さて、この8月は結構長かったように思う。それだけいろんなことがあったというか。この夏、私にとってターニングポイントになるかと予想していたところもあるが、それはどうだったか。
9月、季節がそろそろ変わる中で、また新たな局面が迎えられればと思う・・・。
このところ竹島に尖閣諸島の問題を巡って何やらざわついている日本の領海。今のところは本土に直接影響するわけではないということか、市井の人たちの声としては、「問題」とは思っているが今のところは日本政府が冷静な対応を心掛けて何とか平静を保っているというところだろう。まあ、それが弱腰だとする意見も多いのであるが。
さてそんな中、国内の情勢を見るに、橋下大阪市長率いる「大阪維新の会」が、現職の国会議員を招く形でいわゆる「政党」に成長するという。
また、参議院では野田内閣に対する問責決議案が可決されたというものの、自民と連携を組んでいた公明党が審議を欠席するという、何とも胡散臭い状況である。
何だかなあ。
民主党は論外として、ここで押し切れない自民党もかつての勢いは感じられないし、大阪維新の会も、これを簡単に議席を増やすようなことがあれば、日本の有権者も舐められたものである。いったい、どこに投票すればよいのやら。
領土問題、原発問題、日本の産業空洞化問題、財政、年金、消費税・・・問題は山積している。そんな時に国会が空転してどうするのか。このところの中国、韓国の態度も、そんな日本の国会や行政の足元を見透かしてのことだろう。
もっと建設的な国家運営をしましょうよ。あ、もっとも、「建設的」というのは、「土建屋の力を借りてコンクリートの建造物をいっぱいこしらえる」というのではないですからね・・・・。
日本の路地を旅する・・・・こう書くと、先日亡くなった地井武男さんとか、あるいは舞の海、阿藤快などが出てくる散歩もの、途中下車もののイメージがついてくる。
ただ、ここでいう「路地」というのは、決して路地裏散歩ものではなく、ある種特別な意味を持つ言葉として紹介される。
『日本の路地を旅する』(上原善広著、文春文庫版)。
ここでいう「路地」というのは、いわゆる被差別のことである。作家の故・中上健次が自らの作品の中で「路地」という表現をしたところから取ったもので、この「路地」を旅するというのは、中上健次へのオマージュの意味合いもあってのことである。
著者は大阪の「更池」というところで生まれ育ったとある。それは大阪のどこかということがまず疑問にあったのだが、だいたいこの辺りというのは特定できる。著者は自らが被差別の出身ということを前提に置いて、日本の各地にある「路地」の今の姿をいろいろと見て回り、その土地の人たちの話を聴いたということで、そのまとめがこの一冊である。
「路地」というか、このところ被差別や同和問題について書かれたものといえば、一方は現在でも続く差別への批判を感情的に、あるいはネチネチと書いたもの、また一方では「利権」という視点から書かれたもので、それこそ地区の住民全てがヤクザであるがごとく描いたものである。どちらにしても、大多数の読者をして被差別、同和問題に対する理解を損ねるばかりか、毛嫌いする、差別を助長するようなものがほとんどと言っていいだろう。
それがこの一冊はそういう感情を抑え(これはあえて抑えているのだろう)、「路地」の成り立ちや歴史について、自ら歩いて調べたことと、文献などで伝わっていることをうまく織り交ぜている。一つのテーマ、こだわりを持った紀行文という読み方もできるし、差別問題の現在のナマの姿を客観的に描き出しているという読み方もできる。「路地」も時代の流れにともなって少しずつ変わりつつあるのも確かで、現在の姿はこういうものかと読み取ることができる。自らの生い立ちや肉親との関わりを小説風に描いた章もあるが、そう難しく構えることもなく読み進めることができる。
被差別の問題はその人の出生地に関することであるが、これに対して著者が投げかけた一節がこちら。
「生まれた環境は選べないのだから、それを嘆くよりも、これからどう生きていくのかが最も重要なことになるのではないだろうか。自らの不幸の原因を差別や貧困、障害、家庭事情に求めることもできるだろう。しかし自分がどのような知識を得るのか、そして誰に出会い、選択し決断していくのか。人それぞれに違うもので、そこに生い立ちが関係していたとしても、選択は自分にある」
これは被差別の問題にとどまらず、さまざまなことに言えるのかもしれない。差別されているからと自らの可能性を否定したり、あるいは「できないことの言い訳」にするのもどうだろうか。厳しい表現ではあるが、これから「差別のない社会を」ということで取り組むうえでは、一人一人の気の持ちようもかなり影響してくるということだろう。
本書は「路地」がその街に誕生した経緯についても触れており、それも歴史の一面とも言えるだろう。江戸時代の各地の藩主が産業発展のことも狙って、特殊な技能を持つ一団を無理やり城下町に住まわせたことから、いつしかそこが「路地」ということで差別対象になったり、藩と藩との間に住まわせることで国境を行きかう人々に対するスパイの役割を担ったり。決して教科書では触れない側面についても、歴史の事実として紹介されている。本書では「更池」以外は名前は伏せられているが、「ああ、あそこのことだな」と特定できる人たちが結構いるかもしれない。
うーん、これは学生や新社会人が、仕事をするうえで避けて通れない問題として本書を読んで感想を述べ合うとか、自分ならどう生かしていくかということを討議する、というような使い方が似合っているかもしれない。次年度の新社員研修で使ってみようかしら・・・・。
本日26日は近鉄復刻ユニフォームでの最後の試合。対西武3連戦は「10・19」の翌年の1989年、西武、オリックスとの三つ巴の優勝争いを制したシーズンを振り返る、というテーマであったが、ここまでいいところなく連敗。3連戦の最後は、緊急入団したイタリア人投手・マエストリに託すことになったが、「果たして何回まで持つか」というくらいの期待であった。
恐らく私にとって今季のライブ観戦はこれで終了かというところ。
この日は大学時代のバイト仲間(あれから15年以上経過するがまだまだ交流あり)のMさん、そして野球観戦でご一緒するのは初めてのKさんにWさんとともに一塁側の内野上段に陣取る。まあ順位のこともあるだろうが客足は鈍く、前の復刻試合であったロッテ戦の時も同じ感想を持ったのだが、こういう「ガラガラの客席」というところまで復刻されてもなあ・・・という感じである。ただ、「甲子園の客席の狭さに比べれば断然こちらのほうがゆったり見れていいですよ」「ライブでここに来るときはいつも満員で、やはりこれくらいのほうが」という感想をいただく。
