ともあれ、西宮の縦じまを下してくれたのは大きい。帰りの電車で疲れた様子の黄色い人たちを見て、そっと微笑む。
ようやく、ホッとすることができた。
おやすみなさい。
もったいなかったな・・・・。
本日は休養ということで、テレビ桟敷で東京ドームの試合と大相撲夏場所を観ることにしたのだが、東京ドームはどうも見ていて空気が重たかったような・・・。せっかくのリードも岸田が一発を打たれて同点。山本のエラーとか、バルディリスがことごとく三振に倒れるとか、あ、佐藤は気合いで抑えた(日テレのアナウンサーもそこは絶賛?)が、どうもこの後に点が取れそうに思わなかった。結局延長12回、最後も満塁と攻められたようで、2日続けてのサヨナラ負けにならなかっただけマシだったか。
ただ、いずれも「勝てたかもしれない」試合。金子、西を立てて一つも勝てなかったというのが、今後悪い影響にならなければいいが。ちょっとしたところで勝敗が分かれる。難しいところであるが、次の関西での対戦の時は頑張ってほしい。
またこの週末で「あ~あ」となったのが、稀勢の里。千秋楽に勝てば白鵬にプレッシャーをかけることができたものを(マスコミの声も、稀勢の里は勝つことが既定であるかのような表現だった)、その前にあっさりと琴奨菊にがぶられて完敗。取組後、このところの厳しい表情が、先場所までの何だか弱気な表情に戻ったかのように見えた。北の湖理事長は「名古屋場所でハイレベルの優勝なら、横綱の話もあり得る」とコメントしたそうだが、それはないだろう。そればかりか、名古屋場所はまたいつもの「10勝5敗」に戻りそうな予感すらする。
やはり、ハートなのかな・・・。
巨人と白鵬の壁は、まだまだ厚い・・・。
稀勢の里は白鵬に勝てない。やはり横綱の壁を破れない。
・・・それと同じく、やはりオリックス・バファローズは巨人には勝てないのだろうか・・・。
試合中継を見ていて、ずっと嫌な予感がしていたのだが。
さて、読売系のBS中継を観戦していたが、この局の中継も一昔前ほどの巨人びいきというのも薄れている印象がある。普段はパ・リーグなど下のリーグのように見ているイメージはあると言え、実際の中継になるといろんなデータや選手・ベンチ情報もきちんと伝えており、少なくともスポーツ中継としては結構安心して見ていられた。確かにサヨナラ負けは悔しいけど、同じ関西にいながら虎のことしか言わない大阪朝日をはじめとした関西マスゴミよりは断然よい。
イニング途中にかつての福本豊氏のシーズン100盗塁のシーンが流れていた。1972年のパ・リーグのベストナインということで、この福本をはじめ、山田久志、野村克也、大杉勝男など、そうそうたるメンバーが字幕で紹介される。その後で流れたのが「プロ野球中継60年を記念して、あなたのベストナインをお送りください」というもの。
日本テレビの特設ページから入るもので、投手は先発と中継ぎ・抑えの2名、残りの守備位置と指名打者、合計11人を選ぶもの。
うーん、日本プロ野球の歴史にあって、これまで数多くの名選手が出ている。それをポジション別に11人に絞るというのは南海、もとい難解なことである。純粋に記録だけで評価するのか、あるいは投票する人がリアルタイムで観た選手なのか、記録どうこうよりも単純に「好き」な選手で選べばよいのか。別に基準が決められているわけでもなく、人それぞれあるだろう。
試合中、私もこのページを開いてしばしウーンと悩んでいた。結局は「現役の姿を球場なりテレビなりでリアルタイムで観た選手」ということで、以下の選手を入力して投票。
その「ベストイレブン」は・・・
(先発投手)野茂英雄
(中継ぎ・抑え投手)津田恒美
(捕手)古田敦也
(一塁手)落合博満
(二塁手)大石大二郎
(三塁手)中村紀洋
(遊撃手)高橋慶彦
(外野手)タフィー・ローズ
(外野手)秋山幸二
(外野手)イチロー
(指名打者)ラルフ・ブライアント
・・・何だか結局は近鉄に、そしてカープかいなというように思われるだろうが、正直悩むところは多かった。
別に優柔不断の言い訳をするのではないが、これが各ポジション1人ずつというものではなく、仮に「これまでのプロ野球選手全体で『侍ジャパン』を構成するとすれば、あなたなら監督・コーチを含めてどのような人選をしますか」という質問なら、まだ柔軟に、リアルタイムで観ていない往年の選手たちを含めて回答できるかな。結構いろんな「候補」が出てくるのではないだろうか。あ、でも「侍ジャパン」とやってしまうと、外国出身選手が選べなくなるから、「ベストの監督・コーチ、そしてベンチ入り選手25名を選んでください」というのがいい形かもしれない。またいずれ、私なりの選抜結果を書いてみようと思う。
プロ野球中継60年、その試合が後世まで語られるようになったのも中継のおかげだ、という試合も結構あるのではないだろうか。最近地上波ではほとんど見ることもないが(関西ならサンテレビは元気だが)、その分BS、CSで内容の濃い放送を楽しむ人が増えている。今がプロ野球中継の在り方の過渡期に差し掛かっているのかもしれない。従来の特定球団ひいきとは違った、新しい時代の放送というものを期待したいものである・・・・。
単独首位・・・。
仮にそれが交流戦のことであったとしても、この言葉を聞くのはどのくらいぶりか。いやそれにしても気持ちいい。
やはり最初の西宮一決定戦に連勝したのが大きい。次の巨人戦はなかなかそうはいかないかもしれないが、金子、西の2枚看板と糸井、山本ら新戦力が何とか機能してくれればと思う。個人的には川端にもう少し出番をと思うのだが・・・。
