まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

西武・森慎二投手コーチが死去

2017年06月29日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
28日のプロ野球、バファローズはイーグルスと弘前で対戦。試合前には青森・三沢高校出身の太田幸司さんが梨田監督と「バッテリー」を組んでの始球式もあった。ともにイーグルスのユニフォームでというのは旧近鉄のファンとしては複雑な思いはあるが、これはこれで良い企画だったと思う。写真で見た弘前の球場は、津軽富士・岩木山がよく映えていて、いつか一度観戦してみたいと思ったほどだ。

試合はバファローズが敗れ、これで自力優勝は消滅した。本当に春先の勢いは何だったのかとガックリと来る。まだ3位ライオンズを追いかけてのクライマックスシリーズ進出の可能性はあるので、残り3ヶ月は頑張ってほしい。

・・・さて、そのライオンズ関連で28日に悲報があった。森慎二投手コーチが福岡遠征中に体調不良を訴えて入院したのだが、そのまま急死した。42歳とは私よりも若い。死因は多臓器不全とされているが、この言葉、最近よく耳にする。ネットで言葉の意味をいろいろ調べたが、ある意味では本当の原因が特定できない病気とも取れるし、ある意味では突然襲ってくる致命傷とも取れる。

森慎二さんといえば、現役の頃はライオンズの中継ぎ、抑えとして、旧近鉄のファンとしてはチャラい金髪姿に抑えられたのを覚えている。当時は女性関係でもいろいろあったと思う。で、メジャーにも挑戦したが肩を脱臼して、結局1球も投げずに引退。オイオイ、と思ったものである。

しかし、引退後は良き指導者、兄貴分として頑張っていて見直した。BCリーグの石川ミリオンスターズで投手コーチ、そして監督を務めていたのを観戦したことがあるが、落ち着いた大人の感じの雰囲気で、若い選手たちとも気さくにコミュニケーションを図っていた。何よりも、四国アイランドリーグとの独立リーグ日本チャンピオンシップで、BCリーグのチームを初の日本一に輝かせた功績は大きい。

一昨年からライオンズのコーチに起用されたのも、そうした独立リーグでの指導実績が買われたはずで、指導者として順当にステップアップしており、後々に1軍監督になれば、独立リーグファンとしても面白いなと思っていた。それが久しぶりにニュースで出たのがこの悲報で、まことに残念である。

謹んで、ご冥福をお祈りします・・・。
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三重県内サイコロの旅・8~三重に乾杯

2017年06月28日 | 旅行記D・東海北陸
熊野市から紀伊長島行きの鈍行に乗車する。この列車もロングシート2両の気動車で、乗り込んだ2両目は、我々二人の他は、釣竿を持った中学生くらいの男の子4人組だけ。「ああいう休みの過ごし方ができる子どもたちって羨ましいですよね」と同行の鈍な支障さんが目を向ける。

さて我々はと言えば、車内で昼食とする。通常ならロングシートと言えば、いくら汽車旅であっても周りの目があって飲食ははばかられる。ただ、この状況である。中学生たちもドアを挟んで離れたところに座っているが、他に客はいない。そこでシートを広々と使うことにする。

そして、先ほど買ったさんま寿司のお供は・・・その名も「三重に乾杯」。キリン一番搾りが各都道府県の名前をつけたご当地風ビールである。ロングシートでビール・・・日常ではあり得ない。ただこれも、このサイコロの旅ならではである。「美し国(うましくに)の名にふさわしい、三重だけの特別な味わい」とあり、海女さんと真珠をイメージしている(CMには親子三代の本物の海女さんが出演している)。三重の中でも伊勢志摩を連想させるかな。外に見える黒潮はひょっとしたらイメージが異なるのかもしれないが、これも三重の景色である。ともに美味しくいただく。

これで人心地ついたか、中学生も下車してまた1両貸し切りになったことにあり、これも掟破りでシートに横になる。支障さんもご丁寧に靴を揃えてシートに横になり、しばしウトウト。私より小柄なぶん、シートにぴったり合っているように見える。

尾鷲を過ぎても乗客がほとんどない中、15時07分、終点の紀伊長島に到着する。そして前の記事にも書いたが、次の多気行きは当駅始発の16時20分発と、1時間以上待ちである。乗ってきた車両はドアが閉まる。ただ時刻表を見ても、紀伊長島から折り返す列車もないし、多気方面からの列車が折り返すわけでもない。おそらく乗ってきた車両が多気に行くのだろう。ならば長時間停車で乗せてくれればいいと思うが(以前にこの駅でそのような経験あり)、そこは運用の都合や安全面のことがあるのだろう。

乗ってきた客の中にはそのままホームのベンチに座る人もいたが、我々は改札を出る。来る時に案内板でチェックしていた道の駅「紀伊長島マンボウ」に行くことにした。駅を出て右手の細い道を行く。しばらくして片上池に出るが、水が澄んでいてきれいな感じである。

10分あまりで「紀伊長島マンボウ」に着く。マンボウは、あの魚のマンボウである。この辺りには結構生息している。そして道の駅の売店にはさまざまな海産物が売られているが、マンボウもその中に入っている。いや、入っているどころか、地元ならではとして結構アピールしている。マンボウ・・・食べるのか、なら食べてみるかと、土産物として切り身と、「こわた」と呼ばれる内臓のパックを買い求める。他にも黒潮のカツオやマグロの加工品も多い。思わぬ買い物タイムとなった。ちなみにマンボウは帰宅後にホイル焼きにしてみたが、切り身は白身の味がよく出ていたし、「こわた」は、同じホルモンでも牛肉のミノに似た食感だった。なかなか良い。三重県の食でマンボウが入って来たとは、出発前にはノーマークで、これも三重の奥深さだと感じる(一方で、事前の打ち合わせの中で話題に出たヤドカリを見ることはなかったが)。

それぞれに買い物をして、駅に戻る。「三重県に行って来ました」というようなお菓子を買った支障さんだが、「『三重に行って来た』と言って『どこへ?』と訊かれたら笑うしかないですね。平田町に桑名、四日市で熊野市でしょ。伊勢神宮でも、鳥羽賢島でもないと言ったらどんな顔するかな」と。確かにね・・・。まあ、そこは「ええじゃないか」で・・・・。

駅に戻ると、やはりここまで乗ってきた車両が停まっていて、これがそのまま多気まで行くという。発車の10分前にエンジンが起動して、それから車内灯もついて中に入れた。さてこれから多気、そして松阪に向かう。まずは荷坂峠を上り、紀伊から伊勢に戻る。梅ヶ谷の次は大内山と、往年の名力士の四股名続きの区間である。

さて、「大内山」と目にしてピンと来た方もいるかもしれない。往路の車中で前の車両に乗っていた小学生の子どもたちである。「乗りますかね」「いや、奴等はこの列車に乗るに違いない」と、ベタなドラマにありそうな張り込みの刑事みたいなやり取りでホームに着くと・・・乗ってきた。一体大内山に何があるのやらと、支障さんが前の車両に向かう。中に孔雀の羽を持っていた男の子がいたそうで、どうやら大内山動物園に行ったようだ。検索すると、これも三重県では有名なようで、個人経営ながらさまざまな動物がいるようだ。動物の餌やりやふれあい体験もあったり、孔雀の羽は生え換わったものが土産物で売られているようだ。なるほど、動物園なら子どもたちが楽しめるところで、駅から1キロあまり歩くのも、ちょっとした遠足気分だろう。で、車内の様子は・・・支障さんが事前に予想した「シートで爆睡」という感じではなく、行きほどではないがまだまだ元気かなと思わせる。

多気に到着して、参宮線から来る亀山行きに乗り継ぐ。松阪に着いた。JR側の改札から一度外に出る。先の小学生たちも改札を出て、親御さんたちの出迎えを受けていた。トラブルなく子どもたちが帰って来たということで親御さんも安堵の様子、そして支障さんも安心したように見えた。

改札を出たついでに近鉄の特急券を購入する。空席はあるが二人並びはなかなかなく、券売機を操作して何とか確保した。ちょうど、志摩方面から大阪に戻ろうと混雑する時間帯である。構内のコンビニで食材を買い求め、車内でまずはサイコロの旅成功を乾杯で祝す。後は将棋でいうところの「感想戦」である。改めて、支障さんが熊野市を出してくれて旅の幅が広がったことに感謝する。

列車はいつしか青山トンネルを抜けて伊賀の国である。そういえば今回、広い三重県の中で伊賀は目的地にならなかったし、志摩の鳥羽も滞在12分である。当初の、幅広い三重県を満喫しようという主旨からするともう少し回れたのかなとも思う。

・・・ならば、いずれどこかのタイミングで「第2回」をやらなければならないかな。今回訪ねられなかったスポットも入れながら、新たな旅の魅力を感じさせるということで・・・・。
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三重県内サイコロの旅・7~世界遺産の奇岩と神社

2017年06月27日 | 旅行記D・東海北陸
四日市を出たのが朝の8時、近鉄の急行とJRの鈍行を乗り継いで熊野市に到着したのが12時43分、何とも長い汽車旅となった。天気が心配されたが何とか持ちそうだ。

さてこれからサイコロの目で出た鬼ヶ城を目指そうとするが、改めて案内板を見ると駅から1.8キロとある。熊野市の滞在時間が1時間15分しかない中で、これは歩いて回るには少し厳しいかなと思う。路線バスは通っているがダイヤは合わないし、タクシーを使うのもどうかと思う。