試合前のイベント。この日は金村義明氏がゲストとして「メモリアルピッチ」を行うことは告知済みであったが、その前にチアとともに登場したのがABCの「このへんトラベラー」に出演のチュートリアルにノンスタイル。そしてもう一人、前日に続いての登場となったラルフ・ブライアント氏。何と、金村氏が投手としてブライアント氏と1打席勝負、内野を「このトラ」の4人が守るということになった。結果はボテボテのゴロだったが二遊間を抜けるヒットということで、ブライアント氏の勝利。さすがにあのフルスイング全開とまでは行かなかったが、まだまだ元気そうで何よりである。
さて試合、先発のマエストリであるがなかなかテンポよく投げる。ストレートは最速145キロくらいだが、いろんな球種があるようでなかなか的を絞らせない。1回からヘルマン、中村という好調な打者から三振を奪う。
すると打線は1回、先頭のルーキー・小島の四球を足がかりに二死1・3塁と、西武先発の岡本を攻める。迎えたT-岡田のところでキャッチャー炭谷がボールをこぼして2・3塁とチャンスを広げ、そしてT-岡田がライトへ鋭い当たり。これが先制の二塁打となって、マエストリに2点をプレゼント。
2回には一死1・2塁とまたもやチャンスをつくり、前日に規定打席に到達し、堂々と打率10位にランクインした川端がレフトオーバーの二塁打を放つ。まさに気分上々の3対0。続く後藤にも犠牲フライが出て4対0となる。何だか、前日までとは打って変わっての一方的な試合。まあ、マエストリにはこれくらいの援護は必要かな。
イニングの合間にスタンドの観客をカメラが映すのだが、たまにスタジアムDJが観客に「無茶振り」をすることがある。今回のお題は「ブライアントの物まね」というもの。当時の映像とともに何人かが当てられていくが、その間、Mさんたちと話す中で「ブライアントもそうですが、80年代にはオグリビーという選手もいましたね」と、バットをグルグルと回る仕草をやっていた。
すると、いきなり画面に出たのが私の顔。思わずビールを噴きそうになった。「オグリビーの真似をしていたのをキャッチされたんでしょう」ということで、しゃあなしに立ち上がってタオル振り回してのフルスイング(?)をやらされることに。友人たちは大爆笑。
3回にも日高の二塁打で1点を追加して5対0となる。さすがにこれだけあれば、後は中継ぎ・抑えにつなぐことを考えれば何とかなるだろう。マエストリもだんだんマウンドに慣れてきたのか尻上がりに状態がよくなってきた。首位西武相手とはいっても、初物ということであればさほど意識することもなく、自分のリズムで投げることを心掛けているのだろう。
ピンチらしいピンチといえば6回、連打で無死1・3塁という場面を迎える。ここでヘルマンの当たりはピッチャー強襲。何とか止めて一塁でアウトを取るが、この間に1点入る。しかしこの後で秋山、中島を退けて追加点を許さない。ここまで球数も少なく「こうなったら完投を狙ってほしいですね」というのが一同の願い。
仕上げは主砲・李大浩。ヒットの川端を置いて、完璧な当たりがレフトスタンドのレストラン席へ。ドスンという音に「あれでガラスを割ったらカミナリおじさんが出てきたりして」というところで7対1となる。李大浩が調子悪かったのは竹島問題が絡んでいたから・・・ということではないが、これで本塁打王争いの中村の目の前で再びリーグトップに立つ21号。これから復調に向かってくれれば。
もうこうなれば岸田、平野の出番もないだろう。その後もテンポよい投球を披露したマエストリ。終わってみれば109球、無四球、11奪三振ということなしの内容。試合時間も私が観に来た中では珍しく2時間35分ということになった。
開幕当初はローテーションを任されていた投手が皆いなくなってしまった状態。そんな中で独立リーグ出身のイタリア人がやってくれた(ちなみにインタビューは英語で答えていた)。自力でのCS出場もなくなったわけだが、新人たちと合わせてこのマエストリもジャパニーズ・ドリームをつかむため、これからの一戦一戦が大切になってくる。一応契約は今季限りということだが、ぜひとも来年もプレーできるよう頑張ってほしいものである・・・・。
最後は越後湯沢まで足を伸ばした今回の紀行、そろそろ帰途につくことにしようと思う。
越後湯沢からは北越急行に乗車する。新幹線から乗り継いできた帰省客で立ち客も出る盛況ぶりである。
上越新幹線と北陸方面のバイパス路線として建設された北越急行、単線ながらほぼ全線が高架橋とトンネルで、踏切も(おそらく)ない高速設計。乗ったのは快速列車だが高速でぶっ飛ばしていくのも面白い。特急「はくたか」は最高速度160キロと、新幹線以外の特急では最速を誇る。
そんな北越急行であるが、北陸新幹線が開業ということになれば「はくたか」の存在はどうなるのかが気になる。いくら最速といっても、北陸対東京ということになれば新幹線にはかなわないし、果たして従来通り運行できるのだろうか。となると、北越急行の存在意義すら問われかねない。ここはどうだろうか、新幹線開業後にJRから切り離される並行在来線を引き継ぐ「えちごトキメキ鉄道」と経営を一本化してみては。地域密着の経営というが、体力のない者がそれだけで存在するよりは、ある程度の距離の路線を持って地力をつけておいたほうがよいと思うのだが・・・・。
そういうことを考えるうちにトンネル群を抜けて上越地区の平野部にやってきた。朝からぐるりと一周して再び直江津に戻る。ここで4分の乗り継ぎで北陸線の列車ということになるが、あえてここは1本後の列車に乗ることにする。こちらだと金沢行きで、乗り換えの回数も少なくなるということで。
その間に昼食として駅弁を購入。前日には「鱈めし」を購入したが、こちらもお目当てであった「磯の漁火」を買い求める。サザエ、イカ、エビ、タラ昆布、もずくなど海の幸をふんだんに盛り込み、締めがコシヒカリのおにぎりというもの。これも「居酒屋駅弁」のジャンルに含まれるだろう。ということで駅売りの八海山(コップつき)も合わせて買い求める。
乗り込んだ急行型車両は昭和43年製造とあるから私よりも年上だ。こちらも設備は古いし、旧型の洗面所も残るが、シートはゆったりしたものである。これで金沢まで3時間。