さて、木次線の駅めぐり。亀嵩から出雲横田を過ぎてやって来たのは出雲坂根。
この駅は出雲と備後の境にあり、備後方面にはおろちループを望む難所に位置する。駅のほうは全国でも珍しい三段式スイッチバック。木次方面からの列車は全て一度この駅に入り、向きを変えて引き上げ線に行き、もう一度向きを変えて勾配を上る。
もう一つの名物が、駅のホームに湧き出る「延命の水」。タヌキが見つけたとかいう言い伝えがあり、ホームには信楽焼のタヌキが置かれ、そこから汲める。短い待ち時間のちょっとした楽しみである。
駅舎は年代物で、それがいかにも汽車の駅という感じがしてなかなか風情ある。今回、その駅を見ようと亀嵩方面から向かう。
ただ、どうも様子がおかしい。確かこの辺りかと思ったが、駅の姿が見えない。うっかり通り過ぎたか。
・・・と思ったら、左手に真新しいログハウスのような建物が現れた。何とこれが、現在の出雲坂根駅である。あらあら。もっとも、竣工が平成22年とあり、新しくなったのを知らなかったのは私だけだったようだ。
で、延命の水はというと、駅舎横の売店もある休憩コーナーに移されていた。奥出雲のトロッコ列車も根強い人気のようで、観光客にも認知されるようになっての建て替えなら、地域としては活性化の現れとして喜ぶべきことなのだろう。
一方でホームやスイッチバックの造りは昔のままで、初めてこの駅を訪れた高校生の時のことを思い出す。木次線の気動車の中で、地元の高校生だか中学生だかが、通路やシートの下の隙間をコースに見立ててラジコンカーを走らせてたな・・・。
延命の水は駅の中だけでなく、国道向かいを少し降りたところでも汲める。こちらのほうが大がかりで、クルマで乗り付けてポリタンク何杯分でも汲むというものである。自然の恵みはよろしいですなあと思いながらも、いくら湧き水とはいえ、こうも豪快に流してもいいものかなという気がする。
おろちループを過ぎ、再び広島県に入る。木次線に沿って走り、備後を東西に走る国道との交差点に出る。この横にあるドライブインに立ち寄る。
ここの名物は「おでんうどん」。うどんの具材がおでんというもので、かつてはこの近くの備後落合駅のホームでも売られていた。出汁の相性がいいのか、普通のかけうどんにはない独特の味わいがした。
その備後落合もこの後に書くように、今や牛山隆信氏の手にかかって「秘境駅」の名を頂戴するくらいの凋落ぶり。おでんうどんの姿を止めるのはこのドライブインだけである(このドライブインも、秘境駅とは言わないが、かなり濃い昭和にタイムスリップできるようなスポット)。注文したうどんに乗ったのは玉子、厚揚げ、スジ。いずれもよく味が染み込んでいて、結構いける。これはご家庭でもすぐに再現できるメニュー、十分ありですな。
そしてやって来た備後落合駅。ここは芸備線と木次線のジャンクションであり、その昔は広島から松江など山陰に抜けるメインルートの役割も果たしたところ。おでんうどんも当時は人気メニューだったことだろう。
それが時代の流れもあり、鉄道の利用客が減り、列車の本数が減り・・・の悪循環。おでんうどんもいつの間にかなくなった。今では列車の姿を見ることのほうが珍しいってなもんである。元々まとまった集落があるわけでもなく、かつての賑わいとのギャップもあり、全体の寂れた感じで秘境駅となったところ。
唯一の賑わいと言ってもいいのが、14時台。木次線、そして芸備線の三次、新見両方面の列車が顔を揃える。特に青春18のシーズンは雑踏が見られる。
松本清張の名作の一つである『砂の器』。これまで何度も映画やドラマ化された作品であるが、その舞台として大きな役割を果たすのが出雲地方。それも木次線は亀嵩駅である。
出雲弁と東北弁が似ているということを発見し、犯人特定のきっかけになったのがこの亀嵩であるが、よく考えれば、亀嵩という地名を出すためだけに刑事をわざわざ秋田の亀田まで引っ張りだしたことであり、スケールが大きいなと思う一方で、もうちょっと何とかならんかったんかいなという突っ込みどころのある話である。
いやそれでも、いろんな形でリメークされても楽しめる作品。中居正広版のドラマも、最初は???という感じだったが、改めて見返すとよく21世紀版にアレンジされたなという思いと、日本各地のロケ地、そして松雪泰子さんが綺麗だったなあ・・・とか、まあ勝手に思うのであった。
さてその亀嵩であるが、『砂の器』の舞台というよりも最近は「駅舎の中にあるそば屋」としても有名である。駅の中に店があるというのは現在の駅ナカとなんら変わるものではないが、この手のローカル駅舎というのは、かつて駅長室や執務室、出札口だったスペースを改装して店舗にしてしまうというのが特徴。亀嵩はその走りといった存在である。手打ちそばの「扇屋」がこの駅で旅人を出迎えてくれる。
ちょうど食事時ということでテーブルもほどよく埋まる。出雲そばの特徴である割子そばのついた定食をいただく。店内には有名人のサインがずらりと並ぶ。こんな小さな駅であるが、注目度は高い。亀嵩駅はいわゆる秘境駅には該当しないが、旅好きから見れば素朴な風情が味わえる駅としてポイントは高い。
そばを待つ間、ちょうど備後落合方面の列車がやってきた。座敷越しに眺める気動車。そばと気動車が出会うタイミングもそうあるものではなく、目の前を走り去る気動車のエンジン音の余韻を楽しむ。
