津和野から「SLやまぐち号」に乗車する。列車が入線する時に撮影しようと多くの人が集まると安全上の問題があるためか、15時18分発の益田行きが出た後、ホームにいる人はいったん改札の外に出るよう促される。改札は、列車が入線して安全が確保されてから行うとある。
・・ただ、絶対いるな。こういう案内、指示を聞かない奴。いい歳して「何が悪いんや」とばかりにホームに居座っているおっさんがいる。改札口から駅員が声をかけるも動こうとしない。
列車が入線してホームに向かう。席はあるのだし慌てることもないのだが、やはり機関車の姿は見ておきたい。もっとも、見るのなら駅の外からのほうが、動輪の部分も見えるので適しているようで、初めは駅の外にいて、発車が近くなるとホームにやって来る人もいる。
機関車はC57 1号機。「SLやまぐち号」といえばこの機関車である。改めてプロフィールを振り返ると、製造は1937年。水戸~宇都宮に配属され、宇都宮では空襲のため損傷を受けている。以後、東北本線や羽越本線などで活躍し、1972年に定期列車の運用を引退した後は、千葉や京都梅小路で動態保存されていた。1979年から「SLやまぐち号」として復活、以後、さまざまな故障、不具合と修繕を繰り返しながらも、現在も元気に運転している。
記念撮影する子どもたちは相変わらずいるが、お盆休み最終日の8月16日ということもあってか、乗客も満員ということもないようで、ホーム上もそれほど混雑していない。
一方の客車。パッと見たところでは旧型客車そのものである。運転当初は青い12系客車がそのまま使われていて、その後は塗装を茶色にして車内も「明治風」「大正風」「昭和風」などと趣向を凝らしていた。これらの客車の老朽化を受けて、2017年に新たに35系客車として新造されたのが今目の前にある車両である。客車を新造するというのも珍しいことだが、何でも「最新技術で快適な旧型車両を再現」というのがテーマで、1920~30年代に走っていた客車の雰囲気を再現している。今から乗る普通車は「オハ35『風』」とでもいうところ。この辺りは、本物の旧型客車を使っている大井川鐡道と好みが分かれるかもしれない。
技術面の細かなところはさて置き、そこは現在の観光車両ということでボックス席にはテーブルもあれば、コンセントがあってスマホの充電もできる。もちろんエアコンも効いている。他にもバリアフリー対応が施されているとか、トイレがウォシュレットつき、洗面所もレトロ風ながら自動水栓とか、そこは現在の基準に沿っている。
車内には「SLやまぐち号」関連の展示もある。途中で山口線の運休などもある中で、足掛け40年以上にわたって運転されているSL列車。これだけでも一つの歴史である。
こういう車両なら「呑み鉄」と行きたいところだが、津和野の駅売店ではビールを売っていなかったし、どうせこの後乗る新幹線の車内で夕食となるからそこまで取っておく。
座席はボックスが4席とも家族連れで埋まるところもあれば、まるまる空席のところもある。私の座席には他に相客がなかった。こういう状況なのでなるべく相席にならない売り方をしているのか。もっとも現在は自分でもシートマップで座席が選べるから、席に余裕があるのなら散らばればよいことだ。
15時45分、汽笛が鳴って出発。駅の外から見物の人が手を振って見送りである。煙が前方から漂ってくる。
津和野の町を抜けると、里山の景色となる。こういう車両なので窓も少しだけだが開けてみる。窓から手や顔を出さないこと、トンネルの中では窓を閉めることの案内が流れる。津和野から次の船平山の区間が、県境越え、山越えの区間で、いきなりクライマックスが来たかのようである。煙も多く吐くので、外からの撮影ポイントも多いようだ。
トンネルが近づくと汽笛が鳴るのでそれを合図に窓を閉め、トンネルを出ると窓を開ける・・のを何回か繰り返すうちに、県境越えの白井トンネルが近づく。さすがにこの区間では、トンネルが長いので窓は必ず閉めること、展望デッキにいる人は必ず車内に入ることの案内が流れる。全長2キロ近くあるわけだが、窓を閉めても車内が少し煙るように感じる。そこはSL列車ならではだろう。
トンネルを抜けると山口市。町村合併が進み、山口市全体では県の南北を貫く市域となっている。だから「SLやまぐち号」が通る自治体は山口市と島根県津和野町だけである。
船平山を過ぎると田園風景が広がってきた。もう少しで豊かな実りを迎える田んぼと、そこに点在する集落。「この先しばらくトンネルはありませんので、どうぞ窓を開けて外の風を感じてください」という案内が入る。ただしばらくすると、「現在エアコンの出力を最大にしています。エアコンが効くように窓を閉めてください」という案内になる。あらあら。誰か車掌にクレームでもつけたのか。そこはSL列車の運転の難しいところだろう。
山口市に入ってからは阿武川沿いに走り、長門峡を過ぎる。反対側だったのでよく見えなかったのだが、駅のホームや、近くにある道の駅からは多くの人が見送りで手を振っていた。道の駅だと、SLの通過時刻も案内しているのではないだろうか。今さらだが、SL列車というのは外から見る、撮影するほうが感激も多いようだ。
篠目で、かつての給水塔の遺構の横を過ぎる。1922年に建てられ、1973年に山口線からSLが引退するまで使用されたものである。これは車内から見るより、外から一緒の写真にしたほうが映えるだろうな。
仁保から宮野にかけて少し山越えがあり、山口の市街地に入る。ここまで来れば新山口も近く、2時間の車内もあっという間に過ぎた感じがする。17時30分、新山口に到着。
「SLやまぐち号」はこの後引き揚げ作業に入る。その作業を見物しようという人がホームの端に集まる。客車はディーゼル機関車のDE10が牽引する。その連結風景を見て、まずは客車が回送される。
その一方で、C57 1号機がいつの間にか隣の線路に移っていた。これも後退して車庫に引き揚げていく。これで一連のイベントが終わり、それと共にこの旅もそろそろ終わりだなという思いが込み上げてきた。
これから新山口駅の自由通路を伝って、新幹線に乗る。往路がフェリー利用だったから大きな意味での「循環旅行」だが、いよいよこの旅最後の移動である・・・。