直江津を出ると日本海にしばらく触れ、トンネル群に入る。日本海を眺めながら「磯の漁火」で一杯やるのはいいが、結構列車が揺れるのがわかるし、駅に停まる時には結構急ブレーキとなる。テーブルの上に置いていた弁当や酒のコップがひっくり返りそうになる時もあるので常に気を付けておかなければならない。
糸魚川に到着。こちらも新幹線の駅となるため工事が進んでいる。以前に降り立った駅舎も現在は閉鎖されて仮駅舎での営業のようだ。ホームには「糸魚川駅開業100周年、大糸線全線開通55周年」の看板があり、現在新幹線駅が建設中のところにかつてあったレンガ造りの機関庫の絵があしらわれていた。私もその機関庫はホームから見たことがあるが、時代の移り変わりとはいえ、あれだけの立派なものを何らかの形で残すことはできなかったのかなと思う。あ、現実では残せないから絵で残ったということか。
この後は親不知や市振といった難所を超え、再び日本海に接する。朝は曇りがちだったがここに来て空も晴れ、夏の日差しが降りかかってくる。ブラインドを下ろさなければ暑く感じるところだ。いい天気だなと思うが、実はこの日、関西では朝から豪雨に見舞われており、JRの京都線内では線路に土砂が流れ込んで列車の運行にも支障が出ていたのだが、この時はまだそういうことは知らなかった。
通るたびに駅の様子が変わりつつある富山を過ぎ、金沢に到着。ここでは10分ほどの連絡時間で次の敦賀行きに乗車。今度は新快速と同じ転換シートの車両で、車内は鈍行乗り継ぎで戻るのか関西弁の客も目立つ。そろそろ夕方の車窓となり、加賀から越前にかけてのところでは列車の影が水田の中に伸びるようになった。福井からは仕事帰りの人たちでまた賑わう。
敦賀に到着。ここまで来れば関西も近いということで「ようやく戻ってきたな」という感じになる。すぐに乗り継げばいいのだろうが、夕食の時間帯ということもあって一度改札を出て売店で食料を購入。こちらでは、敦賀の鉄道開業130年ということで、鉄道と港をテーマとしたフェスティバルを行うとのポスターを見る。かつては都と北国を結ぶ陸路と航路の拠点であったし、明治の鉄道開業にあたっても北陸の玄関として、またロシアへの航路の起点として重要な役割を果たしたところである。個人的にこういう交通の要衝の町というのは好きなので、時間があればこのフェスティバルの時期に来てみたいものである。
・・・ということでまた列車ということになるが、ここに来て列車の運休の案内を見ることに。JR京都線区間の4線のうち2線での運行を取りやめており、特急も一部運休、また新快速も終日運休ということになったそうだ。このため、次に長浜から乗り継いだ列車も、本来なら米原で新快速に乗り換えとなるところ、各駅停車として先着するためそのまま乗車することに。こうなるとまた大阪までの距離が伸びるような感じになる。さすがにもう雨は降っていないが、終日列車の運行を取りやめるとなると相当な被害だったのだろう。途中から乗車してきた客は「何で雨降ってへんのに新快速動かんのやろうか」と愚痴っていたが。
ようやく大阪に到着。すでに23時を回っていた。こうなると自宅に戻るのは日付を回るか回らないかというところ。文字通り「その日のうちに戻れれば」ということになった・・・・。
混戦のパ・リーグ(どこか1チームはおいてき堀を食らってますが)に水を差すような事件。ソフトバンクの堂上捕手が強制わいせつの罪で逮捕、球団が契約解除したというものである。
堂上捕手は独立リーグの香川所属時代に一度BCリーグとの独立リーグチャンピオンシップで見たことがあるのだが、特にBCリーグの選手と比べてみても迫力あったし、豪快な打撃で「これならNPBにも行けそうやな」という感想を持った。その後果たして育成ながらソフトバンクに指名されたと聞いて「なるほどな」と思ったのだが、今回の事件で改めて紹介された経歴を見ると、アメリカとの球団との契約合意に至ったものの犯罪歴ありとしてビザが下りなかったとか、社会人も短期間で退部したり(おそらくその「前科」のためだろうか)、毎年ドラフトの候補にあがりながらも見送られた結構「曰くつき」の選手だったそうだ。
今回の事件はソフトバンクやそのファンに迷惑をかけるだけでなく、独立リーグのイメージダウンにもつながりかねない。十分に塀の中で反省してほしい。
・・・さて、夏の旅行記もようやく最終日。
朝の直江津駅に現れる。これから乗るのが始発の快速「おはよう信越」である。かつて大阪と新潟を結んでいた急行「きたぐに」は、新潟県内に入ると始発の速達列車の役割も果たしていたのだが、「きたぐに」が廃止となった後はその時間帯を全車指定の通勤快速でカバーすることになった。この日は大阪に戻るのだが、極端な話その日のうちに戻れればいいとあって、それならばもう少し新潟県を回ろうということに。
国鉄型の485系に乗車。この車両に乗ることができるのもあと何年かというところで、おそらく、北陸新幹線の開業時が一つの目途ということになるのだろう。設備もだいぶくたびれてはいるが、安定した走りはまだまだいけるのではないかと思う。
盆休みのためもあるのか列車全体がガラガラである。直江津を出て黒井のコンテナ駅を過ぎ、松林の中を抜けていくと日本海に出る。今回は日本海は車窓のみで接するということになるが、天候が悪いようで晴れ間も見える複雑な空の下、少し波が高いように見える。
柏崎からは内陸部に入り、長岡に到着。ここで下車する。今度はここから上越線の列車に乗り継ぎ、今度は信濃川に沿って南下する。またも山深い車窓となり、高原ムードも漂ってきた。
やってきたのは越後湯沢。といってもスキーをするわけではなく、目的は「駅ナカ」である。いや改札の外だから正確には「駅ナカ」とは言わないのだろうが・・・・。東京時代、新潟や北陸方面を訪れるにあたり越後湯沢を通る際には駅構内で楽しんでいたのだが、久しぶりに訪れてみようということである。
改札を出るとなんだか雰囲気が変わっていた。このたびリニューアルしたようで何だかよりシックになった感じである。書店で車内用の一冊を買い求め、飲食と土産物屋のコーナーへ向かう。まず向かうは「ぽんしゅ館」である。
こちらでは新潟県内の各銘柄の試飲ができるのがすごい。気に入ったものがあれば、横の販売コーナーで買うこともできる。500円でコイン5枚を買い求め、1枚でおちょこ1杯分を楽しめる。またその「アテ」として味噌やら全国の塩をつまむことも。銘柄があり過ぎてどれを選べばよいか迷うのだが、本醸造から純米大吟醸まで幅広くあり、日本酒度や甘口・辛口もさまざまあり、必ず好みの酒が見つかることである。まあ、すべてを制覇しようと思えばどれだけ飲むことになるのやら・・・。
