谷汲の集落の中心から華厳寺まではおよそ1キロ。桜が並んでおり、枝の保護を目的として一般のクルマやバスは入ることができない。
沿道には土産物店や飲食店、さらには巡礼用品を扱う店が並ぶ。中でも巡礼用品の店先は賑やかで、納経軸の表装の見本や、散華台紙、額縁がいろいろ並ぶ。私も親から託された納経軸を背負っているが、華厳寺の朱印をいただいた後はどこに出すか。有名なのは、西国の納経所の当て紙に広告として使われている四天王寺参道の表具店だが、ひょっとしたら父親ならどこか当てがあるかもしれない。
また散華の台紙はJRのキャンペーンの満願コースで応募すればもれなくもらえるが、どのくらいの期間で来るだろうか。
そんなうちに緩やかな坂となり、仁王門に到着する。江戸中期の再建とかで、古びてはいるが落ち着いた感じ。両側に巨大な草鞋がぶら下がるのを見て中に入る。入山料は無料。
両側に石灯籠が並び、緩やかな石段が続く。最後に手水を使って石段を上がると本堂である。「西国三十三番満願霊場」の石碑が堂々と見える。
巨大な提灯が下がる外陣。少し気を落ち着かせてから般若心経のお勤め。そして最後だからというので、初めて観音経偈にも挑戦。「念彼観音力」が何度も出てくるが、観音の功徳について様々な事例を出して説いているのが観音経。
別に私は葬式をする坊さんでもないし、その人と何ら知り合いというわけでもないが、ふと思い出したのは、昨夜私が乗り合わせていた列車に飛び込んで自殺した男性のニュース。この時は身元もわかっていないし(今はどうなんだろうか)、もちろん動機や背景もわからないのだが、自殺を思い止まらせる何かがなかったのかと思う。心の拠り所というのかな(いや、そういうことすら考える余裕もなかったのか、完全に折れてしまったか)。
私のこの文でも上手く伝えられないのだが、様々な札所を回る中で、観光として楽しんだり、長い歩行に挑戦したり、知らない町での一杯とか楽しんできた。一方で西国三十三所の歴史や、あるいは仏教に関する読み物に触れたりした(中でも瀬戸内寂聴の般若心経や観音経の解説はわかりやすかった)。これらを通して、自分の気持ちを落ち着かせるとか、心を研ぎ澄ませるということが少しでも身に付いたか。まだまだ至らないところは多いが、道中で自分について振り返ってみることも出てきたと思う。
西国三十三所を一巡した人なんて世間にはいくらでもいるから自慢にはならないが、一つの区切りとして、いろんなものに感謝の気持ちである。
・・・と手を合わせながら思った後で、内陣にある納経所に向かう。最後だからと用紙に書いてきた般若心経を内陣の本尊前にお供えする。華厳寺の朱印は3つで1セット。過去(満願堂)、現在(本堂)、未来(笈摺堂)の組み合わせで、朱印帳も最初からそのような造りになっている。西国巡礼の人にとって「なぜ?」と疑問符がたくさん付くところだ。まあ、これは満願だから最後のイベント的なものかなと理解できる。
朱印帳と納経軸を差し出すと、若い係の人が朱印帳3ヶ所と納経軸にそれぞれ押印する。それを後の机に回して、年輩の係の人が筆を入れる。それは鮮やかな流れ作業。筆さばきは野球選手が色紙にサインする感じかな。
若い係の人に訊いてみた。「これで全部回ったんですけど、この後何かあるんですかね?全部回った証明とか」
すると、「いや、別にそういうのはないですよ。朱印帳が全部埋まったのが証明ですよ」との答え。ただこれは、私の質問が漠然としていたのか華厳寺が鈍感なのか。
別に「お客さん満願ですね~、おめでとうございます!!バンザーイ\(-o-)/」という反応を求めているのではないが、満願なら先達申請を勧めるとか、そうでなくても何か一言くらいあってもと思う。それが、「だから何なんですか?」と取れなくもない反応である。
これも、華厳寺の評判があまり良くないとされる対応。とあるブログでは、「西国三十三所から華厳寺を外せ」とまで言われている。
何でかな。岐阜、美濃は所詮そんなもんかな。関西文化の西国三十三所に一つだけ入っている美濃の寺。それがいつしか満願の寺となってたくさんの客は来るが、どことなく違和感を覚える。門前町はそれで商売しているが、肝心の寺がそもそも乗り気でない・・・・。何だか華厳寺が素直になれない、ちょっといじけた年寄りに見える。
ただこれは、私の訊き方も悪かったかもしれない。「これで満願になり、先達申請するので証明を出してください」と言えば相手の対応も違ったかな。ただまあ、この場ではそうしたことも言わず、とりあえず朱印帳と納経軸を埋めたことについて頭を下げる。とにかく、三十三所を回ったことには変わりないのだから。
この後、朱印を押された「過去」と「未来」を観に行くことに・・・・。