁側スタンド後方に打ちあがる花火。神戸での花火を見るのは何年ぶりだろうか。座席の位置からは照明灯が逆光になるが迫力ある打ち上げ花火を楽しむ。

Dscn2029この日は神戸の港のほうでも花火大会、淀川の花火大会など大規模なイベントが目白押しだったようだが、野球場の花火というのもよろしいものだ。

Dscn2033 さてこれで景気づけてドカンと打線の花火を・・・というところだが、オリックスは吉見の前に反撃の口火すら切れないというい展開。また一方のロッテも6回、7回、8回と3回連続で満塁のチャンスをつくるもののあと1本が出ない。投手陣が踏ん張っているといえば評価されるが、どうもそんな感じではないし、いたずらに試合時間ばかりが延びている感じでスタンドもイライラしている様子。

8回、ロッテの打者・清田の場面。カットしたボールがライナーで飛んでくる。それが私のすぐ前のシートを直撃して跳ね返る。前の席の人はこの試合展開にすでに帰っていたので私がヒヤリとしただけで済んだが、あまり俊敏ではなさそうな感じの人だったのでもし座っていたらよけることができたかどうか。

Dscn2041 個人的に今日の見所だったのが9回表。オリックスのマウンドには6人目の投手として、今季入団した左腕・前田が登板。この投手、私と同じく大阪・藤井寺の出身にして、入団前は私も注目している独立リーグのBCリーグの福井ミラクルエレファンツに所属していた。BCリーグから育成枠ではなく本指名で入団した第1号の選手である。そんなことで早く1軍マウンドでの投球が見たかったが、それがこの日に実現するとは。

Dscn2046 先頭の的場を三振、西岡をボテボテの二ゴロ、今江を三振と、この日失点はなかったもののグダグダ感の強かったリリーフ陣にあってピシャリト抑えたことに、だいぶ少なくなっていたファンからも大きな拍手が送られた。前田が投げて、カラバイヨが打つ。いつしかBCリーグ出身者が揃ってお立ち台に上る日が来ることを期待したい。

Dscn2048 ただこの日の主役は吉見。最終回、カブレラと北川にヒットが出たもののバルディリスを打ち取って試合終了。何と3年ぶりという完封勝ちを収めた。いや、これは全くの予想外だったが、恐れ入りました。

Dscn2050 レフトスタンドをびっしりと埋め尽くしたロッテファンから大きな歓声が起き、そしてお決まりの「西村ダンス」。それにこたえる西村監督。

Dscn2054 何だかこの2試合でロッテの勢いを盛り返させてしまったようだ。一方で一気に追い越したかったオリックスから見れば痛かったかな・・・・。まあ、めったに見られないものを見られたのは貴重な出来事かもしれないが。

まだまだ暑い夏、熱いペナントレース。次こそは・・・・。

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伊勢湾フェリーに乗船

2010年08月07日 | 旅行記D・東海北陸

前の記事のとおりサイコロ振って出かけることになった伊勢湾。鳥羽と伊良湖岬を55分で結ぶのが伊勢湾フェリーである。

Dscn1807 しかしこの伊勢湾フェリー、今年の9月末をもって廃止されることが決定している。やはりこれも伊勢湾道路の開通、ETC割引の適用など経営を取り巻く環境が厳しくなったことからの廃止決定である。先日乗った宇高国道フェリーは一旦廃止を表明したものの「当面の間存続」ということになったが、伊勢湾フェリーはどうやらそのまま廃止ということになりそうだ。今回サイコロの目が「伊勢湾」と出たのは、「廃止される前にここはぜひ乗っておけ」ということなのだろうか。

Dscn1809 9時20分発の伊良湖行きに乗船する。やってきた時は乗船客の姿もほとんど見えずガランとしていたが、クルマの利用客もそれなりにあったようで船内は結構賑やかになった。やはり需要はそれなりにあるのだ・・・と思いたい。

冷房の効いた船内(ベンチ席もあれば桟敷もある)も居心地よさそうだが、1時間の乗船である。ここは潮風に吹かれようと最上階のデッキにあがる。ちょうど後方を眺めるようにベンチがあり、ここに陣取る。

Dscn1818 そこで開けるのは伊勢の伝統の味?の地ビール「神都麦酒」。明治時代の一時つくられていた味を忠実に再現したということで、最近のサラリとした飲み口のビールが多い中、苦味というものを感じる。ゆったりとした船の旅に合うかな?