もう一つが魚沼産のコシヒカリのおにぎり。かつては土産物コーナーの一角に食堂があったのだが、リニューアルにともなってテイクアウト専門になった。そこで出されるのが「爆弾おにぎり」。一個でコシヒカリ1合。その中に地元の具材を入れ込み、全体を海苔で巻いたもの。テイクアウト専門なら持ち帰って列車の中でいただけばよさそうなものだが、やはりそこは現地で食べたいものだ。今回は鮭とふき味噌を選択し、コシヒカリをこれでもかという感じでフリースペースでいただく。
一個で1合というのも大概だが、メニューには4合に5種類の具材を入れ込める「大爆おにぎり」というのもある。かつて私はこの「大爆」を二度完食したことがあり、その時には「完食記念」ということで店の方にポラロイド写真を撮ってもらったのだが、今回レジで精算する時に、他の歴戦の勇士たちに混じって、大瀑おにぎりのサンプルを抱えてご満悦の私の写真がまだ残っていたのにはびっくりした。よくもまあ、アホなことをやっていたものである。
リニューアルにともない、日本酒を入れた温泉も新しくなったようだが開店時間にはまだ時間があり、時間的にそこまでは滞在できないので残念ながらそれはまたの機会の楽しみにする。そのほかの食堂街もリニューアルしたり新規オープンしたりというのがあるので、関西からではなかなか訪問は難しいが越後湯沢の駅にはまた来たいものである。
温泉は駅すぐの旅館の前にある足湯で済ませることにする。夏休みまっただ中ということで朝から賑わっている一帯、また楽しみにしたいものである・・・・。
今日23日は高校野球の決勝戦、プロも注目の藤浪投手擁する大阪桐蔭が大阪第2代表・・・もとい青森代表の光星学院を下して春夏連覇。低迷が続く関西野球にあって明るい話題である。
・・・それにしても、今日は夜の札幌ドームでの日本ハム対オリックスの試合をテレビ観戦しているのだが・・・ホンマなんちゅう試合やねんという試合。「札幌ドームのマウンドが合わない」などという言い訳を残して早々とマウンドを降りた、高校時代は剛速球で鳴らしたとされる先発投手の寺原(あんたプロで何年投げてるんや)。打線も何かヤケクソになっているし・・・。ここはぜひ高校野球を見習って全力プレーをしてほしいものであるが、川端、海田といったルーキーたちには期待したい。
さて、旅行記の続き(まだダラダラやってます)。
そろそろ夕方の妙高高原を後にして直江津行きに乗車する。スイッチバックの二本木なども過ぎ、少しずつ高度を下げる。周囲には水田も多く広がるようになった。
再び北陸新幹線の高架橋を見る。脇野田駅に隣接して新駅ができるという。その時は「上越」駅ということになるそうだが、これが結構「上越新幹線」と紛らわしそうである。新幹線の「上越」は上越線から来ているが、これは上野と越後を結ぶからそういう呼び名。一方こちらの「上越」は上越市から来ているが、これは越後の中でも都に近い順に「上越・中越・下越」という呼び名ということで。まあ、こちらの「上越」駅の利用客が今後どの程度見込まれるかというところだが。
それよりも、新幹線の開業とともに並行在来線がJRから切り離されることのほうが個人的に気になる。妙高高原駅にもポスターがあったが、「えちごトキメキ鉄道」とかいう名前で、北陸線区間が「日本海ひすいライン」、信越線直江津~妙高高原が「妙高はねうまライン」というそうだ。うーん、ここまで来ると日本の(貨物を含めた)鉄道網もグチャグチャやなという気がする。路線名もまあ、最近はやりの愛称ということであれば営業上致し方ないのだろうが、口に出して言うとちょっと恥ずかしくなるかな。一方、これで「信越線」というのが高崎~横川、長野~妙高高原、直江津~新潟とズタズタになるということで、こちらは実態に沿った路線名に変更すべきではないかと思う。
そんなことを思ううちに、高田を過ぎて直江津に到着。この日はこちらで宿泊となる。交通の要衝ということもあってこれまでに何度か宿泊したところである。この日は駅の正面にあるホテルハイマートにチェックイン。窓から駅舎やその向こうに広がる車庫、列車の入る様子も見える側の部屋である。
ただ、そんな直江津にも一つ難点があって、飲食店がほとんどないということである。宿泊すればたいてい居酒屋に入るのだが直江津ではその記憶がなく、時には10分ほど歩いてイトーヨーカドーで惣菜を買って済ませたということもあった。
さてこの日は・・・駅前を一回りしたがなかなか「これ」という店がなく、一軒あった海鮮料理の店は外にまで行列ができている。食事で並ぶということが嫌なのでそこはパスしたが、結局ホテルの中の料理店に落ち着く。こちらではヒラメの刺身や直江津名物という「するてん」をいただく。つまりはするめの天ぷらであるが、素材の味がよく出ている。
やはり直江津は「駅弁」が一番いいのかもしれない。これあるを見越して下車した時に「鱈めし」を買っていて(駅弁を出しているのがこの日宿泊のホテルハイマートというのがいい)、料理店はそこそこにして、それを部屋でいただく。棒ダラの焚いたやつにタラコという親子めしであるが、おかず一切れでも十分に酒の相手が務まる。
新たな発見が「サッポロクラシックが新潟で飲める」という内容のコピーがついた「新潟限定ビイル 風味爽快ニシテ」というもの。これは、日本で初めてビール醸造技術を学び、札幌の開拓使麦酒醸造所でビールを完成させた中川清兵衛という人が長岡の出身ということで、その先人に敬意を表する形でこの夏発売されたものである。「風味爽快ニシテ」というのは当時の宣伝につけられたそうだが、なかなか爽快に味わえる。
外では雷鳴が響くようになり、そしてポツポツ来たかと思うと窓を叩きつける豪雨になった。ここにも来たかゲリラ豪雨。友人からのメールでは関西でもところどころ豪雨になっているということで、このところ猛暑と豪雨がセットになっている日本の夏を感じさせる。
この日は早めに寝ることに。翌日は1日かけて大阪に戻ることに・・・・。
姨捨駅からスイッチバックで善光寺平をくだり、長野へ。ここで下車して善光寺参りということもあるが今回はパスする。松本城、善光寺、今回は有名な建物とは縁のない旅である。この日はこのまま信越線で北上する。やってきた車両がそのまま直江津行きになるという。30分くらい停車するので一度改札を出て、案内所でパンフレットをもらう。
