水郷めぐりを終えて、ようやく主目的地の長命寺に向かう。ここもバスに乗ればよいものを歩いていく。距離は4キロは悠にある。
しばらく行くと湖に向かうほうの車線に、交差点でもないのに左折レーンが現れ、結構な数のクルマが曲がっていく。そこには「クラブハリエ」の文字。クラブハリエといえば甘い物にほとんど興味を示さない私でもバームクーヘンの店として知られている(会社にてお客様への手土産としても喜ばれていた)。近江八幡の「たねや」によるもので、この後で日牟礼八幡宮や駅前のブーメラン通りでも関連の店を見るが、どこも賑わっていた。
干拓地の外周に沿うように歩き、長命寺川に出る。晴天はいいが昼を迎えて暑さを感じるようになった。薄着でちょうどいいくらいだ。

長命寺川から離れると漁港の景色である。目の前は海ではなく湖だが、何せ広い琵琶湖。瀬戸内のどこかの小さな港に来たかのような風情の中、長命寺の碑を見る。


目の前には石段。どうしても見上げてしまう。808段あるというが、西国を回る中でこれまで難所とされてきた札所はクリアしている。前週の観音正寺は1200段の石段だったことを思えば楽・・・なはず。


石段は境内に一直線に伸びておらず、途中何ヵ所か曲がり、踊り場がある。息ははずむがとりあえず踊り場を目指し、着いたら息を整える。そしてまた上を見てふぁ~とか言いながら上り出す。

途中で駐車場に出る。クルマならここまで来ることができ、残りは100段。白の笈摺を着た巡礼姿の人もいたが、年を取るとさすがに石段は厳しいか、タクシーでここまで来ていた。先ほど乗った水郷めぐりの船頭も長命寺の案内をしていたが、「健康長寿のご利益のある長命寺、やはり808段の石段を上るのが良いようで。クルマで行って100段だけなら・・・その分お賽銭をはずんだほうがいいかもしれませんよ」と。私も「そらそうよ」と思うが、いずれ足腰が衰えてタクシーで来ることに、いやそれ以上に寺社参りそのものに出られなくなるかもしれない。そんな日がいつ何時来ないとも限らない。うーん、日頃の生活か・・・・。


休みながら何とか15分で到着。まず現れるのは本堂と三重塔。特に三重塔は丹色が鮮やかで新しい感じだが、昨年修復したばかりだという。それでも建物自体はそれぞれ室町後期、桃山時代のものという。


こちらも観音正寺と同じく聖徳太子の開創とされている。先の観音正寺には人魚の伝説があったが、長命寺はより話が大きく、武内宿彌が登場する。宿彌がこの山に上り長寿を願ったところ、300年の長寿を得たという。そして後に聖徳太子がここを訪ねた時に柳の木から宿彌が現れて、寺を建てるよう告げたとか。
そのためか、境内には本堂、三仏堂と渡り廊下でつながった拝殿があり、武内宿彌も神として祀られている。ちなみに武内宿彌という人は日本武尊や神功皇后と言った記紀の時代に名が出て、戦前にはお札にもなった。でも一人で300年とはね。実際は「初代武内宿彌」「三代目武内宿彌」なんてのが何代か続いていたりして。

というところで、息を整えて般若心経のお勤め。そして朱印帳と納経軸である。それぞれいただいて軸をドライヤーで乾かしていると、「これが掛け軸ですか、すごいですね」と50代くらいの夫婦に声をかけられる。札所めぐりを始めたばかりのようで、朱印帳は買ったが納経軸はどうしようかと迷っている様子。結局、持ち歩くのが大変そうということで軸は断念したようだ。あらあら、私も軸は親からのミッションで途中から始めたものだが・・・。


境内の奥には鐘堂があり、さらには太郎坊宮がある。ここは琵琶湖の展望台だ。西から南への眺望が開ける。立派な建物を擁し、こうしたいい景色も見られる長命寺だが、入山料、拝観料はない。別に拝観料の有無で寺を評価するのではないが、地元の人たちからの信仰や「健康長寿の観音さん」を前面に出して身の丈に合わせて運営しているのだろう。どことは言わないが、境内全て回ると2000円以上かかるとか、宗派の中でカネや力にモノを言わせてあれやこれや無茶をやって非難をうけてるとか・・というところとはだいぶ違う。

で、長命寺。本堂の前、ちょうど石段を上りきって琵琶湖が望めるところに石碑がある。4年前に建てられたそうだが、ここには「琵琶湖周航の歌」の6番の歌詞が彫られている。
「西国十番 長命寺 汚れの現世(うつしよ) 遠くさりて 黄金(こがね)の波に いざ漕がん 語れ我が友 熱き心」
ここで、「長命寺は藤村の10番とちゃうやろがボケェ!、掛布の31番やろ!」とツッコむ方もいるだろうし(「藤村と掛布」というのは私が勝手につけたことですが)、一方で「あの歌の『西国十番長命寺~というのは間違いだ』というのは昔からの常識ですよ。今さら何を言ってるんですか」と物知り顔で言う方もいるだろう。

「琵琶湖周航の歌」の作詞は、プロの作詞家ではなく、当時第三高等学校(今の京大)の学生だった小口太郎が、ボート部の合宿で琵琶湖を回る中で書いたものとされている。おそらくこれまでにも研究されているのだろうが、長命寺を31番ではなく10番にしたのはなぜか。別に深い意味はなく、西国の札所順番にこだわるほどの知識や思い入れがあるわけではなく、詞としてリズムがいいから10番にしたのか。
今でこそ境内に6番の歌詞全部が載る石碑が置かれているが、この後で港の広場にあった石碑を見ると、前半部はばっさり省略され、後半のみが彫られていた。こういうのを見るとちょっと残念に思うが、歌として「西国十番」が定着しているならそれでいいのだろう。
さて帰りは駐車場から麓までの車道を歩いてもいいかなと思ったが、結局808段の石段を下りた。途中で何人かとすれ違う中で、階段を見上げて「あとどのくらいあるのか」という表情を見る。上りはやはり苦行だ。

石段を下りると時刻は13時を回っていた。ずっと歩いて空腹なので、昼食は門前の茶店に入る。土産物屋と食堂を兼ねた昔ながらの造り。ここでいただいたのはメニューの最初にある「名物 長命そば」。しばらくして出てきたのは餅が具のそば。これから石段を上るのに、餅を食べて力をつけるということか。
そして次の行き先だが、選択肢はとうとう2つに絞られた。
1、2、3・・姫路(圓教寺)
4、5、6・・東山(今熊野観音寺、清水寺、六波羅蜜寺)
サイコロで出たのは・・・「6」。次に行くのは秋の京都。さぞ混雑しているだろうなあ。

これから先ほどの八幡堀まで戻る。さすがに帰りはバスで戻る。朝は静かな風情だったが、昼を回ると結構な人の群れであった・・・・。