そうするうちにやってきた割子そばの定食。素朴な味わいのそばに、地元仁多産のコシヒカリ、そして地元の野菜などが盛り込まれたもので、結構いける。ちらりと横を見れば出札口。そういうところで、何だか人の家に上がらせてもらったような感覚での食事となった。
亀嵩駅といっても、亀嵩の集落までは結構離れている。この後で通ってみたところでは赤い石州瓦の屋根の家々が並ぶ昔ながらの集落である。その集落を抜けたところにあるのが湯野神社。亀嵩の由緒ある神社で、参道のヒノキに大杉が雨水を含んで緑鮮やかに見える。
この脇にあるのが松本清張の『砂の器』を記念した石碑。先に書いたドラマでもこの湯野神社がロケ地に使われていたともいう。
また一方で、かつての横綱・陣幕久五郎ゆかりの神社ということで、ここを舞台に雲伯出世相撲という興行も行われたとか。境内には土俵が残り、陣幕ということで縁がある元・千代の富士の九重親方もこの神社を訪れて相撲教室というか、地元の子どもたち相手のイベントを開いたこともあるそうである。
木次線の走る奥出雲は、線内の風情ある駅たちもそうだが、現代に受け継がれる独特の技能を有する土地でもある。その代表的なものがたたら製鉄である。今度はそのたたら製鉄にまつわることを書いてみようと思う・・・・。
「山奥や原野など、人里から離れた箇所に所在する鉄道駅を指した日本の鉄道ファンによる呼称」
・・・これが、ウィキペディアが書くところの「秘境駅」の定義である。
単なる「何もない駅」というのとは違うということである。例えばごく普通の人が何かの都合で地方の駅に降り立ったとして(地方の駅といっても、何本もの列車が発着するし、駅の中にはちょっとした駅ビル街のようなものがあったり、駅前に出れば大手企業の地方支店の看板が立ち、金融機関もあるし、一本脇道に入れば個性的な居酒屋があって地元のサラリーマンで賑わっていて・・・というところ)、人によっては、「あ、田舎の町だから何もないや(東京や大阪と比べて)」という感想をもらすかもしれない。
ただ、同じ景色を見て、「こんなの全然都会じゃ~ん!」という感想を持つ人もいるし、それがエスカレートすると、駅前に人家があるだけで「こんなの秘境じゃない!!」と言う人すら出てくる。「何もない」というのは、人によって程度の分かれる話である。
その一方の雄である「こんなの秘境じゃない!!」という手合いの代表が、「秘境駅」という言葉を世に送り出した、「秘境駅」の絶対的権威である(秘境駅でガッチリ儲けた)牛山隆信氏。
その牛山氏、本業は大手電機メーカーにお勤めというが、仕事の都合もあってか、現在は三次市在住という。その最寄ということで最近知る人も多くなった秘境駅が、三次から三江線で3駅目、同じ三次市にある長谷(ながたに)駅。その駅を訪れたことを書こうと思う。
まあ、何だかんだ言って、私も最近秘境駅には興味があるので・・・・見事、牛山氏の面白さにひかれた口です(苦笑)。
朝の時間にやってきた長谷駅。山陰を代表する河川の一つである江の川に面したところ。ただここに来るまでの間、崖がすぐ横に迫ってきていたりしてヒヤッとさせられることもあった。少し川沿いに道幅が広くなったなと思うと、そこが駅だった。よく鉄道を敷いたなと思うし、よく県道も通したなと思う。
駅のすぐ横には数件の集落があるが人の気配をほとんど感じることがなく、かといって江の川の対岸も山また山で、国道もどのくらい整備されているのか怪しい風情。こちら側の駅前の道はこの奥の町から三次に出るのに便利なようで、クルマは頻繁に通る。そのこともあって、やはり駅としては必要だったのだろうか。
駅の時刻表。朝に2本、三次行きの便がある。一方、江津方面はといえば・・・夕方に3本、しかも途中駅止まりの便がある。この駅から列車に乗ろうと思えば、三次行きは9時過ぎが「終列車」、江津方面(といっても途中の口羽止まり)は14時半が「始発列車」である。長谷から三江線を利用する人がいたとして、「朝に三次に向かい、夕方に戻ってくるしかない」というダイヤ。まあ、ここから江津方面に乗り込む人というのは想定してないのだろう。
三江線自体を走る列車は他にもまだまだあるが、ここ長谷は最初から存在を無視されているのかもしれない。半数は通過扱いである。いろんな人の旅行記や駅ノートの書き込みを見ると、三次、江津両方向の隣の駅まで歩いたということがある。結構離れてはいるが、歩けないこともないくらいの距離。
昔の田舎の駅あるようなホーム上の待合室が、何かの拍子に階段の下に下ろされたような建物が「駅舎」である。何だか落ち着いた空間。
そこには一冊のノートが置かれていた。風情のあるローカル駅に来ると必ずといっていいほどノートがあったりする。そして何とそのノートの管理者が、件の牛山氏である・・・・。あらあら。せっかくなので私も一筆書きとめる。
その冒頭には、前に置いたノートがなくなっているということに触れられていた。おそらく盗難の可能性が高いとして、その犯人に激しく憤る内容の記事だった。それはそうだろう。カネ目当てで金品を盗むよりも、人の気持ちを踏みにじる嫌がらせのほうが、痛い。
しばらく待つと、江津方面から線路を刻む音が聞こえてきた。そう、これが午前9時発の三次行き「最終列車」。 もちろん1両しかないが、車内はそこそこの乗車。ワンマン運転手はしばらく私の方を「乗るん?乗らんのん?どっちなん?」てな表情で見て、ドア操作をする。最近は秘境駅ブームで、ここで下車したり、ここから乗ったりという手合いが増えてるのだろう(年間ベースで行けば、長谷駅の1日の利用人数が1~2人上昇傾向だったりして)。