直江津行きは結構混雑して発車。車両の留置線を見ると、なぜかアルミ車体にオレンジ・緑の帯をまとった211系の姿を多く見る。この辺りで使用する予定でもあるのだろうか。
豊野で飯山線が分かれる。建設中の北陸新幹線の高架橋も飯山方面に行く。新幹線が飯山へ行くとは結構遠回りのように思うが、妙高の山々を超えるよりはそちらのほうが新幹線にとってはいいのかもしれない。
妙高高原に到着。この日の目的地は妙高である。列車で通ったという以外で訪れたのは高校の時。私の通っていた高校は「修学旅行」というものがなく、「宿泊校外学習」という名称で登山をメインにした行事であった。私の学年で訪れたのがこの妙高で、あの妙高山にも登頂したり(今の私なら考えられないことだが・・・)、リンゴ狩りなどの自然体験も行われた。今にして思えば、単に観光地をぐるぐる回るだけの旅行よりは、なかなかできない体験ということで貴重なものだったなと思う。確か妙高登山の日はプロ野球の日本シリーズ、巨人対西武戦が行われており(当時はデーゲーム)、「早く下山して日本シリーズのテレビを見ようよ」と友人と言い合って、急ぎ足で下りたのを覚えている。
妙高高原駅前の観光案内所に荷物を預け、小型のバスに乗車する。これから向かう池の平地区は初めてである。
やってきたのは池の平にある妙高高原ビジターセンター。妙高の動植物や地形、人々の生活について紹介されており、妙高の一通りのことが学べるようになっている。妙高山登山だけでなく、さまざまなスポットのトレッキングを楽しむことができる妙高だが、半日、しかもバス移動となると訪れるところが限られてしまうのが残念である。
ビジターセンターの横にはいもり池が広がる。この池を手前に置いて奥に妙高山が広がる・・・のが一番の景色であるが、この日は時折小雨もポツポツ降るあいにくの天気模様である。妙高の頂上は雲の中である。まあ、毎日毎日晴天というわけにもいかず、これはこれで妙高の自然やなと納得する。
池の中にはちょうどスイレンの花が見ごろを迎えており、周りの緑も水分を含んで青々として見える。久しぶりに自然に触れる感じだなと思う。
また、少し行くと白樺の生い茂る森もある。関西では見ることのできない白樺を見ると、東のほう、北のほうにやってきたなと感じるのだが、森の中に入ると風の音だけが聞こえるのが日常なかなか味わえないところで、遠くに来たなと思わせる。
今回、妙高を途中下車の目的地にしたのは高校時代の妙高登山を思い出したというだけではない。
拙ブログでもお気に入り登録しているのだが、歌手・元ジャングルスマイルの高木いくのさん。現在少しずつ歌手活動を再開する中で書いている詞というのが、ジャングルスマイルの時のような激しく、時には重いものではなく、優しさ、和らぎを感じさせるものとなっている。その彼女が育ったのがこの妙高ということで、この自然が醸し出すものが歌詞の中に散りばめられていることがある。そんな唄の世界にちょっと触れてみたいなというのがあった。
いもり池あたりを回ったくらいでそんな偉そうなことは言えたものではないのだが・・・・。
このあたりは夏場の合宿に適しているのか、近くの道路を走る高校生、大学生の姿を見る。一軒の民宿には関東のある大学の幟が立てられており、陸上部らしいジャージ姿の学生も見る。ひょっとしたら来年の箱根駅伝に姿を見せていたりして。
一通り歩いた後で向かったのは、ランドマーク妙高温泉「温泉かふぇ」。駅から池の平に向かう途中にあり、結構大きな建物である。後はこちらで憩うことにする。内湯の浴槽も結構広く、また露天風呂は妙高地獄谷の泥を混ぜることで温泉成分を濃くしている。天候が良ければ浴槽から妙高山がばっちり見えるのだが、あいにくと雲が晴れる様子はない。
この施設はマンガコーナーやインターネットコーナーも設けられており、マンガは休憩の大広間にも持ち込むことができ、ビールを飲みながら読みふける人も見かける。まあマンガはともかくとして、私も遅い昼食を兼ねてこちらでくつろぐ。テレビではちょうど高校野球をやっているところだ。
ここで出たのが「妙高高原ビール」。妙高の湧水を使った、濃厚でいてさっぱりした味。ピルスナー、ヴァイツェン、ダークラガーの3種類があるが、この温泉かふぇでは飲み放題もやっている。私も3種類を飲み比べ、やはり王道ではないが、ポピュラーなピルスナーがよろしいですなとさらにお代わり・・・。何だか先ほどの高木いくのさんの世界はどこかに飛んで、また「飲み鉄」モードになってしまったなと。いかんなあ・・・・。
本格的なトレッキングをやろうというのなら時間は全然足りないし、1泊2泊滞在しなければというところ。まあ今回は鉄道旅行でも行けるところで、ということでまたの訪問を期待するとして、再びバスで駅に戻る・・・。
オリックス岡田監督、今季限りか・・・。まあ、ファンの皆さんには賛否両論あるのだろうが、3年契約の最終年、本来ならホップ・ステップ・ジャンプなんでしょうがそれがリーグの借金のほとんどを背負うという展開になったとあれば、もう言い訳は効かないのではないだろうか。一応、平野、岸田という勝ちパターンをつくったり、T-岡田を1年限りとはいえブレイクさせたということは評価するけど、結果がすべてのプロ野球にあってはもうここで腹をくくって、せめて来季に向けて「何かある」という試合をやりましょうぜ。
・・・・という展開になるとは露知らず、1週間前はまだ「西武に3連勝すれば逆転CSの目はまだある!」と言っていた時の話に戻る。
8月13日、早朝に松本のホテルを出立する。それにしても、いまどきああいうボロいまま残していたホテルがあったのものだと思う。施設が古いながらも内装をリフォームしているとか、もう少し居心地をよくしてくれればいいのになと思うのだが、まさに「昭和」を感じさせる部屋であった。まあ、お盆の時期、前日のナイターという中でホテルを押さえにかかったのが遅かったから仕方ないのだが。
別料金で朝食の提供もあったのだがそれももういいかというところで、コンビニで朝食を買い求めて松本駅に現れる。この日はここから北を目指そうというコースである。
115系の普通車両に乗車。駅で購入した信濃毎日新聞のスポーツ面では、オリンピック報道の次に、前日の松本市野球場でのDeNA対中日戦が来ていた。4打点の中村ノリ。3度の満塁のチャンスに、センター返しに犠牲フライ2本とチームバッティングに徹したように見えた打撃が、本音では「本塁打を打ちたかった」とあった。うーん、それが思うように打てなくなったのはやはり年齢のせいだろうか。でも、本塁打でなくとも存在感で十分に仕事していると思うんだが・・・。
