九州西国霊場の「結願成就」として観世音寺を訪ね、太宰府市のコミュニティバスで西鉄太宰府駅に到着。ここまで来たのだから、九州西国霊場とは直接関係ないが、太宰府天満宮に参拝することにしよう。
太宰府駅前は多くの内外の観光客でごった返している。やはり九州という土地柄か、韓国語、中国語、その他東南アジアの言語が飛び交う。先般訪ねた京都の伏見稲荷には西洋人の姿も多く見られたが、九州、特に福岡は昔からの伝統か、アジアとの結びつきが強いように感じられる。平成から令和に代替わりする直前に来て以来だが、その時ほどまでではないものの、結構な賑わいである。
あちこちに九州国立博物館の展覧会の広告が並ぶ。その中にお目当ての「加耶展」もあるのだが、それを見て「あっ!!」となってしまった。私が九州西国霊場の結願に来たのが1月22日。しかし「加耶展」は1月24日からとあった・・・。
元々、「加耶展」は1月29日に来るつもりだった。この日に記念講演会があるというので事前に申し込んだのだが、応募多数のため抽選となり、落選のメールが届いた。このこともあったし、その他の理由もあって、ならば九州行きを1週前倒しにしよう・・ということで、1月21日前泊、22日に観世音寺を含めて太宰府エリアを回ることにしたのだが、「加耶展」の開催前になったとは、現地に来て初めて気づいたことだ。
今思えば、記念講演会は聴けなかったとしても九州行きは1月29日のままにしておくこともできた。ただこれは完全に自分の見落としなので、誰にどういうこともできない。また、他の展示もあるので九州国立博物館に行くだけでもプラスになると思うが、この時点でその気も失せてしまった。
なお、「加耶展」は3月19日まで開かれているが、はたしてその機会はあるだろうか。他の予定もあるし、九州八十八ヶ所百八霊場も次からは大分にシフトするし・・。
さて、太宰府天満宮である。この時の心情として「病気平癒」「身体健全」を願いたいところだが、あくまで学問の神様である。それはさておき、多くの参拝者とともに参道を進む。
そして太宰府天満宮の拝殿に着く。大宰府政庁から来ると天満宮はかなり外れた場所にあるが、ここに社殿が建てられた理由について、それほど考えたことはなかった。由来としては、大宰府で亡くなった菅原道真の遺体を安楽寺という寺に葬ろうとすると、その門前で牛車が動かなくなった。これは道真がここにとどまりたいのだとして、改めて廟を建てたのが始まりとされる。後に、都で疫病や異常気象により、藤原時平をはじめ多くの人が亡くなったのが道真の祟りによるものだとして、社殿も立派なものに建て替えられ、道真も復権する。
なおその後は安楽寺と合わせて神仏習合で信仰を集めていたが、明治の神仏分離、廃仏毀釈により、安楽寺は廃寺とされた。太宰府天満宮にもそんな歴史があったとは。明治の廃仏毀釈を推進した連中にこそ、道真の祟りが落ちてもおかしくないものだと思うが・・。
九州西国霊場とはつながりがないが、せっかく来たので、坂本八幡宮と同じく番外編として、書き置きの朱印をいただく。これで完全に「結願成就」ということにしよう。
九州国立博物館には向かわず、時間はまだ早いが広島に戻ることにする。太宰府駅に戻り、西鉄二日市に戻る。すると、ちょうど外は雨が降り出したところだった。この日は天気が下り坂、予報には雨マークも出ていたのだが、ちょうど太宰府天満宮の参拝が終わるまでお天道様は持ってくれたようである。後は帰るだけなので、西鉄二日市からJR二日市までわずかな距離だが、路線バスで移動する。
二日市始発14時14分発の福間行き普通に乗る。先に出る区間快速でも間に合うのだが、始発から座って移動する。
九州西国霊場めぐりが結願となったので、このまま博多で一献というのもいいだろう。博多駅近辺なら昼飲みできる店などいくらでもあるはずだ。
ただ、この時はそのまま新幹線への乗り換えとした。このところありがちなのだが、日曜日は早めに帰宅して、月曜日以降に備えようという気になった。まあ、前夜鳥栖で一献したのを前祝ということにすれば・・。
乗ったのは15時26分発の「のぞみ170号」。博多始発の臨時列車である。自由席に向かったが、それでも1両に数人というガラガラぶりである。博多駅近辺での一献とはしなかったが、広島までの1時間、車内にてささやかに楽しむことにする。テーブルの上にあるのは、(博多駅コンコースで購入した)鳥栖の「焼麦」。九州西国霊場の締めは、おれでよかったかと・・・・(画像撮るの忘れた)。