気動車はゆっくりと、江の川の流れをさかのぼるようにトコトコと走って行く。ちょうど雨が降っていたからか、三次名物の雲海には遥か遠く及ばないが、大河に沿って走る鉄道は水墨画の風情があるように感じた。乗っていたら却って気づかなかったかもしれない。
三江線、廃止も取りざたされる一方で、沿線の素朴な魅力、豊かな自然も盛んにアピールしている。秘境駅はその一つとして、今度は久しぶりに列車に揺られてみたいものである・・・。中国山地にはまだまだローカル色が濃い鉄道線があるが、また改めて書くことに。
18日の交流戦、広島東洋カープ対オリックス・バファローズ。この対戦を関西または広島のいずれかで観戦するのが楽しみである。今年はマツダスタジアムに駆けつける。
まだまだ再開発が進む広島駅周辺地区。以前に来た時には気付かなかったのだが、広島駅の新幹線口の前にあった市営若草アパートも跡形もなく新しい施設ビルに立ち替わったり、球場のほうもまだごちゃごちゃとやっているようである。また一方で駅南口側の愛友市場などの雰囲気は変わらない。カープのユニフォームやグッズに身を固めた大勢のファン(中にはバファローズ姿の少数派もいる)に弁当やら飲み物やらの売り声というのは、昔ながらの野球観戦の風情があって面白い。大阪の大正やドーム前駅、神戸の総合運動公園駅にはこのような楽しさはない。
球場に足を踏み入れる。この開放的な雰囲気、独特のシート(今年もまた新たな席種がでたそうな)の造りというのはいいものである。
三塁側の指定席に入る。フェンスが低い(レフト寄りになるとフェンスもない)ために選手たちも間近で見ることができる。前日は呉で大敗を喫したバファローズナインであるが、その前の連勝もあってか、選手たちの雰囲気も悪くないように見えた。
森脇監督もグラウンドをいろいろと動き、選手に話しかけながらトンボで土をならしてみたり。現役当時はカープでもプレーした森脇監督、「監督」として広島の地を踏むことになったが、「あの森脇監督いうんは、津田と仲が良かったのよう」というカープファンらしい観客の会話もあった。カープの「炎のストッパー」故・津田恒実投手との友情のエピソードは、野球ファンの中でも知られた話である。
この日は乳がんの早期発見、早期治療につなげるための検診受診の啓蒙活動である「ピンクリボン」運動のPRデーで、カープのマスコットであるスライリーもピンク色で登場したり、始球式には自ら乳がんを克服し、現在は啓蒙活動に取り組んでいる女性が出た。また5回裏終了時にはダンスも披露された。男性の私には実感としてわからないところもあるが、最近は女性の来場も増えている野球場で、球団ともタイアップしてPRしていくのはいい試みだと思う。
場内にはカープのいろんな選手のプロデュース弁当が売られていたが、私が選んだのは「バリントンドッグ」。白パンにウインナー、トマト、ピクルスなどを挟み込み、ケチャップは使わずマスタードのみで味付けするものだが、この日の先発ということもあり「バリントンを食ってまえ」という思いも込めて。
先発がカープがそのバリントン、バファローズは金子という、今年の開幕マウンドを務めた両投手。まさに「頂上決戦」と言えるか。カープの今年のキャッチフレーズが「剣砥挑来(ケンドチョウライ)」ということで、ビジョンでもいろんな劇画が出て何とも勇ましい。
そのバリントンに対して初回のバファローズ、2番に入った坂口が「出会い頭」にライトへの一撃。先制パンチとなる3号ソロを放つ。防御率もよく、毎回試合をきちんと作るバリントンであるが、味方の攻撃力が弱くなっている中で先制点を取られると痛いところである。
一方の金子、初回の菊池、中東、小窪、そして2回の廣瀬と4者連続で三振に打ち取る上々の立ち上がり。前夜の大敗を受けて、エースとしての気持ちが感じられる。もっとも、「カープもあんなへっぴり腰じゃけ、打てんわ」という周りのファンからのボヤキも聞こえてくる。前夜は大量点を取ったとはいえ、金子がいいのか、カープの打撃陣が弱いのか・・・。
廣瀬の後のルイスは力のあるスイング。バットを折りながらもライト前に運ぶ。・・・とまあ、そこまではいいのだが、問題はそのバット。低いフェンスを軽く越えて一塁側の観客席に。幸い飛んだところの席は空いていたようでケガ人もなかったようだが、こういうのもこの球場ならではだろう。この回の終わりにはビジョンで「バットの行方にご注意ください」という画面が流れたが、すぐに出るところを見ると、この球場では結構あることなのかもしれない。
その後は両投手の投げ合いが続く。だいたい私が球場に来ると打撃戦になることが多いが、やはり両投手とも調子がいいのだろう。試合のペースも早く進む。ただ1対0というのは、どうとでも転ぶ展開。バファローズ打線にも追加点を期待するがバリントンが立ちはだかる。
6回はバルディリスに死球。一度ベンチに下がる。この試合では1番に入った平野恵が初回の打席で凡退した後で謎の交代(記事によればふくらはぎ痛とかで、そのまま登録抹消)をしただけに、攻撃の要であるバルディリスが抜けると痛いなと一瞬ヒヤッとしたが、大事には至らなかったようだ。ただせっかくの追加点のチャンスも李大浩の併殺もあり後が続かない。
一方のカープも6回に堂林の四球、石原のバントでチャンスをつくり、好投のバリントンの代打に丸が登場。しかしこのチャンスも金子の力ある投球の前に得点に至らない。1対0のまま、またしてもバリントンは好投しながら勝ちに結びつかなかったことに。