新聞でローカル情報を見るうちに、11日の夜にも通ったコースであるが篠ノ井線の車窓はだんだん自然豊かになる。水田や山の木々、さまざまな緑がある。こういう国鉄型車両に揺られるのもいいもので、鉄道旅行を楽しんでいる気分にさせてくれる。
少しずつ高度を上げ、やってきたのは姨捨駅。ここでスイッチバックして長野に向かうのだが、私はここで下車した。長野には一本後の列車で向かうことにして、せっかくなので姨捨駅で下車して、善光寺平を見ながら朝食を取ろうということに。
列車が出発し、その様子をカメラに収めていた人たちもホームから離れてホームは私だけとなった。ここでコンビニの袋をバッグから取り出し、善光寺平、あるいはその手前に広がる棚田を見ながらの食事。
朝から気温が高くムシムシするが、それでも高原(?)の駅で景色をおかずにおにぎりを食べるというのもいいものである。
姨捨駅の硬券の記念入場券を買い求めたり、駅舎の風情を楽しむうちに松本方面の列車が来るとの案内。
そしてホームに出てみると、そこには、11日に出会ったハイブリッド気動車の姿。何でも長野~姨捨~松本~南小谷と向かうようで、沿線の山々を眺めながらの列車という。ここで長野方面への普通列車と行き違いということで、気動車からも多くの人がホームに出て記念撮影をする。
「日本三大車窓」の一つに挙げられる姨捨駅からの眺望、現在また投票を行えば、姨捨駅の評価はどうなるだろうか。ただ、日中だけではなく夜の景色も観ていることもあり、上位は動かない、いやそれどころか、夜景の期待できない他の「車窓」と比べても夜の楽しみがあるだけポイントは高いのではないだろうか。
また訪れたいと後髪を引かれる思いで姨捨駅を後にする(短髪ですが・・・)。果たして次回、このような形で訪れる機会はあるだろうか。その期待を抱きつつ、姨捨から長野まで一気に下る・・・・。
浅間温泉のバス停で下車する。この日の午後はここで過ごすことにしよう。
まずはどのような雰囲気なのか、温泉街をそぞろ歩く。昔ながらの格式のある旅館が並ぶが、昼間のこととてガランとしている。後で知ったところではドラマのロケとして使われた建物もあるという。またすぐ脇には普通の住宅街も広がっている。「浅間温泉」という名前からどうしてもあの浅間山を連想してしまうが、こちらは古くは飛鳥時代に温泉があったという記録が残っている。山の手には小ぶりな神社や寺も見え、不動明王の像のある滝でしばし憩う。
松本といえば現在J2の松本山雅FCがある。この浅間温泉でも応援の幟が見られる。松本山雅といえば昨年だったか、元日本代表の松田選手が練習中に急性心筋梗塞で亡くなるということがあった。チームはそれをバネにした形で今季J2に新たに昇格したことである。元々は地元のクラブチームであり、大きな企業がスポンサーということではなく、それこそ地元の人たちのサポートで運営されている、Jリーグの理念に沿ったチームということだろう。これからの健闘を期待したい。
さて、温泉街をひとしきり歩いた後でやってきたのが市営のホットプラザ浅間。630円の入浴料金だが、大浴場に露天風呂もあり、くつろぐことができた。
それよりもよかったのが休憩スペース。食堂があるわけではないが広間はゴロンと横になれるだけの空き具合。もうこれで十分。自動販売機で缶ビールを買い、それを飲んでしばし横になる。少し眠ったようだ。やはりせっかくの休みなのだから、こうしたのんびりした時間も必要かな。鉄道乗り継ぎ旅行は慌ただしく移動することが多いだけに・・・・。
少し太陽が西に傾く頃までここで過ごし、この後歩いて松本市野球場に向かうのであった・・・。
8月12日、松本駅近くのホテルを後にする。この日の夜は松本市野球場でナイターを観ることもあり、松本に連泊ということになるのだが、そのためにあらゆるホテルが満室となって私も別のホテルに移らざるを得ないということになった。まずは駅前のロッカーに荷物を預け、オリンピックのボクシング金メダルを伝える信濃毎日新聞の号外を受け取って、駅前のバスターミナルに向かう。
この日は鉄道に乗ることもなくゆったり目のスケジュール・・・のはず。松本といえば松本城や開智学校、古い街並みも残るところだが、今回はそれらを後回しにして、避暑を兼ねて松本から行ける高原にでかけようと思う。そこで出たのが美ヶ原高原である。
パソコンで調べると、松本駅から約1時間半、美ヶ原高原美術館行きのバスが夏季限定で出ている。ただ、朝と夕方に1往復ずつである。終点での折り返し時間は約1時間というところ。これなら、高原まで上がって1時間で折り返すか、それとも半日をフルに高原で過ごすかということになる。まあ、何もなければ高原で長時間過ごすのが魅力的だが、何せ野球があるから・・・・。ここは高原での1時間滞在というのを目的とする。
8時半発車のバスには10数人の乗客があった。半分観光バスのようなつくりであるが、身軽な出で立ちから重装備の人たちまで、午前中1本のバスを目的として乗り込んだ人が多い。
バスは市街地を抜け、浅間温泉を経由する。途中、松本市野球場の横も通るが、浅間温泉からは徒歩圏内である。温泉に宿泊してナイターを観る・・・ということができればなおよかったな、と思う。選手たちはナイターが終わればどこに宿泊するのかな。
浅間温泉、美ヶ原温泉で乗客があり、座席もほどよい埋まり具合となった。やはり高原を目指す人が多いのだろう。途中の温泉ホテルでは女将さんたちの見送りも受ける(ここから乗車した人もいる)。
さてこの後が本格的な勾配となる。しばらくは棚田のほかに、信州ワインの源でもあるブドウの畑が目立つ。勾配や気候がブドウの栽培に適しているのだろう。
ブドウ畑を過ぎると本格的な林道に入る。急なカーブも増え、少しずつ高度を上げていく。バスの旅というのものんびりしたもので、何度も徐行したり路肩に停車しては高原を目指すマイカーたちを先に行かせる。