ここでふと、同じような奇岩ということで獅子岩はどうかと思う。ここなら駅から1キロの距離で、さらに300メートル先に花の窟神社がある。いずれも熊野古道の一部としてユネスコの世界文化遺産(今度は正真正銘形のあるもの)に指定されている。長い歴史古道のごく一部のスポットではあるが、ここまで来た甲斐がこれで出てくるというものだろう。

駅前の商店街を獅子岩方面に歩く。古い感じのホテルや旅館もあり、獅子岩の先の国道42号線沿いにはユースホステルを兼ねた青少年の家もある。少し離れてイオンとオークワの看板が並んで見えて、先の記事にも書いたが三重県の中でも和歌山方面とのつながりが強い、紀州らしさを感じさせる。そんなことを話すうち、交差点で信号待ちをしていた自転車に乗った地元の人らしいおっちゃんを見かけるが、着ていたTシャツにはなぜか「南海ホークス」のロゴがあしらわれていた。中日ドラゴンズではなく、(三重県に多くの路線を持つ)近鉄バファローズでもない。和歌山県に乗り入れている南海というのが「三重の紀州らしさ」を連想させる。

獅子岩に到着。青空の下・・とはいかないが、浸食されて獅子が吠えたような形になっているのは見ていて絵になる。自然の力でこうなるというのも不思議なものだ。

こうした岩があるが、その周りは七里御浜という長い砂浜の海岸線が続く。奇岩と滑らかな砂浜が並ぶというのも珍しいもので、支障さんも「風光明媚で良かったです。地球が丸いというのが感じられた」と感心する。おかしなもので、こうした黒潮の景色を見ると、サイコロでこの目が出てよかったと思う。改めて支障さんは「ミスター」と言っていい。

少し先へと花の窟神社に向かう。境内に入ると「日本最古」と書かれた幟が並ぶ。創建の伝承としては、神々の母であるイザナミノミコトがカグツチノミコトを産んだ時に焼かれて亡くなった後、この地に葬られたという。以来、土地の人たちはこの地の巨岩(窟)に花を手向けて祀ったことから、花の窟神社と呼ばれるようになったという。日本書紀にすでに記述があるそうで、天照大神の伊勢神宮よりも古いわけである。もっとも、今のように神社と称するようになったのは明治時代以降で、古くは岩そのものをご神体として手を合わせていた自然信仰が今に続いている。

改めて見上げると、これも長年の自然が造り上げたのか、独特な形である。イザナミノミコトかどうかはさておくとしても、古くからの「窟」という石への自然信仰が古くからあり、やがて東海岸から熊野詣をする人たちも手を合わせるようになって名が広まったことである。伊勢信仰とはまた違った雰囲気の熊野信仰。現在はパワースポットとして訪れる人も多い。

獅子岩と花の窟神社を回ると結構いい時間となり、昼食がまだなのだが今から店に入るのは時間が心配である。ふと、神社の横がちょっとした土産物コーナーになっていて、覗いてみると熊野名物のさんま寿司があった。南紀の代表的な料理だ。また、めはり寿司は売り切れのようだったが柿の葉寿司があった。それも、一般的な鯖や鮭だけでなく、マグロもあるという。これは土産も兼ねて購入した。合わせて、「これも三重ならでは」というのを二人ニンマリして買い、それらは帰りの車中でとしたのだが、それが何かは次の記事で。

熊野市の駅に戻り、松阪までの乗車券を購入する。この後乗り継ぎで松阪まで行き、そこからは特急で大和八木まで進むことにする。さて、来た道と同じルートを戻るわけだが、この後はこの後で面白く・・・。
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三重県内サイコロの旅・6~紀勢線を鈍行で南下、熊野市へ

2017年06月25日 | 旅行記D・東海北陸
6月18日の朝8時、近鉄四日市から鳥羽行きの急行に乗る。前日からこの近鉄名古屋線を行ったり来たりしている。クロスシートのLCカーなので移動は快適である。これでまずは松阪まで向かう。

前の記事で、18日の最初はどこに行こうかというサイコロで、よりによって一番遠い熊野市の鬼ヶ城というのが出た。熊野市までは津、もしくは松阪からJR紀勢線に乗り換える必要があるが、特急「南紀1号」を利用した場合だと、熊野市には11時13分着。そしてもう一つ後の鈍行となると、多気乗り継ぎで12時43分着である。いずれにしても午前中は熊野市までの移動で終わる。また帰りが大変で、熊野市からは11時34分発の鈍行の多気行き、13時04分発の特急「南紀6号」、13時59分発の鈍行の紀伊長島行き(紀伊長島から多気行きに乗り換え)くらいで、その後は16時05分発の亀山行きまで列車はない。そういえば津や松阪に行く高速バスがなかったかと三重交通の時刻表も見るが、日中のバスはすべて名古屋行きで、津や松阪に行く路線そのものがなくなったようだ。

急ぐなら「南紀1号」に間に合うのだが、「どうせ行くなら鈍行にしましょう」という話になった。ただこの鈍行、多気から熊野市まで約3時間で、新型車両だがオールロングシートである。ロングシートの3時間というのも修行のような感じがするが、それもまたよかろう。なお、今度は着いて21分後の特急で戻るということはせず、13時59分発の鈍行までの1時間15分ほどで見学することにする。もっとも、そこから先は時間的にももう帰宅するだけで、サイコロを振ることはない。

「考えたら四日市から熊野市でしょ? 三重県南部もきっちり押さえることになりましたな」と笑うしかない。

8時55分、松阪に到着。熊野市までの鈍行は多気始発で、その多気には松阪9時24分発の伊勢市行きで移動する。それまでの時間、いったんJR側の改札を出て、窓口で熊野市までの乗車券を購入する。乗り継ぎという形だが、せっかく松阪にも足を記すことから、ちょこっとお土産なんかも購入する。

紀勢線のホームに行く。前日は近鉄での移動のみだったが、今日はJRでの移動である。「JRとの乗り比べができるとは思いませんでした。紀勢『東』線にずっと乗るのはほとんど初めてかも」とは同行の鈍な支障さんである。いろんな形の特急や急行、普通の電車が行きかう近鉄と比べると、気動車の紀勢線ホームは雰囲気が違う。ちょうど名松線の列車が発車を待っていたり、老舗駅弁の「あら竹」の牛肉弁当の広告など見る。紀勢線の往年の列車がシリーズで弁当の掛け紙になっており、その掛け紙狙いで弁当を買うファンも多いという。私も購入しようか迷ったが、どうせなら昼食は熊野市で調達したいということで見送る。

9時16分、特急「南紀1号」が4両でやって来て発車して行った。繰り返しになるが、急ぐならあれに乗ればよかった。ただもう今は「鈍行で3時間かける」というモードになっていたのでそのまま。同じ列車を待つホームには小学生の児童たちが20人ほどいる。引率の先生が2~3人というところか。学年がバラバラのようなのでクラスの遠足という感じでもなく、地域の子ども会のお出かけだろうか。まさか熊野市まで行く・・・わけはなく、伊勢神宮とか、鳥羽のほうにでも行くのだろう。あ、でもそれなら普通は近鉄に乗るかな。「こういう時、先生はなかなか大変なんですよ。で、ルールやマナーに厳しくて怒る先生と、怒られた生徒をケアする役回りの先生がいて、何とか全体を乱さないようにしているんです」「子どもたち見ていても、これぐらいの人数いたら先生を独り占めしようとする子もいれば、全く輪に入ろうとしない子どもとか、きれいに分かれるもんですよ」など、そちらの方面の仕事に就いている支障さんが分析をする。

伊勢市行きに乗車し、2駅で多気に到着する。ホーム向かい側に2遼編成のロングシート気動車が停車している。私たちは2両目に乗り込んだが、何と小学生の集団もどやどやと1両目に乗り込む。「こりゃどこまで行くのかな?」と興味深いことになってきた。まさか熊野市まで行くとは思わないし、熊野古道を歩くというものでもないだろう(もしそうなら、もっと山歩きにふさわしい服装をするだろう。特に女の子はスカート姿の子も結構いるので)。

9時43分、いよいよ紀勢線を南下する。気動車といっても最近の車両らしく、エンジン音も軽いように感じる。またロングシートの窓も大きく取っているので、向かいの席が空いていれば風景を広々と見ることができる。また、前の車両では早速子どもたちが騒いでいるようで、支障さんも興味を持ってか「ちょっと、トイレ行きついでに様子を見てきます」とそちらのほうに向かう。なお私たちが乗っている後ろの車両は、ワンマン運転のため一部の駅以外ではドアが開かないこともあり、乗客も少なく静かだ。

多気は伊勢平野の南端にあるところで、これから度会の山々に入って行く。3つ目に栃原という駅がある。ここから4~5キロ歩いたところに「丹生大師」の名で知られている神宮寺という寺がある。ここは西国四十九薬師霊場の一つで、現在の新西国めぐりを終えると、いずれは薬師めぐりで来ることになるところだ。この薬師霊場、今度は伊勢、伊賀、北近江、但馬といった、西国三十三所よりも広い範囲に亘っており、結構ハードだと聞いている。

