こういう「週末鉄道旅行」というのも結構アホなことをしているなと思いつつ・・・。
3月12日、九州新幹線の全線開業を看板としたJRのダイヤ改正が行われるが、その一方で関西と北陸を結ぶ伝統列車として活躍していた特急「雷鳥」が、その名前での運転に幕を下ろすという。現在でもすでに朝の金沢発の8号、そして夕方の大阪発の33号という1日1往復だけの運転であるが、この後は全て新しいほうの車両で全て「サンダーバード」の愛称で統一される。
まあ、全てを「サンダーバード」にするなら、全て「雷鳥」でもいいのではないかと思うし、「雷鳥」という鳥の英語名は「サンダーバード」ではなく別の言い方なのだそうだが(単に「雷」を「サンダー」とし、「鳥」を「バード」としただけだが、それならばプロ野球の「富山サンダーバーズ」はどないやねんと)、ともかく、一つの時代の転換点と言えるだろう。
この「雷鳥」が注目されるのは、旧国鉄にあって全国標準型ともいえる特急型車両である485系が使われていることで、今回のダイヤ改正にともなって定期の北陸特急から外れるというものである。まして、JRになってから変更された塗装ではなく、国鉄の特急カラーが残っているということで、関西のみならず全国の「その筋」の人たちから注目されていたところである。
さて、そのダイヤ改正まで3週間を切った2月19日の夕方、私の姿は大阪駅にあった。2週間後には引越を予定しており、現在の部屋も荷物のダンボールやら整理処分品のゴミ袋であふれかえっているのだが、まさにそういう現実を一時でも離れようと言わんばかりである。なくなる前にもう一度乗っておきたい。いわゆる「葬式鉄」というやつであるが、最終日ではなく3週間前ということでまだよしとすべきだろうか。発車前に指定席券売機で空席状況を確認したが、指定席は十分に空席があった。これが普段の土曜日の乗車率といったところだろうか。
17時の大阪駅ホームには腰から刀・・・ではなく首からカメラをぶらさげた不逞の輩・・・ではなく「その筋」の人であふれ返っている。それこそ肩がぶつかったり、カメラの前に立とうものなら簀巻きにされて淀川に流されそうなくらいの殺気だった光景。3週間前ですらそんな雰囲気なのだから、最終日になると腕の1本や2本、首の一つくらいは線路の上に転がっているかもしれないな。神戸方面から9両の列車が入ってくると一斉に切先・・・ではなくファインダーがそちらに向かう。
ただそこは特別警戒の駅員が張り込んでいて「線から出ないで!」「そこの人もっと下がって!」「フラッシュは焚かないで!」と拡声器で警告を発しており、居合わせた人たちも紳士にそれに従っている。子どもを列車の先頭に立たせて記念写真を撮る親も結構いたが、順序良くやっていたようだし、それに対して罵声を浴びせるという光景もなく結構穏やかに時間が過ぎていく。
17時12分、車内は結構静かな雰囲気で発車する。初めから「雷鳥」狙いのその筋もいれば、ついさっき券売機で一番早い列車を選んだらたまたま「雷鳥」だったという雰囲気の人も。途中駅に停まるから乗ったという客もいるかもしれない。
私の乗った指定席の車両、昭和48年製造とある。私が生まれたのと同じ年である。人間ならば一般社会でそろそろ円熟期か、いやいやまだまだ若造かという境目の年代であるが、鉄道車両ならば結構古参の部類に入る。それでもどっしりとした安定感を感じさせるのは、当時の国鉄の技術ということだろう。乗っていても何だか落ち着くかな。
新大阪、京都を過ぎて湖西線に入る。京都で乗車する人も結構いたが、それよりも京都で下車した人も結構いたのも確か(本当に特急券を購入したのかどうか怪しい人もいたが)。残念ながら琵琶湖が眺められる区間に入った時には日も暮れ、淡々とした走り。帰りではなく、行きが夜にさしかかるという風景。うーん、これも「週末鉄道紀行」の世界かしらんと一人うなったりする。
なくなる前に乗ってみたいということで出てきたが、さすがに終点の金沢まで行って一泊しようとまでは思わなかった。そりゃ、翌朝の雷鳥8号で金沢から大阪まで帰るのが理想なのかもしれないが、途中まで乗ってその代わりその夜のうちに戻るのもいいかなと思う。
その折り返し点となるのは、やはり敦賀である。
