岩瀬浜から3人の乗客を乗せたバスは、富山港を後に富山新港に向かう。大型店舗や倉庫の並ぶ一角である。このバスは射水市内の乗客をライトレール経由で富山に運ぶためのものなので、富山市内では他の停留所に停まらない。もっとも、この3人が射水市内で下車するわけでもなく、実質ノンストップで走る。
いくら旅の道連れがいるといっても24時間のべつ幕なしでしゃべるわけではないので、このバスでは静かに過ごす。この車内からある人に携帯からメールを送ろうとしたのだが、周りには山のない平坦なところなのに、なぜか送信できない。うーんとうなるうちふと外を見ると、ロシア語で何やら書かれた看板のある工場だか倉庫だかの前だった。うーん、やはり東側諸国の陰謀が何かこのあたりに渦巻いていて、妨害電波を発信しているのか・・・?
射水市内に入ると「密航者注意」の看板が目立つ。この看板がやたら目立つのが北陸地区である。やはり大陸から船を漕ぎ出すとたどり着くのがちょうどこの辺りということで、まあそれが環日本海交流といわれるお互いの近さでもあるのだが、その片方では彼の国による拉致被害というのもあるわけで、何ともいいがたいところだ。
船岡という集落に入り、新港東口着。折り返しのバスには、ここから富山へ向かう人たちが結構待っていた。やはり、昼間の時間だと富山から帰るには早すぎるし、私たちが乗ってきたのは実質この人たちのお迎えのようなものだったか。ここから富山県営の渡船に乗る。
この渡船、富山新港の開港に伴いこの一帯を走っていた富山地方鉄道射水線が廃止されたことにより、その代替として開かれたもの。道路に準ずる扱いなのか、料金は無料である。また一時は24時間運航していたとのことだが、最近は深夜の運航にかかる経費削減のため、深夜は乗り合いタクシーでの代替とか。
先ほどの女性や、地元の自転車乗りの生徒などを乗せて出航。富山新港の河口を渡る。短い区間だが潮風に吹かれるというのはいいものだ。後ろを振り返ると立山連峰が相変わらずその姿をのぞかせている。
ただ、海のほうに目を向ければ、コンクリートの高架橋の橋脚が目立つ。これは富山新港近辺の道路交通の便を図るための新しい橋の建設工事である。うーん、確かに通行には便利なのだが、せっかくの眺望が妨げられるようで惜しい。また、その橋が開通すればこの渡船はどうなるか。まあ、各地を見渡せば、大きな橋のたもとの短い区間で運航していると線はまだまだあるし、第一、地元の歩行者や自転車の往来を考えれば、高架の橋を通らせるくらいなら、船のほうがまだ安全である。だから「有料化」の話は出るかもしれないが、渡船そのものは残るのではないだろうか。
わずか5分ほどで越の潟着。目の前が高岡までの万葉線電車の越ノ潟駅である。やってきたのは前面に猫の顔を描いた車両。先ほどのライトレールと異なり、数十年ものの路面電車である。11月とはいえ、好天のためかえって暑いくらい。路面電車の窓を開け放しての走行である。途中から乗ってきた地元の子どもたちも、路面電車がよほど珍しいのか大はしゃぎ。窓から顔を出している子どももいたが、見ていてかなら危なそうだった。
路面電車に揺られ、中伏木着。貨物線の線路跡もあり、何だか殺風景なところだ。そしてここから乗るのが、目の前を流れる小矢部川を渡る如意の渡し。河口ではあるが対岸は目の前である。この如意の渡し、越中の国府を目の前にして、東側の守りの固めでもあるし、川を介した物流というのもあったことだろう。そのためか関所のようなものがあり、あの源義経が東国へ落ち延びる際、この如意の渡しの川守が義経ではないかと怪しむ。そこで出たのが武蔵坊弁慶で、疑念を晴らすために義経をさんざんに打ち据える。その時の傷が元で義経が亡くなった・・・とそこまでいうのは冗談として、あの「安宅の関」のエピソードの元祖はこの如意の渡しでの一幕ではないかという説がある。どちらも言い伝えとか芝居の話かもしれないが、それだけ、関所とこの渡しが当時同じような役割を果たしていたということには変わりがないだろう。
さてその如意の渡しだが、乗り場に掛けられた時刻表では日中15分ごとのようで、あいにく前の便が行ってしまった直後のようだ。ただしかしよく見ると、「定時運航は7時と19時の2便」「その他は時刻表を目処に運航」と、かなり大雑把というか、いい加減な時刻表である。そういえば以前に乗ったときもそうだった。時刻表の時間になっても船が現れず、しびれを切らして川べりに出たら、その瞬間に待ってましたとばかりに対岸から船が出てきたのである。これも「時刻表を目処に運航」ということだったか。その時は気づかなかったなあ。
さて今回はその逆で、私たちの姿を認めると対岸から船がやってきた。その様子からして、乗客のいない昼間は客がなければ運転していないのだろう。
この如意の渡しのすぐ上をまた工事中の橋脚がある。これも、射水地区と伏木、氷見を短絡する橋という。こうなるとやはり橋が開通した時のこの如意の渡しの行く末だが、「今はいろんなこと言われてるけどねえ・・・。その時にならんとわからんよ」と船頭の言葉。ただこちらも、観光的要素もあるので存続するのではないかな。そんなことを思いながら下船する。
如意の渡しはこちら伏木側が本拠地のようで、ちょっとした公園にもなっている。その中にあるのが、如意の渡しで弁慶が義経を打ち据えるところを描いた銅像。小矢部川、さらには立山連峰をバックに写真が撮れる場所なのだが、ここで建設中の橋脚が邪魔をする。地元交通のためには橋を掛けるのも一つの手段であるが、やはりもう少し何とかならなかったのかなとも思う。
さて、富山散策フリーきっぷは如意の渡しと万葉線まで有効。このまま引き返すという手もあるが、せっかく来たのだから近くの氷見線伏木駅まで歩き、お互いJRのフリーきっぷ、周遊きっぷを持っているのだからと、終点の氷見まで行こう。ただ、氷見行きの列車まで少し時間があるので、こちらも日本海の物流拠点、いや越中の国府があったのだからもっと古い時代からの港町である伏木駅の周りを歩くことにする・・・・。(続く)