山あいが深くなる中、駅ごとに乗客が降りていく。特に後ろの車両はガラガラで、こうなると客がほとんどいないのをいいことに、ロングシートにチンと座ることもなく、体を進行方向に向けて足をシートの上に乗せる。あるいはそのまま背中を倒す。普段の大阪の通勤電車では絶対にできないことである。こうしてしまえば、ロングシートの長時間の旅というのも耐えられる。いやかえって広々と使えていて快適だとすら思う。まあこれは今の時期だからで、「青春18きっぷ」のシーズンとなると混雑してこうはいかないだろう。

伊勢柏崎で後ろの車両にいた最後の客が降りて行くと、この車両は完全に私たち二人での貸切となった。「これ、カップル二人だけで貸切になったら、何か変なことになりませんかねえ」などといらん心配をしてしまう。一方前の車両は、他にも乗客はいるのだろうがこちらも小学生の貸切のような感じで、通路を走ったり吊り革で懸垂したりするのが見える。「そろそろ、子どもたちも列車に飽きてきていますね」という支障さんの指摘で時計を見ると、多気を出てからちょうど1時間というところである。

10時46分、大内山に到着。するとここで前の車両に動きがあり、子どもたちが一斉に下車して行った。駅前に大内山牛乳の工場が見えるくらいで駅前に何かある様子はうかがえないが、まあ、子どもたちが集団で降りるくらいだから、何かがあるのだろう。また、この分だと私たちが帰りに乗る列車に、大内山から乗ってくる可能性が高そうだ。「たぶん帰りはぐったりしてシートで爆睡しますかね」。

次の梅ヶ谷を境に荷坂峠を行く。今は同じ三重県だが、昔はこの峠が伊勢と紀伊の境であった。途中で長いトンネルもあり、これを抜けると前方に入江が見えてきた。11時に紀伊長島に到着。山の景色が一変して海の景色となる。

ここで28分の停車。3時間の中にはこうした時間も含まれている。この紀伊長島は伊勢と紀伊の境目ということで列車の始発、終点だったり。長時間停車があるのだが、だからといって駅前に何か目につく立ち寄りスポットがあるわけではない。私一人とりあえず改札を出てみる。スマホの地図によれば少し離れたところにはコンビニやスーパーのオークワがあるようだ。ここで和歌山を本拠地とするスーパーが出るということは、昔の紀伊の文化圏の現れなのかもしれない。改めて駅前の案内図を見ると、駅から1キロほど離れた国道42号線沿いに道の駅があるようだ。ここは帰りの立ち寄り地としよう。というのが、熊野市からの帰りの列車は紀伊長島までだが、そこから多気行きまで1時間20分ほどの待ち時間があるのだ。道の駅ならば食事や買い物も何とかなる。

さて紀伊長島から発車。ここから先はリアス式海岸が続くところで、海に接した集落と山地、トンネルが交互に現れる。紀勢線の車窓として面白いところである。そんな中で尾鷲に到着。三重県の南紀地方の中心的な町で、県の合同庁舎もある。ここからは火力発電所を囲むように海岸線をぐるりと回る。対岸に薄く見えるのが尾鷲市の須賀利町。昔からの漁村の景色を残すところで、映画やドラマのロケ地にもなることがある。中上健次原作、若松孝二監督の『千年の愉楽』で知った町だが、クルマでないとなかなか行くのは難しいところだ。中上健次は新宮の出身だが、彼の小説の舞台である「路地」の世界を映像化するのに適したところだったのだろう。そこは三重県だが「紀州」らしさが感じられる場所だったとして。

その後も曇り空、時には小雨も来る中で漁村をたどる。「日本一美しい海水浴場」と称する新鹿海岸も、さすがにこの時期、この天候では海に入る人の姿は見られなかった。

長かった鈍行の旅もようやく熊野市に到着した。列車はこの先熊野川を渡り新宮まで行く。それを見送り駅前に出る。1時間少しの滞在であるが、それまで黒潮の景色を見るとしよう・・・・。
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三重県内サイコロの旅・5~四日市の夜、恐るべしサイコロ

2017年06月24日 | 旅行記D・東海北陸
伊勢中川~平田町~桑名~鳥羽~四日市と回ってきた三重県内サイコロの旅。時刻は18時ということで、同行の鈍な支障さんとの飲みである。当初、宿泊地もサイコロで決めようとしていた時は、三重県のどのような食材をメインにするかプランはあった。桑名なら蛤だし(これは昼に食べた)、松阪なら焼肉、津なら餃子、鳥羽あたりなら海の幸・・・など。支障さんは「紀伊長島か尾鷲のほうで、やどかりを食べさせる旅館があったような」などと言っていた。

で、四日市ではどうなるか。今回は支障さんには申し訳ないが、宿泊地を私の一存で決めたついでに、店はここというのを決めていた。これまで三重を訪ねて、四日市から帰ろうかという時に訪ねている「串焼道場」。四日市で焼きとん料理をいただける店である。

それよりも、ホッピーである。東京の下町では多く飲まれているホッピー。私も東京勤務時代にそれにハマった口だが、ホッピーに最もよく合うとされるキンミヤ焼酎は、この四日市の宮崎本店の手によるものである。宮崎本店は日本酒のほうでは宮の雪というのが主力商品だが、全国的にはキンミヤ焼酎のほうが多いのではないかと(勝手に)思っている。最近は関西でも見かける機会が多くなったと思う。

串焼道場は15時~18時は「千べろセット」ということで、ビールもしくはキンミヤ焼酎2杯に串焼きと小鉢がつくというのがある。さすがに18時を回ったのでそれはないが、いつもいろいろな店を紹介いただく支障さんに、今夜は私が四日市の味を楽しんでいただくべくいろいろ勧める。ホッピーだけでなくバイスサワーもその一つ。

そして串焼きもいろいろ。焼きとんに加えて焼鳥もいただく。独特のタレ味もよいが、味噌味というのもなかなかいける。また、四日市の豚肉料理でメジャーなのはトンテキ。串焼道場にもしっかりとメニューにあり、食べやすいように一口サイズに切られた一品が出てくる。

テレビではAKBの総選挙をやっているが、おっさん二人には別にどうでもいいという感じで見る。いろいろドタバタがあったというのも別次元の話だ。また、四日市の夜といえばコンビナートの夜景ということになるが、夜景を楽しむ遊覧船は早くから満席になっている。まあ、支障さんには申し訳ないがおっさん二人で夜景見物というのも色気のない話だし、船の出る時間は間違いなく飲んでいる。こうしてあちらこちらの居酒屋を開拓するほうが面白い。

さて一通り飲み食いしたところで、大事なイベントがある。翌日18日の行程を決めるサイコロである。先ほどホテルの部屋で選択肢を作っておいた。次はともかく、三重県での雄大な景色、自然を見ようということで選んでみた。

1.御在所岳

2.赤目四十八滝

3.二見浦(夫婦岩)

4.大王崎

5.西青山駅

6.鬼ヶ城

1~4は観光スポットとしても名高いところなので選択肢として順当だと思うが、5、6となると何やねんというところだろう。西青山駅は近鉄大阪線の駅にして「秘境駅」に挙げられるところである。まあ、しゃれのつもり。そして6の鬼ヶ城は県南部の熊野市である。この三重県紀行では「三重は広いから、尾鷲や熊野市も含まれる。ひょっとしたらそちらに飛ばされるかも・・・」という話をしていたが、ここで伊勢ではなく紀伊の国のスポットを出してみた。6分の1なのでまあ出ることはないだろうが、もし出たら明日は大変なことになる。

そして順番ということで支障さんにサイコロアプリを委ねる。そして出たのが・・・・「6」。思わず「あ゛」という声が出た。店員さんにも何事か?と聞こえたかもしれない。これだけのところで「6」を出すとは・・・本家「水曜どうでしょう」のミスターさんである。

「ほんまに、熊野まで行くんですね・・・」と驚きの支障さん。冗談が本当になったような感じ。熊野市までどうやって行くか。JR紀勢線を長々と行くことになるが、近鉄からはどこで乗り継ぐか、またJRでは特急に乗るか鈍行で移動するか、それぞれ本数が少ない中で移動スケジュールを組まなければならない。いずれにしても午前中は熊野市までの移動に費やすことになり、帰りはもっと時間がかかることになる。事実上、サイコロを振っての移動というのは、明日は熊野市まで行って戻って終わりとなる。

「恐るべしサイコロ、恐るべし三重県の広さ・・・」支障さんのこの言葉に尽きる。これで夜の飲みはお開き。とにかく明日の県南部への移動のことを思うと二次会ということではなく、私が部屋で乗り継ぎプラン、折り返しプランを考えることにしてホテルに戻る。果たして、明日はどんな旅になることやら・・・。
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三重県内サイコロの旅・4~鳥羽滞在は12分

2017年06月23日 | 旅行記D・東海北陸
鈍な支障さんと行く三重県内サイコロの旅。桑名発14時27分の賢島行き特急で割り当てられたのはビスタカーの2階席。今度は伊勢平野を一気に南下する。ちょうど昼食後、特急の座席でウトウトしたくなる。

ただ、ここで鳥羽の選択肢を入れてよかったのかなと思う。特急券には発着時刻が書かれているが、鳥羽に着くのは15時45分とある。特急券を受け取って思わずびっくりした。特急でも1時間半近くかかるのか。鳥羽へは大阪からだと2時間少しかかるが、同じ三重県内でも北の端の桑名からだと結構かかるのかと、その広さを改めて感じる。