ここならば18時30分という手ごろな時刻に到着し、日本海の海の幸をゆっくりと味わい、宿泊せずとも21時過ぎの列車から乗り継げば終電前に自宅に戻ることができる。何だか、雷鳥に乗るのが目的か、キタやミナミへ飲みに出る感覚で敦賀で飲むのが目的か、よくわからなくなってきた。まあ、これが「飲み鉄」といいますかな。
敦賀到着。大阪駅の賑わいに比べれば静かなホームで、2、3人の人とともに先頭部にカメラを向ける。運転手の交代があって発車。初めから最後尾まで、徐々に加速していく列車の雄姿を眺める。そしてグリーン車の赤いテールランプを見送る。ひょっとすればまだ機会はあるのかもしれないが、一応はこれで485系の「雷鳥」の見納めとなる。鈍行での旅行が多く「雷鳥」にはほとんど乗ったことはなかったが、一つの国鉄型の象徴ともいえる列車がなくなるのはやはり淋しいなという気持ちで一杯である・・・。
さて、記念に「雷鳥」の写真をあしらったクリアファイルに携帯電話用ストラップを買い求めた後、敦賀での夜ということでこれまで何度か訪れている店に向かう。魚問屋直営の「まるさん屋」。正直、町の居酒屋よりは単価が高いと思うが、魚へのこだわりというのかな、旅行客が若狭・越前の味を求めて立ち寄るのには適しているといえる。
店内の品書きを見るに、冬の北陸ということで蟹のメニューが並ぶ。ただし日々出されるズワイ蟹は「北海道産」という但し書き。蟹のコース料理で出されるのはこちらのようだ。なるほどね。本物の越前ガニはいわゆる「時価」の扱いで、この日はクラスが3つあり、最も上物で1パイが15000円ほどというもの。さすがに蟹の王様である。
一方で手ごろな値段、半身で840円というので出されていたのが「水がに」というもの。そういう種類の蟹がいるのかと店員に尋ねると、越前ガニの脱皮したての若いやつを「水がに」と呼ぶそうである。脱皮直後は殻こそ大きくなるが中身はまだ殻ほど太っていないというもので、殻も柔らかく身もほぐしやすいというもの。一つには殻の片方がら強く吸い込むと「ズボっ」と身が抜けることから、「ずぼがに」という呼び方もあるとか。地元でしか食べられないものということで注文してみる。
やってきた「水がに」。殻も歯や手で簡単に裂けるし、それこそ吸い込んだら身が「ズボっ」と口の中にやってくる。確かに柔らかいのだが、うーん・・・・やはり何だか中途半端なものを食べているというか、人間でいえばチェリーボーイを食べてしまっているというか、味もまだまだ熟されていないというか、複雑な味である。その甘味が「水がに」のよさなのだが、やはり私としては大人になってからの蟹のほうがいいかなとも思う。「こんな若い時でなく、もう少し肥えてから飲み屋の席で会いたかった」とも一人ごちる。
その後は福井の地酒「梵」(広島の盗塁王ではありません)を味わいながら、鯖のへしこ、小鯛の笹漬など、若狭、越前の味覚を楽しむ。
そう、これですわ。本来なら昨年に「混戦BB会」のオフ会でこの店に来るはずだったのが、私の仕事のせいで直前にキャンセルになったのを思い出す。その代わりで訪れたなんばウォークの「若狭」という店もよかったが、やはりその本場に来て味わうのは便利さに代えられない味わいがあると思う。
十分堪能したため、店を出たのは折り返しの実質最終となる21時10分発の米原行きの15分前。残念ながら売店は閉まっており、自動販売機でお茶だけ買い求めて乗車。すっかりいい感じで回ったせいか、この後は音楽を聴きながら列車の揺れに身を任せる。近江塩津あたりまでは記憶があったが、その後は米原まで気づかなかった。ただ米原まで戻り、その後近江八幡で新快速に乗り継いだが、途中の記憶はあいまい。それも、アーバンネットワークの幹線まで戻ってきてほっとしたためだろう。ここで日ごろの疲れも一気に出たとか。
結局大阪で下車し、阪急塚口まで戻ると日付が変わっていた。これ、土曜日の夕方から夜にかけての話なのでできたようなもので、さすがに日曜日の夜となれば疲れが倍増するだろう。やれやれ。
私なりの惜別乗車もできたかなと思う。これからカウントダウンが近づくにつれてもっと賑わい、もっと混乱するだろうが、それぞれが節度を持って楽しんでほしいものである。何はともあれ、まずは「お疲れ様、雷鳥」であるが・・・・。