試合が動いたのは8回。2回の守備から平野に代わって出場の川端が、カープ2人目の今井からレフトに今季初アーチをかける。これで流れがぐっと来たか。さらに坂口、李大浩のヒットでチャンスをつくり、さらに得点を挙げようかというところ。
一方で打たれるたびにため息なのはスタンドの多くを占めるカープファン。投手やベンチに対するヤジが飛ぶ。中でも観戦歴何十年とおぼしきご年配のファンの声がよく通り、笑いすら起こる。ここは3人目の河内が糸井を打ち取って、2対0で食い止める。
序盤は金子の前に手も足もでなかったカープ打線だが、中盤以降少しずつチャンスも見えてきた。8回も先頭のルイスが2本目のヒットで出塁し、内野ゴロ2つで三塁まで進む。ここで球場が沸いたのは、昨年6月に故障して以来の登場となるニックが代打で出る。ライトへの大きな当たり。ただボールは糸井のグラブの中へ。これも展開次第では犠牲フライになっていたところ。というのが、2つ目の堂林のゴロは、ショートの深いところを山本がよく抑え、あわや内野安打かというのも一塁アウトにしたもの。一死一・三塁でニックになっていたかもしれず、隠れたプレーだったと思う。結局2対0のまま最終回へ。
当然金子には完封を期待するところだが、一死のあと菊池、中東に連続で四球を与える。終盤になってボルテージの上がってきたスタンド。一発が出れば逆転サヨナラである。バファローズベンチはここで金子をあきらめ、平野佳を投入。
ただ続く代打・岩本がライト前へ。菊池が俊足を飛ばしてホームに返ってくる。これで2対1、かつ一死一・二塁と今度は一打同点のチャンス。打席は連続出塁記録の廣瀬、そして2安打のルイスと続く。カープファンにとっては最後の最後で願ってもないチャンスに声援が一段と大きくなり、バファローズファンはじっと固まって、とにかく平野に全てを託して見守るしかないという静けさ。
先の、いいヤジを飛ばしていたお父さんも最後は最前列に出て、なぜかゲタを両手に持って叩いてまさにお祈りモード。うーん、しゃもじを叩くのならわかるが、ゲタというのは・・・。
ボールが先行した平野だったが、そこは守護神。廣瀬を見逃し三振、最後はフォークでルイスを空振り三振に打ち取り、これでゲームセット。最後のガッツポーズに気迫がこもっていた。
ヒーローインタビューは好投の金子かと思ったが、2点目となる本塁打を放った川端が選ばれた。ただこの球場ではその様子をビジョンで流すことはせず、近いところにいてもアナウンサーが何を訊き、川端がどう答えたかはわからない。が、平野恵の故障が川端の本塁打を呼び込んだのであれば、何ともそういう勝ちがあるのかと思う。
これまでのこのカード観戦の結果は、1戦ごとにカープ、バファローズが交互に勝つというもので、その法則でいくと、昨年バファローズが勝っているだけに、この日はカープが勝つ・・・はずだった。まあこれでジンクスは打ち破られたわけだが、最後までわからない接戦ということで面白かった。
5月の連休が結構前のことのように思う。
天竜二俣の町を歩いた後、天浜線で西に向かう。この辺りから再び開けた感じの車窓となる。乗った列車もそこそこに乗客が多く、今度は車両の最後部に陣取って車窓を楽しむ。天竜川にかかる鉄橋も時代を感じる。この辺りから出る観光船だったか、水没事故を起こしてしまったのは。結局その観光船も営業を取りやめたとかいう。安全に配慮、ということは当然しなければならないことだが、その昔に舟に乗っていた人というのは別に危険ではなかったのだろうか。
フルーツパークで子ども連れを含む家族連れが多く乗ってきて、車内は結構満員。連休ならではの光景だろうか。
次に下車したのは気賀。こちらは駅舎とホームが登録有形文化財となっている。ホームの柱や梁の組み方にも時代を感じさせる。
一方で駅舎も昭和13年の建設当時の姿をとどめている。それはいいのだが、今では駅舎にあるラーメン屋のほうが看板が大きい。外にはメニューの写真やら、テレビの取材が来たとかいうことでレポーターの人との記念撮影とか、結構派手な感じである。
下車したのはラーメン屋目当てではなく、すぐ近くにある気賀関所跡。前日4日に新居関所を訪ねたが、あちらがメインルートとすればこちらはサブルート。
「姫街道」とも呼ばれるが、それはメインルートの東海道が舞阪~新居の間を舟などで渡らなければならず、その煩わしさを嫌って高貴なお姫様などは多少遠回りになっても陸路を通っていったという。そのことから「姫街道」の名がついたそうだ。川越しというのは当時としては大変なことだっただろう。二川の資料館で川を渡る風景を描いた浮世絵などを見ることがあったが、その中で、女の人が続けて川を渡るのを描いた絵で、女を肩車したり、蓮台でかついだりという人足が結構スケベな目で女を見上げるというような感じで描かれていたのがあった。やはりセクハラ、痴漢まがいのようなことがあったのかもしれない。
それだけではなく、新居関所は特に女性の往来の取り調べは厳しかったそうだ。そのこともあって、取り調べがまだ緩い気賀関所を通ることも多かったのかな。
復元された関所跡を見物した後、次の列車まで時間があるので一度逆方向へ、金指まで戻る。このホームと上屋も文化財ということで、それを少し見た後で再び新所原行きに乗る。
先ほど通った気賀を過ぎ、列車は浜名湖にさしかかる。天浜線、天竜浜名湖鉄道の社名の一部の景色にようやく出会える。冬にはカモメが多く集まり、その景色が風物詩でもある浜名湖佐久米を過ぎる。