サイコロで出た「海の博物館」は鳥羽駅からバスで30分かかる。鳥羽に着いた後ですぐにバスに乗れたとしても16時半、ひょっとしたら受付終了かもしれない。名前に引かれて選択肢に選んだが、これはアクセス不可能か。支障さんに話し、何ならミキモト真珠島辺りに行き先を変更しようかと思う。このサイコロの旅では、取りあえず最寄り駅まで行けば、その先のスポット変更はやむなしとする。

起点となった伊勢中川に停車して大阪方面への乗り換え客を降ろし、山田線に入る。松阪、伊勢市、宇治山田と、私の職場でも毎年行う伊勢神宮参拝でおなじみの駅に停まっていく。池の浦では海も少し見えて、15時45分、鳥羽に到着する。志摩の国の観光の玄関駅だ。

さて、海の博物館を断念してこの後どうするか。鳥羽の次は宿泊地の四日市に自動的に移動となるが、それまでどうするか支障さんとともに考える。そして出た結論は、「鳥羽には一応来たことにして、もう四日市に行こう」というもの。まあ、鳥羽にはお互いこれまでも来たことがあるというのもある。ただ、乗車券は「週末フリーパス」なので運賃を気にしなくてもいいが、特急は乗らなくてもいいかなと。時刻表を見ると、特急以外の次の列車は15時57分発の伊勢中川行き各駅停車。まあ、途中松阪あたりから急行に乗り換えるのかなと、まずはのんびりと行くことにする。

一応鳥羽に来たということで、「また明日来るかもしれないから」と、駅の待合室から町並みを一枚撮影。ついでに土産物だけ買おうかと思ったが、レジに行列ができていたので断念してホームに戻る。ちょうどJR参宮線の快速みえが停まっていて、発車していった。JRの四日市と近鉄の四日市は離れているので選択肢はなかったが(ホテルは近鉄の四日市駅前)、今思うと行き帰りに変化をつけてもよかったかもしれない。

ともかく、鳥羽滞在は12分で折り返しである。途中五十鈴川で始発の名古屋行き急行が先発するとあり、そちらに乗り換える。近鉄独自の、ロングシート、クロスシートの二刀流が可能なLCカーである。

先ほど通ったのと同じ路線を折り返す形である。宇治山田、伊勢市、松阪と停まって行くが、ここまで来て伊勢神宮にも行かない、長々とやって来た鳥羽も12分で折り返し・・・「三重に行ったけど、どこ回ったんやと突っ込まれますな」と、支障さんも苦笑である。これもサイコロの旅らしい。

この日3回目となる伊勢中川を過ぎ、夕方の部活や仕事帰りの人も乗せ、近鉄四日市に到着。これでこの日の移動は終了し、駅の西側にある「レイアホテル」にチェックイン。宿泊サイトのポイントを使って若干値引きできたが、朝食もなく通常料金8000円は割高に感じる。早くから予定していればもっと別のホテルも選べたのだろうが、直前のタイミングで空いているだけでもよかったのかもしれない。

さてこれから四日市の夜である。ここで、同日行われたAKB総選挙に負けず劣らずの出来事が・・・?
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三重県内サイコロの旅・3~桑名に歴史あり、世界遺産あり

2017年06月22日 | 旅行記D・東海北陸
時刻は11時を回り、桑名に到着。近鉄名古屋線、JR関西線、養老鉄道、三岐鉄道北勢線と多くの路線が並ぶ(後の2路線は元々近鉄の路線だったが、移管された)。今回訪れてはいないが、3つの異なる幅の線路を渡る踏切もある。鉄道好きとしては、バラエティに富んだ車両を見ることができる。

さてそんな中で目指すのは桑名城。ちょうど昼前で食事をどうするか。桑名城まで1キロあまりなので、まずは城を目指して歩き、途中でめぼしい店があればチェックして帰りに入るとする。桑名は「その手は桑名(食わな)の焼き蛤」という言葉もあり、どうせなら蛤を食べたいところだ。

駅から「八間通り」に出る。この道は城までまっすぐ続く。なお、初めて知ったのだがこの通りにはかつて「日本一距離が短い路面電車」が走っていたそうだ。営業キロわずか1キロの桑名電軌で、昭和2年に開業したが、わずか17年後の昭和19年で廃止となった。元々、東海道の七里の渡しや桑名城など、町の中心は揖斐川沿いにあった。国鉄の関西本線は町の西外れを通るコースで、桑名電軌は桑名駅と市街地を結ぶ路線として開かれた。もっとも、計画ではさらに路線を伸ばし、最終的には四日市までの路面電車網を作ろうとしていたようだ。ただ、昭和の初期は乗り合いバスが全国に広がりつつある時期で、桑名電軌も苦戦。さらには戦時中には不要不急の路線とされ、廃止となった。もう少し早くに路面電車網ができていれば事情は違ったのかもしれないが、戦後にはマイカーの普及で全国で多くの路面電車がなくなったことを考えると、同じような運命だったのかなとも思う。

八間通りを進むうち、交差点の角に中華料理店がある。その上になぜか「薩摩藩士の墓」という文字が見える。「桑名、薩摩藩士・・・ああ、宝暦治水。何か聞いたことありますわ」と支障さんが反応する。果たしてその横が海蔵寺という寺で、平田靱負(ひらたゆきえ)をはじめとした薩摩藩士らの墓がある。宝暦治水とは江戸中期に幕府が薩摩藩に命じた木曽三川の治水工事であるが、幕府が薩摩藩の弱体化を狙って命じたものだった。薩摩藩からはこれを拒否して幕府と一戦まじえるべしとの強硬論が出たが、家老だった靱負は世のため人のため、そしてお家安泰のためとそれを抑えて命令を受け入れ、自らも美濃に向かい陣頭指揮をとった。しかし工事は過酷な条件であり、幕府からも多くの嫌がらせを受けた。それに抗議して自害する者も出るなど多くの犠牲を払いながら、何とか工事を完成させた。ただ靱負は最後に責任を取ってか、あるいは幕府への抗議か、自害してしまう。亡骸は国に帰ることなく、桑名の寺が引き受けて葬った。この事件も後の倒幕につながったかは別だが、「教科書で見たのか、道徳の話で誰かから聞いたのか忘れたけど、聞いたことがある」という支障さん。

桑名城の手前でこのような案内板を見る。「ユネスコ世界遺産登録」・・・桑名に世界遺産があったかなと首をかしげる。「世界遺産登録を『目指す』とか」「案内板の横に小さく『候補』と書いてあるとか」などと怪しむが、ならばどんなものかと、桑名宗社に向かう。

境内に入るとその謎はすぐに解けた。この神社で毎年夏に行われる「石取祭」が、ユネスコの「世界無形文化遺産」に指定されているとある。昨年、全国33件の「山・鉾・屋台行事」が指定されたが、石取祭もその一つである。世界遺産はいろいろな形があるものだ。

桑名宗社は春日神社の俗称があり、拝殿も桑名神社、中臣神社の二つが並んでいる。ちょうど神前での結婚式が行われていた。

桑名で思わぬ世界遺産に遭遇して、桑名城跡に着いた。揖斐川沿いに文字通りの平城である。揖斐川の堤防のほうが高い。

桑名城を建てたのは徳川四天王の一人である本多忠勝。後には松平氏の分家が何代か続く。当初は天守閣もあったそうだが元禄期に大火があって焼失し、以後は櫓を残すだけとなった。幕末には会津の松平容保の弟・定敬が藩主となり、京都所司代の任についていたが、薩長軍との戦いでは幕府側として朝敵とされた。結局下級藩士の反発で無血開城したが、開城の証しとして櫓が焼き払われた。

現在は九華公園として開放され、堀では亀がのんびり日向ぼっこしていたり、菖蒲が咲いていたり、本丸跡には神社がある。地元有志の手で、桑名城の歴史をわかりやすく紙芝居形式でも紹介している。「九華」というのは、中国に九華扇という扇があり、桑名城も扇状をしていたからその名がついたのだとか。また、「九華」は「くはな➡くわな」とも読めるからとも言われている。これも来て初めて知ったことである。

揖斐川の堤防に上がる。こうして見ると幅の広い川である。向かいが長島で、なばなの里やスパーランドがあるところだ。遠くにジェットコースターも見える。この辺りが三重県の北の端に近いところである。

川沿いに櫓が見える。これは水門の管理事務所で、あえて桑名城の櫓をモデルに建てて、中を展望室として開放している。先の宝暦治水や明治以降の治水工事範囲も紹介され、以前ほど水害は減ってはいるが、近年で大規模災害となったのが伊勢湾台風である。その被害の範囲が地図で示されているが、桑名の中心部も長い期間浸水の被害に遭った。

その事務所の向こうにあるのが七里の渡しの跡である。鳥居があるが、向いているのは熱田神宮だろう。今は鉄道や道路で木曽三川は簡単に渡れるが、当時は海を隔てたような感覚があったことだろう。ある意味では東国と西国の境目で、文化の境目にもなったエリアである。

さてそろそろ食事にしよう。蛤料理を何か・・・というところに、結構年季の入った建物を見つける。「川市」といううどん屋だが、蛤の文字もある。蛤料理の老舗は他にあるが、雰囲気が良さそうなので入ってみる。

こちらの名物は味噌煮込みうどんと餃子。さらに、蛤入りのうどんと蛤天丼のセットもある。せっかくなのでその本膳と餃子、さらには朝から歩き回ったからと、生ビールを1杯ずつ行く。うどんは支障さんはすまし出汁、私は味噌煮込みを選んだが、八丁味噌に蛤というのも新鮮な感じだ。よく味が染み込んでいて結構よかった。餃子はあっさり味で、これはこれでビールに合う。こういう形で蛤が食べられるとは、事前情報なくよくたどり着いた店である。