途中、三城というバス停を過ぎる。反対車線にある停留所の標識のところでバスに向かって手を振る家族連れを見る。最初は、ここからクルマで降りるのにたまたまバスが通ったから祈念で手を振っているのかなと思った。ただ、少し先のカーブを曲がって後ろを見てもまだ手を振っている。「あの人たち、これに乗りたいんじゃないの?」と乗客の一人が運転手に声をかける。すると、「私もちょっとおかしいなと思ったんですが・・・」と、運転手は先に行くか停車するかちょっと迷ったうえ、「申し訳ないですがちょっとバックします」と、バスを停めてバックを始めた。そうするうちに「あ、来た来た」と家族連れが走ってきたのが見えた。これを逃せば事実上美ヶ原高原には上がれなかったわけだが、特に怒る様子もなかった。恐らく、バス停の標識が下り側にしかなく、どこで待てばよいかわからずに標識のところにいたということだろう。田舎のバスにありがちな、ちょっと不親切な案内である。
しばらく行くと、今度は運転手の様子がおかしい。心なしかエンジン音が変なようである。そこで一度バスを停めて外に出た。「すみません、車両の調子がおかしいようです。スピード落とせば何とか上までは行けますが、本部に連絡取ってみます」と、ターミナルに電話連絡。代車とエンジニアをよこすように言っていた。
ビーナスラインに入る。1500メートルから急な坂とカーブでみるみる高度を上げ、1700メートル、1900メートルと過ぎる。ただその間、坂道は30キロにも満たない速度での走行である。ここでバスにへたられたらどうしようもないが、何とか持ちそうだ。
終点の一つ手前の山本小屋で下車する。終点の高原美術館に行っても滞在1時間ではゆっくり見ることもできないし、高原らしい景色が広がるのは山本小屋のほうが近いこともある。バスから降りると、日差しはきつかったが涼しげな空気に包まれるのを感じる。
ここから歩くと牛や馬の放牧地や、美ヶ原のシンボルともいえる美しの塔に出る。こういう雄大な景色、鉄道旅行だけをやっていたのではなかなか出会うことがない。多少時間をかけてもバスに乗ってみるとか、今後はそういうことも取り入れていきたいな。
残念ながら、八ヶ岳や中央、南アルプス、富士山まで望めるというそこまでのことはなかったが、広い空ときれいな雲は素晴らしかった。
ただ、折り返しのバスの時間は近い。もう少し滞在したかったが現地を後にする。できれば、朝と夕方というだけでなく、その間でもう一本バスの便があればなと思う。
帰りのバスは定刻から少し遅れてやってきたが、運転手はそのままで車両は入れ替わっていた。今度は市街地を走る、ロングシートもある普通の路線バスの車両だったが、下り坂ということで軽快に飛ばす。ちょっと飛ばしすぎかな。カーブを曲がった時に窓枠に頭を打ちつけたりもした。
当初の予定では松本駅まで戻り、松本城や開智学校などを見てから再び浅間温泉に来ようと思っていたが、暑い中(やはり下界は暑かった)バスで時間をかけて行ったり来たりするのも面倒だし、まあ、城は前に見たからいいかなということで、せっかくなので浅間温泉で下車する。外湯もあるようだし、ここでのんびりするのもいいかな・・・・。
8月11日夜、この日は松本駅近くのビジネスホテルに宿泊。オンシーズン、そのうえプロ野球の試合もあるということでなかなか格好のホテルを探すのに苦労したが、駅近くで空きがあった。小ぶりながらも共同浴場があったり、部屋の窓からは松本駅に入る列車が見えたりと、なかなかのところである。
まずは荷物を置いて松本駅前に繰り出す。このエリア、町の中心に近いこともあるし、松本の駅自体が信州の交通の要衝ということもあってあちこちからやって来る人が多いのだろう、だから駅前に飲食店街がある。全国チェーンの居酒屋もあるし、郷土料理を売りにする店も多い。この駅前ゾーン、信州居酒屋の激戦区といってもいいだろう。
その中で入ったのが「信州」を前面に出していた「山里」という店。価格帯は格安居酒屋とはいかないが、信州各地(ここでは北、東、中、南に分けていた)の地場産の食材にこだわる感じがうかがえる。脇役の野菜にしても信州の農家が栽培したものを使い、「地産地消」を売り物にしている。結構人気店のようで、早い時間にも関わらず、私が入ってカウンターに陣取った後の客は、予約客でない限り断られていた。そんな中で飛び込みで入ることができただけでも「松本、やるやん」と思わせる。
そんな堅い店で、信州に来たならば馬刺しは外せない。「山里」での馬刺し盛り合わせは、ハラミ、心臓、大動脈という3点の盛り合わせがメインとのこと。大阪でも赤身の馬刺しくらいなら結構食べる機会があるが、さまざまな部位が出るというのは地元ならではと思う。この「山里」はほかにも鹿やイノシシ、キジの肉を使ったいわゆる「ジビエ」も味わえる。一人で来ると食べる量に限度があるのが残念で、つくづく、「こういうところは素敵な誰かと一緒に過ごしたい」と思うのである。
他に目を引いたのは「蕎麦の刺身」。もり蕎麦もメニューにあるのだが、蕎麦を打つ中で出てきた切れ端というか、そういうのを集めてこんにゃくの刺身風にこしらえた一品。食べる分には普通の蕎麦を切らずに伸ばしたものという感じで、これは珍しいものとして味わうことができた。これがあれば、わざわざ締めに蕎麦を注文する必要はないかな。
これらの一品を松本の地酒「山清」で相手にしていたが、ここで「せっかく信州に来たのだから、虫たちも口にしないといけないよな」というころで、その盛り合わせを注文。小鉢に出てきたのがイナゴ、蜂の子、ザザムシというところが、話に聞くほどにグロテスクではない。おそらく観光客でも食べられるように選っているのかもしれないが(地元の人たちが素で食うならこんなもんでは済まされないだろうが)、アルコールである程度舌の感覚をマヒさせてから一気にいただくのがいいかなと、失礼なことを考える。
さて松本駅前の名店の後だが、まだ時刻は早い。ここは青春18の利点を生かして何かに乗ろう・・・と思った瞬間に出てきたのが、篠ノ井線の姨捨駅。
この姨捨はスイッチバック式の駅として珍しいだけではなく、かつての「日本三大車窓」の一つ、姨捨駅から善光寺平を眺め下ろすスポットとして有名である。まして、この時期は「田毎の月」という言葉にもあるように、暦さえピタリと合えば、斜面の棚田も美しい夜景の演出手段となる。
普通列車があるのでそれに乗車し、闇の中を走る。そしてやってきたのが姨捨駅。
ちょうど多客期ということもあり、駅の内外は観光客で賑わっていた。やはり涼しさを求めてきたのかな。私もホームに降り立ち、北側のホームのベンチに腰かけて、善光寺平の夜景を眺める。さすがに100万ドルの夜景とまではいかないが、なんだかホッとするのである。長野市を中心とする善光寺平の皆さんも、夜景だからと特に力んでいる様子もないし。