その後は穏やかな浜名湖と静岡みかんの畑。ちらりと見える浜名湖も結構風情があるところで、こういうところの静かな宿やペンションに泊まると心落ち着くことと思う。またこの辺りの三ヶ日みかんは静岡みかんのブランドの一つ。紀州有田でみかん栽培している伊藤嘉昭氏からの便りでは、この時期にはもうみかんの花が咲こうかという時期だったが、こちらはまだ花の気配はなかった。季節という点では紀州のほうが先取りということかな。
浜名湖とも別れ、そろそろ終点が近づく。朝から浜名湖を中心にぐるりと回った一日。それぞれの駅に味わいと地元の人の温もりを感じた天浜線、なかなかいい路線であった。
新所原からJRで豊橋に移動。ここで乗り換えて名鉄特急。ちょうど次の便がパノラマカーということで、列車の最後尾、逆方向に景色は流れるが大きな窓でそれらを楽しむ。名鉄にはまだまだ未乗車の路線、区間も多く、いずれは名鉄メインの乗り歩きもやりたいところである。
名古屋に到着。少しでも早く帰ろうということで、予約していた特急を繰り上げる。近鉄名古屋での特急発車1分前のおなじみである「ドナウ河のさざなみ」のメロディーを聴くと、「名古屋から大阪に戻るんや」という実感がする・・・・。
なかなか訪れることのない東海地方を楽しむことができた連休の2日間。今度この辺りを訪れる際は、先ほどの名鉄線めぐり、今回も見送りとなった遠州鉄道、そして宿泊はおろか改札口も出たことがない浜松・・・、それぞれの面白さがあることだろう。それを見るのも面白いかな・・・・。
交流戦が始まって、オリックス・バファローズが憎き阪神タイガースに連勝してやれやれというところであるが、ええ加減に連休中の豊橋・天浜線行きのことも進めなければ・・・。
天浜線のイベントである天竜二俣駅構内と転車台などの見学を終え、昼食を済ませたところで、しばらくこの町を歩くことにする。天竜川、そして周りは山に囲まれた町であるが、ここも現在は浜松市天竜区、政令指定都市の一角である。有名な美術館もあるそうだが、中を鑑賞しようとまでは思わず、町歩きである。
かつては天竜川の水流も生かした木材と養蚕の扱いで栄えた二俣。ここから天竜川をさかのぼって飯田線の中部天竜までの鉄道路線の計画もあったという。そのこともあってか、古くから開けた街づくりが行われたようである。ただ産業構造の変化にともない二俣もぽっかりと穴が開いたのか、現在では廃れたような、それでいて懐かしいような、そんな感じの町並みができているように思う。
当初は鉄道遺産だけ見て次に行こうかと思っていたが、駅前の案内板を見て歩こうと思った次第。予備知識も何もないところである。
商店街を歩く。休日とあってシャッターを下ろしているところもあれば、古いタイプのスーパーマーケット、昔ながらの看板や建屋を残した商店など、なかなか味わい深いところ。こうした昭和建築に詳しい人にとってはたまらないところかもしれない。二俣自体、全国的に取り立てて有名なところではないだろうが、天浜線にやってきて途中下車してぶらぶら歩くのも面白いだろう。
それにしても、商店街にはライダー風の人が目につく。交通の要衝だからだろうか。ただそれにしても多い。そう思ってしばらく歩くと、昔の蔵が建つその前の広場に、バイクがズラリと並ぶ。
それも大型のものではなく、いわゆるカブ系のもの。一昔前の出前や商売風につくられたものや、パッと見た目自転車とさほど変わらないようなスリムなものとか、小回りが利き実用性に富んだバイクの数々である。大勢のバイク好きの人たちが広場にいるが、鉄道系を追いかける人に比べて明らかに雰囲気が違う。
それはさておき、この二俣にこれだけのカブが集まっているのはなぜか。連休中のイベントということはあるが、それは広場から少し行ったところにある旧二俣町役場を利用した建物に行けばわかる。ここは現在「本田宗一郎ものづくり伝承館」となっている。
本田宗一郎。そう、あのHONDAの創業者である。松下やソニーなどと並び、ものづくり大国の日本にあって、その経営手腕が群を抜いていたという氏の出身がこの天竜ということで、その顕彰のために運営されているのが伝承館である。
元祖のスーパーカブの展示を中心に、世界のカーレースにその技術をもって打って出た様子なども紹介されていた。先ほど見学した旧国鉄二俣線の鉄道歴史館にあった鉄道技術とは全く別の方向に、洗練された技術を世に送り出したHONDAの素晴らしさがよくわかるところである。それにしても、やっぱり訪れる客層が違い、ふらりと訪れた私が何だか場違いなヤツのようにも思える・・・。
ここを折り返しにして天竜二俣駅に戻る。かつて中部天竜を目指して走り出した路線の一部が残されており、片面ホームの一部が残されていたり、往年の気動車やなぜか寝台車も地元NPOの手で保存、メンテナンスされている。やはり鉄道には鉄道ならではの良さがある。この集落全体で、鉄道とバイクという往年の交通機関を地元の大切なものとして残し、アピールしようということが現れているように思う。
こどもの日の天浜線乗り歩きの続き。
遠州森から2駅乗車して、遠江一宮に到着する。昔の国にある一の宮の最寄駅ということになるが、遠江の一の宮である小國神社まではマイクロバスで10分という。
下車したのは神社参りということではなく、古い駅舎の見学である。昭和15年に全通した旧国鉄二俣線であるが、その開通に合わせて建てられた駅舎がそのまま残っている。カーブの途中に上下線のホームが互いにずれた形で設けられている。駅舎へ渡るその足元には地元の人たちが丹精込めて育てた花が咲き誇っている。