Dscn1820 鳥羽の港を離れ、進行左側に答志島、右側に菅島という眺め。この島々が防潮堤の役割を果たしているようで鳥羽湾は落ち着いた、真珠の養殖に適した環境を生み出している。ミキモト真珠島、小学校の修学旅行で行ったきりかな・・・。

Dscn1827 答志島も結構長い島であるが、目を転じるとその先は太平洋。水平線の先には何も見えない雄大な眺めが広がる。

Dscn1838 鳥羽の島々の織り成す景色と、果てしない太平洋の眺め。これが伊勢湾フェリーの面白さの一つと言えるだろう。

Dscn1851 答志島の姿が随分小さくなったところで、前方に大きな陸地。伊良湖岬である。海水浴場もあり海を楽しむ大勢の人の姿も見える。夏らしい景色である。

Dscn1856 10時15分に到着したが、ここから出る豊橋行きのバスは何と10時15分の発車。次は11時37分までない。ありゃりゃ、どういうダイヤの組み方をしているんだか。フェリーとの接続なんて眼中にないのかしら。豊橋から来るバスについても、フェリーの乗船まで少し待たされることが多いダイヤになっている。

ただこれもいいように解釈すれば「すぐにバスに乗ってしまわずに、1時間ほど伊良湖岬に滞在して楽しんでください」という一種の策略にも見える。であれば、その時間を有効に使うとしよう。

Dscn1860 ということで、朝食が朝の4時だったということもあり早めの昼食。アサリの佃煮としらすを乗せた「渥美丼」に、大アサリ焼。早速に海の幸を味わう。佃煮が結構うまかったので土産に1パック買い求める。

Dscn1874 ここで岬の先端に・・・とも思ったがこの暑さであるし、灯台は先ほど海上から見たしということで歩くのはパス。その代わり、フェリー乗り場のすぐ脇に小さな砂浜。先ほど見た海水浴場とは異なるが、こちらは数人しかおらず静かな感じ。

Dscn1864 この先があるので泳ぐわけにはいかないが、足を水につける。打ち寄せる波が心地よい。打ち寄せる波といえば、この伊良湖岬は童謡「椰子の実」の舞台となったところ。「遠野物語」の作者である民俗学者の柳田國男が伊良湖に滞在中、「椰子の実が流れ寄ってきたのを三度まで見た事がある」という話を島崎藤村にしたところ、「その話を僕にくれたまえ」と言って書き上げたのが「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ」という歌詞である。

Dscn1877_2 おそらく柳田國男は何千キロ、何万キロという太平洋の潮の流れの動きとか、黒潮を媒体とした離れた地域の人たちとのつながりといった民俗的・文化的な視点で面白いと思って語ったのだろうが、それを島崎藤村は旅の孤独とか、望郷の念というものを歌った詞に見事変化させたということである。藤村の中に「そういうものを書きたい」という思いがあったところに椰子の実が流れ着いたのかもしれない。詩人のセンスというのはすごい。

Dscn1865 ちょうど、折り返しの鳥羽行きのフェリーが海上を行く。こうして見ると結構近い感じで堂々としている。この航路が廃止になるのはちと残念である。

Dscn1863 フェリーターミナルの窓口には廃止反対を訴える署名用紙が置かれており、私も一筆書いてきた。このブログでも書いているが、クルマ、フェリーともそれぞれのメリットがあるのだから、どちらかの交通手段をなくしてしまうのではなく、何とか共存できないものかということである。フェリーも単なる移動手段でなく、それに乗ること自体観光としての要素があると思う。ただ「経営」ということを前面に出されると、私もサラリーマンとして全面的な反論が出来ず弱いところである。そこのところがもどかしい。

しばしの伊良湖滞在を楽しんだ後、豊橋に向けて出発する・・・。

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