さて、桑名での記事が長くなっているが、次にやることはサイコロである。料理を待つ間に出走表を作ったが、町歩きが続いたので今度はインドアにしようと、博物館・ミュージアムを並べてみた。

1.三重県総合博物館(津)

2.四日市市立博物館(四日市)

3.パラミタミュージアム(菰野)

4.海の博物館(鳥羽)

5.伊勢志摩サミット記念館(賢島)

6.ルーブル彫刻美術館(榊原温泉)

いろいろ散りばめてみたが、私も行ったことがあるのは四日市の博物館だけである。なお、宿泊は四日市なので、2が出れば本日はここまで。また、他の目でも、終わったらその次は時間的にも四日市への移動である。ちなみに、伊勢志摩サミット記念館とは、昨年の伊勢志摩サミットが賢島で行われた記念に、賢島駅の上に新たにできたものだとか。先ほど駅のポスターで見て初めて知った。

今度は私の番ということで出たのは・・・4。桑名から鳥羽に飛ぶ。そろそろサイコロの旅らしくなってきた。今度は時間が合えば特急で移動することにしよう。

帰りは八間通りから横に入り、寺の多いエリアを通る。寺とアーケードの商店街が隣接していて、京都の新京極にも似た感じである。

桑名駅に到着。入口に、石取祭のパネルがあり、「ユネスコ世界遺産」の文字もあった。目立つ場所なのに先ほどは全然気づかなかった。

桑名というところ、町を歩いたのは初めてだったが、多くの歴史を持つ町(まさか世界遺産まであるとは)としてなかなかの場所だった。さてこれからどうなるかというところで、桑名14時27分発の特急券を窓口で購入。ここまでは良かったのだが、この先思わぬ展開になろうとは・・・。
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三重県内サイコロの旅・2~鈴鹿は企業城下町

2017年06月20日 | 旅行記D・東海北陸
三重県内を一泊二日でサイコロを使って回る旅。最初の選択肢は近鉄鈴鹿線の終点・平田町である。

「本田技研がありますね、名前は聞くところなんで行ってみますか」と、駅前の地図を見ていた支障さんの提案でそちらに向かうことにした。地図では1~2キロほどありそうだ。

平田町はさびしい終着駅なのかと勝手にイメージしていたが、駅前にも飲食店やコンビニ、ホテルなどもあり、県道も交通量が多い。

そんな中、立派な造りのレストランに出会う。「みさき屋」という、丁稚さんのキャラクターの看板がかかる焼肉店だが、鈴鹿名物「ぼつ焼」の看板や幟が目立つ。ぼつ焼?私も支障さんも初めて聞く名前である。調べると松阪豚のハラミ(横隔膜)の部位だそうで、稀少価値があるとのこと。この店が発祥で、これまでもテレビの取材などで有名なのだとか。そう聞くと食べたくなるが、残念ながら店は夕方からのみの営業である。うーん、鈴鹿に泊まるという選択肢があればなと残念がる。

その「みさき屋」と道を挟んだ南側には大きな工場がある。「旭化成体育館」という建物もあり、旭化成の工場であることがわかる。旭化成というと宮崎延岡というイメージがあるのだが、鈴鹿にも大きな工場があるのか。

そして、この鈴鹿の工場というのは、同社の主力製品で一般家庭でもおなじみのサランラップの製造拠点だと知ってなお驚く。発売以来50年以上鈴鹿で製造しており、5年前には工場もリニューアルした。これも三重かと一つ勉強になった。

その旭化成に隣接するのは広大なイオンモール。「こういうのを見ると、改めて岡田さんのところやなと思う」と支障さん。「岡田さん」というのは、四日市出身、現在のイオン(かつてはジャスコ)を創業、経営する岡田一族と、民進党の岡田克也議員である。イオンモールじたいは全国にあり珍しいものではないが、三重県で遭遇すると、「やはり本場ですな」「三重県らしい」と、二人してうなることである。

旭化成とイオンモールが向かい合う道を抜けると、やって来たのが本田技研の鈴鹿工場の北東端。せっかくなので正門まで向かう。さすがは世界的な自動車会社の主力工場で、守衛もものものしい。「旭化成のほうがオープンな雰囲気でしたね」と支障さんが評する。

そんな工場のフェンスに「祝」の横断幕が張られている。今夏の都市対抗野球の出場を祝うものである。ホンダ鈴鹿は東海地区の強豪チームである。都市対抗野球と言えば、私の勤務先企業もおかげさまで今年の出場が決まっており、そういえば組み合わせも決まったのではないかと検索する。私の勤務先企業とは、お互いに勝ち進めば準決勝で対戦することになる。およそ1ヶ月先のことだが、お互いがんばってほしい。

工場を一回りしようと歩くが、四角形の一辺を行くだけでも結構かかる。さすがに全部回るのは断念して、北西端のところで折り返しとする。ではここで次のサイコロにしよう。今度は「お城」をテーマとして選択肢を作った。

1.桑名城

2.津城

3.亀山城

4.伊賀上野城

5.松阪城

6.鳥羽城

城といっても、天守閣が復元されたものもあれば、櫓だけ、石垣だけというのもある。城そのものというよりは、城を含めた町並みを見ようという思いもある。

今回のサイコロは支障さんにお願いして、スマホをなぞってもらう。出た目は・・・1。桑名城、平田町からさらに北上だが、近鉄で行けるところであり、出目としては良い。こちらも通過するが歩いたことのない町で、新たな発見があるかと期待する。

歩いて平田町まで戻り、ぼつ焼が気になりつつも伊勢若松まで戻る。急行で晴天の伊勢平野を走り抜け、桑名に到着。そろそろお昼前である・・・。
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三重県内サイコロの旅・1~まずはサイコロの起点へ

2017年06月19日 | 旅行記D・東海北陸
このブログでも飲みや野球で登場する鈍な支障さん。例によって大阪市内で飲んでいた際に、話はいつしか「三重県」についてのことになった。

「三重県って近畿地方とも東海3県とも取れるし、どちらにも当てはまる文化がありますねえ」

「三重県って結構南北に長いですよね。近鉄の終点の賢島も県の中では真ん中らへんだし、北は桑名、四日市から、南は鵜殿村まで全部三重県」

・・・などという話の中から、あるいは同県の観光キャンペーンのキャッチフレーズの「実はそれ、ぜんぶ三重なんです!」から来る多様性やさまざまな名物などは面白いなとなり、ならば一度一泊で出かけますかということになった。決行は6月17日~18日。

おっさん二人での旅となると5年前にさかのぼる。本当はここにもう一人加えたいところなのだが、その人は6年前に長い長い旅に出たきりである。今から呼び戻すことはできない・・・。

さて、どこをどう回るかだが、いっそのこと「サイコロの旅」方式を取ることにした。どこに行くか、そしてどこに泊まるかをサイコロに任せるもの。当然、エリアは南北に長い県全体となる。その中で、同じ近鉄南大阪線沿線に住んでいるし、現地へのアクセスと県北部・中部の移動は近鉄がメインとなることから、近鉄の「週末フリーパス」を各自購入する。4100円だが、週末3日間有効だし、大阪からの移動プラスアルファで十分元は取れる。

また、サイコロの旅の起点は伊勢中川とした。近鉄大阪線、名古屋線、山田線の接点で、三重県には大阪線沿線の伊賀の国もあることから、どの方向にも行けるようにと選んだ。まずは朝の急行で伊勢中川まで行き、サイコロとする。そして宿泊は当日予約サイトを見て、空いているビジネスホテルを取ることにする。本家サイコロの旅のように深夜バスで博多まで行くとかいうのはない。

・・・そこまで支障さんと打ち合わせ、あと数日で出発という中で、どんなところが宿泊の候補になるかと、いつも利用している予約サイトを開く。ただそこで驚き。17日に空室のあるホテルがほとんどなかったのだ。特に連休というわけでもない普通の土曜日だが、普通に旅行やビジネスの利用が多いのだろう。他の予約サイトも同じような状況で、当日、6つの選択肢からどれになるかサイコロで!・・・と悠長なことは言ってられないようだ。やはり宿だけは決めておこう。近鉄四日市駅前でかろうじて1軒空いていたホテルを2部屋押さえる。これでゴールは四日市となったが、本家サイコロの旅のように時間内に戻れなければゲームオーバーではなく、そこそこの時間になれば四日市に強制移動とする。あくまで、三重のいろんなところをランダムに回るのがお楽しみである。

17日、朝6時すぎの近鉄南大阪線に乗り込み、橿原神宮前、大和八木と乗り継ぐ。大和八木7時13分発の五十鈴川行き急行で、4両の転換クロスシート車には立ち客も出ている。2分前に発車した宇治山田行きの特急はガラガラだったが。近鉄特急というのはトータルで見て黒字なのか赤字なのか、そんなことを言いながら、次の停車駅の桜井で席が空いたので座って移動。赤目口からはもう「三重県の旅」だが、まずは急行でそのまま伊勢中川に向かう。

8時23分、伊勢中川に到着。さあここでサイコロの1回目。もっとも実物を投げるのではなく、これまでも札所めぐりで使っているサイコロアプリだが・・・。選択肢は、「まずは列車を乗り継いで、鉄道の終着駅を目指す」というテーマで出した次の6つ。