駅前の広場では地元の人たちが野菜やお菓子などの朝市を開いている。売り物にはビニール袋に入れた金魚やメダカなどというのもある。
また、駅舎を利用したそば屋が入っている。この天浜線には駅舎を利用したそば屋やラーメン屋などがあるそうで、天浜線を紹介しているホームページやブログでもこの駅舎内グルメが取り上げられることが多い。もっともこの時間ではこれから仕込みに入るところで、かつては改札口であっただろうスペースで、主人らしいのがちょうどそば粉を練っているところだった。
しばらく木製のベンチに腰掛け、初夏の風が吹き渡るローカル駅舎の風情を楽しむ。こういう駅舎でボーっとする時間というのも結構貴重なものだろう・・・。
続く列車も座席がほぼ埋まるくらいの乗車率。再び先頭部に立ち、続いてやってきたのは天浜線の中心駅で、かつての国鉄の路線名でもあった天竜二俣。これまで下車した駅はひっそりとした佇まいだったが、こちらはクルマでの観光客も含めてごった返している(といっても100人あまりの人出だが)。
私を含めた大勢の客の目的は、この駅で行われるイベントである。駅構内に残る転車台と機関庫、鉄道歴史館の見学で、この連休中は10時50分、13時50分の2回開催される。特に予約がいるものではなく、当日窓口で整理券を買い求めるのだが、10時50分の回に間に合うようにやってきたというものだ。
時間となり、子どもも含めて100人くらいの客が構内に入る。まずは駅とともに建造された貯水槽を見る。かつては蒸気機関車が走っていたことからこの貯水槽は必須アイテムだったが、蒸気機関車がなくなった今でも洗車用の貯水槽として現役で使われているようだ。
ここで運転区の間の通路を抜ける。いずれも昭和15年当時の建物だが、現在も多くが現役で使われている。浴場は閉鎖されているが、トイレ(便所、という言い方が似合う)や洗濯場は使われていたりする。
そしてやってきたのが転車台と扇型機関庫。鉄道遺産、登録有形文化財の多い天浜線にあって、ここが一番の見どころであろう。実際に転車台に気動車を乗せて回転させるという。こどもの日、子どもたちをダシに鉄道見物に連れてきたのはいいが、これには子どもたちも興味深そうに見るが、それよりも夢中になっているのはお父さんたちのようである。
転車台の回転を見た後は、扇型機関庫の一角につくられた鉄道歴史館を見る。人数が多いのでほとんど止まらず一周するという形だが、旧国鉄二俣線、そして天浜線それぞれの展示物が豊富である。ゆったりとは見られなかったが、雰囲気はよく伝わってきた。
1回の見学はおよそ40分ほどであったが、濃いものに触れられたようで満足である。
さて何もなければ次の列車で進むこともできる時間だが、せっかくなので昼食を含めてもう少しこの二俣にいることにしよう。駅舎の中にはラーメン屋「ホームラン軒」というのがあり、見学客の中にはこちらに入る人もいたが、私は駅窓口横のコーナーで「駅弁」を購入。駅前の道路を挟んで少し行ったところのドラッグストアに「酒」の文字を見つけて、「冷たいもの」を購入。これらを駅前の木製ベンチに持ち込んで、野外での昼食とする。昔の鉄道風景を前に、地元産のマイタケやら、田丸屋のわさび漬の入った限定弁当を口にする。午前のイベントを終えて、進路は自宅に近いほうの新所原に向かっているのだからこの沿線でまだまだゆったりできる。
次の便で新所原方面に移動してもよかったのだが、たまたま駅横の案内板でこの町の様子を見た時、「おっ」と感じた。列車をもう1本遅らせて、たまたまのふたまた(二俣)を少し歩くことにしよう・・・・。
豊橋に宿泊した次の日は、今回のお目当てである天竜浜名湖鉄道である。豊橋から浜松よりに2つ目の新所原が最寄駅で、浜松の向こうの掛川まで行く路線であるが、そのまま新所原から乗るか、あるいは掛川まで行って戻る形にするか。一日がかりで途中下車しながら行けばいいかなというところなので(ただし、途中の天竜二俣にはしかるべき時間にたどり着きたいところ)、どうしようかと思う。
ホテルで朝食を満喫した後、快晴の豊橋駅に出る。この日も天候は良く、暑さすら感じるという予報である。鉄道遺産の宝庫ともいえる天竜浜名湖鉄道(長いので、以下は天浜線とする)を見て回るのにはちょうどいいかなというところである。
ということで豊橋にて浜松方面の列車を待つが、案内板での乗車位置がどうも1両に2つしかないようである。かつて新快速で走っていた117系はもう引退したはずであるが、ひょっとしたら別の車両が来るのか。そして待っているとやってきたのは果たして特急型。
まあ、頭のところのカバーがないなどというのはあるが、格好の車両である。これに乗った時点で、どうせならこのまま浜松まで行ってしまおうという気になった。天浜線はまずは掛川からの乗車である。
前日に訪れた新居町を過ぎ、浜名湖と遠州灘が出会う舞阪、弁天島あたりを鉄橋で渡る。
快適な乗車で浜松に到着。するとここで、静岡行きのホームライナーが出るという。浜松というところも通過ばかりで、実をいうと改札口すら出たことがない。この日も「すぐに出る」という言葉に乗せられて乗り換える。こちらは乗車整理券(かつ座席指定)の別料金310円がかかるというが、急いで乗り換える客も多く、車掌も「とりあえず乗ってください」という仕草をする。
