近畿三十六不動めぐりの円満院を後にして、隣にある三井寺の仁王門の前に立つ。ここからは西国三十三所の札所めぐりに切り替わる。三井寺にはこれまで京阪三井寺駅から琵琶湖疎水沿いに歩いて長等神社から西国札所の観音堂に出たが、北側の仁王門から入るのは初めてである。こちらのほうが正門のように見える。
2巡目ということもあり、気楽な感じで境内を回ることにする。まずは仁王門すぐの釈迦堂に向かう。釈迦如来に手を合わせる。前は気づかなかったが、本尊の右手には歴代天皇の位牌が祀られている。その中に昭和天皇のものもあるのは意外だった。こういうことはもちろん今なら宮内庁の許可がなければできないことだろう。歴史ある三井寺だからできたことだろうか。
本堂に当たる金堂に着く。方丈の造りは堂々としたもので存在感がある。外陣を一回りする中で、正面におわす本尊の弥勒菩薩は秘仏で手を合わせるだけだが、不動明王や阿弥陀如来、毘沙門天など各時代の仏像が金堂の三辺を護るように飾られている。これらをガラス越しではなく間近に見られるとは、特に仏像好きの方には興味深いものだと思う。
続いて、近江八景にも歌われた三井の晩鐘や、阿迦井の井戸、さらには同じ鐘でも弁慶が引き摺ったとされる釣り鐘を見る。この辺りは三井寺の中の観光スポットと言ってもいいだろう。
何だか淡々と歩くような感じで昔ながらのたたずまいや(最近の時代物の映画のロケ地に三井寺のこの場所が選ばれたという看板も見るが、それだけのものが残っている証)、緩やかな坂道をたどる。
そして最後に観音堂に出る。西国三十三所1300年の幟があちこちではためく。仁王門から一通り歩いてようやく着いた感じはあるが、これが本来なのだろう。西国札所「だけ」を目指していれば、長等神社の石段を上り、観音堂にお参りして、朱印をいただいてそれで終わりである。まあ、そういうお参りをする人も結構いると思うが。
観音堂に入る。西国の白衣を着た人もいる。私もここで西国先達の輪袈裟を引っ張り出して首にかけ、お勤めの準備をする。ふと目をやると、そこには大津絵の鬼の念仏の額が掲げられていた。昨日今日掲げたものではなく、私がこれまで意識しなかっただけのことだが、寺のお堂にこの図柄を掲げるのはお参りする人たちへの問いかけなのかなと思われた。鬼が僧侶のふりをして回っているだけなのか、鬼だけど信仰によって喜びや幸せを得られるものか。
その答えがいずれともわからないまま、一通りのお勤めを行い、お堂の中の納経所に向かう。例のごとく巻物の先達納経帳を出して朱印をいただいていると、横の列に並んでいた人は「西国のご詠歌の紙と、びわ湖百八観音のバインダーのやつを・・・」と依頼している。びわ湖百八霊場。琵琶湖を囲むように百八の観音霊場があるそうで、エリアが滋賀県限定とはいえ全部回るのは大変そうだ。百八の中には住職や係の人が常駐していないところも多いため、朱印はあらかじめ書き置きを用意しておき、それをバインダーに綴じるのだそうだ。
観音堂の上の展望台に上がる。少し雲がかかっているが琵琶湖の眺めはよい。滋賀県にもこれからまたいろいろ訪ねることがあるだろう。
このまま石段を下り、長等神社からアーケードの商店街や旧東海道を歩く。大津の宿場町の風情も所々に残っている。
JRの大津駅に到着する。駅のすぐ横にあった平和堂は完全に取り壊されて、高層マンションが建つようだ。また駅も一昨年10月にビエラ大津という商業施設ができている。線路と同じ高さにある簡易宿泊施設や、飲食店も並ぶ。先ほど円満院の開運そばを食べたばかりということもあって食事はしなかったが、新たにできた観光案内所の売店で琵琶湖の幸を土産に買い求める。また時間を合わせて訪ねてみたいものだ。