1.阿下喜(三岐鉄道北勢線)

2.西藤原(三岐鉄道三岐線)

3.湯の山温泉(近鉄湯の山線)

4.賢島(近鉄志摩線)

5.平田町(近鉄鈴鹿線)

6.伊勢奥津(JR名松線)

北から順に並べたが、四日市あすなろう鉄道の内部と西八王子は外した。ナローゲージ枠は北勢線のほうが面白いかと。一方で伊勢奥津はいきなり罰ゲーム的要素がある。確か松阪を9時半すぎに出る便がある。「もし伊勢奥津が出たら、名張に抜けられないですかね?」とは支障さん。

最初は私がサイコロで、出たのは・・・5。平田町とは、この中ではもっとも地味かと思う。だからというわけではないが、私自身近鉄で唯一乗っていなかったのがこの鈴鹿線。こういう時でなければきっかけがなかったかもしれない。まあ、鈴鹿線は距離も短いので、次のサイコロにも早く移れるかと。

早速、ホームの向かい側に来た名古屋行きの急行に乗り継ぐ。同じ近鉄でも名古屋線、それもアーバンライナーではなく急行乗り継ぎも新鮮である。すれ違う列車の広告が中日新聞、車内でおっさんが広げるスポーツ紙が中日スポーツなのも、三重県らしい光景である。

8時56分に伊勢若松に着く。向かい側には9時02分発の平田町行きが停まっている。3両編成だがワンマン運転。幹線からローカル線の趣で、周りも広い水田が目立つ。

途中、沿線の中心である鈴鹿市で半分ほど下車した後、伊勢若松から10分ほどで平田町に着いた。このミニ路線であるが、私としてはこれで近鉄全路線制覇となる。別に支障さんに大々的に報告するものではないが・・。

このまますぐに折り返す手もあるが、まだ9時過ぎ、支障さんも初めての平田町はどんなところか。駅前の案内板を見ていた支障さん、まずは駅前が結構開けているのに感心して、「ちょっとここ、行ってみましょうか?」と提案する。それは面白く、別に時間は気にしないサイコロの旅。平田町はどんなところなのか興味を持ちながら、日射しがある中でまずは歩き始める・・・。
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海津西浜の湖岸の石積

2017年06月16日 | プロ野球(独立リーグほか)
先日、近江今津までBCリーグの観戦に出かけたが、せっかくなのだからと球場に向かう前にある場所に行っていた。

平日朝の新快速、12両編成だが京都で切り離し、前の4両が湖西線経由の敦賀行き、後の8両が琵琶湖線米原行きである。私が乗ったのは前4両のほう。京都で大量に下車し、湖西線内では座って移動する。

やって来たのは、近江今津からまだ先のマキノである。現在は高島市の一部だが、「マキノ町」というのは、昭和の時代には極めて珍しいカタカナ表記の自治体として知られている。集落としては感じの「牧野」なのだが、1955年の合併の際に、マキノ高原スキー場からその名を取ったとか、京阪電車の牧野駅と混同しないようにとかの理由がありそうだ。

湖西というより湖北と言ってもいいエリアに降り立ったのは、「高島市で何か立ち寄り場所がないかな」と調べるうちに、琵琶湖に面した海津の町並みというのが出てきたことから。マキノ駅からも歩いて15分とある。

まずは駅前通りを直進すると、地中海にでもありそうなしゃれた建物に出る。それを抜けると湖岸の砂浜が広がる。サニービーチというところ。左手には桜の名所である海津大崎から竹生島が見え、右手には砂浜、そして正面のはるか先には琵琶湖の対岸もうっすらと見ることができる。あの辺りだと、彦根から長浜にかけての一帯だろうか。湖の水も澄んでいて、宅地や工場も広がる南部とは違った感じである。

湖を右手に見て、砂浜沿いを歩く。遊歩道も一部整備されている。ただ時おり湖に注ぐ小川があり、さすがに越えられないので一度道に戻ったりする。

この一帯の海津、西浜というところは、古くから日本海側から琵琶湖を経由して京都や大阪に向かう時の、陸と海との接続地点だった。昔は琵琶湖の水運というのが東西南北に広がっていた。

ただ、琵琶湖というのは湖というよりは海に近い自然条件であり、台風や冬の季節風などで湖西や湖北は大波に悩まされることが多かった。そこで江戸の中期に、この地に石垣を築いた。

その後、石垣の先に造られた桟橋から舟が行き来する時代があったが、バスや鉄道の発達(特に湖西線の開通は大きかったと思う)により水運は衰退。現在は昔ながらの風情を留める町並みが残った。宿場町・・・というのではないが、昔ながらの酒蔵もあるし、やけに寺院が多いのが目立つ。一方でいかにも観光客相手の店がほとんどないというのもいい(集落の端に古民具店とカフェを兼ねた店があったが、この日は定休日だった)。

角度によっては、石垣の上に昔ながらの港町の建物を見ることができるが、湖上に舟を浮かべて町並みを見ると結構壮観なのかなと思う。

6月という時季なので集落の端でそのまま折り返したが、桜の時季なら名所の海津大崎まではこの先2キロほどで、そのまま歩くのもいいだろう。もう少し遠いのかとイメージしていたが、マキノ駅が玄関口とは意外だった。

そうするうちに、近江今津に戻る列車の時間が近づいてきた。駅近くのコンビニで昼食を仕入れて、あわてて駅に戻る・・・・。
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今年の交流戦も・・・・

2017年06月15日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
・・・それにしても、鈴木誠也というのはすごい選手だ。また今年も彼にやられたが、昨年はラッキーボーイ的な存在だったが、今年は新井やエルドレッドを押さえての堂々の4番としての仕事である。

それに引き換え、毎年4番を期待されながらもメンタルが弱い、爆発しきれないバファローズの55番は・・・山田哲人にも抜かれ、筒香にも抜かれ、そして鈴木誠也にも今や抜かれている。

まあ結局、交流戦では浮上のきっかけにならなかったということか。

バファローズの今季交流戦は6連勝でスタートして、まさかの交流戦優勝もあるかとさえ言われていた。しかしここまでトータルすると、

セ首位カープ・・0勝3敗(この記事を書いている時は3戦目の途中だが、勝ちはないだろう)

セ2位タイガース・・1勝2敗

セ4位ドラゴンズ・・2勝1敗

セ5位ジャイアンツ・・3勝0敗

セ6位スワローズ・・3勝0敗

・・・何のことはない、今のセ・リーグの順位に合わせた対戦成績である。交流戦前の泥沼のことを思うと健闘しているのだろうが、これだと「パ・リーグはセ・リーグより強い」とまで言い切ることができない。仮にバファローズがセ・リーグにいたとしても4位相当なんだろうなと思う。

この分だと、残すセ3位ベイスターズ戦が、2勝1敗になるか、1勝2敗に終わるかである。3連敗はないが3連勝もなく・・・いや、こんな予想なんか当たっても何にもないが・・・。
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BCリーグ観戦記・滋賀対群馬@近江今津(群馬が前期東地区優勝)

2017年06月14日 | プロ野球(独立リーグほか)
試合前の記事が長くなったが、ようやく試合開始。群馬は前期の東地区優勝までのマジックを1としており、この試合に勝てば優勝である。

滋賀の先発は左腕の保田。小柄だが思い切りのいい投球を見せる。ただ初回、先頭の藤井がヒットで出塁し、バントで一死二塁。ここで早速3番のベテラン・井野口を迎える。三塁線を破る痛烈な当たりで1点先制。

そして不動の4番・カラバイヨには四球、続く久保田のヒットで満塁となる。「群馬さんの胸を借りるつもりで思い切って行け!」という声援が飛ぶ。この後は速水に犠牲フライを打たれたものの、合計2点で何とか攻撃を食い止める。

群馬の先発はラミレス。現在のDeNA・ラミレス監督の甥である。ただこちらも制球が定まらない中、初回先頭の泉がライトへの二塁打。続く杉本も強攻でライト前にタイムリーを放ち、1点返す。「目の前で胴上げを見たくない!」と応援団も気勢が上がる。

ただここからの攻撃がチグハグである。動作が大きい外国人投手相手だからか、タイムリーを放った杉本が盗塁を仕掛けるが二塁で完全にアウト。ただ打席の前本はヒットで出塁する。すると次のモスキートのところで今度は前本が盗塁を仕掛けるが・・・これもアウト。ただ打席のモスキートはヒットで出塁。形としては4連打である。ただ続く西野が二塁ゴロに倒れ、結局は1・2番の連打による1点のみ。ここで一気に同点に追いついていればこの後の展開もわからなかった。

試合が進むとスタジアムDJとウグイス嬢はスタンドに上がってくる。選手のアナウンスもスタンドの座席からリモートマイクを通して行う。生の声とスピーカーからの声との時間差にかえって臨場感がある。選手交代の時などはどうするのかなと見ていると、グラウンドレベルには別のスタッフがいるのだろう、トランシーバーで指示を受けて、そこから資料をめくってコールしていた。

4回、群馬は二死一・二塁として1番・藤井がレフト前へのヒット。これをレフト杉本が後逸して、1ヒット1エラーで3対1となる。さらに次の竹内には保田が暴投。4対1となる。うーん、じわじわと点差を広げられる。