休日のホームライナーで、乗車前にきちんと乗車整理券を購入する人はどのくらいいるのだろうか。ガラガラなのをいいことに、4人掛け、テーブルつきの座席に陣取る。反対側のボックスに座った年配客は慣れた感じで別料金310円をテーブルの上に置いている。やってきた車掌とも顔見知りなのか「あ、どうも」てな感じで挨拶を交わしている。
そしてやってきた掛川駅。10分ないが天浜線の新所原行きが出発する。窓口で全線の一日乗車券を購入する。普通の紙の切符で出ると思いきや、地元産の木材を使用した「巳年一日フリーきっぷ」という、通行手形のようなでかいものが出てきた。水戸黄門の印籠みたいにかざして改札を通ることになる。
1両の車両は座席がほぼ埋まるほどの乗車率。GWということで家族連れなどの姿も目立つ。座れないからというわけではないが、車両の最前部に立って前方風景を眺める。
天浜線は旧国鉄二俣線の風情を残す、沿線全体が鉄道遺産といった感じで、全線で36の施設が国の登録有形文化財に登録されている。また、古い時代の雰囲気が残るということでドラマや映画のロケ地としても多く使われているという。ワンマン列車の案内放送で、そうした鉄道遺産の紹介も入る。沿道にもカメラを構える人がいろいろと出ている。
そんな中で、まず下車したのが遠州森。天浜線で最も早く開業した駅の一つであるという。昭和10年当時の駅舎やホームがそのまま残るところ。駅舎、ホーム、貨物の側線・・・昔ながらの「立派な駅」の佇まいを残す。
周りはそれなりに街並みも広がっているが、駅舎の中はのんびりしたものである。ベンチも開業当時のものがそのまま使われているとか。
ちょうど季節柄か、駅舎の中にツバメの巣があり、エサを求めてせわしなくツバメが飛び交う。クルマで駅の見物にやってきた家族連れも珍しそうにツバメの様子を眺めている。
遠州森で有名なのが、幕末~明治の頃の侠客・森の石松の産まれの地とか。「江戸っ子だってねえ、寿司食いねえ」というフレーズとか、「旅行けば~」の清水次郎長の浪曲とか、名前は知っているが実のところそのストーリーはよくわからないこの任侠話。だからというわけではないが、駅舎内のテレビでは、浪曲に乗せて清水次郎長のお話を日本昔ばなし風に描いたアニメのビデオが上映されていた。
大阪から鳥羽、伊勢湾フェリー、豊橋鉄道と乗り継ぎ、さらに新居、二川という旧東海道の宿場町を歩いて豊橋駅近くのホテルにチェックイン。大浴場があるのがありがたい。
ここで夕食ということだが、豊橋といえば何が名物だろうか。昼はB級グルメのカレーうどんであったが、雰囲気のよさそうなところがあればと、繁華街にあたる駅前をぶらつく。
浜焼きの「壱勢」というところに入る。最近ありがちな漁師風のインテリアの店だが、焼き料理、刺身料理がメイン。北海道から九州までの漁港の名前が並ぶが、伊勢志摩、三河あたりの名前が多い。それらの海鮮をガスバーナーの炎で網焼きでいただく。
いろいろとある中で、そういえば伊良湖岬であさりを食べなかったなということで、伊良湖名物の大あさりを注文。これに、イカ一杯の丸焼きを加える。店の人が焼き加減を見てくれて、仕上げのタレまでつけてくれる。イカの丸焼きは居酒屋の定番メニューであるが、目の前で焼きたてを食べるのは美味さが違う。またあさりも豪快で、歯ごたえがある。普段味噌汁や酒蒸しで食べるあさりとは別の食べ物に思う。
他にも三河鶏(「三河地鶏」、とは書いていない)のそれぞれの部位の盛り合わせ「寄取味鶏」やら、これはタブーかなと思いつつニンニクのホイル焼きをいただく。これで少しでも元気を出そう。
ここでは締めの一品は注文せず、もう一度カレーうどんを食べることにする。同じ通りにある「玉川うどん店」に入る。何でも明治42年創業の、豊橋でも老舗という。今の豊橋カレーうどんというのは売り出してからまだ数年も経っていない料理であるが、老舗にもあるところがすごい。いやむしろ、仕掛人だったりして。
こちらのカレーうどんは、ルールであるうずら卵の他に、野菜天ぷらとチキンカツがトッピングされている。濃い目のルーに揚げ物のサクサク感がよく合う。底のとろろご飯までいただく。 この日はカレーうどんだったが、後で知ったことで、三河でポピュラーなのは「にかけうどん」というものらしい。またわかったような、わからないような名前だが、この旅では食べることはなかったが、またこちらを訪ねた時には試してみたい。
体が火照った感じになり、涼みがてらに昼間は乗らなかった路面電車に乗りに行く。最近LRT型車両も導入されているが、ちょうどいたのは昔ながらの車両。このほうが、路面電車らしくて好きかな。 外は暗い中、ガタゴト走って終点の運動公園前へ。最後の一停留所だけ二股に分かれている。ここからもう一つの終点である赤岩口まで歩き、再び豊橋駅方面へ。
往路で「おっ」と思った建物があったので、そちらで下車する。豊橋市公会堂、昭和3年の建築で、豊橋の近代建築の象徴とも言える建物という。この時間、中には入れないが幻想的にライトアップされている。路面電車の車窓風景としてもよく合っている。
さらにその奥の豊橋市役所に向かう。夜に市役所といって何の用事かというところだが、13階の最上階にはレストランもあり、ロビーを展望スペースとして無料開放しているとのことである。豊橋の路面電車の歴史についてまとめられたパネル展示を見た後で、市街地を望む。そんなにギラギラとした眺めではないが、穴場的スポットとして面白いところである。
そろそろホテルに戻る。翌日は天竜浜名湖鉄道である・・・。