さて、これから3月、札所めぐりもまたいろいろ動くことになるだろう・・・。
2巡目ということもあり、気楽な感じで境内を回ることにする。まずは仁王門すぐの釈迦堂に向かう。釈迦如来に手を合わせる。前は気づかなかったが、本尊の右手には歴代天皇の位牌が祀られている。その中に昭和天皇のものもあるのは意外だった。こういうことはもちろん今なら宮内庁の許可がなければできないことだろう。歴史ある三井寺だからできたことだろうか。
本堂に当たる金堂に着く。方丈の造りは堂々としたもので存在感がある。外陣を一回りする中で、正面におわす本尊の弥勒菩薩は秘仏で手を合わせるだけだが、不動明王や阿弥陀如来、毘沙門天など各時代の仏像が金堂の三辺を護るように飾られている。これらをガラス越しではなく間近に見られるとは、特に仏像好きの方には興味深いものだと思う。
続いて、近江八景にも歌われた三井の晩鐘や、阿迦井の井戸、さらには同じ鐘でも弁慶が引き摺ったとされる釣り鐘を見る。この辺りは三井寺の中の観光スポットと言ってもいいだろう。
何だか淡々と歩くような感じで昔ながらのたたずまいや(最近の時代物の映画のロケ地に三井寺のこの場所が選ばれたという看板も見るが、それだけのものが残っている証)、緩やかな坂道をたどる。
そして最後に観音堂に出る。西国三十三所1300年の幟があちこちではためく。仁王門から一通り歩いてようやく着いた感じはあるが、これが本来なのだろう。西国札所「だけ」を目指していれば、長等神社の石段を上り、観音堂にお参りして、朱印をいただいてそれで終わりである。まあ、そういうお参りをする人も結構いると思うが。
観音堂に入る。西国の白衣を着た人もいる。私もここで西国先達の輪袈裟を引っ張り出して首にかけ、お勤めの準備をする。ふと目をやると、そこには大津絵の鬼の念仏の額が掲げられていた。昨日今日掲げたものではなく、私がこれまで意識しなかっただけのことだが、寺のお堂にこの図柄を掲げるのはお参りする人たちへの問いかけなのかなと思われた。鬼が僧侶のふりをして回っているだけなのか、鬼だけど信仰によって喜びや幸せを得られるものか。
その答えがいずれともわからないまま、一通りのお勤めを行い、お堂の中の納経所に向かう。例のごとく巻物の先達納経帳を出して朱印をいただいていると、横の列に並んでいた人は「西国のご詠歌の紙と、びわ湖百八観音のバインダーのやつを・・・」と依頼している。びわ湖百八霊場。琵琶湖を囲むように百八の観音霊場があるそうで、エリアが滋賀県限定とはいえ全部回るのは大変そうだ。百八の中には住職や係の人が常駐していないところも多いため、朱印はあらかじめ書き置きを用意しておき、それをバインダーに綴じるのだそうだ。
観音堂の上の展望台に上がる。少し雲がかかっているが琵琶湖の眺めはよい。滋賀県にもこれからまたいろいろ訪ねることがあるだろう。
このまま石段を下り、長等神社からアーケードの商店街や旧東海道を歩く。大津の宿場町の風情も所々に残っている。
JRの大津駅に到着する。駅のすぐ横にあった平和堂は完全に取り壊されて、高層マンションが建つようだ。また駅も一昨年10月にビエラ大津という商業施設ができている。線路と同じ高さにある簡易宿泊施設や、飲食店も並ぶ。先ほど円満院の開運そばを食べたばかりということもあって食事はしなかったが、新たにできた観光案内所の売店で琵琶湖の幸を土産に買い求める。また時間を合わせて訪ねてみたいものだ。
さて、これから3月、札所めぐりもまたいろいろ動くことになるだろう・・・。