しかし滋賀も粘る。一死二塁から7番・山本がライトへのタイムリー二塁打で1点返す。続く桑田が四球で出たところで群馬ベンチはラミレスをあきらめ、左の先発の柱である南を投入。優勝がかかる一戦とあっての采配である。「群馬さんを本気にさせたぞ!頑張っとるぞ!」と声援が飛ぶ。一死一・二塁と一気に追いつくチャンスでもあったが、ここは南が後続を抑える。4対2と群馬リードで中盤に入る。

滋賀は5回から右の高橋が登板。いきなり井野口、カラバイヨと迎えるがいずれも打ち取る。一方の滋賀も南の前にランナーを出すが得点に結びつかない。中盤は両投手の粘りの投球で進む。

8回からは滋賀も元阪神でエースの西村を登板させる。これも何とか目の前での胴上げ阻止という意地の采配だろうか。西村はそれに応えてまずは先頭の2人を打ち取るが、途中出場の笠井、続く椙山に連打を浴び、藤井の2打点目となるタイムリーで1点追加。5対2と大きなダメ押し点となった。

9回には先発で期待されながらもなかなか成績につながらなかった鈴木が登板。カラバイヨに死球を与えたがその後は併殺で無失点。こちらも、群馬相手に経験させる登板だったのかな。

そして迎えた9回裏、4回途中から登板した南がそのまま続投。応援席、最後はウグイス嬢もチアスティックを叩いて「何でもいいから塁に出ろ!」と声援を送るが、三者凡退。結局5対2で群馬が勝利し、前期の東地区優勝が決まった。

優勝となるともっと喜ぶのかなと思ったが、マウンド付近でのハイタッチはごく普通。そして両チームがベースライン上に整列して挨拶した後も、三塁ベースライン上では選手と監督・コーチのハイタッチはあるものの。これもごく普通。別に胴上げをするわけでもなく、それどころかベンチに全員着席して平野監督の「訓示?」を聞いている。前期の地区優勝くらいではこんなものなのかとも思う。年に一度しか行われない滋賀での試合だからというのもあるのか。「別に優勝したからって何もないやん」という声もする。

スタンド入口では選手たちが並んでの「お見送り」があり、スタンドでは手早く撤収作業が行われる。なおこの日の観客は「91人」。平日のデーゲーム、近江今津ということもあるのだろうか。それだけに貴重なものを見せてもらったなと思う。滋賀が敗れたのは残念としても、久しぶりに群馬のカラバイヨ、井野口を観ることができたし、「優勝」の瞬間の場にいたというのは日程の巡り合わせである。

試合が終わった後の帰りのコミュニティバスまでには50分近く待ち時間がある。公園にいても何もないし、多少無茶かとは思うが、近江今津駅までは5キロあまり。・・・歩くか。と、歩き出したところで球場から歓声があがる。ようやくここで胴上げが行われたようだ。群馬の選手たちは本音ではホームで胴上げしたかったのではないかと思うが、昨年独立リーグ日本一を果たしたチームとしては今季も好発進というところだろう。改めて、おめでとうございます。

さて運動公園から県道を南へ15分ほど歩くと国道303号線に出る。交差点をふと見るとバス停の待合室の建物がある。先のコミュニティバスとは違い、JRバスの近江今津~小浜線である。ここは1時間に一本くらいあったはずで、バス停にはバスを待つ人がいるのでもうすぐ来るのかもしれない。そこで梅原口と書かれたバス停に行ってみると、ちょうど3分後にバスが来るとある。これは偶然だがラッキー。やって来たバスに乗り込み、10分あまりで近江今津駅に戻った。JRバスというのも今津スタジアムのアクセスの抜け道になるかな・・・(とは誰向けの情報なのかな)。

・・・今回の観戦記はこれでおしまい。だが、せっかく滋賀に訪れるのだからと、球場に行く前にあるところに初めて行ってみた。そのことについてはまた別の記事にて・・・。
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BCリーグ観戦記・滋賀対群馬@近江今津(試合前)

2017年06月13日 | プロ野球(独立リーグほか)
話はちょうど一ヶ月前にさかのぼる。

5月13日、BCリーグの滋賀ユナイテッド対群馬ダイヤモンドペガサス戦が彦根球場で組まれていた。その試合を観戦しようと出かけたのだが、朝の彦根は雨だった。午前中は彦根城に上がったりしたが、その日は午後から天候が回復するという予報もあり、試合をやるか中止するかという球団の判断を待っていた。結局グラウンド状態が悪いこともあり中止が決定、ただ予報通り午後からは雨も上がり、急遽オプション?で用意していた竹生島への西国三十三所めぐりに切り替えたということがあった。

さて、中止になったその試合の代替が、ちょうど一ヶ月経った6月13日に、場所を近江今津に変更して行われることになった。この日は火曜日であり、通常なら出勤している日である。ただそこでラッキーだったのが、いつぞやの休日出勤日の代休をどこかで取るというもの。ならばということで、この日に充てることにした。職場のほうは特に問題もなく、まあ何か緊急ごとがあれば電話でもかかるだろうというくらいの感じで無事に代休となった。

朝の11時、湖西線の近江今津駅に現れる。今津スタジアムがある運動公園へは高島市のコミュニティバスが出ており、正面に西武ライオンズのマークを掲げた湖国バスが運行している。1日に何本か出るというものだが、11時06分発というのがある。高島市のホームページ掲載の時刻表では11時24分に運動公園に着く。試合後となる16時以降も3本あるようで、スタジアムの足としては使える感じだ。近江今津からのバスにも、群馬のファンなのか関東言葉で運転手と話をする先客のおっちゃんがいる。「急に来ることになっちゃってさぁ~」と言っていたが、なぜそうなったかの理由は後述。

近江今津近辺を多少遠回りしながら走り、運動公園に到着。野球場以外にも多目的グラウンドや体育館、屋外・屋内テニスコートなどもあり、平日にも関わらず地元の人たちの交流の場として賑わっている。今津スタジアムはその中心的な位置づけであるが、平日の日中の試合となると、どのくらいの客が来るのだろうか。

一般客の開門の11時30分となり入場する。観客席は5列ずつと、先日訪れた越前市の丹南野球場と比べても小ぶりだが、ネット裏には屋根もあるし、周りの自然との開放感も感じられる。ネット裏から見た景色が周りの自然に溶け込んでいるのは、ドーム球場では絶対に味わえない感覚である。正直、近江今津にこのような球場があるとは知らなかったので新鮮である。独立リーグの試合は、こうした新たな球場めぐりも含めて楽しみにしている。特に滋賀県というのはどこも訪ねたことがないので、滋賀ユナイテッドと組み合わせてあちこち行くことになるだろう。

スタンド内に自動販売機があるが、OBC高島の広告がある。高島市を拠点とするクラブチームで、かつては社会人野球日本選手権にも出たことがある。OBCの「O」とは、NPBや米大リーグ、そしてBCリーグでも活躍した大家友和から取っている。タイミングやご縁のことはあるだろうが、滋賀にBCリーグの球団を立ち上げるなら、現役選手でも監督・コーチでもいいので、この大家投手を招聘するという動きはなかったのかなと思う。

BCリーグは10球団が東地区、西地区に分かれていて、多くの試合は同地区の球団との対戦だが、前期、後期で1試合ずつ、他地区の球団との対戦が組まれている。前期、後期を通してホーム&ビジター1試合ずつという方式なので、この日の滋賀対群馬というのは、年間で2試合、そして前期は滋賀で、後期は群馬での対戦となる。つまり、群馬が滋賀に来るのは年に1回しかなく、1ヶ月前はその試合が雨天中止になったわけだ。

そして1ヶ月が経ち、私としては同じ関西として滋賀も応援するが、個人的に群馬のカラバイヨ(元オリックス・バファローズ)、井野口(BCリーグ初年度からの長距離打者)という選手を観たいという思いで観戦することにした(滋賀ユナイテッドの選手、スタッフの皆さんには申し訳ないです)。また、この試合まで群馬は東地区の前期シーズンの首位で、前期優勝のマジックが1である。1ヶ月前なら別に何でもなかっただろうが、ここに来て群馬にとっては優勝がかかる試合となった。前述の「急に来ることになっちゃってさぁ~」という関東言葉のおっちゃんの意味するのはそこである。

もっとも、そういう人はごくごく限られているようだ。三塁側のスタンドに陣取る応援団といえば、こちらは群馬から高速を飛ばして来たとして場内アナウンスでも紹介されていたが、一人で声出し、太鼓、出塁時のトランペットをこなしていたおっちゃんのみ。結構大変なものである。

一方、前回に甲賀で観戦した時に見かけなかった滋賀の応援団もこの日は来ていた。年格好からすると20代、それも学生さんなのかな?と思う。トランペット1本、太鼓1つという陣容である。

群馬の監督は中日、西武などで活躍した平野謙、そしてコーチには大洋などで活躍した高橋雅裕。なお、カラバイヨは選手だけでなく打撃コーチの肩書もついている。一方の滋賀は元阪神の上園監督に、地元高島高校でもコーチを務めたことがある桜井広大コーチが率いる。この今津での試合も「あの男(桜井コーチ)が帰ってくる」というのをPRにしていたが、その集客効果のほどは・・・。

・・・ここまでで話は長くなったので、続きは次の記事にて。試合としてはなかなか見ごたえがあったのだが・・・。
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今年は3連勝願う