ちょうどイベントの日ということか、駅舎内では何やら朗読が行われているし、ホーム上ではグラスなども利用したベル(でいいのかな)の演奏も披露されていたり。この姨捨駅を格好の避暑地として多くの人たちに楽しんでもあろうというサービス精神には感心した。
・・・と、そこにやってきたのが見慣れない車両。こちらはJR東日本が開発したハイブリッド型の気動車。非電化区間も混じったさまざまな路線に「営業」として登場している。この日も、この気動車を使った夜景ツアーというのが行われていたらしい。スイッチバックで引き込み線ができた姨捨、上り坂ゆえのハンデでいろいろあっただろうが、現在はこうして多くの人たちの人気スポットとまで呼ばれるようになったのは素直に喜んでいいだろう。
姨捨駅には1時間もいなかったが、列車行き違いもあり、再び山を越える形で松本に戻る。寝る前のオプションではあったが、何だかいいなと思った。夜景のロマンス・・・という展開にはならなかったのだが・・・・。
話は再び11日のことに戻る。
混雑した中央線の列車から奈良井で下車する。中山道69宿のうち11宿が木曽にあるが、奈良井はその中でも昔ながらの風情をよく残している宿場である。奈良井の駅からすぐのところにあるということで今回の立ち寄りスポットとした。同じように下車した人、また乗車してくる人も結構いる。駅舎も宿場町を意識したもので、駅舎内の観光案内コーナーに大きなバッグを預けて出発。
奈良井には昔に一度来たことがある。その時は冬場だったこともあり人通りもそれほどなく、静かな宿場町ということで気に入ったのだが、この日は結構な人通りである。夏ということもあるだろうが、中山道といえば馬籠、妻籠が有名な中で、この奈良井も観光に力を入れてきているからだろうか。
道の両側にはそば屋、喫茶店、土産物店が並ぶが、薬局や床屋など地元の人相手の商店もある。観光と日常がごっちゃになった感じだが、クルマや鉄道のなかった時代の中山道を行きかう人々の賑わいはこんなところだったのかなと思う。
こういう古い街並みをそぞろ歩くのが面白い。事前にそばの美味しい店、風情のある喫茶店などリサーチしてそこをめがけるのもいいかもしれないが、あまりそういうことを考えずに一介の旅人としてその街並みの風情に身を任せるのもいい。
街道のところどころに水場がある。地元の人たちの生活用水でもあるが、旅人も味わうことができるようだ。「飲用には一度沸かしてください」とあるが、少しならとそのまま飲んでみる。なめらかな味がする。そのままペットボトルに汲んでいくことに。
時折太鼓の音が聞こえる。ちょうどこの日は夏祭りが行われているらしい。「奈良井の祭りは格が違う」と描かれたTシャツ姿の若者たちが山車の周りに集まっている。これが威勢よく練り歩く・・・というよりは、少し曳いては停まりを繰り返している。何だかのんびりした感じだが、町の祭りというのはこういうものかもしれない。子どもたちが曳いたあとで、「さあみんなアイスだよ~」という光景も。
さらに街道を進むと一軒の民家。かつては木曽の木材を生かした櫛を扱っていた中村邸である。奈良井の典型的な民家の姿を留めるということで見学する。庇の形が独特である。
奈良井はNHKの朝ドラ「おひさま」のロケ地にもなったそうで、昭和初期の安曇野の町を再現するのに格好の場所だったという。この中村邸も飴屋の舞台として使われたという。案内してくれた係りの人からは、さすがに中までは作り変えることはできず(飴屋の中のシーンはスタジオ撮影だったとか)スタッフの休憩所として提供したとか、奈良井は町づくりの一環で電柱を家並みの後ろに立てているのだが、ロケの時にはわざわざ木製の電柱のセットを通りに沿って立てたとか、町の人たちも朝から夜までエキストラで撮影に協力したとか、撮影当時のことをいろいろと聞く。残念なのは、私がドラマを観ていないもので「ああ、あれがここですか」と同調することができないことだが、それだけ昔ながらの姿が残っており、朝ドラを機に奈良井が注目されることも多くなったことは喜ばしいことだろう。後は、あまりに俗化しすぎないことだろうか・・・。
さて、宿場の端にある鎮神社まで一歩きし折り返してくると鍵の辻のところで先ほどの山車が停まっている。カーブを曲がるから何か細工をしているのかと思って動き出すのを待つが、何やら様子がおかしい。近づいてみるとトラブル発生。木でできた前輪がバックリと割れていた。それを外してスペアの車輪をはめようと、山車をジャッキアップしたり、周りでああだこうだとやっているのだがなかなか上手くいかないようだ。
最後は大勢で山車を押して傾けて力技で車輪をはめこんだ。「最初からそうすればよかったんじゃ」などという声も聞こえてきた。さて仕切り直しで神社まで曳くことに。
またてくてくと歩いて駅まで戻る。次の列車まで時間があるが、その前に上りの中津川行きが到着していた。駅の中で過ごすよりは青春18きっぷの利点を生かして、一駅、藪原まで戻ることにする。
藪原も谷間の小さな駅で、小ぶりな集落が広がっているが宿場町までは少し距離がある。結局は駅舎を見るだけになったが、折り返しまでの時間、ホームで一人静かに過ごす。遠くで木を切るチェーンソーの音がする以外は静かで、ホームを涼しげな風が吹き抜ける。そういえば、中津川ではあれだけ暑かったのに木曽路に入ると涼しさを感じるようになった。駅の温度計を観ても30度を下回っている。
やってきた松本行きも先ほどではないまでも混雑していた。先頭部分に乗車し、先ほど下車した奈良井で多くの客を乗せて木曽路を抜ける。塩尻で客が入れ替わって松本に到着した・・・。
この夏の旅行も3日目が終了。明日大阪に戻ります。
さて、モバイルパソコンをバッグに入れて、初体験のWiMAX使用ということで(幸い、今回の宿泊地では無事につながって何より)、これで野球の観戦記録も書いた。ただ、野球の観戦記録はともかく、別に旅の記録をあせってその日のうちにアップしないといけないということではないので、後はボチボチとやります。
まあ、旅先にパソコンを持って出るのも、スマホもなければタブレット端末もないので。その分、当然重たくなりますわな・・・。
後は明日どうやって大阪に戻るか。当初は夜に飲みの約束があったので早くに戻るつもりが流れたので、その分旅先での滞在を長くしようかと画策中。・・・ひょっとしたら、久しぶりに「サイコロ」の登場かもしれない。
まあ、そのあたりのところは帰阪後に書くとして、御用とお急ぎでない方はまた拙ブログにアクセスいただければ・・・・。