2017年06月12日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
交流戦も終盤にさしかかる。ここまでバファローズとホークスが9勝3敗で首位に並んでいて(順位はホークスが上)、以下、ライオンズ、カープ、タイガースと続く。交流戦全体としてはパ・リーグが今年も勝ち越しているが、多くはジャイアンツとスワローズからの勝ち星で、逆にカープやタイガースはパ・リーグ相手に勝ち越しているから、一概にパ・リーグが強いと言い切れないのが残念である。

さて明日13日からはカープ対バファローズ。初戦は三次で行われるが、これまでの交流戦、バファローズが広島に乗り込むとたいてい1試合は巡業が組まれていた。三次、呉、福山、尾道・・・私個人としては懐かしい地名が並ぶ。

なお三次の球場は、鉄道旅行の時に一度訪ねたことがあり、自然の丘陵を利用して造ったところに感心している。横には三次ワイナリーの店もあり、そこで買ったワイン片手に観戦を楽しむのも乙なものかと。

さてこの対戦、昨年は鈴木誠也の3連発で、緒方監督の談話の「神ってる」が流行語大賞になったきっかけである。2戦目の逆転サヨナラ本塁打は三原のホテルで、3戦目の決勝本塁打はマツダスタジアムで目にした。

今年はどうなるか。昨年のこともあるのでぜひとも3連勝してほしいが・・・。バファローズのマレーロ、カープのバティスタという新戦力が存在感を示している。ここは鵜飼いの三次で豪快なアーチの競演というのも面白いかと・・・。
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BCリーグ観戦記・福井対信濃@丹南・後

2017年06月11日 | プロ野球(独立リーグほか)
福井鉄道の家久駅から歩いて20分ほどで丹南総合運動公園に到着。2013年完成とまだ比較的新しい。硬式野球場のほかに体育館、軟式野球・ソフトボール用のグラウンド、多目的グラウンド、さらには里山エリアという散策コースもある。丹南というのは福井県嶺北地方南部、丹生郡と南条郡からついた呼び名である。

試合開始が13時のところ11時半頃に着いたのだが、ファンクラブのプレミアム会員の入場が11時40分、一般会員が11時50分、そして私のような一般客は12時からの入場開始である。少し時間があるので球場周りを散策する。

三塁側の外に一つの石碑がある。「氣力」と書かれたその筆の主は、あの王貞治さん。何で福井の片田舎(失礼)に王さんの石碑があるのか。説明文によると、球場が完成した時に何か記念碑を建てようと考えていたところ、世界少年野球大会が福井県で開かれた。そこで越前市の野球連盟は、同大会を主催する世界少年野球推進財団の理事長が「世界の王貞治」であることから一筆お願いした。王さんはそれを快諾し、常に書いている「氣力」の文字を越前和紙にしたためた。それを石碑に移したというものである。ここから子どもたちが大きく成長してくれるようにとの願いがこもっている。

さて時間となり入場する。福井ミラクルエレファンツは今年が発足10周年。一時は経営難から存続が危ぶまれたこともあったが、今は「福井県民球団」として地元に溶け込んでいる。

スタンドは小ぶりで、ネット裏も同じような客席があるだけ。屋根裏があるわけではなく簡素な造りである。実はふとここで気になることがあって、武生の町歩きをしていた時は青空だったのが、家久駅に下りた時にはかなり雲が厚くなっている。福井の天気予報は午後から雨とあったのだが、朝大阪を出た時にはそのことに気づかず、関西は晴れの予報だったこともあって雨具を持って来なかったのだ。銀傘でもあればその下に逃げ込むところだが、まあ、なるようになるか。

試合前の状況では、福井は西地区の3位、一方の信濃は西地区の首位で、前期優勝のマジックも点灯している。リーグ発足時からのチームで唯一優勝経験のない信濃だが、今年こそはチャンスがあるかどうか。ちなみに福井の監督は今年から元阪神の北村照文、信濃は元阪急の本西厚博の両氏が務める。

この試合は「鯖江市の日」ということで、試合前の挨拶、始球式には鯖江市長が登場。また試合の合間には鯖江市のイベント紹介や、特産品が当たる抽選会があった。

さて試合開始。福井の先発は元阪神の岩本。名字に「岩」の字がつく投手が多い阪神にあって、1年目は一軍初登板初勝利、そして次の試合にも勝利して今後の活躍が期待されたが、その後は勝ち星どころか一軍の登板機会にも恵まれず、昨年限りで戦力外。今年から福井に在籍しているが、これはNPB復帰への道を探るためだろう。ただBCリーグでも圧倒的な存在感を示しているわけでもなく、まだ手探りの段階のようだ。

一方の信濃先発は台湾出身のロン。信濃先発陣の柱の1本である。そのロンに対して先頭の森が四球、続く小野瀬がヒットで続く。その後二死一・三塁となって5番・浜崎が二塁ゴロ。これを信濃の二塁・ライがはじくエラーで1点が入る。

続く高柳がレフト前にタイムリーを放ち2対0となり、その返球も悪送球となってもう1点入る。さらに片山がセンター前ヒットで合計4対0。早くもスタンドは大いにわく。得点が入ると流れるのは福井県民謡の「イッチョライ節」。

2回にも森が二塁打で出塁し、小野瀬のタイムリーで1点追加。5対0と一方的な展開となった。

試合としては福井ペースなのだが、ここで雨がポツリと落ちてくる。雨具の用意がないのが不覚ではあるが、このくらいならまだ我慢できるかなというところ。その後、雨のほうは試合を通して降ったり止んだりが続く。

3回まではヒット1本に抑えていた岩本だが、4回にピンチを迎える。先頭のライが四球、続く中川のゴロを福井の二塁・栗田が二塁に送球するがセーフ(野選)。続くジェウディーも四球で、無死満塁となる。ここまで5対0だが、ここで得点が入ると試合はまだまだわからない。

ただここでギアを入れ直したか、元日本ハムの大平を浅いレフトフライに打ち取る。これでは三塁ランナーもタッチアップできない。続く森田は空振り三振、そして最後は柴田を遊ゴロ。無死満塁のピンチを無得点で切り抜けた。これで試合の流れが決まったような感じだった。

福井は5回の二死満塁は無得点だったが、6回には森がこの日2本目の二塁打を放ち、甲川のタイムリーで1点追加。信濃も6回に柴田のタイムリーで1点を返すが流れは変わらない。

この後は両チームとも継投。まず7回から登板した信濃の浅見。西武の牧田に憧れているという下手投げの投手。球の出どころがわかりにくいが、ビャッと来るような球を投げる。一球ずつ帽子を飛ばすのも面白い。

そして8回から福井の2人目として登板したのは、昨年オリックスに在籍したものの、1年で戦力外となった角屋。今年は育成契約となり、1年間福井に「派遣」という形で来ている。「居酒屋店員からプロ野球」「ベンツで入寮」という話題だけが先行した1年だが、BCリーグを自らの修行の場としてもう一度支配下を勝ち取りたいところである。ただ、今季のバファローズ投手陣は若い選手もどんどん出てきているので、ハードルも高そうだ。

8回には浅見から森のタイムリー、浜崎のタイムリーで2点追加。8対1となる。

そして9回はこの点差だが抑えの藤岡が登板。先頭打者を四球で出すものの、後は三者連続三振で締める。結局福井が16安打で圧勝したが、信濃の3失策(このうち2つが失点につながった)も痛いところ。この試合を受けて、信濃は西地区の首位から転落。この日勝利した富山サンダーバーズが首位に浮上し、マジックも点灯した。

試合終了後のインタビューでは勝利投手の岩本、そしてともに3安打の森、浜崎の3人が登場。また球場外では選手たちの「お見送り」があった。普段ならばヒーローインタビューもしっかり聞いて、また球場外で選手や監督・コーチからご朱印・・・もといサインをいただいたりということをするのだが、この日はインタビューもそこそこに球場を引き上げた。9回に入り、雨がちょっと強くなってきたのだ。これから強くなるようなことを誰かが言っており、雨具を持たないのでここは濡れても仕方ないから早く駅に戻ることにしたのである。

家久駅に到着。こちらは最近できた駅舎ということで多目的のトイレもある。ここでシャツを取り替える。最初は歩いて汗をかくからと持参していたのだが、まさかの雨で着替えることになるとは。

武生に戻る。時刻は17時前ということでこれから大阪に戻るが、夕食をどうするか。実は武生には「ボルガライス」という地元料理がある。市内にそれを出す店がいくつかあるのだが、雨が降っているので駅前の店に入ろうかと思う。しかしドアのところには、「5時半から営業」とある。うーん、30分以上待つのか。わざわざ待つのもどうかと思い、17時すぎの列車で敦賀まで移動する。

・・・敦賀まで移動したのは大阪までの列車の便のこともあるが、やはりもう一つ、「敦賀に来たらこの店」という「まるさん屋」に行こうというものだ。この店にも何回か来ているが、季節に応じた看板メニュー、その時の旬のものが出てくるので通ってしまう。この時はカウンターにたまたま空席があったので待ち時間なく入ることができたが、店内はグループ客のほかに、夕方からの宴会客も入っていて店員さんも慌ただくしている。

造り盛り合わせ(並でも7点盛り)、鯖のへしこ焼きに加えて、そろそろ出始めの岩ガキを刺身をいただく。岩ガキはもう少し大きければよかったが、濃厚な味で酒ともよく合っていた。

今回は野球以外にも武生の町歩き、そして夜の居酒屋ということでなかなか濃い1日となった。野球を観に行く・・・これくらい肩の力を抜いて楽しめば、というところである・・・・。
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